第十一話 魔王の側近

 地中から現れた影のように黒い男。


 だが黒かったのは一瞬だけであり、髪の毛は灰色で、肌は病的なまでの白だ。

 服装は聖職者のような紺色のローブを着ており、一見するとうさんくさい神父にも見える。


 しかし、男が放つ戦気は人間のものではないとすぐさま直感させた。

 ルーシーもリオンより、そちらの男に注意を割いており。


「貴様……貴様貴様貴様ァ!!」


 二十歩を瞬時に踏み込み、ルーシーは男へ槍を振り下ろした。

 男はこともなげに腕一本で受け、微動だにせず彼女を見上げる。


「どこかで見た顔だが……さて」

「忘れたか! 貴様が滅ぼしたフナハ村を忘れたとは言わせん!!」


 ルーシーの殺気はリオンに対するものよりも膨れ上がっている。

 男の一撃で弾かれたが、彼女は空中で後方回転しながら着地した。


「仇か」


 ルーシーの言動からリオンはあたりを付けた。

 しかし彼女には言葉は届かず、獣以上の速度で男へと再度飛び掛かった。


「ああ、覚えているとも。そのあまりの怯えようから私が憐れみ、情けをかけ、無様にも見逃された幼子よ。さて、尿を漏らす癖は治ったかね?」

「貴様ァ! 決して許さん!!」


 風より疾い一撃を男は難なく受け流し、雨のように降り注ぐ連撃も片手で捌いていく。


 前方にいたはずのルーシーが消えたと思えば、背後から軌跡が輪っかになるほどの速度で振り回された槍が男を襲った。

 しかし、それもひらりと躱され、ルーシーは半身を晒す。


「残念だよ。オイタは治らなかったらしい」


 ガラ空きの脇腹を殴られ、ルーシーはもんどり打って地面を転がっていく。

 土煙の中、彼女が仰向けに倒れた姿を見て、男はリオンへ向き直った。


「失礼。自己紹介が遅れたな。私はグレイブ。魔王様の側近だ」

「ほぅ。魔王の」


 ようやく手に入れた情報が側近による自己紹介か、とリオンはため息を吐く。

 結局、この【戦場】に殴り込んでみるまでわからなかったことだ。


「私は魔王城への道中を預かる者でね。ここまで来れたのは君達が初めてだよ。ま、私がここを任されてから数十年と経ってはいないがね」

「そうか。なら通らせてもらう」

「ああ、好きにするがいいとも。できるのなら、な」


 グレイブの魔力が一気に跳ね上がった。奔流として見るのなら、今までの誰よりも激しい。

 だが一点突破の魔力量であれば、以前戦った炎を操る吸血鬼――レックスの方が多かったと感じる。恐らくはこれで全てではないのだろう。


「では、行くぞ」


 魔力を掌に凝縮させ、グレイブはリオンへ向けた。


「来い」


 リオンは刀を肩に担ぎ、手招きして挑発して見せる。


 グレイブの掌から真っ黒な球体が放たれ、宙空に浮かぶ。

 掌ほどのそれは絶え間なく射出され、泡のようにリオンへと向かってくる。


 その途中、球体は姿を変え、鬼のような形を取って地面へと降り立った。

 まるで昔話に出てくるような筋骨隆々とした黒い鬼。


「雑魚を出したか」

「すまないが、魔獣を操るのが本業でね。ここを任されているのも、この力故だ」

「ならば仕方ない。引きずり出すとしよう」


 この会話の間に鬼は増え続け、リオンとグレイブの間に無数の鬼が生まれ落ちていた。

 どれもこれも真っ黒で、二メートルを超える巨体を持つ。


「オオオオオオォォォォォーーーー!!!」


 鬼達は異形の言葉で咆哮を上げながら、リオンへと突進してきた。

 その姿はさながら鬼の津波。壁が迫るような光景にリオンは刀を握り直した。


 ――ひとつだけ。まだ試していない魔術がある。


 それはレナから血を吸ったことで思い出した【闇属性】の上級魔術。

 しかしこれは試す前から危険さが理解できており、気軽に試すわけにはいかなかったのだ。


 だが、今なら可能だ。

 ルーシーは遥か遠くで倒れており、目の前には魔獣よりは手応えのありそうな雑魚の群れと、魔王の側近。


 試すには、上出来なシチュエーションだと言えた。

 リオンは左手を突き出し、言葉にして魔術を唱える。


「《ディザスターストーム》」


 突如、頭上に深淵の雲が現れ、鬼達も一瞬だけ足を止めて空を見上げた。

 宙空にあるのに吸い込まれそうな空間。


 だがそれだけだとわかると再度、鬼達は突撃を再開し。


 あっけなく全滅した。


 グレイブは瞠目し、リオンは口の端を吊り上げる。

 何が起きたのかわからないという顔を浮かべるグレイブ。


 リオンは満足げに今の魔術を思い返してみる。


 頭上の闇から、降り立ったのは巨大な龍だった。

 蛇のような長き身体を持つ漆黒の龍が、上空から鬼達を全て丸呑みにしたのである。


 その間、わずかに数秒。


 鬼達は抵抗も逃亡も許されずにその口に呑まれ、龍と共に地中へと潜っていったのだ。

 ただ龍が通った地面は大きく抉れており、まるで巨大な重機が何度も念入りに掘削したかのような有様だった。


 ――確かにこれは街中、いや下手したら平原や山林でも使用を気をつけなくてはならないな。


 リオンはそう結論付ける。

 リオンとグレイブの間は、既に大きな穴のように地面が抉られているのだから。


 辺りは龍の身体による暗闇から解放され、リオンとグレイブだけが相対している状態へと戻った。


「《グランドシェイク》」


 ふと思いつき、リオンは【土属性】の上級魔術を放つ。


 すると穴となったはずの地面が隆起し、ボコボコと沸騰するように盛り上がってきた。

 数秒後には地面の高度が戻り、耕されたかのような盛り上がり方をしているものの、なんとか渡り歩けそうなほどに回復している。


「貴様。何者だ? その魔術は……」

「なに。しがない吸血鬼だよ。アンタと一緒だ」


 動揺を隠せないグレイブは、更に一層驚いたように肩を震わせた。


「よくぞ私が吸血鬼だとわかったな。……いや、あの小娘か? 奴の発言から推測したのか」

「それもあるが。アンタの現れ方、闇や影から現れるその手法――闇の眷属のやり方だ。活動中の闇の眷属なんて、吸血鬼しか知らないんでね」

「なるほど……思った以上に底知れない同胞のようだ」


 グレイブは拳を構える。ルーシーを相手にしている時は取らなかった構えだ。

 しかしリオンはグレイブの言葉に嘲笑で返す。


「……同胞、ね」


 もしも。

 リオンがこの世界に生まれた時、吸血鬼の仲間がいて。


 もしも。

 そいつらと一緒に行動していたら、身も心も吸血鬼になっただろうか。


 ――答えはノーだ。


 どこまでいっても自分は人間であるという矜持をリオンは持っていた。

 レナの血を吸い、人の身には過ぎたる力を振るおうとも、自分は人間だとリオンは主張し続ける。


 決して他の吸血鬼のように傍若無人には振る舞うまい、と。

 リオンは決意と共に、静かに刀を構えた。


「行くぞっ!」


 今度こそ、グレイブ自身が動いた。

 足を動かさず、一気に距離を詰められる。

 

 しかし、その程度の動きで慌てることはない。

 グレイブの一挙手一投足に注目し、繰り出される拳を弾いていく。


 一撃一撃が鉛のように重たい。

 それに拳自身も刀と打ち合えるほどに硬いのだ。


 だがそれよりも、リオンは荒れた地面を物ともしない体捌きに感心する。

 地面がデコボコしているというのに、一切身体の軸がブレていないのだ。


 どこでも安定した強さ。

 それこそがグレイブの強さなのかもしれなかった。


 しかし、その程度で今のリオンを止められるはずもない。


 一閃。

 わずかな隙を縫って振るわれた白刃が、グレイブの身体を袈裟に断った。


「ぐぅっ! さすが! ここまで来るだけのことはある……!」

「……本気は出さないのか?」


 数歩退いたグレイブに追撃せず、リオンは刀を下げた。

 瞠目したグレイブは、自嘲めいた笑みを浮かべる。


「そこまで、見抜いていたか……」

「当然だ。あれだけの闘気を纏っていた奴が、こんな弱いはずがない」


 確かにグレイブの拳は重く鋭く、疾い。

 だがそれだけで魔王の側近が務まるはずもないとリオンは考えていたのだ。


「よかろう……! 魔王様にしか見せたことのない、我が真髄……受け取るがいい!!」

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