第十話 新たなる敵

 姿かたちこそ変わっていないものの、ルーシーから迸る闘気が以前とは大きく様変わりしている。

 前までは荒々しい中にも鋭利で冷徹な殺気が含まれていた。


 だが、今のルーシーからは暴風のように迸るだけの殺気しかない。

 そんな闘気は、腹を空かした魔獣にだって出せる。


 リオンは彼女の赤い瞳にある歪みを見て、心の中で嘆息した。

 ルーシーを力任せに槍ごと押し返し、リオンはレナに合図する。


「下がってろ」


 彼女は頷いて後方へと退いた。

 どこまでとは明確に定まっていないが、危険が及びにくいエリアまで。もちろん魔獣との挟み撃ちには気をつけている。


 リオンはレナの後退を見届け、視線を目の前に戻した。

 そこには一匹の獣と化したような吸血鬼ハンターの姿がある。


 沸き立つ心が冷えていく。

 こんなルーシーが見たくて何度も返り討ちにしたのではない。


「堕ちたな」

「黙れ! 貴様が、貴様さえいなければ!!」


 ルーシーは吊り上がった眼でリオンを睨む。その目には殺意と敵意しか満ちていない。

 リオンはそんな彼女を見て首を振った。


「そうか。残念だ」

「残念かどうかは……こいつを受けてから言え!!」


 姿勢を下げるルーシー。どうやら開幕から奥義である【スキル】を使うようだった。

 一瞬の後、彼女の姿が消え、残像となってリオンに迫る。速度だけで言えば前回以上だ。


 しかしリオンは露骨にため息を吐き、静かに【麻痺の魔眼】を放つ。


「ぐがっ!?」


 ルーシーは【スキル】の途中で強制中断させられ、力なく前のめりに倒れこんだ。


「な、なぜだ!? なぜ私との戦いを避ける!?」

「今のお前は前よりも弱い。その証拠に、この程度の拘束も跳ね除けられない」


 リオンは地面に突っ伏すルーシーを冷たく見下ろした。


 確かに身体能力は上がっていたかもしれない。だがそれに任せて槍の技術が低下しており、リオンを殺そうとする意志の強さにおいては以前と比べて圧倒的に劣っていた。


 たった一合の交わり。

 それだけでリオンには全てわかってしまったのだ。


 自身をギリギリまで追い詰めたことのある相手だからこそ、その技量が曇ってしまっているのがわかってしまう。それによってリオンの心に一抹の哀しさが去来していた。


「その力……どうやって得た? 自分のものではないのだろう? だからこそ、貴様の意志は鈍っている。以前は麻痺する中でも抵抗し、わずかでも動けていたのにな」

「黙れ! 黙れぇ!!」


 親の仇を見るような顔でルーシーは叫ぶ。だがその身体は一切動かない。

 いや、動けないのだ。


 魔眼を弾くのに必要なのは、対魔力か、強靭な意志。

 ルーシーは後者の持ち主だったのだが、それを今の彼女は失ってしまっていた。


「ぐうぅ!! 動け! 動けぇ!!」


 ――仕方ない。


 リオンは刀を収め、その首に手刀を落とそうと構える。

 その瞬間。不吉な風が吹きつけた。


「ふぅん。期待外れね」

「ロキ……」


 まばたきの隙を縫って現れた少女。

 彼女は冷酷な視線でルーシーを見下ろしている。


 リオンが視線を外したことでルーシーは自由になり、獣のような柔軟性で槍を振り上げた。

 だがリオンはそれを流し、腹部を蹴り飛ばしてロキの足元まで転がす。


 槍の技術を失ったルーシーは、今のリオンでは相手にならない。

 むしろ純粋な身体能力だけで勝負する魔獣の方がまだマシだと思えた。


「おい! お前の力を受け入れたら強くなるんじゃなかったのか!?」

「そうねぇ。普通ならそうなんだけど……」


 ロキは興味なさげにルーシーの横顔を眺める。

 立ち上がったルーシーは、リオンよりもロキへと殺意を移行していた。


「嘘だったんだな。やはり私を騙す為に……!」

「騙す必要なんかないわ。だって、貴女は弱いもの」


 言葉尻と同時に槍が振るわれる。

 しかし穂先はロキに届く直前、空間に縫い付けられたように停止した。


「ほら。この程度の障壁が破れない。貴女は私に指一本触れられないの」

「ぐっ……!」


 ルーシーは諦めたように槍を引いた。

 力関係において、完全にロキの支配下にあるらしい。


「考えられるのは……貴女、プライドを捨てなさい」

「なんだと?」


 ルーシーは視線だけで反抗する。


「槍を上手く扱うだとか、そんなことは考えなくていいわ。とにかくリオンを殺すことだけを考えて突進するの。いいわね?」

「誰がそんなことを……!」

「そ。なら一生負け犬のままでいなさい。私はどうでもいいわ」


 ルーシーは思いっきり舌打ちをした。


「吸血鬼やら冥界の女王やら……もうウンザリだ! やればいいんだろう!!」


 完全に自棄になっている。

 それを感じ取り、リオンは刀を抜いて手招きした。


「来い」

「言われずとも!」


 ルーシーは低く構え、一気に地を蹴った。


 その瞬間に彼女は風となり、リオンの周囲を駆け回る。

 縦横無尽に残像が移動し、リオンを空間的に囲うようにルーシーは動き続けていた。


 一陣の風がリオンの腕を掠める。速度だけに頼った槍の一撃。

 しかし穂先が強化してあるのか、リオンの肌をバターのように裂いた。


「殺す!」


 それだけの言葉が響き、リオンは四方八方から同時に攻撃を受ける。

 全ての刺突がリオンを削り、外套の至る所に裂き傷を作った。


 徐々に範囲が狭まり、ルーシーは更に速度を上げていく。

 リオンの目ではもう捉えられないほどの速さだ。残像すら実体に見えるほどの動きでリオンを蹂躙している。


 トドメとする一撃が背後から迫った。

 恐らくルーシーの瞳には勝利が映ったことだろう。


 だが、最後の瞬間。


 ルーシーは地面へ滑り込んでいた。

 何が起こったのかわからないような呆けた顔で。


「確かに速い。だが単純すぎる。攻撃の気配を消したり分散していた以前の方がまだマシだ」


 リオンはただ避けただけに過ぎない。

 そして横を通過する彼女の脛に、ちょっとだけ爪先を当てた。


 たった一つの動作で、彼女は自滅するように倒れ込んでしまっている。

 力を求めた故に、力に溺れた者の末路なのだろう。


「引導は、俺が渡すべきか?」

「……ふざけるな」


 ルーシーはそれでも立ち上がる。

 自分の持てる速度を出し切って尚、負けを認めずに戦うつもりなのだ。


 ――待て。ロキはどこだ?


 今の攻防の中、ロキの姿が消えていた。

 その気配を辿れば、向かったのはリオンの後方。


 ――レナを狙ったか。


 リオンは脳内で救援を考える。

 だがルーシーを連れていけば、レナをさらなる危険に晒してしまうのだ。であれば、ルーシーの撃退が優先事項だろう。


 それに。本来は魔獣相手だったとはいえ、こういった事態は想定済みだ。

 レナとてすぐにはやられないだろう。


 とはいえ、長く保つわけでもない。

 リオンはできる限り早く救援に行こうと、ルーシーの背中に向けて刀を構えた。


「人の庭で何をしているのかね?」


 不意に。

 リオンともルーシーとも違う声が響き渡る。

 また別種の脅威を感じ取ったリオンはそちらへ向けて警戒した。

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