第三話 戦場視察
「……本当に行く気なの?」
ふとレナが不安げな表情で尋ねてきた。
リオンは首を傾げる。
「どうした?」
「ううん。でもなんだか心配で」
話に聞く【戦場】は死の危険で満ち溢れているらしい。
そもそも行くための条件が厳しすぎるし、それ相応の実力がなければすぐに屍と化してしまうだろう。
そんな状況なのだから、レナが不安になる気持ちも理解できた。
リオンは気楽にレナの肩を叩く。
「大丈夫だ。俺は死なないし、レナも死なせない」
しかしレナの難しい表情は晴れない。
彼女なりに思う所があるのだろう。
――そも。行ったこともないんから変に確信めいて言うのは違うか。
それぐらいの気概はあるという気持ちで言ったのだが、気休めにしかならないらしい。
ならば、とリオンは言葉を変えてみた。
「レナ。俺を信頼しろ。今の俺は、お前の血を吸っているから今までで一番強い」
「……そう、だね。そうだよね」
納得できたのか、レナの顔も徐々に明るくなった。
「もっと吸う?」
「いや、それは、まだいいかな」
襟を引っ張って首筋を見せるレナに対し、リオンは視線を逸らす。
以前、吸血した時のレナの感触が不意に蘇ってしまった。
というか、リオンには吸血欲求がないので、いつ吸血すればいいのかわからないというのが正直なところだった。
吸血行為自体もレナの回復力に任せた力押しなので、あまり頻繁には行いたくない。一月に一度ぐらいだろうか、とリオンは適当にあたりをつけていた。
二人は【戦場】に向けて歩き出し、数十分ほどでそれらしき場所に来る。
と言っても【戦場】そのものではない。突如としてそびえ立つ鉄の壁。帝都の外壁にも似た圧倒的な存在感が、二人の前に立ちはだかったのだ。
遠くからも見えてはいたのだが、いまいちその存在を信じられず、近づいてみてようやく現実感を帯びてきたというところである。
リオンは左右にも連綿と連なる鉄の壁を見上げて、「帝都の壁よりも高いな」と思っていた。高さも横幅も、人間サイズからしたら途方もない。
壁の前にいるのは、全身鎧に身を包んだ兵士だった。だが共和国入り口にいた者とは違い、明らかに歴戦の猛者といった風格を見せている。
門番ですらこうなのだ。
内部にはどれだけの強さを持った人物がいることやら。
リオンはとりあえず門番に話を振ってみることにした。
冒険者ギルドの認識票を掲げながら向かう。怪しい人物でないことを示す為だ。
「何用だ?」
「すみませんが、ここにハルト王子がいると聞きましてね」
キッと門番からの視線が厳しくなった。一介の冒険者風情がとでも思っているのかもしれない。
だがその反応こそ、ここにハルトがいることの証左でしかなかった。
「失礼しました。私はリオンと申します。ハルト王子に名前を伝えていただければ、おわかりになると思います」
「……わかった。しばし待つがいい」
門番の一人が人の通用口のような場所を開けて、奥の人間に伝言をしていた。鉄の壁自体を動かすわけにはいかないから、ああやって人間の出入りを可能にしているのだろう。
――だが、あれでは退却ができない。
通用口の大きさは人ひとり分だ。大目に見ても二人分がギリギリあるかないか。【戦場】を前にしているのならば、退却を考えるのが当然だと思うのだが。
などと考えながら、門番二人と息の詰まる時間を過ごす。
レナもこんな厳つい男性二人に対して談笑できるほどの社交性はない。言うまでもないが、リオンにもなかった。
数分後、奥の人間からの伝言を聞いて、一人の門番が背筋を伸ばしてリオンに相対する。
「確認が取れました。奥へどうぞ」
リオンは会釈をして、レナと共に通用口に向かう。どうやらハルトはリオンのことを覚えていてくれたようだった。
だが、通用口をくぐったリオン達を迎えたのは、また鉄の壁である。
しかも高さも横幅も同程度だ。
――帝都は三重の壁だった。
『スタンピード』に備えていた帝都の石壁は、三つ。
だが【戦場】を控える共和国西側の壁は、なんと七つだった。
ここまで厳重にしているのか、とリオンは驚嘆していた。それほどまでに【戦場】の敵が強いのか、それともあくまでも安全性を重視した結果なのか。
七つ目の通用口をくぐると、そこには大きく広い物見台のような建造物があった。
周囲は人間よりは高い塀で覆われており、回り込みによる侵入を抑えているのだろう。
前方から漂ってくる濃密な戦いの空気に、リオンはここが最奥だと直感していた。物見台を登り始めると、階段の上から見覚えのある人物が顔を出す。
「先生ぇ!!」
「……ハルトか!」
輝く金髪に利発そうな顔立ちを持った十代半ばの少年。
リオンは顔を見ることで、ようやく彼との日々を思い出した。
リオンは遠慮なく物見台を登り切り、レナはやや遠慮がちに付いてくる。
物見台を登り切ると、ちょっとした広場のようになっており、軍隊のように整列した兵士達が【戦場】を向いて警戒していた。ここが最前線なのだろう。
「お久しぶりです!」
「ああ。ハルトが視察で来てると聞いてな。悪いが名前を使わせてもらった」
「いえ! 先生であればいつでも大丈夫です!」
本当は因果が逆なのだが、リオンはそれを隠すことにした。
説明してゴチャゴチャするのも面倒だったし。
「あ、そちらは先生の……えっと、その、恋人、ですか?」
「いや、これは……」
「はい! レナと申します。お初にお目にかかり光栄です! ハルト王子様!」
恋人扱いされたせいでテンションが上がったのか、普段よりもハイトーンを出すレナ。リオンは人知れずため息を吐いた。
とはいえ、積極的に否定する気もないが。正式な関係になるのは、まだまだ先だとお互いに理解しているだろうから。
多分。
「おほん! 今回、シャールはいないのか?」
わざとらしい咳払いをして話を戻す。
「【戦場】、ですから。メイドのシャールには王城を守ってもらっています」
表情の変化はあまりないのだが、ちょっと残念そうな声色に「未だ関係の進展はないのだろうな」と察した。
リオンは話もそこそこに物見台から【戦場】を見渡す。
少しばかり近づこうとすると、厳しい視線を感じた。
恐らくここを管轄している兵士長か何かのものだろう。
リオンはあくまでもハルトの関係者ということで潜り込んだに過ぎない。
無茶をして迷惑を被るのはハルトだ。
善意を利用させてもらったとはいえ、そうなるのはリオンの本意ではない。
やや遠くから見下ろすと、物見台からストレートに坂が作られており、この下り坂を降りることで【戦場】に行けるらしい。
下り坂と、降りた先の地点もまた鉄の壁で囲われており、緊急の際はここに魔獣を誘き寄せて各個撃破するのだろうと思われた。
ただ、その先に広がる荒れ地のような【戦場】を見た時、リオンの内側で燻る炎が生まれていく。
そこにいたのはハルトと同じような金髪を持っているが、体格も雰囲気も全く違う男だった。
軽装なのに、両手に大きな槌――ハンマーのような武器を持っている。
魔獣に囲まれているのにも関わらず、不敵な笑みを浮かべているのがリオンには見えた。
「あれが、第三王子か?」
「はい。あの人が、武力に関しては兄弟の誰よりも強い――ダイン兄様です」
兄様って付けるんだな、となんとなくそっちが気になってしまった。
金髪ヘルメットの第二王子、ヘルガは呼び捨てだったからそういうものだと思っていたのだが、どうやら違うらしい。単純にヘルガは尊敬に値しなかっただけだろう。
【戦場】のど真ん中に立ち、クマや獅子、虎からサイなどの多くの魔獣に囲まれていても尚、撤退の兆しはない。
それどころか、彼は包囲されていても、担いだハンマーをぐるぐると片手で振り回して余裕を見せていた。
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