第4話

 一輝と芙海と入れ替わってそのまま夜食を買って家に帰っている所だった。芙海からしてみるとぼけーっとしている感覚らしく、美月と一緒に遠回りをしていた記憶が残っているらしい。


 歩道橋にさしかかると芙海も美月も足を止めてしまう。


 時は解決してくれない。


 ただ忘却させてくれるだけ、そして芙海も美月も忘却することを選ばなかった。


 芙海が写真を撮った。


「どうしたの?」

「なんだか美月が嬉しそうに見えたから」


 一輝に会えたんだ。

 そう言えたらどれだけ楽だろうか。しかし一輝がまた現れるとは限らない。もう現れないかも知れない。


「そうかな?」


 美月ははぐらかすしかできなかった。


「うん。レアだから撮った」

「また絵を描いたりしないの?」

「画家は儲からない。見直すなら写真で良い。簡単」


 美月は一輝の言ってた事を実行に移した。


「ねぇ私の裸婦画描いてよ」


 戸惑い。というよりは何かを考え込んでるように美月には見えた。


「恥ずかしくないの?」


 美月にはそれが不思議な質問に聞こえた。

 お互いにお互いの身体は見飽きているのだから。


「誰かに見せるの?」

「見せない。見せたくない」

「なら描いてくれる?」

「うん」


***


 十七才の少女達にとって付き合うことが本当には理解しきれていなかった。それはあまりにも近すぎて見えないのと同じ事だろう。

 小さな時から一緒にお風呂に入っており、お互いにお互いの裸を知っている。

 お互いにお互いの事を知らなかったのは好きと言う気持ちだけだった。

 美月にとっては一輝と一緒にいて安心できるようになった。春の日差しのように心が温まる瞬間だ。


 しかしそれは好きとわかる以前に戻っただけで前進したわけでは無かった。一輝にとってもそれは同じで、恋人だからすべき何かと言うのを理解できてなかった。


「恋人だからキスとか?」


 美月は自分で提案しながらも歯に詰まるような違和感があった。愛している行動を

マネしているだけで愛していると思えない。


「無理しなくていいんじゃない」


 一輝はあっさり否定した。


「今幸せだからそれでいい。特別な何かなんて必要無いよ。もう特別なんだから」


 一輝の言う通りなのかも知れないと美月は考えた。一輝の言う事で間違ってることの方が少ないのだから。

 この瞬間。恋人であるということ。相手に認めて貰えていると言う事。特別であること。それで十分、

だった。

 

 一輝は亡くなった。急な大雨の中、歩道橋で足を滑らせて頭を打ったのが死因だ。

 葬式にも告別式にも出なかった。部屋に引きこもり眠り続けていた。


 死んだ一輝にできる限り近づくように美月自らも死ぬように。


 トイレ以外で部屋から出ることは無かった。美月はその合間の事をほとんど覚えてはいない。


 不登校になり、髪はぼさぼさ、真面な食事を取らなかったおかげで痩せ細っていた。


「美月姉さん」


 いつの間にか芙海が美月の部屋に居た。どうして居るのかそんなことを考える余裕など美月には無かった。


「一人にして・・・」

「これでいいんですか? 姉さんが悲しみますよ」

「一輝はもういない」

「私はここにいます。姉さんではありませんが私はここにいるんです。生きてるんです」


 芙海が美月を力強く、へし折るように抱きしめた。そのまま折れてしまえば良いと美月は願ったが。それは叶わなかった。


 芙海が美月に口づけをした。


 初めてのキスだった。何の感情も生まれなかった。


 それから芙海は美月の部屋に出入りするようになった。


「おかえり・・・」

「ただいま」


 それだけでずっと会話の無い日もあった。


 芙海はただ美月の側によりそうだけだった。一輝と違って何かをしようとはしなかった。


「芙海はどうして割り切れるの?」


 ある日美月は芙海に尋ねた。


「一輝が死んじゃったのに・・・芙海は変わらず生活できてる」

「割り切れない」


 芙海の口調には若干の怒りが込められているように美月は感じ取った。


「割り切れない。今だって姉さんだったらどうするかで動いてる。姉さんならきっと今の美月姉さんを見たくないだろうから」

「・・・そうだよね。一輝がこんな状態の私見たらきっと背負ってでも学校につれていこうとするよね」

「私と違ってずっと寄り添い続けてくれるかもしれません。私の今の行動は私の中の姉さんの模倣でしか無い。本当の姉さんならどうするか。その答えはもう聞くことができない。私達は姉さんと繋がり過ぎていた。姉さんの死は私の死。美月姉さんの死。私が学校に通ってることについてどう思いますか」


 美月はそんなことを考えもしなかった。ただ虚ろになっているだけで生きているだけだった。さび付いた思考をゆっくりと動かす。


「強いなぁって」


 その強さは一輝譲りなのだろうかと美月は簡単に考えた。

 芙海はバッグからノートを取り出す。

 美月は最初から読み進めていく。数学のノートで暇だったのかイラストが添えられている。


 それがある一瞬から終わってしまう。ノートには描きかけでそのままぐちゃぐちゃと鉛筆で塗りつぶされた絵が並んでいた。


「ぼーっとして授業が耳に入らない、絵も描けなくなった、私は強く無い。美月姉さんと一緒」


 ベッドで死んだように寝続けるか、死んだように学校に行くか、その差は外部から見た人間にしか無い。


 美月は芙海を抱きしめた。


「頑張ってたんだね」


 芙海は美月を抱きしめ返して返事をした。

 芙海の冷たい体温が心地よかった。


 制服に袖を通すのが久しぶりだと美月には思えたが、ひきこもりの生活は二週間ほどの出来事だった。


「いってきます」

 一輝のいない世界に美月は納得出来てるわけでは無い。それでも生きている一輝の分まで生きていかなければならない。割り切れなくても生きていかないといけない。


 久々に外に出た美月が見た空には雲が広がっていた。

 

「私は大丈夫だよ。芙海ちゃんは中学校行ってらっしゃい」

「大丈夫じゃない。私が大丈夫じゃない」


 そう言って芙海は美月の手を取って横に並ぶ。


「姉さんならこうしてると思うから」

「ありがとう・・・」


 何の前触れもなく芙海が美月の先をあるき振り返った。


「美月姉さん。私と付き合ってください」

「・・・うん」

 一輝ならそう言うだろうと美月は考えた。気丈に振る舞う芙海を助けないといけない。割り切って前に進んでいかなければいけない。

 しかし美月自身の考えは違う。

 失った物を補わなければならない。お互いにお互いがを強引に埋め合わせていくしかないと。


 これを愛していると言えるのだろうか?


 愛するのと愛されるのどちらがより幸せなのか。


 美月は少しだけ考えたがすぐに止めた。


***


 芙海は部屋の押し入れからタブレット端末を取りだした。イラストを描くのに特化したパソコンだが、芙海は絵を描く以外の用途に使った事は無かった。

 長い合間放置していたが、無事に電源が入った。


「どんなポーズをとればいいかな?」


 芙海のベッドに座った美月は衣服を脱ぎ始めていた。


「まだ大丈夫。ちゃんと使えるか確認しないと」


 時間稼ぎにしか過ぎない言葉。一輝が死んだ直後、芙海は絵が描けなくなっていた。しかし今の芙海は絵を描かなくなっただけである。ペンを持ち画面に向かって線を引く。一輝が死ぬ前まで時間が巻き戻ったように手は動いた。


 描ける確信があった。


 芙海は思い出しながらポーズを指示した。美月はその通りにポーズを取った。そして指は動き出す。

 芙海は没頭して絵を描き始めた。

 芙海は子供の頃から抱いていた疑問をもう一度思い返したが、無視した。

 ペンの滑る音が部屋に響く。美月が芙海の描く姿を見たのは何年ぶりだろうかとふと考え込んだ。


 思い出せなかった。


 そこにいる芙海の姿を美月は今まで知らなかった。まるでこれから人でも殺すような剣幕で描いていた。


 四年間。本当に美月は芙海と付き合っていたのだろうか?


 ほとばしる激情をなぜ捨てたさせていたのか。本当に付き合っていたのならば、芙海の描く事を取り戻すべきだったのでは、この一面も芙海ならば受け止めてあげるべきだったのでは。


 芙海がペンを置いた。


「描けない」


 美月は一瞬理解できなかった。

 が、すぐに理由が解った。

 そこにいるのは芙海では無くて一輝だからだ。


***


「遅れてごめんね」

 一輝が死んだ歩道橋には献花がされていた。美月もその献花の中に花をそえる。その様子を芙海は写真に収めた。

「姉さんに会いに行こう」


 美月が抱えられる程度の袋が一輝と言われても、美月にはまだ理解が追いつかなかった。簡易的に作られた祭壇の中央に笑った一輝の写真が飾られて、その下に一輝の遺骨があった。


 一輝と芙海の母親に何か言われていたらしいが美月には届かなかった。遺骨を抱えながら美月の頭の中では言葉が泡のように浮かんでは消えていく。


 言葉にできない思考が祈りになっていく。

 一つだけ報告しなければならない事があった。


 一輝が死んだから芙海と付き合う私は卑怯者でしょうか?


 芙海に一輝を重ねるのはいけないことでしょうか?


 答えは返ってこない。


 それらを抱えながら美月は生きていく事を誓った。


 納骨日、家族だけでひっそりと終わった後に、美月は芙海に連れられて墓地まで来てしまった。


「仏壇も考えたけど、家から近いから止めたって」

「そうだよね」

 徒歩10分程度の距離。会いたいと思えば何時でも会える距離だ。

「不公平だよね」

 芙海は墓石に背中を預けた。

「私は死んだら同じ墓へ入れるのに、美月姉さんは入れないなんて」

「そうだね」


 この国での同性婚は認められていない。ましてや他人の家の墓に入る事などありえない。愛は法律の前では無力だ。死人にも届かない。


「美月姉さんは死後の世界って信じてる」


 芙海はそう言いながら空を見上げていた。曇り空が広がっていて雨が降りそうで降らない微妙なバランスを保っていた。


「今は信じたい」


 そう美月が言うと芙海は美月に近づいて軽く唇と唇を重ねた。


「こういうのを見たら姉さんはなんて言うんだろうね」

 美月は芙海に一輝と付き合ってる事を話してはいない。一輝が話したのだろうか? 

「死んだら一輝に聞こう。ありがとう芙海、私はまだ生きていける。芙海がいるから、一輝が待ってるから」


 曇り空から一瞬日が差した。


***

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