ドキュメント─晴れた日はココアを片手に
──1918年 3月上旬 ナルヴィンスク連邦 首都ローゼンブルグ
春が風と渡り鳥を連れて連邦にやってきた。
石畳をコツリコツリと音を立てて二人の少女が歩く。
白銀の長い髪を靡かせ、愛想の良いとは言えない目つきと真一文字に閉めた口をしているのはシャナ・ビリデルリング。対照的に、みじかい黒髪に血色のいいぷりぷりとした笑顔をしているのはミコ・カウリバルス。
どちらも、つい最近軍学校を卒業したばかりのピカピカの軍人の卵だ。
「まったく大騒動だったよ。」
広場で大道芸人を囲む聴衆に混じりながらミコが話し出した。
「500年も前の戦争を問題にしてきてさあ!もう図書館が人でパンパンで…」
「500年前?っていうとサーマイト奴隷独立戦争?」
「うんにゃ、ベルネード大陸戦争。」
周りから驚きと称賛の声が出た。どうやら大技を成功させたらしい。
「へえ。陸軍のテストで別の大陸の戦争なんて珍しいですね。」
シャナは街の大きな時計台をチラッと見た。昼時を示している。
「ミコ、そろそろご飯にしましょう。」
「おうけー。なににしようか?」
人だかりから身体は背を向けつつも、顔だけは広場の方を向きながらミコが答える。
「じゃ、じゃあ!パンダヤで食べましょう!」
人には静かな女と思われがちなシャナがこの時は目をらんらんと輝かせた。彼女は甘いものが大好きだった。
しばらく二人は歩き、人通りの激しい区画から離れた。パンダヤはすこし坂を登ったところにある。扉に掛けられた兎と熊のロゴが見えてきた。
中はそこまで広くはない。木材が多く使われた喫茶店で席は3つ4つ、奥にバーカウンターが置かれている。パンを焼く窯があるのか、厨房からはあたたかな柔らかい香りが漂ってくる。
「うわぁ~見てよこれ!新商品!サクラモチだって!桜華皇国の料理みたいだ。」
「わたしはいつものパンケーキにします。」
ふたりはそれぞれ料理を頼んだ。料理が届く間に、ふたりはココアを飲みながら窓から港の景色を眺めた。
連邦の首都だけあって物流の多さが目立つ。あらゆる職の人、漁船、商船、市場、赤いレンガの倉庫、そして、砲台。
湾を守るようにコンクリートで固められた砲台が港付近の山や高台にそこかしこに設置されている。軍港でもあるこの港、通称「ポート・マクレーン」には、さまざまな船たちに混じって連邦の軽巡洋艦と駆逐艦がいくつかと、他の国々の軍艦も少しばかり停泊していた。
「おまたせしました。ごゆっくりどうぞ。」
ふたりとは友人のフリルのついた制服を着た若い店員が料理を持ってきた。
ありがとうパニー!と、いいながらミコは舌なめずりをする。
バスケットに入れられた大きなサンドイッチと糖蜜パイ、そしてサクラモチを眺めながらミコは至福の表情をした。
ミコの方をみつつもシャナも自分の料理を眺めた。自分の顔の倍は大きい分厚いパンケーキには大きいアイスクリームが、まるでそれが空から落ちてきたかのように、上下逆に突き刺さっている。そして蒸したプリン、チョコレート・ケーキに、プルーシュキと呼ばれる郷土料理が並べられた。
プルーシュキとはサワークリームが盛られた赤いスープで、ここでは小さな焼き立てのパンが添えられている。
ふたりは料理に舌鼓をうちながら他愛もない会話に勤しんだ。この日は軍学校の卒業式、前日には最後の筆記の試験が行われた。これから数日間は休暇となり、国防軍に入るまでの楽しみとなる。
ふたりは同郷の幼なじみであり、魔法使いである。こうして二人で会えるのはこの数日が過ぎればあとは一年に一度程だろう。この休暇をふたりは満喫していた。
「ねえ、けっほく─ンンン」
ミコは口いっぱいに料理を含んだまま話しかけたが、サンドイッチに口内の水分を取られ喋れなくなってしまった。
「で、シャナはどの
ミコは口の中のものを飲み込んだ。
「まだわからない…でも研修じゃ重巡に乗ってたからそれになると思います。ミコは?」
「西部方面軍だって!まあ同期の半分はそこだしいいかな~」
晴れた陽に陰りが出てきた。ぽつぽつと雨の石畳と屋根をたたく音が景色に彩を加えた。
「お待たせしました。ココナツカボチャジュースです。」
ミコは受け取ろうとした。シャナは「まだ頼んだのこの子」と言いたげな顔で見た。
「うおぉっと!?」
パニーと呼ばれる店員は湿気によって滑りやすくなった床でバランスを崩した。カボチャジュースは床に零れ、グラスはガチャンとうるさい音を立てて割れた。
「ごめんなさいごめんなさい!いま代わりを用意します!」
「大丈夫ですよ、パニー。」
シャナが人差し指をくるくると回転させ始める。ゆっくりと破片同士がくっつき始めグラスは修復されたように見えた。だが中身のカボチャジュースはまさに覆水盆に返らずであった。
「接合は適当なのでそのうち処分するほうがいいです。」
パニーの感謝に若干赤面しながら隠すようににべもなく言った。
「そーそ!気にしないで!」
ミコはそう言いながら袖をまくる。そして床に広がったジュースとアイスを見つめたあと箒を振るように半円を描いて腕を振った。
「エクザファニスト (消失せよ)」
床に零れた液体は消え去った。
「ミコは呪文得意ですよね。消失魔法も普通、普段使いするもんじゃないですよ。」
「ありがとっ!でも生き物消すのは苦手なんだよね、試験じゃモルモットのしっぽが残っちゃった。」
消失魔法は難易度が高い。生き物を消失させるとなるとその難易度は跳ね上がる。
シャナは2杯目のココアを、ミコは冷たいカボチャジュースをストローから吸いながら雨の街を眺める。
「ねえ、あれって…あれの噂ってホントなの?」
ミコが指さした。遠くに黒金の大きな船がある。しかしそれは水の上には浮かんでいなかった。
「あれって?ああ、戦艦岬のことですか。さあどうなんでしょう。港を守る要塞とは言え守ってるのは陸軍ばかりですから…海軍の私にはちょっと。」
ふたりが話す戦艦岬とは、ローゼンブルグの港を守る要塞群のうちの一角である高地に、長さ270m程の大昔の船が乗り上げている所の事だ。
「山の上に船ってどうやって、いつから出来たんだろう?」
ミコはストローをぐじぐじと噛んだ。
「海に沈んで居たものが地殻変動で何万年とかけて地面ごとせり上がってきた、と考えるのが普通でしょうか?あるいはあの辺がもともと海面で海が干上がって今に至ったかですね。」
「それにしてもあそこに積んであるでっかい砲はなんなんだろうね!大昔の文明はとんでもない戦争してたのかな!」
「さあ…連邦政府が見栄張りたい為に置いただけかもしれませんよ。あの古ぼけたボロボロの船は実はまだ生きていて主砲が使える、なんて噂もありますけど。要塞の一部ですし使えるようになってても不思議じゃありません。」
シャナは目を瞑ってココアの香りを楽しみながら言った。
「夢のないこと言わないでよ〜」
そう言いながらミコはぐでん、と机に突っ伏した。
陸に乗り上げ、山と半ば一体化してしまった、46cmの砲が9門据え付けられた古代の兵器。このポート・マクレーンの謎は昔からあった。船にこのような巨砲を9門も据え付ける必要性、再現するにはあまりに大きく超巨大ドックを新調しなければならない船体、ハリネズミのような機銃を山のようにいくつも据え付ける謎。
そもそも再現したところでこの巨人を満足に動かす動力があるのか。専門家の間でも何度も議論されたが、結局現段階の技術では作ることが出来ない、という結論に至った。
皿の上からパイくずがひと欠片も残らなくなった時、ふたりは店を出ようとした。外はすっかり雨が上がり、石畳には少しの水溜まりとそこには小鳥がいくらか水遊びを楽しんでいた。
「お会計3ギルと40ペンドルです。」
「あれ?安くないですか?」
「失礼な事をしましたので…それにまた皿かグラスを割ったら今度こそクビになるので!」
パニーは舌を少し出しつつバツの悪そうな顔をした。
結局ふたりは店員からの値引きに負けて金貨を3枚と銀貨をいくらか支払ってパンダヤの喫茶店を出た。
「これからどうする?ウォブル地方に帰ろうか?」
シャナの先を歩いたミコが振り返って言った。
「そうしましょう。今から汽車に乗れば今日中に着けるはずです。きっとびっくりしますね。」
その後、突然の帰省に驚きつつも、ふたりの家族は娘を温かく迎えた。
ウォブル地方の豊かな自然と穏やかな作物地帯は、ふたりの時間の流れを緩やかに感じさせた。
その間ふたりは箒に乗って家族や姉妹とスポーツに勤しんだり、近所の子供たちに勉強を教えてやったりしていた。
そして明日にはローゼンブルグの軍学校へ戻らなくてはならない最後の日となった時、ふたりは赤い花畑に囲まれた大きな石碑の前に居た。
ここは内戦の英雄である魔女、デラクールの墓であり、内戦の戦没者を弔う墓でもある。
トクトクトクとラム酒を掛けながらミコが喋りだした。
「内戦じゃ母さんがデラクールさんに世話になったらしくてね、昨日の夜教えてくれたんだ。」
「なんでもペアで一緒に仕事をしたことがあるんだって。わたしが国防軍に入るからって、急に言われたんだ。」
シャナは黙ってそれを聞いていた。
博識な彼女はひとつ不思議な直感をした。デラクールが他の魔法使いを頼った例は多い…だがペアで仕事をした例は少ない…。もしかしてミコのお母さんはあの『
人の家を詮索する行為をしたくないというポリシーと、それを知ってもどうにもならないという感情からその疑問は口には出さなかった。
好奇心からぺろりとラム酒を舐めたミコは顔を赤くしてその場でへたりこんでしまった。シャナはやれやれと背負って帰途に着いた。
ウォブル地方の駅で、帰りの汽車の中でふたりは空いてるコンパートメントを探した。ミコはすっかり元気を取り戻していた。
「これからしばらく会えないね…でもちょくちょく伝書鳩を飛ばすよ。」
「そうですね、ありがたいです。なかなか人付き合いは得意ではないので。」
先程車内販売で買ったキャンディをぺろぺろと舐めながらミコは足を伸ばした。
「そうだ!」
と言いながらミコはコンパートメントの扉から首を出して人が居ないか確認し、バタンと閉めた。
こんなとこで抜くのはまずいよね…といいつつミコは袋から古そうな細身の刀を取り出した。
「お互い軍人になるし、今日会ったら次に会う時は天国かもしれない。ふたりの思い出としてお互いの軍刀を交換しよう!」
子供のような明るい顔をして恐ろしい事を言うミコにシャナは内心引いていた。
「いいですけど…私のはただの支給品ですよ?」
そう言いながらシャナは机に刀を上げて少し抜いて見せた。黒い鞘に少し反った刀身、鍛えられた鋼の片側に白く研磨された刃が付いている。
「すごい!!美しい!かっこいい!」
ミコは目をランランと輝かせた。
「
同盟国の桜華皇国の恩恵を大きく受けている海軍ではそのよしみでここ15年、連邦に特別に輸出された剣を使っている。
私のはね…と言いながらミコも剣を抜く。レイピアだ。ありふれたもので古そうなものだがミコは何故か得意気な顔をして見せた。
「これはわたしのおじいちゃんが、そのまたおじいちゃんに貰った剣で、終末魔法がかけられてるんだ!」
「ええっそんなもの貰っていいんですか!?」
シャナが驚くのも当然である。魔法使いにはいくつか魔法があるが、終末魔法と呼ばれる魔法は文字通り終末を表すもので全ての魔法力を使う魔法だ。
この刀のような場合、終末魔法をかけることにより自分は魔法を使えなくなる代わりにその刀を振るえば例え魔法力を持たなくても魔法を発生出来るものだ。
ウォブル地方において昔の文化として自身の寿命が短い時、何かしらの物に終末魔法をかけることで自分の一族に特別な遺産を残すというものがあった。
ミコはそれを渡そうとしている。
シャナは躊躇したがミコは押し付けた。
「ま、今どき魔法なんて古臭いし?大したことないから〜」
と連邦の昨今の事情をブラックジョークで弄りながらミコは「大丈夫だ」という目をした。
「…ありがとうございます!大事にします。」
「ナマクラ刀だけどよろしくね!魔法の使い方は───────」
──1918年 3月某日 各所
ついにこの日が来た。軍人になるその一歩を今日、ふたりは踏み出した。艦の上で、地面の上で、同期たちと並びながら、自己紹介を求められる。
「おはようございます!」
「おはようございます。」
「西部方面軍第3軍・第13旅団司令部に配属されました、ミコ・カウリバルスです!」
「国防軍第2水雷戦隊・駆逐艦荒波に配属となりました、シャナ・ビリデルリングです。」
「「よろしくお願いします!」」
ふたりの腰には、それぞれ支給品ではない軍刀が朝日を浴びて輝いていた。
晴れた日はココアを片手に 完
続く
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