第6話 戦争のはじまり

 

『防御とは我方の最も重要な部位に対する敵の攻撃を受け流すことである。すべてを守ろうとするなら、何も守れない』​───────デンマーク国王・フレデリック





 ─1918年 3月25日 フランブル地方 人民帝国軍陣地




 想定外の防壁と突然の弾幕による混乱は回復しかけていた。突撃隊は散り散りに退却し、次の突撃準備を整えつつある。

 敵が発砲していないため野砲の位置を掴めないが、もうしばらくして態勢が整ったら攻撃を開始する手筈となっている。ほんの30分程度で準備は完了するだろう。


 だがISS──帝国国家保安省から派遣された政治将校にはこの30分という間は理解出来なかった。


「同志大佐。なぜですか?我々は若き皇帝陛下の命に基づき前進を続けなければならないはずだ。さあ、早く攻撃命令を下しなさい。」

 政治将校は怒鳴った。


「もう少しの辛抱だ、同志政治少佐。」

 大マウロ人民帝国陸軍・第31歩兵師団第21歩兵連隊連隊長のエドガー・コールマンは心底嫌そうな顔をした。当然だろう。自分の部隊指揮を横から口出しされてにこやかでいられる指揮官などいない。しかも階級が下の人間に言われたら猶更である。


 だがISS少佐に常識は通用しない。彼は皇帝から派遣された監視をするための将校なのだ。実際の権力ではコールマンよりも彼の方が高い地位にある。遠慮などする必要はなかった。


 3か月前、人民帝国では軍人である皇帝の甥とそれが所属する軍閥によるクーデターが起きた。人民帝国ではクーデター以前は病に臥した皇帝は政治を行えず、皇帝を補佐する立場にある官僚たちの私利私欲を貪る行為によって国内は腐敗した。


 それに耐えきれなくなった軍閥は官僚たちを全員粛清という名で銃殺し、ついでに対抗勢力の軍閥に対して上位に立ち、軍上層部で大規模な左遷や粛清を行った。そして皇帝の眼となる政治将校を配置した。


 はじめは困惑した国民も後継者となる甥が皇帝に立ったのと、政治がみるみる改善されたために新しい指導者を歓迎した。

 だが内部では、皇帝の立場に就くはずだった皇帝の息子たちとの派閥争いが続いている。


 彼は感情が知性を上回っていることを示す愚かしく醜い目つきでコールマン連隊長に噛みついた。

「もう少しの辛抱ですと?同志大佐!若き皇帝陛下からの命令書では”この大陸を皇帝の元に解放する栄光の瞬間はそこまで迫っている。我々は偉大なる勝利に向けて努力を振り絞らなければならない。”」

「若き皇帝陛下の命令書は私も拝見したよ。まったくもってその通りだ。」


 コールマンは感情を抑制しながら答えた。皇帝は良くも悪くも束縛しなかったが、今の皇帝の軍事面でのやり方、ISSという束縛の塊でしかないものを彼は心底嫌がっていた。


「ならば!」

 と、政治将校が喚く。

「直ちに突撃しなさい!同志大佐。若き皇帝陛下の勝利の為に!」

 さらに彼は脅迫じみたことを言い出した。

「さもなくば人民帝国政治本部へ、貴官の政治的信頼性について報告しなければなりませんぞ!」

「ご自由に。」

 コールマンは努めて平静を保った声で答えた。

「政治本部は私が祖国と人民に忠実であることを良く知っている。」


 人民帝国政治本部とは、形式的には政府の一組織だがその実態は、ISS直属の軍内部監視組織である。

 彼の言葉を聞いて政治将校は目を見開いた。

「祖国と人民?皇帝陛下には忠実でないということですか?」

「私は祖国と人民こそが皇帝陛下の具現であり活力であると信じているのだよ、同志政治将校。」

 と、コールマンは切り返した。内心では侮蔑の念がふつふつと沸き立っている。


 コールマンの見事な反論を受け政治将校は一瞬黙った。だが次に口を開いた時には瞳に鈍い光を宿らせて勝ち誇った顔をして見せた。

「しかし貴官の部隊は戦意が不足しているようだ。帝国国家保安省ISS重砲大隊の支援を仰ぐ必要があるかもしれませんなあ。」


 今度はコールマンが黙った。ISS重砲大隊。その砲身は敵に向けられるものではない。主義や戦意が不足しているの後方へ弾を放ち、心置きなく前進させることが目的である。


 コールマンは負けた。彼は内心の何かを押し隠して言った。

「我が連隊は優秀だ。重砲大隊の同志諸君からの支援を受ける必要はない。さあ、直ちに突撃を開始しようではないか。」

 政治将校は汚らしい笑みを浮かべた。


 コールマンはその横でこの男を見ながら、これで連隊は壊滅するかもしれんな、と思った。戦場における30分という時間差は攻撃態勢の整い方に大きな差が出てくる。俺の連隊は、敵の弱点を精査できないまま突撃を繰り返すことになるだろう。



 ─1918年 3月25日 フランブル地方 西部方面軍 方面軍総司令部




 第13旅団が軍団規模の敵軍に包囲されたという情報は、第三軍司令部を経由して西部方面軍司令部、そして本国の軍令部へも速やかに通報された。

「なんだと!第13旅団が包囲されただと!」

 電文を一瞥した西部方面軍総参謀総長のグレイグ・ロジェストヴェンスキーは、思わず大声を上げた。

「やはりきたか…あれだけ本国へ警告していたのに間に合わなかったか…」


 グレイグは自室を出て、方面軍総司令部の置かれている大部屋へ足を運んだ。

 やはり想像していた通り、総司令部は大混乱に陥っていた。

 作戦担当の第一課長イゴール・アマーノフ大佐は、野戦電話の受話器を両手に幾つも持って大声で話している。どうやらアマーノフ大佐は、第13旅団の救援にどの部隊を派遣できるか、それを用意させるのに必死でいた。


「カラガノフ、カラガノフ少将はどこにいる。」

 グレイグは情報担当の第二課長エヴゲニー・カラガノフ少将をその場で探した。

 総参謀長の呼ぶ声を聞いてカラガノフが書類の束と丸めた地図の束とを持って奥から現れた。


「カラガノフ二課長。現地の状況はどうなっている。ベリヤたちはまだ生きているか…?」

 グレイグは親を見つけた迷子の子供のように矢継ぎ早に質問した。


 刈り上げで丸顔のカラガノフは口をすぼませたまま黙って、机の上に広げられた大地図の前へグレイグを招いた。既に目の前の作戦地図には第三軍司令部より悲壮感の漂う至急電による情報が、二課付きの下士官によって細かく書き込まれている。


「いま現在で分かっている範囲では、第三軍の正面が動いたのではなく最左翼のカンブルグ、ケルンのあたりから突如敵の大部隊が現れたようです。報告では前日にも予兆は見られましたが…」

 カラガノフ少将の具体的な説明を聞いたグレイグは眉間に寄った皺が治まりいつもの表情へ戻っていった。

「なるほど。カンブルグを始めとする各拠点が包囲されているがいまだ陥落はしていないわけか。カラガノフ、敵の数はどれぐらいなんだ。それによって対応が変わってくるぞ。」

 戦線が左翼から一気に崩壊するという最悪のシナリオではないことに一息ついたグレイグだが、いまだ不安が渦巻いていた。


「それはまだどうとは言えませんが、1個軍団、あるいはそれ以上と思われます。」

 軍団とは師団の上、各国の編成にもよるが1個につきおよそ2、3万前後の兵力を持つ。軍団の上が軍であり、連邦では軍団という戦闘単位は採用していない。

「それでどの部隊を向かわせるべきだ。アマーノフ、目途はついたか。」

「はっ…右翼の第一軍から第2師団が行けると思われます。」


 現在の西部方面軍は常備軍とは言え兵力は9万でしかない。予備軍の歩兵大隊は既に第三軍へ吸収されており、もうこの横に伸びた戦線からどこか引き抜かなければならない。

 国内に存在する他の軍の各部隊はベリヤたちを救援するには遅すぎる。さらに指揮権の複雑さや手続きがあるため自分の軍から引き抜くのが早い。


 そこでアマーノフ大佐は西部方面軍でも東側にある第一軍から引き抜いた。なぜならばインフラの整備された首都に近いためだ。本国の救援が来やすい。

 戦線右翼というのは他に比べれば首都に近いが正面に国境を隔てる山脈があり、その守りは堅い。


 アマーノフは普段報告されている人民帝国内の軍事力と、実際左翼に投入されている兵数から全軍を巻き込む全面攻勢が来にくいだろうという判断をし、半ば博打を打った。だがそれのケアはしっかりしている。


「1個師団だけでいけるか…いや、送り込むしかないか。」

 グレイグが口をしかめたとき、兵站参謀を担当するニコロフ・ザハーロヴィチ三課長が司令部に姿を見せた。

 この総司令部が大慌ての時に席を外していたのは鉄道部隊と連絡を取っていたのだ。戦争になった時、このフランブル地方へは鉄道でもって戦力を送り込む必要があるのだ。周囲から事情を聞くと、自分の持ってきた情報が役に立つと見て取った。


「実は、マリアーノ地方で鉄道沿線付近で遠征訓練を行っている師団がありました。彼らを一時的に西部方面軍へ引き込んで救援部隊をするというのはいかがでしょうか?」

「それはいい案だがそれは越権行為だぞ。どこの部隊だ。」

 グレイグは訝しんだ。


「近衛第1師団です。」

「近衛兵だと!」

 近衛兵とは首都を守る部隊で3師団が駐留している。どうやらそのうちの1個師団がフランブル地方の下、マリアーノ地方にあるウィルキー山で行軍演習を行っているという。鉄道の付近にいるというならば鉄道を使えば一日とかからず前線へ来ることが出来る。


「…分かった。まず本国の軍令部に要請を送れ。返事を待たずに例の近衛師団を呼び出せ!貴様も、貴様も、終わったらワシと一緒に頭を下げてもらうぞ。」

「「はっ!」」

 グレイグは彼の頭脳である部下たちを指しながら言った。

 近衛第1師団への電文を起草中、本国からOKとの連絡が届いた。あまりに手際がいい。参謀たちは怪しんだが結局事実は掴めなかった。


 実はこの時本国の議会では、大慌ての喧々諤々の議論でようやく戦時体制の移行と、諸々が決まった段階でまだ救援部隊についての決定はなされていなかった。

 だが2日前、この連邦の顔であるブラッグズ大統領が個人的に軍令部の上層部と会食した際、ある一言をそっと言った。


「今のウィルキー山は花見には最高だろうなァ。息苦しい首都で働くをハイキングにでも連れて行ってはどうかね?」


 非公式ながら未来の救援部隊の動員を暗に命じたブラッグズ大統領に喜びながら、軍令部ではあくまで行軍演習ハイキングとの命令で近衛第1師団に声をかけた。国外は勿論国内にも怪しまれぬよう移動は行われた。そのために方面軍にも連絡を寄こさなかったのだ。



 ─1918年 3月25日 フランブル地方 西部方面軍 カンブルグ防衛陣地




 ミコが叫ぶように命令した。声が潰れている。

「機関銃、用意!一斉に──薙ぎ倒せッ!」

 もう何度目かわからない突撃にミコの喉は限界を迎えていた。人類に立ちはだかる機関銃という試練に、まだマウロ人は対応出来ないでいた。夕日を顔に目いっぱい浴びながら、陸軍で正式に支給されているものではない軍刀を引き抜いている。


 またしても突撃は粉砕された。生き残った者は夕闇に逃げ込んでいる。発砲炎と炸裂の閃光が浮き上がっている。緑の平原は血に染まり、死体が残されている。地獄のような情景だが、見ようによっては美しくある。死体が無くて砲弾がこちらに飛んでさえ来なければ。


 カンブルグは苦しい状況下であってもまだ戦争が出来ていた。突破されそうな部分には随時部隊を差し向け、この戦いにおける死傷者は十二分に抑えられていた。


 少しの間の後、またしても砲声が轟いた。この日一番と言っていいだろう。人民帝国軍は途中からやり方を変え、突撃前にも砲弾を叩き込むよう工夫した。また、忌々しい防壁を吹き飛ばすべく爆薬を持つ工兵を伴った決死隊が取りついたが集落の十字砲火に遭い全滅を繰り返していた。

「曹長、きついなあ~~!これは!」

「たいしたことありませんよ少尉。」

 と、曹長は軽い口調を装って答えた。頭の回転がいい男らしい。この若い娘、いや指揮官が自分にどんな役割を求めて話しかけたか気づいたからだ。

「ははは。私のほうがあれらより砲術指揮上手いですよ。」

「いやそれはないでしょ!」

 ミコは声を出して笑った。周りの小銃を構える歩兵たちからも笑いが起きた。ミコは思った。よし、気分転換はこんなもんかな。

 彼女がそう思ったとき、敵の砲撃が突如として止んだ。夕闇に照明弾が一発だけ上げられる。突撃してくるのだ。



 照明弾と共に、第21歩兵連隊は全兵力を投入した突撃を開始した。もはや1個大隊にも満たない部隊に、自身の所属する師団の残存兵をかき集め、地獄の行進を行っている。コールマン大佐は突撃隊の後方で双眼鏡を構えて戦況を観察していた。敵陣からも照明弾が打ち上げられた。ここまであまり姿を見せなかった野砲と思われる火炎が見えた。


 彼は思った。どうやら敵は引き付けて打つつもりはないらしいな。正解だ。これだけの兵が突撃した場合その恐ろしい機関銃でも受け止めきれないだろう。発砲炎で位置がばれるリスクを冒してでも、距離があるうちに打ち滅ぼさなくてはならない。彼は感心した。あれほどしぶとく戦術原則から脱せずに防戦が出来るということは、指揮の原則が守られているのだろう。きっと連邦には政治将校などいないに違いない。きっと奴のお陰でこの突撃も失敗するだろう。もう連隊に力はない。俺は粛清、いや銃殺される。ならばせめて軍人として──。


 コールマンは先ほどから無視していた、叫び通している政治将校を振り返った。もはや罵倒であり敬語まで失われている。

「貴様は同志などではない!!無能め!!銃殺にしてやる!」

「同志政治将校。」

 コールマンは冷ややかに言った。殺意さえ感じられる声だ。彼は政治将校が青い顔をして黙ったのを見て笑い、続けた。

「確かに君の言う通りかもしれない。だが指揮官として責任の取り方は知っている。君もそうだろう?さあ、一緒に突撃に加わろうではないか。」


 それを聞いた政治将校は背を向けて逃げ出そうとした。だがコールマンはその前に腰のホルスターからリボルバーを素早く引き抜き、政治将校の眉間に突き立てていた。


「敵前逃亡は銃殺刑だ。」

 コールマンは冷たく言い放ち、トリガーを絞った。後頭部には額のそれより大きな穴が開き、血と脳漿が噴き出る。彼の身体はばたりと倒れた。彼はホルスターに銃をしまうとわざと政治将校の死体をようにして突撃隊に加わった。

「全軍、突撃せよ!」


 サーベルを引き抜いた。最初から、こうすべきだったのだ。


 この日、第21歩兵連隊は消滅した。



 マウロ人が連邦に宣戦布告を突き付けたのは1918年 3月26日であった。

 勿論それ以前から戦争行為を行っていた。だがそれは、フランブル地方での攻勢を開始から24時間、クラップ湾で発生した事件に対応するための警察行為だと宣伝していた。その目的は連邦を騙すことであった。クーデターによる不安定な国内状況による軍の不具合として押し通したかったのだ。


 積極的な反撃を控えさせ、出来るだけ領土を掠め取り、あわよくば首都まで飲み込もうという魂胆であった。

 だが西部方面軍の意外な抵抗によって24時間という時間で宣戦布告をさせられてしまった。


 もう間もなく援軍が到着する。領土を奪回し、逆に攻め込む反攻作戦は、ひそかに練られていた。が、駆逐艦荒波が持ち込んだ帝国軍の秘密兵器の情報、竜騎兵の存在についての懸念がいまだ軍令部に渦巻いている。


 第一章 時代の荒波 完

 続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る