1年生編3月
◆お返しという名目でも恥ずかしい
「シルヴィア」
公立高校の卒業式を間近に控え、生徒会の活動も佳境である今日この頃。
「買い物に付き合って」
涼子のスケジュールなど考えなしに海は、最近お気に入りのピーナッツバターを食パンにこれでもかと塗りたくりながら彼女にお願いをした。
「私が今から何をするのか分かりませんの?」
本日は土曜日。
しかし、涼子は制服に着替えている。
「今日は学校休みだよ」
「そんなこと分かってますわ。生徒会の用事があるから制服を着ているんです。分かります?」
「そうか。それで買い物なんだけど」
涼子はわざとらしく大きなため息をつく。海に伝わらないことは分かっていても、ストレス発散のために必要な行為だった。
「夕方以降であればお供いたしますわ」
基本引きこもり体質の海が自ら買い物に行こうなんて滅多に言うわけもなく、涼子は聞くよりも先に目的を推測する。
卒業式には無縁のはず、であれば答えは一つだった。
「お返しは何にするか検討ついてますの?」
「検討ついてたらついてこいなんて言わないよ」
「……そうですわね」
涼子の推測通り、海は先月のバレンタインデーに侑希からもらったお菓子のお返しが買いたい。しかし、何を買っていいものか分からない。仕方なく涼子を頼りにしたわけだ。
「三倍返しって言われたんだけど、侑希ちゃんのやつさ、手作りだったんだよ。材料費から金額出せばいいのかな……」
侑希が海をからかうと、ツケが高確率で涼子の元へ返ってくる。忙しい時にはやめてほしいと心底思う涼子は、再び大きなため息をつくのだった。
「作るつもりがないなら、普通にチョコでもなんでも返せばいいと思いますけれど」
海と涼子がやってきたのは、いつもは買い物をしないデパートの地下だ。ホワイトデーの特設コーナーができている。
「ネットにはいろいろと書かれていますけど、結局のところ感謝の気持ちがあればいいんですわ。飴を返したら云々とかそういったものも意識する子なんてほとんどいません」
涼子は面倒くさそうに早口で解説する。
「シルヴィアがバレンタインを教えてくれればこんなに悩まなかったのに……」
「教えたところであなたが興味をそこまで持つとは思わなかったですから」
言い返せず、海は手前にあった高級そうな箱を手に取る。
「価格だけじゃなく、もう少し侑希のことを考えてみては?」
「とりあえず見たかっただけだよ」
侑希の顔を思い浮かべてみる。
――侑希ちゃんの好きなもの……ってなんだ? かっこいいより可愛いもの? 一緒に買いに行ったものなんて……服と絵の具くらいしか……。
「ほら、カイ、あのあたり。若者向けですわ。ここは少し年齢層高そうですし、あちらに行ってみましょう」
人混みの中を華麗に進む涼子を見失わないように、海は必死に細い背中を追う。
――そりゃシルヴィアは手を繋がないもんな。
侑希がいつも海の手を引くので、最近は慣れてしまっていた。
「さぁ、とっとと決めてください」
「気持ちが云々とか言ったくせに急かすのな」
「百年悩もうと十分悩もうと変わりませんわ」
「……そうかもしれないな」
海は目についたホワイトベースの箱にオレンジのリボンがかけられているチョコレート菓子を選んだ。
「こんな簡単に決めていいのかな。侑希ちゃんは時間をかけて作ってくれたのに」
「それならあなたも作ればいいんじゃありません? もしもその気があるならこの私が教えてさしあげても、」
「いらん。もうそれはいい」
「断るタイミング早くありません?」
侑希がこんなもので満足してくれるのか、がっかりしないかと悪い方向に考えてしまう。
たとえ侑希ががっかりしたとして、海に不利益は何一つないというのに。
「……あなたが選んだものなら侑希は喜んで受け取ってくれますわ」
「侑希ちゃん、良い子だもんな」
彼女は人間という種族の中で、かなり稀なタイプだ。海は多くの人間を見てきたが、あそこまで自分以外の個体に優しいものは珍しい。
だからこそ、なんでも喜ぶだろうからこそ、ちゃんとしたものを渡したいのだ。
◆必然と偶然
ホワイトデーはあっという間に終わった。バレンタインデーはあんなにも校内が盛り上がっていたのにも関わらず、ホワイトデーは静かなものだった。
学期末テストが近いことも要因としてはあるだろう。かくいう海も、バレンタインデーのお返しを渡した時に「ありがとう。でもうみちゃん、わたしへのチョコを選んでたから勉強できなかったっていう言い訳はなしだよ?」と言われた。
試験もこの度五回目。さすがに試験傾向は掴めたため、問題はない。
元々魔女からすれば一年なんですぐ過ぎ去るものであるが、一日一日人間に扮して過ごしてもあっという間だった。
本日は三学期の最終日。先程体育館で体裁だけの式も終わり、名残惜しむように教室には生徒が残っている。
「うみちゃん、成績どうだった?」
悪い結果を期待しているのか、侑希は楽しそうに声をかけてくる。海は、終業式の間身につけていた慣れないブレザーをジャージに着替えている。
そして、侑希の期待を裏切るように安っぽい紙に印字された成績表を堂々とつきつけた。
「わぁ、意外。挽回したんだね」
「サボると侑希ちゃんがうるさいから頑張ったんだよ。そうゆう侑希ちゃんは……どうせいいんだろ」
「んー、あはは」
笑って誤魔化される。間違いなく海より成績はよさそうだった。
「この教室ともお別れだね。来月は一個下の階に来るんだよ。間違えないようにね」
二年生のクラス分けはまだ発表されておらず、次の登校日――四月の始業式は、一年時のクラスのまま教室だけが階下となる。そして新しいクラスを告げられるらしい。つまり、二人が同じクラスになるかどうかは二週間ほど分からない日が続く。
「まだ文理分かれないし、一緒のクラスになりたいねー。わたし、藍ちゃん先生と仲良くしてたしなんとかなるかな」
「黒侑希ちゃんだ」
「えーでも先生たちと仲良くして損はないじゃない?」
魔女とこれだけ親しくなっていれば、先生どうのこうのという次元ではない。
「もしもクラスが別でも委員会は一緒にやろうね」
海の中で侑希との温度差を感じる。涼子――シルヴィアの忠臣がある限り、海と侑希が同じクラスになることは確実なのだ。
「ねぇ、もし大丈夫ならお昼食べて帰ろうよ」
「私はいいけど、侑希ちゃんこそ家はいいの?」
「うん! 今日は親も妹も出かけるから」
成績表を乱暴に鞄の中へ押し込み、念の為机の中を確認する。ロッカーの中身は事前に持ち帰った。常に置き勉状態であったため、新鮮な経験だ。
「なに食べる? わたしはハンバーグ食べたいな〜」
四階から一階まで戻り、まだ肌寒い昇降口で、
「あれ、そういや、下駄箱も変わる?」
ふと疑問が浮かんだ。
「先生なにも言ってなかったね。多分始業式の後に変えるんじゃないかな」
――そこまでクラスを分ける必要あるのか。
「靴箱も変えるのめんどいなぁ」
「うみちゃん、場所が嫌だって言ってたからいいじゃない」
「そうだけど……。どうせどのクラスになっても出席番号最後だよ」
「わかみや……なら、わたなべさんとかわださんと同じクラスになれればいいね」
侑希は「まぁ、うちの学年にいないけど」とつけたす。救いはないようだった。
「ハンバーグ食べたいならそこのファミレス行く? 混んでるかな……」
隣の高校も公立であるから、終業式は同日のはずだ。この辺りの店は全て混んでいるかもしれない。
「じゃあうみちゃん家でお昼とかどう?」
可愛いキーホルダーのついた自転車の鍵を華奢な手で弄びながら、侑希は少しだけ申し訳なさそうな笑顔を浮かべる。
「ハンバーグなくてもいいならうちでもいいけど」
「ほんとに?」
自ら提案したけたわりに遠慮しがち。
「涼子もどうせいないだろうしいいよ。コンビニでなにか買って行こ」
魔女の自宅にはなるが、人間界の本に出てくるような魔法陣が描かれた床も、変な色の液体が入ったでかい鍋もない。いたって見た目も中身も普通の住宅だ。
「なんだかんだうみちゃん家行くの初めて」
「そんなこと言ったら、私も侑希ちゃんの家も行ったことないよ」
「あはは、そうだね。友達の家に行くってのも小学生までだっなかなー。中学生の時までは、たまーにアキちゃんが来てたけど」
「あーえーっとあのピンクの」
文化祭の時に顔を合わせた少女の顔を思い出す。
「そうそう。結構家近くて」
コンビニで侑希はハンバーグ弁当を購入していた。それほど食べたかったらしい。
海は自宅の冷蔵庫が空であることを思い出し、飲み物とお菓子を買う。量が分からなかったので多めに買ったが、後々涼子に呆れられた。
「やっぱりうみちゃんたちお金持ちなんだね」
部屋に通した侑希の感想がそれだった。
「お金のことは分かんないな……」
侑希にはお嬢様発言と取られただろうが、全ての管理を涼子に任せているから分からないのだ。
「料理はうみちゃんがしてるんだよね?」
綺麗なままのキッチンを見て聞かれる。声には若干の怯えがあった。
「基本あいつには触らせてないよ」
「うん。うん、そうした方がいいと思うよ。うん」
「来年のバレンタインは事前に予防線張っとくから……ごめん」
「ほんとよろしくね」
久しぶりに侑希の顔が怖い。
「でも涼子ちゃんからもらえたのも、うみちゃんからもらえたのも嬉しかったよ。来年もくれたりする?」
「欲しいならいくらでもあげるよ」
「来年たくさんじゃなくて毎年ほしいなあ」
「……いいよ。欲しいならいつでもあげる」
――君は二年後、私のこと忘れるんだよ。
「そういえば、侑希ちゃんのチョコさ、私のだけ涼子たちと違ったのは何で?」
「今更聞く?」
「聞くタイミングなかったから」
「うーん」
湯気の出てるハンバーグとトンカツを一口交換して、
「やっぱり教えてあげない」
「何でさ」
「その方がうみちゃんの反応面白いから」
「あら、侑希が来てたんですの」
夕方に帰宅した涼子は、家に入るなり客人を言い立てる。すでに侑希は帰っているので、人の残り香で分かったのかもしれない。
「金持ちだねって言われたわ」
「まぁそうでしょうね。家賃は相場より高いですから」
「あのさ」
着替えようと自室のドアに手をかけた彼女に、聞くべきか悩んでいたことを問いかける。
「シルヴィア、お前が侑希ちゃんに魔法をかけたんじゃないのか? 私の三年間の友達としての役割を与えるために」
あまりにも侑希からの好感度が高い。こんなにも良くしてくれる人間が、たまたま同じクラス、たまたま隣同士になるだろうか。
都合のいい展開に、海は初め彼女が魔女かと疑ったが、人間と分かってからは次第に涼子を疑っていた。
一瞬きょとんとしてから、「拗らせてますわね」と前置きをしてから、涼子はドアノブから手を離した。
「何があって疑っているのかは聞きませんけど、私が今回の入学前後に使った魔法は五つだけですの。
一つ目は大前提。私たちが入学するための偽造行為。正確に言うと偽造の度に魔法は使ってますけれど、ここに侑希はもちろん関係しておりません。
二つ目は私的な問題でして、私のクラス担任が大坪賢斗になるように行った調整。
三つ目は、あなたと私のクラスが隣同士かつ合同授業を行うクラスになること。
四つ目は、あなたの担任が藍子になること。
最後が、あなたの隣の席に女子生徒が座るようにクラス分けを一部調整したことですわ」
「他は……?」
「お判りだと思いますけど嘘はついてません。これが全てです。侑希の名字が朝倉や石田でしたら隣にはなっていなかったでしょうね」
「たまたま隣に来た女子生徒がめっちゃいい子だったと?」
涼子が本当のことを言っているのは分かる。それでも偶然が重なり過ぎている。
「侑希の名字が、たまたまあなたの隣にくるに相応しい頭文字であっただけですわ。侑希があなたに興味を持ったのも、良くしてくれているのも魔法は関与しておりません」
再びドアノブに手をかけ、涼子はドアを開いた。澄ました灰色の瞳が細く笑う。
「侑希がいい子で、あなたの対応もよかった。それだけですわ」
◆その想いは、ひそかに
「あら、珍しいお客だこと」
色づいた桜が窓からかすかに見え隠れする日当たりの悪い美術室。春休みにわざわざ訪ねてくるような生徒はいない。……一度だけ宮本侑希が顔を出してきたが、アレは一般の生徒と一緒にするのも違うのでカウントしない。
「生徒会の用事かしら、シルヴィア」
「校内でその名前を出すのはやめていただけます?」
藍子は涼しげな声と共に笑う。
「ココは私のテリトリーよ。問題ないでしょう」
「……美術室内だけにしてくださいね」
「はいはい。それでわざわざ何の用?」
藍子が美術教師であっても、美術室にいる確率はとても低い。そんな彼女をわざわざ捕まえに来たのだから、涼子は気まぐれでここに来たわけではない。
「お願いがあって伺ったんですわ」
「ふぅん。わざわざ私に? 魔法でなんとかすればいいじゃない」
「私が魔法を使うより、教師であるあなたにお願いした方が楽だと思いまして」
今さら「なるほどね」と藍子は頷きながら、
「生徒のクラス分けは教師たちの独断ですもんね。いっそのことカイに全てやらせれば?」
「カイにそんな細かい調整ができるわけないですわ」
「それもそうね。分かったわ。前回同様私のクラスで二人共面倒をみるから」
涼子は少しだけ眉間にしわを寄せ、藍子の本来の名前を一度だけ呼んだ。
「はいはい。あなたの方も適当に理由つけておくわよ。まったく、これなら生徒として学校にいた方が気持ちが楽ね」
「結果的に魔法を使わない方が楽なこともあるんだから仕方ないですわ」
「魔法を使った方が楽なこともやらない魔女はいるけどねぇ」
用は済んだとばかりに涼子は建付けの悪いドアに手をかける。その背中をひっかくように、藍子は言葉をさらにかける。
「人間と魔女は絶対に相容れないわ」
「分かっています。私はそうゆうのじゃないんです」
ぴしゃりとドアを閉めて出ていきたかったが、引っかかって格好悪い音と共にドアは半分で止まってしまう。
「もう!!!」
乱暴に指を鳴らし、建付けの悪さを一瞬で直す。
これこそとっとと魔法で直しておけばいいのに、と悪態をつきながら本来の用事がある生徒会室に向かった。
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