1年生編12月

◆晴天の寒さ


「カイ、そろそろ起きてください。遅刻しますわ」

「起きてるよ……」

「私は目を覚ませと言っているのではなくて、布団から出ろという意味で起きろと言っているんです」

「うわぁ、やめろ! 寒い!」

 容赦なく掛布団を奪う涼子に抗おうとするも、その動きすら億劫になって、海は小さく縮こまった。

「大魔女様が情けないですわね。北国に比べたらこのくらいの寒さへっちゃらでしょう」

「違うんだよ……。日本のこの芯から冷やしてくる寒さは違うんだ……」

「諦めて魔法を使えばいいじゃないですの」

 電気代を気にせずに暖房は効かせてあるので、部屋自体は暖かい。少なくとも冷え込んではいない。それでも布団の中の温もりと柔らかさには勝てない。

「前髪跳ねてますわ。直さないと侑希に笑われますわよ」

 海がしっかり身体を起こしたところで、涼子はリビングに戻った。

「人間は子供も大人も毎日ちゃんと起きて、学校やら会社やら行って偉いな……」

 たった三年だけの辛抱と思っても、気が重い。

「いい天気なのに、何でこんなに寒いんだよ。夏は暑いし、冬は寒いし、足して二で割ればちょうどいいのにさ」

「季節があるのはいいことじゃありませんの。次の周期では日本各地を回ってみるのもおすすめしますわ。今は交通網も発達していますし、魔法を使わないで移動するのもなかなか面白いですし」

「魔法を使わずになんてお前の口から出るとは」

「楽しみ方の問題ですから。魔法を使わない方が面白いと思えばそうすることだってあります。基本的にはあなたが抱いているイメージ通り、魔法を使った方が便利な世の中だとは思いますけど」

「……でも、いつか人間の技術も魔法に限りなく近いところにまでくるんだろうな。遠くの人同士でも話ができる技術、空を飛ぶ技術。……人間が魔女に追いついた時、世界は半分滅ぶかもね」

「たとえそんな時が来ても、あなたがいる限り魔女は人間なんかに負けませんわよ」

「お高く見られたもんだな。今はただの学生なのにさ」


 夏はエアコンをガンガンに聞かせていた教室だが、冬はエアコンではなく石油ストーブを利用する。海たちが入学する数年前にエアコンが全教室に設置されたという話であるが、冬はどうしても電気代がかかるため使用が禁止されている。寒い日はストーブが設置されている教室前方に人が集まり、窓際や後方の席は特段寒さが増す。

「わたしもついにマフラーデビューしたよ」

 どこにでも売っているようなチェックのマフラーを、侑希が自慢気に見せてきた。

「新しく編もうかなと思ったけど、途中で飽きてやめちゃった」

「侑希ちゃんって編み物できるの?」

「うん。難しいのはできないけど、ただひたすら編むだけなら」

「今時の子にしては珍しい特技だね」

「人をおばあちゃんみたいに言わないでよー。うみちゃんよりはちゃんと流行追えてますー」

 一瞬で移り変わる人間の流行を追う気力が海にはない。

「うみちゃんは冬休みにご実家に帰ったりするの?」

「実家? あー国にってこと?」

「うん。クリスマスもあるからどうなのかなって」

 クリスマスが宗教に関するイベントであることは海も知っている。だからこそ、無縁の行事である。

「特に帰るとかないよ。まったりと家で過ごすつもり。文化祭も終わったし」

 夏休みは、ほとんど文化祭関連で学校に通い詰めだった。それこそ土日も顔を出していたので、普段以上に学校にいたと思う。

「そうなんだ。わたしは今年おばあちゃん家に帰っちゃうんだよねー。うみちゃんがこっちにいるなら、せっかくだから初詣とかしたかったな」

 リセットが春に行われるため、海にとっての時間の区切りは三月と四月の間。二千年が二千一年になろうと、四桁の数字にはあまり関心がない。

「いつだっていいじゃん。予定があった時に一緒に行こうよ」

「うん! うみちゃんからそう言ってくれるなんて、明日は雪でも降るのかな」

 彼女が雪を見たいと言うならば、きっとそれくらい海は叶える。

 真夏にだって雪を降らせることができる魔女。それが大魔女である海のすごさだ。



◆クリスマスチャレンジ


 通知表を受け取り、どちらかと言うと暗い雰囲気の方が多いタイミング。しかし、もうじきクリスマス。一部の人間たちは浮足立ったような様子だ。

 教師たちにとっては、成績をつけ終えひと段落……とはいかず、年末年始の休みのためにたまっていた仕事を片づけなければいけない時期である。

 大坪もその一人であり、休み時間や放課後の多くの時間を生徒との対話に割いていたため、普段の業務が結構たまっている。二年後、おそらく順当にいけば受験生を持つことになるが、このままでは時間が足りない。

 そんな彼も、今日ばかりは地に足がついていない。浮かれているからではない。

「あの、瀬川先生」

 隣のクラスの担任教諭――瀬川藍子に声をかけるため。

「はい、なんでしょう」

 忙しい中でも、藍子はいつも笑顔を向けてくれる。たまたまの人事配置で若い男が他にいなくてよかったと安堵する。

「すみません、こんなところで誘うのもアレなんですが……」

 如何せん、大坪は藍子の連絡先を知らない。正確に言えば、教師専用の連絡網で電話番号だけは知っているのだが、それを私的に活用するのは気が引けてしまう。

 特別棟、職員室から美術室へ降りる階段に人の気配はない。

「二十四日の日、もし空いていれば僕と食事に行ってもらえませんか?」

 年下の女性は、おそらく頭の中でカレンダーを思い浮かべてから、

「その日は……というか当分は忙しいので……。ごめんなさい」

 クリスマスイブだけでなく、別日という選択肢すら奪われる。

 藍子は申し訳なさそうな顔をしているが、仮面の下では迷惑に思っているのだろう。

「そうだ!」

 藍子の視線が大坪の更に後ろの方へ向く。慌てた様子で大坪も振り返った。廊下と階段の分かれ目あたりに涼子の姿が現れた。

 話の内容を聞かれていたことを理解し、一気に汗が出て、大坪のシャツが濡れていく。

「吉川さん、クリスマスデート憧れているって言ってたわよね? だから大坪先生、吉川さんのデート相手してあげてください」

「ちょ、生徒と二人で出かけるなんて駄目ですよ!?」

 このご時世、学校外で生徒と一緒にいる姿を見られただけでネットで炎上する。

「まぁまぁ、デートって言ったのは私が悪かったですけど……彼女、一年生ながら生徒会で頑張ってくれているじゃないですか。そのお礼にファミレスでもおごってあげてください。部活動だって、顧問が生徒にご飯おごったりしてますよね?」

「……そうですけど……」

 理由はいくらでも出せるが、藍子の笑顔がそれら全てを屁理屈で潰していく。

「ちょっと先生。おおちゃん先生が困ってますよ」

「いいじゃない。それにクリスマスあたりは若宮さんも家にいないでしょ?」

「どうゆうことですか?」

「さぁ、どうゆうことでしょうね」

 藍子は笑顔を保ったまま、少しだけ目を細める。

「制服着てなければ大丈夫ですよ。いっそのこと東京まで出たらどうですか? それなら知り合いにも会うことないですよね? それでは」

 慌てた様子で藍子は階段を降りて行ってしまった。残された教師と生徒一人ずつ。

「先生、どうやら私はクリスマスぼっちみたいなんです。親のところにも帰れないし、夕飯奢ってもらえますか?」

 何かの暗示にかかったように頭の中が白くなる。

「……東京駅の銀の鈴で待ち合わせをしようか」

 下心はない。

 欲しいのは、藍子との繋がりだけだった。



◆クリスマス。それはデッドライン


「カイはクリスマスに侑希と約束したんですの?」

「え、何で?」

「……現代の日本において、クリスマスがどういう日かはご存知で?」

「クリスマスってキリスト教の人が家族で集まって鳥をつつく日じゃないの?」

「そのどこかにケンカを売るような表現やめてもらいますか。確かにクリスマスはクリスチャンにとって大事な日であり、海外では家族で食事を共にするのが一般的ではありますが、日本のクリスマスは少し違います」

「そりゃ日本人は無宗教だもんな。世間一般で神と崇められる存在の一端を私が担っていることを、まるで知ってるかのようで笑っちゃうね」

 街中には赤と緑の配色が増え、あちらこちらで電球がキラキラと輝いている。

「日本において、特に若い人間たちにとっては、クリスマスは好きな人と過ごす日ですの」

「はぁ」

「間抜けな返事ですわね。侑希が誰と過ごすか気にならないんですの」

「…………」

 海の表情が少しだけ曇る。魔女はわがままな性格が多く、また嫉妬深い性格も多い。海はどちらにも当てはまる面倒なタイプだ。正確に言うと、どんな感情にもハマりやすい。

「誰と過ごすの?」

「私に聞かないで本人に聞いてくださいな」

 実のところ、涼子はすでに侑希のスケジュールは予想済みである。

「あ、侑希ちゃんから連絡きた……」

 これは侑希が自らの意思で送ったものなのか、藍子の策略であるのかは涼子にも分からない。

「藍子のところでコミケの原稿するから一緒にって……コミケってアニメ系のイベントだよね?」

 雲行きが怪しくなる。

「あの教師……生徒に原稿手伝わせるって……」

「今の時期ってことは相当締め切りギリギリなんでしょうね。下手にケンカ売らないでくださいね」

「こんなことで殺したりしないわ……。でも、藍子のことはどうしても信用できないんだよな。あの笑顔が鼻をつくというか」

「……前回一緒にいた時は特に何も問題はありませんでしたよ。性格が悪いのは否定しませんが、魔女に対して害を加えることはないはずです」

「侑希ちゃんは魔女じゃないだろ」

「……すっかり感化されているみたいですね。それも大丈夫でしょう。侑希に手を出したらどうなるか、藍子も含め近隣の魔女は理解しているでしょうから」

 十一月の襲撃は魔女の中ではそこそこ噂になっているらしい。元から目立つ立場にいるので慣れてはいるものの、恐れられるというのはあまり気持ちいいものではない。

「いいじゃないですの。邪魔者がいようがいまいが、侑希と過ごせることは変わりないでしょう。利用してやればいいじゃないですか」

「そうだな」

 人間と過ごす時間はあっという間に過ぎる。そして人間はすぐにいなくなる。


「うわぁ、すーごい部屋」

 侑希が合流するより前に話をしておこうと思い、待ち合わせ時間より一時間早く藍子の家を訪ねた。涼子が用意したような高級マンション。いや、おそらくそれよりも少し家賃は高そうだ。綺麗なエントランス。隅に埃一つ溜まっていないエレベーター。部屋の前の廊下も絨毯が敷かれている。しかし、一枚扉を隔てた部屋は一言で表して汚かった。

「なに、これ。ゴミじゃん」

 食生活の残念さを物語るカップラーメンの残骸、コンビニの袋。

「原稿に専念していたら掃除忘れてて。大丈夫、すぐ片づけるから」

 藍子は魔法を使う時に指先を振る癖があるようで、人差し指で筆記体のエルを空中に描いた。すると床いっぱいに散らかっていたゴミや服がいなくなった。

「はーい、これで大丈夫」

「こんなだらしないくせに何で先生なんかやってんの?」

「前も言ったでしょう。ネタ集めよ。私からすれば、あなたみたいな魔女が、こんな辺境の地で女子高校生を演じていることの方が不思議ですね」

「シルヴィアに誘われたからだよ」

「そう。まぁ、私はあなたがちゃんと生きて魔女としての責務を果たしているなら、何をしていようとどうでもいいんですけど」

 涼子から聞いた話だが、藍子は随分と人間嫌いらしい。それでも人間界に溶け込むのは、この日本独特のオタク文化のためだとか。

「宮本さんを誘えばあなたも来るだろうと思いましたけど、本当予想通り過ぎて、一周回って面白いお方」

 彼女の目を細める笑い方が苦手だ。おおよそのことを見透かしているくせに何も言わない。

「シルヴィアの方から先月の件は聞いてます。私はその件と無関係な上、宮本さんをどうこうするつもりはまったくありません」

「…………」

「私は人間嫌いだけど、漫画は好きなの」

 校内と変わらずジャージ姿なのに、今の藍子は輝いて見える。

 漫画と言われて初めて、彼女の部屋は本棚で囲まれていた。収められている全てが漫画もしくはそれに準じるものだろう。背表紙がカラフルなものが多い。

「気になるなら好きに読んでいいですよ」

「そういや漫画読んだことないな……」

 侑希が来るまですることもない。

「なんかおすすめとかあるの?」

「大魔女様が随分柔らかくなったことで」

「私のことなんだと思ってんだ」

「あのシルヴィアをぶちのめしたと聞いたら、ねぇ……」

 涼子――魔女としてのシルヴィアは派手好きで有名なため、それを沈めたカイは魔女界で尾ひれがついた状態で噂になった。

「カイはどういった毛色のものがお好きで?」

「特に好みはないな。本はなんでも読んできたし」

「それならマイナーなところを薦めたいんですが……シルヴィアが怒ると嫌だから……このあたりで」

 薦められた学園ものの漫画を二冊ほど読み終えたところで、侑希がやってきた。冬の私服姿を見るのは今日が初めてだ。制服の時はコートも羽織らない侑希が、今日は厚めのジャケットを纏っている。

「うみちゃん来てたんだ~。メリークリスマス。あ、二十四日だからクリスマスイブか。メリークリスマスイブ!」

 藍子に誘われた身であるのにも関わらず侑希は、「つまらないものですが」と言って白い箱を渡す。

「これケーキ? 気を使わせてごめんなさいね。いくらだった? さすがに生徒に出させるわけにはいかないから、レシートちょうだい」

――侑希ちゃんと話している時はまともな大人なんだよな。

「それでわたしは何をお手伝いすればいいですか?」

「クリ●タ使ったことある?」

「デジタルで絵を描いたことないですね」

「じゃあ今日覚えて! 今覚えて!」

 最初から分かっていたことだが、海の出番はなさそうだ。大人しく漫画を読みつつ、藍子のことを監視することにした。

「そうそう。宮本さんってば、覚えいいわね。……もしかして部に液タブ導入すれば……」

「おい、部活を私物化すんな」

 藍子と知り合って、まだ半年と少ししか経っていないが、海から見ても藍子は典型的な魔女を例に挙げたタイプで自己主張が強い。海に大して最低限の礼節は分かっているようでも、傲慢なところは隠れていない。

「そんなにも口を出してくるなら、いっそ若宮さんも美術部に入ればいいのに」

――心にも思っていないことを。

「わたしはうみちゃんが美術部入ってくれたら嬉しいな。あぁ、でも」

 基本的に侑希は海のことを受け入れてくれていたので、いきなり「でも」なんて言われると背中に嫌な汗をかいてしまう。

「え……私ってなんか嫌がるようなことした? ご、ごめん……」

 覚えのある所は記憶が削除されているはず。

「全然そうゆうことじゃないよ。ただ……真面目に描いた絵を見られるのは……ちょーっと恥ずかしいかなぁって思っただけ」

「なんだ、そんなことか」

「そんなことって! 自分の作品を友達に見られるのって恥ずかしいよ。ほら、卒業文集とか読まれたら恥ずかしくない??」

「うーん。分からないな」

 如何せん、海は記録として残すために文章を書いたことがない。絵もそうだ。暇な時に、自由に描いただけであるので、それを見られたところで痛くも痒くもない。

「どんかん」

「若宮さんには共感能力が足りないのよねぇ」

 侑希の前だからとばかりに藍子が嫌味を言う。むしろ人間と共感ができる魔女が多くいるならば、両者間での争いなんて起きない――魔女の機嫌を損なうことなんてないだろう。魔女間ですら共感なんて無理な話。

「そんなわけだからうみちゃんは覗かないで!」

――私は何をしにきたんだろう。

「他に漫画出しましょうか?」

「私に出来ることないの? 消しゴムがけとか」

 どこかで植えついた知識の中で、ひたすら自分でもできるだろうことを探す。

「いつの話ですか。私は完全デジタルに移行済みですからね。機械音痴な上に、漫画を今日初めて読んだ方にできることはありません」

「ひどい言い様……。役立たずが聞くのもおかしな話だけど、何で私が来るのを了承したんだ?」

「そりゃ断ったところで無理矢理来るのは分かっていましたし。下手に疑われるくらいなら潔白を見せて証明した方がいいでしょう」

 侑希に呼ばれ、藍子が席を外す。漫画を読む以外することがない海は、徐に冷蔵庫を開いた。侑希が持ってきたケーキの箱以外には酒しかない。

「そうそう。何も買ってないのよ。普段そんな面倒くさいことしないから」

「うわっ」

 いきなり背後に現れるから、驚いて冷蔵庫に頭をぶつけた。

「大魔女様は好き嫌いあります? ないなら下のコンビニで適当に買ってきますよ」

「サービスいいな」

「宮本さんがいるのに魔法使えないでしょう。それにあなたをパシりにするほど身の程知らずじゃありません。留守番お願いしますね」

 敬われることには慣れているが、校内での関係性があるので違和感が強い。

 藍子はスマートフォンと家の鍵だけを手に持ち、出かけて行ってしまった。

「先生出かけたの?」

 タッチペンを弄びながら侑希まで台所にやってきた。

「うみちゃんは冷蔵庫の前で丸まってどうしたの? ケーキはつまみ食いしちゃだめだよ」

「しないよ!」

「クリスマスなのに、うみちゃんこんなところ来てよかったの?」

「それこそこっちのセリフだよ。私は家に帰っても涼子しかいないし、出かけても人は多いしさ」

「でも先生の手伝いしてうみちゃんがいるなら、わたしは結果オーライだけどね」

 眩しい笑顔。

「いるって知っていたならプレゼント買ってきたんだけどなぁ」

 涼子から聞いた話を思い出す。

――でも、それって恋人同士が分け合うものじゃ?

「うみちゃんはさ、何歳までサンタさん信じてた?」

 千年以上生きる魔女に対して聞くものではない。海の記憶自体すでに曖昧になってはいるものの、当時ローマ近辺にいた人間好きの変わった魔女が、夜な夜な菓子を配り回ったことが起源だったはずだ。

「さぁ、どうだったかな。そうゆう習慣なかったから」

 誰かからプレゼントをもらう機会すらないのだから。欲しいものは全て自分の手で手に入れられる。自分の力が及ばないということは、他の誰にも手に入れられないということ。

「侑希ちゃんはどうだったの? 今でも信じてるって言われても違和感ないよ?」

「さすがにそこまで子供じゃないよ。小学生に上がった時くらいかな。隠してあるプレゼントみつけちゃって」

 その時の侑希の反応を考えていると、「そろそろ作業戻るね。終わったらケーキ食べよう」と侑希が作業に戻って行ってしまったので、答えを確認することができなかった。

「サンタクロースねぇ……」

 街中を歩き回れば五回くらい遭遇できる。赤い服に赤い帽子、みんな白髭だった。

――プレゼントか。

 彼女の顔を思い出す。海が唯一他人に与えたプレゼントは生涯一つかもしれない。彼女のために、自分の身を亡ぼす覚悟もあって渡した。モノを残すということは、弱さも残すことになる。

――それでも来年、私はあげるのかな。



◆年越しというお祭り行事


 いつもなんとなくで流していたテレビ番組の様子がめっきり変わってしまった。所謂年末ということで、大晦日に向けて特別番組が編成されているようだった。

 海たちの通う東高等学校も年明けまでは冬休み。海も涼子もこたつの中から動かない生活を続けている。

「どうしてでしょうね。暑さや寒さなんて問題にならないはずなのに、こたつに関しては愛着が湧いてしまうのは」

「同意。あーさむ」

「日本人って、年末年始だけは休みたがりますよね。……もちろん働いている方がいるから休めるんですけど。……生徒会も冬休みは活動しないって言うんですのよ。暇ですわ」

「いーじゃん。暇で。何百年と忙しい生活していたらおばあちゃんになっちゃうよ」

「人間から見たら、私たちは十分おばあちゃんですわ」

「言うな」

 長く生きていることを後ろめたく思うこともない。長く生きているからこそ、楽に生きているようなもの。それでもしばらく人間と一緒に過ごすと、自分たちの生き方はもったいないのだと感じる節がある。

「日本人って一般的に年末年始に何するの?」

「そうですわねぇ……。ご実家に帰って親戚同士で年を越す方たちも多いですし、子供にいたってはお正月におこづかい――お年玉をもらえる子が多いと思います。あとは美味しいものを食べたりですかね。……そうだ、せっかくですから私が何か作りましょうか!」

「いい! いらん! おそば買ったんだろ!」

「おそばだけでは寂しくありません? 何か華やかなものでも」

「お腹空いてないからいい! そばも私が茹でる!」

 年号に一が足されるだけの日。それでもテーブルの上が赤く染まったり、キャンパスと錯覚するようなカラフルさを出されても困る。

 こたつの温かさは名残惜しかったが、一時的にでも腹を下したくなかったため、仕方なく台所に立つ。床暖房が効いているため足元がひんやりすることはない。それでも寒く感じてしまうのは、気持ちの問題かもしれない。

「えーっと……冷凍になっているのか。茹でて天ぷらも入れると……。衣取れるだろ」

 年越しそばと書かれた袋の中には凍ったそばとエビの天ぷら、つゆが入っている。そばと天ぷらを茹でればいいと書いてはあるが、おそらくエビは丸裸になってしまう。

「冷凍だし……しょうがないか」

 一度揚げ物作りにチャレンジした。熱い、痛い、面倒くさい、後片付けが地獄、を味わってから、海は二度と揚げ物を自宅ではしないと誓った。

「あーいい匂いですわ。ついでにワインも取ってくださる?」

「それくらい自分で取れよ。あと日本のおそばにワインは合わないだろ」

「白ワインなら全然いけますわ」

「あぁ、そう」

 どんぶりをテーブルに置き、酒のことは無視してこたつに戻る。

「カイは飲みませんの?」

「一応高校生やってますんでね」

 また、アルコールの摂取は飽きた。お酒自体は好きであるが、どうしても飲みたいと思うほど飲みたくはない。

「仕方ないですわね」

 見た目に反してルーズな涼子は、魔法を使ってワインボトルとグラスを手元に用意する。

「くだらんことに魔法使うよな」

「発散のために使っていいと言うならば、遠慮なく使わせていただきますが」

「私の前でやりたいならどうぞ」

「冷たいですわね。テレビ何見ます? 周りと話をあわせるならガ●使とか見ている方多いと思いますけど」

「なんでもいいよ。普段からテレビの話なんてしないし」

 侑希がいつもどんな番組を見ているのか知らない。流行っているドラマの話もしたことがない。

「おそば伸びてません?」

「お前がのんびりワインを飲んでるからだろ」

 実際、茹で過ぎてしまったことには変わりない。ただムカついたので責任転嫁しているだけだ。

「どうでした、えーっと九か月間、久しぶりに人間界で過ごして。女子高校生にまでなっちゃって」

「なっちゃって、って。お前がさせたんだろ」

「でも、ちょうどよかったでしょう。あなたはズルズルと何百年前のことを引きずっているんですから、ここいらできちんとしていただかないと」

「私があんな小娘一人に振り回されているわけないだろ」

「どうですかね。……過去はともかく、侑希と仲良くやっているみたいで安心しましたけど。人間ガチャ運がよくてなによりです」

 海自身もクラス運、座席運には恵まれたと思っている。

「うちのクラスで席替えがないのって、シルヴィアたちのせい?」

「私はなにもお伝えしてませんよ。担任の方で気を利かせたんじゃありませんか?」

「あの先生、妙に気を使ってくるからやりづらいんだよ」

「あなたより、私よりも、ずっと魔女らしい魔女だと思いますよ」

「まぁね……。自己保身と自己利益第一ってところはそうだな」

「私もそこは優先しますけど。……カイの場合は座っているだけで、周りが避けてくれるんだから便利じゃありませんか」

「どうだか」

 年が明けるよりも早くどんぶりが空になる。少し甘いものが恋しくなる後味であるが、チョコを食べたい気分でもないし、買い物にも行きたくない。

 グラスを煽り、涼子がテレビの中の人間と会話をし始めた頃、海のスマートフォンが鳴る。通学する時はマナーモードのままにしているけれど、長期休み中は家の中で放置することも多く、デフォルトの着信音が鳴るようにしてある。

 わざわざ海へ電話をかけてくる人物は一人。

 通知されている名前もその通り。

「もしもし」

『うみちゃん? こんばんは』

「うん、こんばんは。侑希ちゃん」

『遅くにごめんね。時間大丈夫だった?』

「大丈夫だよ。涼子しかいないし」

 からかわれるのも絡まれるのも嫌で、逃げるように自室へ戻った。寒い。エアコンのリモコンを探しても見つからず、仕方なく布団にもぐりこんだ。

「どうしたの、こんな遅くに。それにおばあちゃん家行くとか言ってなかった?」

『そうだよ。おばあちゃん家にいるんだけど、親戚のおじさんたちもみんなお酒飲んでわいわいしているから……誰もわたしのこと気づいてないと思うな」

――うちと似たようなものだな。

 涼子の声が壁の向こうから聞こえてくる。

『せっかくの年越しだし、うみちゃんと電話できてよかったー』

「……日本では友達と電話するものなの?」

『うーん、どうかなぁ。初詣行く人たちもいるし、一昔前はメールで連絡取り合うのが流行っていたみたいだけど……。電話したら迷惑だった?』

 電話先の声が申し訳なさそうに下がる。

「ううん、暇だったから。クリスマス……イブ以降侑希ちゃんと会ってなかったし、私も嬉しいよ」

『あはは、カップルみたいだね、わたしたち』

 何と返すべきか悩んでいると、更に侑希が笑ってから「今年ありがとうね」と感謝を述べた。海からすれば侑希にしてもらったことは多々あれど、相手にしてあげたことが思い当たらずなお困惑してしまう。

「こちらこそ、ありがとう。分からないことだらけだったから助かったよ」

『分からないことだらけのうみちゃん面白かったから大丈夫だよ』

「どうゆう意味だよ」

『来年また同じクラスになれたらいいね。なれなくても一緒に遊ぼうね』

「なれるよ。……きっと」

 運命ではなく、必然。ズルだ。

『ぁ、日付変わっちゃった。あけましておめでとう、うみちゃん』

「あー、うん。おめでとう」

『今年もよろしくね』

 今まで生きてきた中で、時間の区切りはあまり意識をしてこなかったが、年に一度こういった場面が用意されてもいいかもしれない、と海は温かい感情を感じる。

 ……もちろん、これを何千回と繰り返すのは苦行。

 暇つぶし程度の、気晴らしの催しにしかならないだろう。

「あと二年ちょっとよろしくね」

『えー大学生になったらよろしくしてくれないの? うみちゃんは人でなしだな~』

 笑う彼女の声が痛い。

――忘れるのは君の方なのに。

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