1年生編7月

◆カエルのタマゴと言ったら怒られた話


 クーラーが効き始めた教室での期末考査も終了し、晴れて自由の身になった(はず)の海は、侑希に誘われて寄り道をすることになった。テスト最終日、学年によっては終了時間が異なるため本日の委員会活動はなし。

「今回少し数A簡単になってた、よね?」

「それは侑希ちゃんが勉強を頑張ったからじゃない?」

 もちろん努力が一番の要因だと思うが、大坪が少し難易度を下げたのも事実だろう。口はあまりよろしくない教師だが、生徒の声はきちんと一つの意見として受け止めているらしかった。

「うみちゃんは大丈夫だった?」

「今回はちゃんと勉強したから大丈夫、のはず」

 前回は油断をして苦い思いをしたので、きちんと復習を一通り行った。隣で涼子が「そんなに真面目にやらなくてもいいのに」と言っていたが、彼女もなぜか数学だけは自らの力で勉強をしていた。覗き込んだ瞬間に隠されてしまったが、確かに数学の問題集だった。

「数学の問題集って提出あったっけ?」

「あるよ。え、うみちゃんやってないの?」

「一周は解いてる」

「おおちゃん先生って、繰り返しやった方が成績上がるみたいだよ」

「まじか。早く言ってよ」

「先生も授業中にたくさんやったらその分評価はするって言ってたよ」

 話は全て聞いているつもりでも、結構聞いていない。興味のないことは右から左。授業の半分は黒板ではなく、横にいる侑希の編み込み加減を眺めている。観察をするようになって気づいたが、侑希の髪形は毎日編み込みをしていることは共通事項だが、位置は一定ではない。カチューシャのように頭上に編み込みを作っていたり、後頭部だったり、編み込みというか三つ編みだったりバラエティーに富んでいる。規則性は今のところない。

「侑希ちゃん、どこ行くの?」

 昇降口を出て左手側が校門だ。侑希は反対方向へ向かおうとしている。

「自転車通学なの。なんだかんだ一緒に帰ったことなかったね?」

 海と涼子のマンションは学校から歩いて行ける範囲にある。そのため海には誰かと一緒に帰るという考えはなかった。

「これからは文化祭準備で遅くなる時もあるだろうから、途中まで一緒に帰れたら帰ろう」

「うん」

 駐輪場はかなりのスペースが設けられており、どこのクラスも満車になっている。

「お待たせ」

 侑希の自転車は、遠くからでも目立つオレンジ色のシティサイクル。

「うみちゃんの鞄、入れていいよ」

 大きめの前カゴを指す。新しく買ってもらったばかりなのかカゴの隙間にも目立った汚れはない。

 海の鞄は典型的なボストンタイプのスクールバッグだ。革のため多少重たさはあるものの、リュックのように背負ってしまっているので気にはならない。いざとなれば中身の重さを感じなくさせればいい話だ。

「侑希ちゃんの鞄入れなよ」

 東高等学校に鞄の指定はなく、侑希の場合はアウトドアブランドのリュックサックである。イメージ的に海と侑希の鞄は逆かもしれないが、画材やお弁当が重たいことと自転車通学という点を考えると妥当な判断になる。

「わたしはリュックだから大丈夫。うみちゃんの重いでしょ」

 右手で自転車を支え、左手で海の鞄を軽く叩く。

「あれ、中身入ってる?」

「テストも終わったから空っぽだよ」

 ハンドタオルと小銭入れくらいしか入っていない。筆箱も教科書類も全て教室のロッカーだ。

「夏休みの宿題は持ち帰らないとダメだよ」

「休みなのに勉強するの?」

「海外ではしないの?」

 これ以上はぼろが出ると思い、海は話題を変える。

「最近の子って、自転車は二人乗りするものじゃないの?」

 涼子が観ていたドラマでそのようなシーンがあった。雑誌にもそのようなシーンがあった。どうやら青春にはつきものらしい。

「この荷台は人を乗せるためのものじゃないよ。おまわりさんに見つかったら補導されるよ」

「法律違反? なぜドラマではやって平気なんだ?」

 侑希は少し不思議な顔をしてから、

「ドラマとかアニメはフィクションだよ。現実とは違うの。現実のもの全てダメになったら、創作する意味なくなっちゃうじゃない」

 人間で言うフィクションを、魔女はこの世界で体現することができる。ドラゴンを召喚、なんて技は使えないにしてもその場にあるものでドラゴンらしきものを創造はできるし、異世界と言うならば魔女界がそれに当たるだろう。結局のところ魔女からすれば、人間のようにリアルとフィクションを区別する必要がないから、感覚がいまいち掴めない。

 そんな話をする中、自転車を押しながら歩く二人の横を二人乗りをしたカップルが颯爽と通り抜けていく。

「通報しないの?」

「こんなことでいちいちしないよ。まぁ、もしかしたら近所のおじさんとかが学校に電話は入れているかもしれないけどね」

 日本の法律も完全には覚えていない。しかし、どこの国でも殺傷はタブーとされているため、涼子にはそのようなことが起きた場合は、抹消をするように言われている。

 他には飲酒と喫煙。魔女はこの二つを好む輩が多い。

「自転車は駅に停めていくから、電車で行こ」

「自転車で行けばよくない?」

「後ろには乗せないよ?」

「いいよ。一駅くらい走るから」

 シャトルランの出来事を思い出したらしい侑希は、「そっか」と小さい声で呟いてサドルにまたがった。

「人間離れした体力、電車賃を浮かすためじゃなくてもっと他に使えばいいのに」

 人間のレベルと比べれば平均より少し上くらいだろう。長く生きるために多少頑丈なだけで、魔法は一切使っていない。

「よーし、競争しよう」

「私のこと何だと思ってるの!? 階段のルート選ぶよ」


 オレンジ色の自転車を追いかけて行った先は、初めて海が侑希と買い物に来た街だ。あの時に言っていたタピオカドリンクを目当てに来たらしい。

「何これ。カエルの卵?」

「やめてよ。飲みづらくなる」

 ミルクティーの下に沈んでいる黒い球体は、海の記憶の中ではカエルの卵が一番近い見た目をしているのだ。

「タピオカだってば。甘くて美味しいよ」

「名前はよく聞いてたけど……」

 太いストローで吸ってみる。これだけ流行っていれば魔女にとって毒ということもないだろう。ポンッと抜けてきた黒い粒は、つるつるしていて噛むと弾力がある。

「おう、確かに甘い」

「そんな勢いよく吸って喉に詰まらせないでね」

「人間は喉に詰まるようなものを作り過ぎだよ」

 自分たちで製造したもので死ぬなんて、自殺行為にも程がある。

「侑希ちゃんのは緑色だね」

「抹茶ラテだから。一口交換する?」

「えっ」

 ピンク色のストローが海の方へ放り出される。

「お先にどうぞ」

 緊張することはない。もう三か月も人間とまともに接してきたのだ。自分に言い聞かせ、緑色が残るストローを吸った。甘いのか苦いのかよく分からないが、タピオカは自分のものと同じ味がした。

「うみちゃんのもちょうだい」

 相変わらず人の二倍かっさらっていく。

「ミルクティーはやっぱり定番だね」

 そうして侑希は、海が口をつけたストローに戻って行く。

「何? じっと見て。もっと欲しいの?」

「ううん。私はそこまでがっついてない」

 一息置いて海も残りのミルクティーを飲んだ。

――やっぱり味分からん。

 さっきまではしていたミルクの味も、タピオカの味さえも無味に感じた。



◆夏休みまであと少し


「廊下めっちゃ暑い……」

 海は暑さに弱く、寒さに弱い。基本的に温室育ちであるため、気温の変化に弱いのだ。その上、日本の夏は暑い上に湿気がすごい。気持ち悪い。

 期末考査後は授業がないため、答案返却はそれぞれ時間が設けられた。全ての答案返却が終わった本日は、前半が交通安全講話、後半が校内の大掃除である。毎日行う清掃は、当番制で掃き掃除程度であるが、大掃除は床や窓の拭き掃除も加わる。教室内も窓は全開にしているものの、エアコンを稼働させれば涼しい風に当たることはできる。

「うみちゃん、やらないと終わらないよ」

 廊下にエアコンはなく、風邪の通りも悪いので暑い。

「掃除って業者がしてくれたりしないの?」

「公立高校だよ。そんなお金ありません」

「文化祭にあんなお金出すのに……」

 文化祭実行委員会という立場により、一クラスあたりの予算、文化祭自体の予算も海は把握している。清掃業者への依頼料がいくらかは知らないが、この一回分は間違いなくまかなえるはずだ。

「文化祭と掃除のどっちにお金をかけるかって言ったら、みんな文化祭だと思うよ。ほーら、手を動かして」

 涼子が散らかし放題にするため、部屋の片づけは海の担当だ。しかし、片づけに関しては海も得意ではないので、人間界であっても魔法を使う。

「侑希ちゃんは真面目だなぁ」

「うみちゃんが不真面目なの」

 魔女の中では真面目なタイプだと自負しているつもりだ。

「でもさ、学校にも掃除機を導入してもいいと思わない?」

「うーん、それは分かるかも。涼子ちゃんに頼んでみたら?」

「あいつに頼んだら、それこそクラス費持ってかれるわ」

 支給された雑巾で窓を拭いても拭いても毛が残り綺麗にならない。

「窓を拭くのに向いてないよね?」

「もう、口より手を動かして!」

 このクラスだけではなく、学年全体が夏休みを前にして浮かれムードなのに関わらず侑希は掃除に対して真摯に向き合っている。

「あら、まだ七組は掃除終わってないんですの?」

「涼子。お前、どうせ掃除してないだろ」

 八組は掃除を終え、部活動組は外へ、文化祭準備組は教室に残り作業を進めているようだ。涼子もおそらく生徒会へ向かうついでに海たちに声をかけたのだろう。

「失礼ですわね。私だってゴミくらい捨てられますわ」

「暇なら七組手伝ってくれ」

「あいにく暇ではないので。侑希、そんなに真面目にやっても大して変わりませんわ。適度に手を抜くのも社会に出たら大事なことですわよ」

 侑希の雑巾を長い手で取り上げ、海に投げつける。

「ちょ、きたなっ」

「カイはそれ洗っておいて。二人共、学園生活は有限なのよ?」



◆日本人の言う休みは休みじゃない


「日本人が奴隷のように働いているのは知っていたけど……」

 夏休み。

 外では野球部、サッカー部、ハンドボール部、テニス部、水球部が練習に励んでいる。毎日毎日彼らは身体を動かしている。校内には楽器の演奏が常にどこかしらから響いている。

 今はちょうど普通棟と特別棟を結ぶ渡り廊下に海一人しかいないが、校内には文化祭の準備のために多数の生徒が動いている。普段と異なるのは、制服ではなくクラス毎にデザインしたカラフルなTシャツを着ていることくらい。今から祭りムードなのかもしれないが、毎日無休で動く人間はとても元気だ。

「人間はどうしてこんなに非効率的なんだ……?」

 たった百年しかないなら、もっと効率的に動くこともできるように思える。そもそも大学を卒業したからと言って平穏に過ごせるわけでもないのに、この学校制度が必要不可欠なものなのか海には疑問である。

「ぁ、若宮さんじゃん!」

 廊下の先から嬉しそうな声が聞こえた。男子の声だ。坊主頭、身長は海より少し高いくらいなので男子としては低い部類だろう。見覚えはあるが名前は分からない。

「どうしたの、こんなところで」

「職員室に寄っていた帰り」

 彼は制服でも、クラスTシャツでもなく、土で汚れた野球部のユニフォームを着用している。

「白石君はどうしたの? 部活は?」

 幸い、ユニフォームに苗字の刺繍があった。

「やー俺、数学の補講があって」

 野球部では一年生ながらユニフォームを纏っていても、勉強は得意でないらしい。

「そう。じゃあ、頑張って」

――あのメガネの先生、なんだかんだやってんだな。

「ぁ、うん、えっと、また! 野球部の練習終わったら文化祭の準備手伝うから!」

 そんなに頑張るアピールを海にしても、「運動部はほんと手伝わない」とお怒りの方たちには届かない。

――あんな太陽の下で限界まで動いて、休みなのに勉強して、無償で利益の出ない文化祭の準備をして、この頃から社会人の根本が出来てるのか。

 今では三か月前が嘘のように使いこなせるようになったスマートフォンで時刻を確認する。職員室に文化祭準備のための出席簿をつけに行っただけにしては時間が経ってしまった。

「うみちゃん、遅かったね。どうしたの? 迷子になった? それとも変な人にでも絡まれた?」

 未だに侑希は、海のことを無駄に心配してくる。

「いやいや。学校で変な人いたらダメでしょ」

「その時はちゃんと通報するんだよ?」

「はいはい」

――殺すなぁ……。

 教室内には近くのスーパーでもらってきた段ボールがあちこちに置いてある。海たち一年七組は、ファンタジー喫茶という飲食店をすることになった。随分と大雑把なジャンル分けにしたように見えるが、クラスメートの意見を総括するには一番いい方法だった。

「侑希ちゃんはウェイトレスやるんでしょ。なんの恰好するのか決めた?」

「決めたよー。でもうみちゃんには内緒」

「えぇ、何で」

 もちろん期待を裏切ることなく海も表の仕事である。できれば調理係に回りたかったが、侑希を含め多数の生徒にウェイトレスを強制された。その代わりタイムテーブルは優遇してもらえたので、当日クラスの仕事は少ない。そして、海の格好も知らされていない。

「大丈夫。メイドなんて安直な格好にしないよ」

と侑希は言うが、どうせろくなことを考えていない。

「若宮さん、脚なっがいね。ウエスト細いしうらやましい~」

 周りの女子生徒が侑希と結託して衣装を用意してくれるようで、頭の先から足の指先まで細かく採寸される。

「若宮さんのおかげで男子もある程度やる気出してくれてるから助かる~」

 そんなにも外国人顔が好きならば、アメリカにでもロシアにでも行けばいい。

「宮本さん、若宮さん。料理レシピをまとめてみたんだけど、規則で問題ある?」

 料理をよくするという生徒数人が、アンケートで寄せられたメニューで実現可能そうなものを文化祭用のレシピに書き出してくれている。保健所との兼ね合いで使用できない食糧や調理過程の制限がある。

「そしたら同じ食材を使ったものを増やした方が回しやすいから……」

 侑希も家では料理の手伝いをするらしく、テキパキと指示を出していく。

「皆〜」

 そんな中、教師らしくない声が届いた。あまりにも死にかけの声に、反応できたのは入り口にいた数人だけだった。

「何してるんですか」

 目の下にクマを作る藍子。手には近くのドラッグストアの袋が握られている。

「これ、皆に差し入れ」

「藍ちゃんせんせーから差し入れだ!」

 近くにいた男子生徒が袋を受け取り、教室の中心にかけていく。海は藍子から手招きをされて廊下に出たので、袋の中身は分からない。

「何ですか。今まで全然顔出さないで。許可取りに行くのも大変だったんですが」

 誰に聞こえているか分からないので、海の口調も一応敬語になる。

「ごめんごめん。今回ちょっと締め切りギリギリで立て込んでるのよ」

「どうせ漫画の方でしょ」

「ははー……ほら、公務員にもプライベートあるから」

「それで何で今日は久しぶりに顔を出したんですか」

「頼れる先生という立場を維持するため、それともう少しよろしくねという気持ちを込めた賄賂です」

「最低」

「そうゆうことだから、文化祭実行委員さん、よろしく!」

 おそらく趣味には魔法を使わないタイプの魔女。だからといって職務放棄はいかがなものか。魔女に倫理観を問うのもおかしいかもしれないが、海は仕事を押し付けられるのが嫌だ。

「よくよく考えなくても、あいつ教員免許持ってないよな……」

 ふらふらと揺れる背中は情けない。

「あれ!? 先生行っちゃった?」

 慌てた様子で侑希が飛び出してきた。

「まだそこらへんにいると思うよ」

「もう!」

 侑希が慌てて階段を降りていく。

――子供なのにしっかりしてんな。

 子供は子供らしく大人に保護下に入っている方が生きやすいと思っている海には、今の生徒主体の学校運営は難しい。

「あっつ……。早く帰りたい」

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