第2619話 73枚目:相対方法

「……。なんで」


 無邪気に人の善性を信じて生きてきたのだろうワタメミには、ちょっと理解が及ばない問題だろう。問題と言うか存在と言うか。


「他の人のものを、勝手にとったら、ダメなのに……?」

「そうですね。ではワタメミ。なんで、他の人のものを、勝手にとってはいけないのでしょう」

「え?」


 まぁ、その答えは正直私にも分からないので、次の問題に行こう。この世界には絶対に相容れない人間と言うのがいるものだ。私にとってのゲテモノピエロとかな。

 そして肝心なのは、相容れない人間を理解する事ではない。理解できないからこそ相容れないのだ。理解しようとする事、それ自体が言っては悪いが徒労でしかない。


「だって、自分のじゃないから。誰かのものなんだから、それを、勝手に持って行ったらダメだよ?」

「何故?」

「……、え?」


 まさかそこで聞き返されるとは思ってなかったのか、恐らく再度ワタメミの思考が止まったようだ。


「だってその方が楽ですよ?」

「え……」

「生きる事が楽になるなら、そっちの方がいいでしょう?」


 そして続いたのは、決まりを破る事を肯定するような言葉。推定神の使いである私がそんな事を言うとは、まぁ、全く思っていなかったんだろうが……うん。そうなんだ。今回は、そこを考えなきゃいけないんだ。


「人は道具を作ります。集団を作ります。そして作るだけではなく調べて挑戦して頑張ります。それはおおまかにまとめてしまえば、今より楽に生きられるようにする為です。……なのに、どうして人のものをとってはいけないのでしょう。絶対にそっちの方が楽なのに」


 当たり前すぎて、忘れられる事もある大前提。どうして社会と言うものを作るに際して、法律と言う膨大で細かく分かれたややこしいものが必要となるのか。

 どうして先人達が、知恵を集めて話し合い、命も魂も削るようにして作り上げ、次の世代に残したのか。決して揺らがないようにしっかりと、けれど細かいところはわざと曖昧に。解釈に困って時には悪用される面倒くさい「決まり事」を、わざわざ身命を賭して作り上げたのか。


「ら、楽でも、ダメだよ」

「ですから、何故?」

「だって……だってそれは、頑張った人が、頑張ったから持ってるものだから。頑張ったのに、持てなかったら、とられちゃったら……誰も、頑張らなくなっちゃう」


 そう。

 つまりは、そういう事だ。


「誰も頑張らなくなったら、どうなるでしょう」

「……皆が皆からとりあって、誰も作らなくなって……何にもなくなっちゃう。ご飯も服も無くなったら、誰もいなくなっちゃう……」

「そうですね」


 まぁもうちょっと、それこそ罪に対する罰は過剰ではいけないとかそういうのもあるが、一番肝心なのはそこなので良しとする。

 さてここで問題は、と、今度は忌々しそうな目でワタメミを睨む、イーゴルという男へ視線を移した。


「だからこそ助け合う事を善として、奪う事を悪とする訳です。ただし時折、それを理解した上で、知った事ではない。自分だけが良ければそれで良い。そう考える人間がいます」

「……」

「何故そう考えるのかは私にもわかりません。ですが歴史を紐解けば、奪うばかりで国を傾けた暴君はそれなりに存在しています。よって、そういう人間は、必ず世界のどこかに存在するのです」


 私の視線を追って、ワタメミもイーゴルという男の方に向いた。恐らく目が合ったのだろう。ワタメミの震えが大きくなったが……。


「話をする事は大切です。しかしそれは両方に話をしようという気がある時だけ。では、ワタメミ」

「はい」

「話をする気が最初から全くこれっぽっちも無く、偽り騙し潜んだ挙句に不意打ちでこちらを害そうとするような相手には、どういう風に相対すればいいでしょうか?」


 防御魔法の内側に座り込んでいたワタメミが、ちょっとふらつきながらも立ち上がった。緑色の鈴を鳴らし、ちゃんと両足で立って、今度はワタメミの方から、イーゴルの視線を見返す。


「……戦います。お話しする気が、向こうに全然ないのなら……ちゃんと頑張る人は、頑張った分だけ、守られなきゃいけないから」


 うっかり忘れそうになるくらい、普段は意識しない大事な事だ。最終手段だけれども躊躇ってはいけない、難しい選択肢だ。

 ……ほんと、現代社会の教育機関はよくできてるよな。先人に感謝しかない。人に教えるって難しいんだが。

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