第2618話 73枚目:人について

 修業とは、と、まぁ控えめに言って唐突に聞かれたワタメミは、それでも自分の頭でちゃんと考えた。根っから素直な子だし、頭の回転も悪くないんだよな。闇堕ちした世界線だとほんと厄介だったからよく知ってる。


「修業……修業は、メミみたいな修神おさめがみが、神様になる為に必要なことだよ」

「では、一体どういう事をすれば修行になるのでしょうか?」

「それは……いい事をする! 皆を元気にしたり、困りごとを解決したり、色んな村にいって、色んな町にいって、いっぱいいい事をする!」


 うん。間違ってはいない。

 間違っては、な。


「ではワタメミに問題です。1つのパンがあったとして、お腹を空かせている人が2人います。どちらにパンを与えるべきでしょうか?」

「パンを2つにして、両方にあげる!」

「素晴らしい。ですが、お腹を空かせている人の内、片方はちょっと小腹が空いているだけで元気であり、片方は今にも倒れそうなほどふらふらしています。その両方にパンを与えるのは、良い事ですか?」


 その判断に躊躇いが無かったのも含めて素晴らしいんだが。私が条件を追加すると、流石にワタメミも困ったようだ。


「それは……それは、すっごくお腹減った人に、全部あげた方がいいと思う……」

「何故です?」

「だって、元気な人はパンを食べなくても大丈夫だけど、ふらふらしてる人はパンを食べないと、倒れちゃう」

「そうですね」


 まぁそれはそう。人を助けるという意味では、普通の倫理観を持っているならそうなる。……まぁ実際のところ、神であるならそれでも両方に同じだけ与えるのが正しいって気もしなくは無いが、それはさておき。


「では。ふらふらしている人が、お腹を空かせるという罰を受けている状態だったら?」

「……、え?」

「罰の理由は盗みです。被害者は小腹が空いた元気な人で、盗まれたのはパンが1個。盗んだ人はそのパンをもう食べてしまって、パン自体は戻ってきません。さて、どちらにパンを与えるべきでしょうか?」


 至極単純な問題だ。法律と言うもの、いやもっと根本的に、社会という物を維持するのであれば。

 パンを加害者に与えてしまえば、罰が成立しなくなる。一方被害者に与えれば、盗まれたものそのものではなくても盗まれたものが戻ってくる。困窮しているのが加害者の方、という一点を除けば、いや除かなくても、迷う必要は無いし、神である以上間違ってはいけない。


「……な、なんでその人は、パンを盗んだの?」

「美味しそうに見えたからだそうです」

「え……。あ、そ、その人は、前からお腹が減っていたの?」

「いいえ。小腹が空いた人と同じくらい毎日ご飯を食べられていました」


 答える前に質問。それもまた良し。間違ってはいけないが、情状酌量っていうのは有りだからな。だが今回、そういう余地は一切ないものとしておく。だって相対しているのは、そういう相手だからな。少なくとも、分かっている範囲では。


「……パンを食べちゃった時は、お腹が減ってたの?」

「どうでしょう。でも、少なくともふらふらする程減ってはいなかったでしょうね。それこそ精々、小腹が空いた程度です」

「……その人は、人のものを取っちゃダメって、知らなかった?」

「知っていました。ついでに言うとその両者はたまたますれ違っただけの他人です。恨みも恩もありません」

「お、美味しそうに見えた、っていうのは、本当?」

「分かりません。本人はそう言っていました。人の心の中は覗けませんから、それが本当か嘘かは本人にしか分かりません」


 うん。理解が追いついていない顔をしている。運命力か、それとも誰かが守っていたか。あるいは遭遇しても……傷つけられても気付いていなかったか。

 そうなんだよ。いるんだよな、人間の中には。

 心の底から何の躊躇いもなく、何なら特に理由もなく、他人から奪える人間っていうのが。

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