第2591話 73枚目:夜の始まり
え。と呟いたものの、アレリーは状況を理解できていないのだろう。そうだな。まさか今日の昼頃までは、いや、さっきの夕食の時までは何事もなく平和だった街が、いきなりこんな炎に包まれるなんて思わないよな。
実際私も思わなかったし、第一、私が確認した騒ぎっていうのは、この街を焼く炎
「そ、んな、どうして……!」
「あれは幻覚ですよ、アレリー」
「……、え?」
冷静に。というか、人をすり抜けるような状態でも私の耐性は健在だ。実際、私には炎そのものは見えていない。ただ、炎を模った何らかの力が街を覆っているのが、魔視によってみえている。だから恐らく、アレリーには街が燃えているように見えるのでは、と推測しただけだ。
それに、実際炎が見えていたとしても、私が慌てる事は無かっただろう。それはそうだ。だってこの街は、あの岩山の恩恵を存分に受けている。
「冷静に考えて下さい。思い出してください。あなたの大好きな街は、白い石で出来ているでしょう? その子と同じく」
「え、えぇ」
「では。この街に恵みをもたらし、アレリーやアレリーのお父様が祀る神というのは、炎で燃えるのですか?」
「……。あら? そうね? 神様は石だもの。石は燃えないわ」
そう。どこもかしこも、あの白い石で出来ているのだ。こんな派手に燃える訳がない。それこそ街中に油を撒いておけば別だが、この白い石は断熱性能が高い。すなわち、家の中に籠っていれば焼け死ぬことは無い。
酸欠にはなるかもしれないが、だとしても周囲には何も無い。炎が起きれば風が生まれる。対流が必ず起きる以上、いっそ燃え尽きてしまった方が早く状況を確認できるとすら言えるだろう。
だから、炎が見えたとしても、何故? と首を傾げる事はあっても慌てる事は無い。通りに布を広げるタイプの露店もほとんどが引き上げた後の時間で、こんな規模で燃える訳ねーだろ。が先に来るからな。
「それに、こんな大きさの炎があれば、ここまで熱が届いて暑くて仕方ないです。真夏の昼間よりもさらに暑いでしょう。のんびり眺めている余裕なんてありません。あっという間に汗だくですよ」
「そ、そんなに? でも、それならこれは、どういう事……?」
「さて。とりあえず、アレリーは一旦部屋に戻りましょうか。あの炎が幻である以上、夜の空気は冷たいので。風邪を引きます」
おろおろと不安そうなアレリーには悪いが、窓を閉めて部屋の中に戻ってもらう。一応カーテンも閉めてもらった。扉も窓もすり抜けられないのに触っても動かせないから、出入りが大変なんだよな。
さてここでもう一度周囲の様子を確認。ばたばたと人が動いている気配もするし、それを落ち着かせたり指示を出したりしているらしい声も聞こえる。ステータスの暴力は便利だな。実質広範囲探知が素で出来るんだから。
だから、この部屋に近づいてくる気配も分かっていた。残念ながら魔視は直接見ないと分からないので、相手が纏う力場っていうのは壁越しでは分からない。
「――[ロック]」
のだが、まぁ、流石に最初から警戒していた相手であれば、その足音を聞き分けるぐらいは出来る。出来るようになったというか、出来るように訓練したというか。ほら、赤の他人でも直前にすれ違ってたら、写真を見せられても見覚えがあるって言えるし。
なので、ぼそっと声自体は小さく、しかし込める魔力は最大限にして、部屋の扉に魔法的な鍵をかけた。いやぁ、魔法が使えて良かったよ。魔法が使えず人もすり抜けるとなれば、アレリーをどうやって守るかだいぶ困ったからな。
「っ!? な、お嬢様! お嬢様!? 無事ですか!?」
「あら? 私、鍵は掛けたかしら?」
「夜は鍵をかけた方がいいですよ。あとアレリー、あの声には応じなくていいです」
「え? でも……」
「大丈夫です。何せ本来、アレリーはもう寝ている時間ですからね」
大丈夫大丈夫とアレリーを宥めつつ、【無音詠唱】を使って扉の前で何か叫んでいる言葉をフェードアウトさせる。それで立ち去ったと思ったのか、アレリーは素直にベッドの中に入ってくれた。
白い石の方……は私にはよく分からないが、とりあえずこれといって目に見える変化は無いから、たぶん大丈夫だろう。
そこまで確認して、さて、と扉の方を振り返る。……あの、しつこくアレリーに声をかけ、この部屋に押し入ろうとしている、弟子占い師をどうしたものか。
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