第8話『その約束は』
ぼんやりと暗闇に浮かぶスマホの画面が夜の12時を指していた。
それを一瞥して、オレは頭まで被っていた布団をさらに深く被る。
ずっと手に持っていたお札の貼ってあるクナイを強く握りこむ。これだけは絶対に手放さないように強く、強く握る。
『近いうちに殺しに来ますからね』
真琴の声を思い出す度、心臓が早鐘のように動いて息が苦しくなる。大きく、ゆっくりと呼吸をしていく内に気持ちが落ち着き、息苦しさもなくなった。
あいつは言葉通りオレを殺しにくるだろう。それが影の……真琴の目的なんだから。オレはあの現場を見てしまったから口封じとして殺されるのだろう。
だが、オレだってそうやすやすと殺されるわけにはいかない。 あいつがいつ来ても対処できるようにオレはベッドの上で神経を集中させながらじっと待ち続ける。現れた瞬間、このクナイで一気にカタをつけてやる。朝の時は逃げてしまったけど、もうそんなヘマはしない。必ずあいつよりも先に殺してやる。
1時間、2時間。無音の世界で時間だけがゆっくりと過ぎていくが、真琴は姿を現さない。オレが眠るのを虎視眈々と待っているのか、何かが入って来た音すらない。
眠っちゃいけないのに、気を張らないといけないのに、自然と瞼がゆっくりと降りてくる。そういえば、ここ最近あまり眠れてなかったな……。暗い部屋を見ていた視界がさらに暗くなってそのままゆっくりと首が前に傾き慌てて目を覚ます。必死に頭を振って纏わり付く睡魔を飛ばそうとするけれど、しばらくすると風で飛ばされたホコリのように睡魔は戻ってきてオレに襲いかかってきた。
「も……無理……」
振り払っても諦めることなくやって来る睡魔にいつしかオレは抵抗することを忘れ目を瞑る。睡魔の進行を許したオレは驚くほど早く、そのまま眠りの世界へと堕ちていったのだった。
「……ん」
何か圧迫されるような息苦しさに目を開ける。視界に入ってきた姿に頭が一瞬で覚醒した。
「ま、こ……と」
声を出そうとしたけれど上手く出なかった。その原因である真琴は細い手のどこにそんな力があるのかオレの首をがっちり掴んでいる。息苦しさを我慢しながらオレは手に持っていたクナイを振るおうとして、手に何も握ってないことに気づいた。
どういうことかと目を向けると、クナイは少し離れた場所に転がっていた。眠った時に手放したことに歯噛みしながら手を伸ばそうとするけれど、人差し指の先がギリギリ触れるくらいの距離で掴むことは出来なかった。
「く……」
オレの首を絞める力が強くなる。酸素が徐々に細くなっていくような気がして苦しくなってきた。首を掴んでいた真琴の手を握ろうとしたけれど、オレの手は霞を触るように何も掴めなかった。あちらは掴めて、こちらからは掴めないなんて不公平すぎる。
「あは」
にっこりと笑う真琴に背筋に冷たいものが走る。口は笑みを作っているのに、瞳孔の開いた瞳はまったく笑ってなくオレを捉えていた。これが真琴なのか?
「一緒に……ずっと、一緒に……ね?」
本物の幽霊のような不気味さを持つ真琴はうわごとのように同じ事を呟き、力をさらに強くする。
「が、あ……」
さらに気道が狭まれる。体内に残っていた酸素がなくなっていき頭の中が真っ白な靄に包まれていく。ちくしょう……。こんなにも呆気なく死んでしまうのかよ……。不気味な笑顔を浮かべながらオレを見下ろす真琴を睨みながらオレは死を覚悟する。
「やっぱり……。私がいなくなったら貴女は現れるんですね」
聞き覚えのある声と同時に、オレの首を絞めていた手の力が緩んだ。少しだけ開いた気道から酸素が流れ込んで白くなっていた視界が戻る。オレの上に乗っていた真琴の胸には、転がっていたあのクナイの切っ先が突き刺さっていた。それを突き刺した人物が真琴の後ろに立っているのを見てオレはその人物に目を見開いた。
「お……まえは……」
オレの言葉と同時にクナイで刺された真琴が振り向き、驚いたように目を見開く。
「真……琴?」
クナイを突き刺した忍者装束姿の真琴は、冷たく、それでいて真剣な眼差しでオレと目の前にいるもう一人の自分を見ている。
「どう……して……」
尋ねるようなオレの呟きは誰も答えてはくれず、空気と一緒に消えてなくなった。クナイを刺された方の真琴は刺された胸を押さえながら刺した自分を睨み付ける。
「ひ、きょう……者」
憎悪に満ちた瞳で冷たい目をしている自分を捉える。怒りや恨みが混ざったように、ギラギラと光っていた。
「卑怯者! 卑怯者! 卑怯者!」
敵意をむき出して、怨嗟のような言葉を吐き続ける真琴に、もう一人の真琴は無表情のままゆっくりと首を頷く。
「そうですね……。私は卑怯者です。大切な人を利用して、偽ってきた卑怯者です」
でも大丈夫。と少しだけ表情を緩ませて、
「心配しなくても、私もすぐに追いかけますから」
そう言ってクナイを引き抜く。瞬間、クナイが貫いた胸から砂のような粒子が真琴の胸からこぼれだした。
「あ、ああ、あああああっ!」
真琴が悲鳴をあげながら、漏れ出す粒子を止めようと自分の胸を押さえるけれど砂のように細かい粒は、その押さえた手の指からもこぼれだしていく。
「あ……かず、き……さん」
真琴がオレを見て手を伸ばしてくる。今にも泣きそうな辛い顔をしている真琴に、心臓がずきん。と痛みが走り、オレはその手を取ろうとゆっくりと伸ばす。
「ダメです!」
それを止めるようにもう一人の真琴の鋭い叫びが聞こえて、動きが止まった。
「その手を取らないでください!」
「邪魔……しないでっ!」
辛そうな顔をしながら、刺された方の真琴がもう一人の真琴を睨み付け、再びオレに顔を向ける。
「一緒に……行きましょう? 私と、一緒に」
縋るような彼女の目を見つめる。が、オレは伸ばそうとしていた手をゆっくりと降ろして、首を横に振る。
「どう、して……」
「ごめんな……。オレはお前と一緒にいてやれないんだ」
瞬間、真琴の顔が泣きそうに歪み、そしてそのすべてが小さな粒となって空気と一緒に消えていった。
「お、おい! 真琴!」
消えていった自分を最後まで見送って、真琴が持っていたクナイをしまってベランダの方へと歩いて行く。
そのまま出ていこうとするのをオレはベッドから降りて真琴の前に立ちはだかった。目の前に立ったオレに、真琴が不愉快そうな目でこちらに向けてくる。これみよがしに大きなため息までつかれた。
「なんですか? 朝のことでも思い出して、まだ私を傷つけたいんですか?」
「疑って悪かった。ごめん」
真琴の皮肉を無視して頭を下げる。オレの行動が予想外だったのか、真琴の狼狽えたような声が聞こえた。
「な、なんですかいきなり。私が和樹さんにしたこと、忘れたんですか?」
「分かってて謝ってんだ。本当にごめん。真琴のこと、良い奴だって言ったのに」
頭を下げたままさらに謝る。今真琴がどういった表情をしているのか分からない。確認したいけれど、見たくない気持ちもあってかどうしても顔を上げられなかった。
しばらくの沈黙。空気も重く、真琴からの言葉もなくてこれはこちらから何かを言うべきかと、次の言葉を紡ごうかどうか悩んでいると、くすくすと笑う声が真琴から聞こえた。
「本当にお人好しですね、和樹さんは」
おかしそうに笑い続ける声に柔らかさを感じてゆっくりと顔を上げる。
「謝るのは私の方なのに。和樹さんを騙して怒らせて、囮にも使ったのに」
「それでも、助けてくれただろ? やっぱり良い奴じゃないか」
その言葉にキョトンとした顔をした真琴だったが、2、3秒後に再び笑い出した。お腹を押さえながら本当におかしそうに真琴は笑い続ける。
「どれだけお人好しなんですか、和樹さんってば」
あははは。と笑いながら話す真琴。涙まで浮かべながら笑い続ける真琴に、オレもおかしくなんてないのに笑い出す。真琴のその笑みは朝の時とは違う、本心からの笑顔だった。
ひとしきり笑って目尻に浮かんだ涙を拭いようやく真琴は落ち着いた。
「本当にお騒がせしました。もうこれで和樹さんが命を狙われることはありませんから安心してください」
「結局、あの真琴は何者だったんだ? お前はもしかしてあれを探してたのか?」
オレの質問に真琴はしばらく考えてから頷いて説明してくれた。
「あれは――私の一部だったんです」
「真琴の……一部?」
「はい。やり残しのある私。死を認めたくない私。そんな私の欠片達が影のようになって、和樹さんを連れて行こうとしていたんです」
「連れて行くって、どこに?」
「もちろん死者の世界ですよ」
何当たり前なこと聞いてるんですか。みたいな表情で言われても全然怖さは薄れなかった。というかむしろさらっととんでもないこと言われて肝を冷やしたぞ。
「私はずっとその影、つまり私自身を連れ戻していたんです」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
あわてて真琴の説明に待ったをかける。
「なんであの真琴はオレを連れて行こうとしたんだ? オレ達ってそんなに仲が良かったのか?」
確かに真琴にも鈴さんにもオレと真琴は一度会ったと言われたけれど、たったそれだけで仲良くなるとは思えない。大体出会った時のことすら覚えてないということは、印象の薄い出会いだったんじゃないか。
「それは……」
真琴は再び考えるように顎に手を当てる。まるでその時のことを思い出すように視線を明後日の方向へと向ける。
「――秘密です」
舌を少し出していたずらっ子のような顔で笑った。
「は? なんだよそれ。教えろよ」
「 ダメです」
「いいから教えろって」
「だからダメでーす」
どれだけ教えろと言っても真琴は何故か頑なに教えてくれなかった。一体どういうことなんだ。
「って真琴……。お前……」
暗かった部屋に突然ぼんやりとした光が輝き出したと思ったら、真琴の体が淡い光に包まれてさっきの真琴と同じように粒子へと変わり始めていた。
「もうそろそろお別れのようですね」
特に驚くこともなく、崩れていく自分の体を眺める真琴。
「お別れって……心残りとかはないか?」
何気なく尋ねた質問に、真琴は口を開くけれどすぐに閉じて、首を横に振った。
「いいえ。短かい間でしたけど和樹さんと一緒に入れてとても楽しかったですよ。和樹さんの方はどうでしたか?」
「……まぁそうそう経験できない経験が出来た。かな」
「もっと喜んでくださいよ」
「これでも喜んでるほうなんだよ」
そう言って二人で笑い合う。真琴の体がより薄くなっていく。どうやらもう時間はないらしい。
「なぁ……最後に聞いても良いか?」
「はい。なんですか?」
首を傾げる真琴にオレは、少しだけ時間を空けて、
「どうしてオレを守ろうとしたんだ?」
「そんなの決まってるじゃないですか」
それはですね。と真琴は前置きをして、
「――――――」
声が聞こえず、真琴の口だけが動き、真琴は笑顔を残してオレの前から消えていった。
彼女の存在の残滓が空気に紛れて消えるのを最後まで眺めて、オレはその空気に目を向けて、
「もっとはっきり喋れよ……」
そう呟いて、力なくベッドに倒れたのだった。
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