第7話『Which is true』
「真琴が、この前亡くなった……」
鈴さんの言葉に、少しだけ声が震えているのが自分でもわかった。
「えぇ。交通事故でね」
鈴さんが目を伏せて頷く。その言葉と表情からほんの少し期待していた、ただの冗談という考えはなくなった。第一、久しぶりに会った相手にそんなキツいジョークをかませる人などいないだろう。
「でも真琴は……」
今まさにオレといるんです。と言いかけて止めた。自然と口を閉じて言葉も止まる。
「でも、嬉しいわ。真琴の事を覚えてくれてて……」
言いながら、抑えていた気持ちがぶり返したように鈴さんが目じりにハンカチをあてがう。オレは何も言えない
「良かったら今度、あの子に会いに来てちょうだい。きっと喜ぶから」
優しくぽん。とオレの肩に手を置いて、鈴さんはじゃあね。と去って行った。
その後ろ姿を見送ることしか出来ず、一人残されたオレの足がふらりと力が抜けたようによろめいた。倒れそうになるのを近くにあった電柱に手をついて何とか踏みとどまる。
「どういう……ことだ?」
影の親だと思った人物が、真琴のお母さんで。真琴は実は死んでいた。今までの常識が180度ひっくり返されたみたいだ。
どっちが本当でどっちが嘘なんだ……。真琴が嘘を吐いているのか、それとも鈴さんがオレを迷わせるために嘘を言っているのか。ぐるぐると頭の中で情報が回って、まるでシェイクの波に呑まれたようで気分が悪くなる。
「……ず……さ……」
うっすらとなにかが聞こえる。
「か……きさ……」
女の子の声だ……。
「和樹さん! 大丈夫ですか?」
真琴が心配そうな顔でオレをまっすぐ見つめながら声をかけていた。
「あ、あぁ……。悪い。ちょっと気分が悪くなって……」
何とか口を開いて大丈夫の旨を伝えると、心配そうな顔はそのままだが、そうですか。と納得してくれた。
「そっちは、どうだった?」
オレの言葉に、真琴は申し訳なさそうに首を横に振る。そうか、また逃げられたのか。
「それよりも和樹さんの方です! 気づいたらいなくなっていたし、探しに行ったらここで倒れそうになっていたし。何かあったんですか」
何か。そう言われてすぐに鈴さんの言葉を思い出す。その言葉の真意を確かめようと自然と口が開いた。
「あのさ……」
「はい。どうしました?」
真琴が首を傾げてオレを見る。しばらくオレは口を開いたまま固まって、
「いや……。やっぱり何でもないわ」
結局その次の言葉が出ることはなく、オレは口を閉じて真琴から視線を外す。
「そう、ですか……」
意外にも真琴はすんなりと引き下がった。気になると訴えるような視線は感じるけれど、それ以上何も言っては来なかった。オレのことを信じてくれてるのだろう。
そうだよ。オレは真琴のこと信じるって決めたじゃないか。だったら真琴を疑っちゃいけないだろ。そう自分に言い聞かせる。
ふと、頭の中で薄氷の上を歩くような映像が一瞬だけ頭の中をよぎった。
*****
鳥の鳴き声がぼんやりと聞こえる。
閉め切ったカーテンの隙間から快晴を伝える陽光がオレの顔に差し込んで目が痛い。
「……もう、朝か……」
頭を抱えながら起き上がる。眠りはしたけど頭はまったく休めてなくて気分が悪い。近くに置いていたスマホのロックを解除する。出てきたのは最後に開いていたブラウザページ。
『トラックの衝突事故。女子高生一人が死亡』
開いていたページは最近この町で起きた交通事故のニュース記事だった。
数ヶ月前にトラックが事故を起こした。運転手の不注意が招いた事故らしく、その時居合わせた少女が一人轢かれて亡くなった。
その子の名前は――宇佐美真琴。
初めは同姓同名だと思った。でも、こんな珍しい名前が二人も近い所にいるとは思えない。信じようと思えば思うほど、それを嘲笑うかのように真実がオレを直視させてくる。
どうして真琴は自分が死んでいることを隠していたのか。
どうして自分の親を影の親という嘘を吐いたのか。
考えれば考えるほどに真琴へ疑いが集まっていき、それが気になって気づけば朝になっていた。
「おはようございます。和樹さ……どうしたんですかその顔!」
ベランダから入ってきた真琴がオレの顔を見てぎょっと目を剝いてやってくる。慌ててスマホのブラウザ画面を閉じて後ろ手に隠す。
「いや……これは大丈夫だから」
「全然大丈夫に見えませんよ! 大丈夫ですか? 今日、学校お休みします?」
「だ、大丈夫だって言ってるだろ」
突き放したような声が自然と出てしまい。ハッと口を閉じる。ゆっくりと真琴を見ると、目を丸くしてぽかんと呆気にとられたように口を開けていたが、その表情が次第に曇り始め、
「ごめん、なさい……」
そう言ってオレから少し離れる。
「いや、ちが……」
「先に外で待ってますね」
咄嗟に謝ろうとしたが、それよりも先に真琴は逃げるようにベランダへと飛び出していった。
「あぁ……くそっ」
頭を掻きむしりながら舌打ちと共にこぼす。なにやってんだよ、オレは。
登校している時も自然とオレと真琴の口数はいつも以上に少なくなっていた。真琴は静かにオレの一、二歩後ろをゆっくりとついて来ている。目だけを後ろに向けて様子を見てみると、オレをジッと見つめながら、口を開けては何か言いたそうにするもすぐに閉じていた。まるでこちらの様子を窺っているかのような雰囲気だけは強く伝わる。
「あの和樹さ――」
言葉にする覚悟が決まったのか真琴がオレの名前を呼ぶが、その言葉は途中で切れる。その理由に気づいてオレは辺りを見渡す。そしてすぐに見つけた。無音になっていた世界。ピリピリと張り詰める緊張。オレ達を前方から見ている……影。
「なんであいつがいるんだよ……。今まで夕方くらいに現れてたじゃないか」
「必ず夕方に現れるわけじゃなくて、たまにこう言った例外もあるんです」
すぐにクナイを構える真琴。そのまま攻撃を仕掛けようとしたが、それよりも先に仕掛けてきたのは相手の方だった。
「え?」
いつの間にか距離を詰められていた真琴が、慌てて人影の攻撃を防ぐ。しかし、人影は二手三手と攻撃を仕掛けていく。反撃の隙を与えないと言いたげなその連撃は昨日の真琴と同じ攻撃の仕方だった。そんな影の攻撃に真琴は防戦一方。反撃を試みるよりも早く、相手のクナイが確実に真琴の急所を狙ってきている。
それに真琴自身もどこか動きがぎこちなかった。いつもなら機敏な動きも、今日は反応が遅い。相手の攻撃を食らってはいないけれど、この防戦がずっと続くとは思えなかった。
人影が防御され続けることに痺れを切らしたのか、丸い小さな玉をどこからか取り出して、真琴の前で炸裂させる。
爆竹のような音と共に、中から黒煙が広がった。
「うっ……」
目と口にかからないように腕で煙の侵入を防ぐ。ゆっくりと目を開けて周りを確認してみるが、辺りは真っ暗闇のように変質して足元すら見えないでいた。
「無駄です。私に煙幕は効きません。貴方の姿は見えてますよ」
真琴の鋭い声がどこかから聞こえる。でも近くにいるのか遠くにいるのかはまったく見えない。
「あ、待ちなさい!」
どうやら相手が逃げのか、真琴が追いかける足音が聞こえて消えた。
「ま、待ってくれ、真琴」
腕で口を守ったままだったからくぐもった声を出しながらオレは反対の手に壁を置いて、勘を頼りに真琴を追いかける。障害物に用心しながら進んでいき、ようやく煙のない場所へと出てきた。鼻と口から新鮮な空気が入ってきて煙で汚れた肺が綺麗になった気がした。空気に味なんてないと思ってたけど、その考えを改めることにする。
「真琴! 真琴、どこだ?」
名前を呼びながらオレは走る。どこにいるのかなんて分からない。それでもオレは真琴の名前を叫ぶのを止めない。
曲がり角に差し掛かり、そのまま曲がる。
「まこ……と……」
眼前に広がる光景に言葉が尻すぼみになって足が止まった。
真琴はそこにいた。でも、その光景に思わず自分の目を疑ってしまう。
視界にいた真琴が、クナイを人影に突き刺している。その影はまるで吸い込まれるようにクナイと通して真琴の中へと消えていった。見覚えのある状況。思い出すのに時間はいらなかった。
目を見開く真琴と視線がぶつかる。お互い言うべき言葉が見つからないのか、ただその場に立ち尽くす。唯一世界が制止していないことを証明していた影が完全に真琴の中へと吸い込まれて形もなく消えた。影が消えたのを見て、真琴は小さく息をこぼして、目を閉じる。
「あーあ。バレちゃいましたね」
あはは。と笑い出す真琴。諦めと、投げやりの成分がそこには含まれていた。
「真琴……これって?」
「分かってないんですか? それとも、分からないフリですか?」
挑戦的な視線を向ける真琴にオレは何も応えられない。そんなオレに真琴がしょうがないですね。と呆れたように言葉を続ける。
「全部私が仕込んだことなんですよ。『影』も『影崩師』もぜーんぶ私が作った嘘です。そんなものも組織もみんな存在しないんですよ」
「じゃあ……お前がもう死んでるのも……」
「本当ですよ。お母さんに会ったんですよね? なんでその時に気づかないんですか」
「それは――」
「あ。もしかして、私の事を信じてくれていたんですか?」
ふふっ。と真琴は吹き出し、口元を手で隠す。
「お人好しですね。まさか本当に私の事を信じてくれるなんて。さすがにチョロすぎですよ、和樹さん」
あははは。と我慢できなくなったのか笑い出す真琴。馬鹿にするような笑い声と表情にふつふつと怒りが湧き、オレは真琴に掴みかかろうと彼女の元へと走って手を伸ばす。だが、手は真琴の体をすり抜けて空を掴み、勢い余ったオレは頭から盛大に転んでしまった。
「和樹さん、人は幽霊に触れないのは常識ですよ」
くすくすと笑いながらオレを見下す真琴が、一本のクナイをオレの近くへと放り投げてきた。見た目は普通のクナイだが、その持ち手にはミミズがのたくったような文字が走る札が貼られていた。
「そのクナイは、特別な霊媒師のお札が貼ってあります。これなら和樹さんでも触れますし、私を刺すことも出来ますよ」
ただ。と真琴は一拍おいて、
「私を信じてくれたお人好しな和樹さんに、私を傷つけるなんて出来るとは思いませんけどね」
人を小馬鹿にするような目を向けて笑う真琴の表情に、さらに内の怒りが燃え上がり、オレは投げられたクナイを握って起き上がり、真琴に向けてその先端を突き出す。
どこに当たるかまったく狙ってなかったクナイは真琴の剥き出しになっていた右腕に突き刺さった。
柔らかい肉を貫く生々しい感触がしっかりと手に伝わって背筋がぞわりと震え、刺さったクナイから赤い血が白い肌を伝って流れ出る。その赤色を見るだけで、頭がくらりとして、思わず悲鳴がこぼれそうになった。
「これで満足ですか? まだ私は元気ですよ?」
挑発するような言葉を投げてくるけれど、真琴の表情は辛そうに顔を歪めていた。そんな表情も、流れ出る血も見たくなくて、オレはクナイを引き抜いてその場から逃げるように走り出す。
「後悔しますよ! 私を殺さなかったことを! 近いうちに私が和樹さんを殺しに来ますからね!」
逃げるオレの背中に聞こえた真琴の声。うるさい、うるさいうるさい! オレはその言葉を聞きたくなくて、耳を塞ぎながら、その声が聞こえない所まで一心不乱に逃げ続けたのだった。
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