第6話 『対面』
「今日も来たな……」
3日も連続で遭遇するとさすがに体も順応してくるのか、なんとなく影が来た。というのが分かってくる。ゆっくりと人間が感知するかしないかの狭間で、自然と音が無くなっていく感覚。例えるならそうだな……スピーカーの音量をゆっくりと下げていくような感じ。オレのいる場所だけが世界から切り離され、どこからか視線を感じて体が痺れるように緊張する。
「現れました……」
真琴の声に顔を上げる。そこには昨日オレ達を襲ってきたあの人影が立っていた。墨が人の形をとったような色にこちらを捕捉する白い丸が二つと鋭い三日月のような口は何度見ても不気味だった。5秒以上目を合わせようものなら気が狂いそうな不気味さだ。自然とあれを見ていた目が横にズレた。
「今日で終わらせます。あの人影を倒して親を見つけましょう」
真剣な表情と声でクナイを構えて戦闘態勢をとる真琴に頷きを返す。
「でも気をつけろよ。またあの獣がでてくるかもしれないから」
「大丈夫です。もうあの獣型はでてきませんから」
「え?」
真琴の口ぶりになにか引っ掛かりを覚える。まるで、その先の未来を知っているような断定のこもった言い方だった。
「なんで分かるんだ――」
「それじゃあ行ってきます」
尋ねようとする前に、真琴が影の方へ向かって走り出した。言葉通り一撃で仕留めようとしているのかその行動に迷いはなく、すぐに攻撃範囲に近づいた真琴は人影の頭目掛けてクナイを振るう。昨日だったら余裕な動きでアレは真琴の斬撃を躱すはず。だが、人影はその攻撃を避けようはせず、代わりに両手に何かを握ってそれを突き出してきた。
瞬間、金属がぶつかる音が静かな世界にこだまする。真琴が自然と眉間に皺を寄せた。
「クナイ?」
人影は真琴が持っているのと同じクナイを構え、彼女はその攻撃を受け止めていた。しかし、真琴はすぐにバックステップで距離をとった後、再び接近戦を仕掛ける。
胸、腕、足、そしてまた頭と休むことも、一息吐かせることない連続攻撃でクナイを走らせる真琴。振るう度に走るクナイの軌道が光のように重なってその手数の多さで圧倒する。さすがの人影もこの攻撃の雨を防ぐことはできないだろう。なんて考えは秒で消えた。あの人影は真琴の目にも留まらぬ連撃を表情一つ変えずにクナイで受け止め続けている。真琴が時折挟むフェイントをかけた攻撃にも即座に対応するほどの反射神経も持っており、未だに真琴は一撃もあの影に入れることは出来てなかった。
目に見える相手の実力に戦況は少しだけだがあの影の方に傾いている。だがオレはそんな光景でも不安は覚えない。なぜなら真琴は言ったのだ。
信じてくれる限り、誰にも負けないって。だったらオレは真琴を信じるだけだ。必ずあの影に勝つと。
唯一の音である止まない金属音をBGMに心の中で真琴に応援のエールを送りながら二人の
「……あ」
その姿に視線が真琴からその人物へと移動する。
風になびく黒い長い髪。日の光をあまり浴びてないような白い肌。慈愛の女神のような横顔。その表情はあの時見た写真と何も変わってなかった。
「影の……親……」
そこにいた女性は真琴から教えられた、影を産み出す元凶。真琴が追っているというこの事件の犯人。それが今まさに現れたのだった。
「まこ――」
すぐに真琴を呼ぼうとしたけれど、彼女は目の前の影との戦闘で集中している。下手に声をかけたら戦況が完全に覆されかねない。
だったら。と一歩踏み出す。
『もしもこの人と出会った場合。必ず逃げてくださいね。出会えば和樹さんは間違いなく襲われますから』
二歩目を踏もうとしたら、真琴の言葉を思い出して、ピタリと足が止まった。
オレが追いかけていって相手になるのか? 相手は影を作り出す親玉なんだぞ。やっぱりここは真琴を待つべきじゃないか?
問いかける答えを求めるようにちらりと真琴の方を見やるが、やはりオレの方に意識を向けるほどの余裕はないらしい。そんなオレ達を、彼女は待ってくれるわけもなく、その姿が遠くへと見えなくなる。
もしもここで見逃してしまえば、もうチャンスは来ないかもしれない。
あの無音の世界は影を中心に作られているものらしく、真琴と現在戦闘中の影から離れると、下げられていた世界の音がゆっくりと大きくなって、すぐにいつもの世界に戻った。
それよりも今は彼女のことを優先にして、電信柱の影に隠れながら窺うように彼女の動向を探る。さながら気分はスパイや探偵の気分で少しだけ気持ちが昂るが、深呼吸して落ち着ける。見つかると死ぬかもしれないのに浮かれちゃダメだろ。
反省しつつも逐一様子を観察するが今のところ目立った動きはない。影を産み出す素振りもなければ人に襲いかかる様子もない。
危険かもしれないけど、もっと近づいてみるか。ひとつ深呼吸してオレは隠れていた電柱から出てきてゆっくりと空けていた距離を縮めようとしたら、
「ワンワンワンワンワンッッ!」
「ひっ!」
突然、通りがかった散歩中の犬に大声で吠えられて思わず体が飛び上がった。犬はすぐに飼い主に
彼女の顔が、オレを見ていた。
しまった。と思った時にはもう遅い。逃げようと考えるもすぐに無駄だとその考えを捨てる。
彼女がオレに狙いを定めたようにジッとこちらを見つめながらゆっくりと近づいてくる。ごめん、真琴。オレが早まったから……。オレのために戦っている真琴に心の中で謝罪しながらオレは目を瞑る。彼女が近づいてくる音が大きくなってくる。その度に心臓の音もバクバクと大きくなる。そして、足音がピタリと止まると、目の前に人が立っている気配を感じた。彼女はオレをどうするのだろうか……。ひと思いに殺すのか、それとも嬲るように殺すのだろうか。どちらにしてもオレが死ぬのは変わらないだろ。と冷静なツッコミを入れられるのは、一周まわって落ち着けている証拠なのかね。そんな事を考えていると、
「やっぱり。和樹君だ」
「……え?」
予想外な言葉にオレは思わず目を開ける。目の前の女性は、まるで知り合いと出会った時の親しさでオレに笑みを向けていた。
「久しぶりだね。和樹君」
「なんで、オレの名前を……?」
友好的な表情で話しかける彼女について行けず頭の周りにハテナマークが小躍りしていた。そんなオレに彼女は、そっか。と納得したような顔をして、姿勢を正した。
「私、貴方のお母さんの従姉妹の
女性、鈴さんは苦笑いを浮かべる。オレが一度、この人と出会ってる? いや、今はそれよりももっと重要なことを彼女は言っていた。
「宇佐美……って、もしかして真琴の……」
「……っ。そっか。覚えてくれてるのね……」
オレの呟きに、鈴さんはハッとするような表情をした後、何故か突然瞳をうるませ、ハンカチで目じりに浮かんだ涙を拭いだした。一体どうしたのかと狼狽えるオレをよそに、鈴さんは時折体を震わせながら頷いて、嬉しそうなでもどこか悲しそうな顔をオレに見せる。その表情が何故かオレの頭を心臓に嫌な気持ちを産み出した。
「ごめんね和樹くん」
拭い終わった目元にはまだ残っている涙が残っていた。でもそれを指摘しようはせず、頷きだけを返す。
「あの子も嬉しいでしょうね。和樹君に覚えててもらって」
そう言って、何故か鈴さんは空を見上げる。
「それって……」
言いかけて口を閉じた。その言い方、そしてその表情。それから導き出された答えが頭に浮かんで必死に振り払う。
違う。違う。違う。そんなわけない。そう思うけれど、口はその答えを確かめるように、言葉となって出てこようとする。
「もしかして……真琴は……」
それだけでもうオレが言いたいことは通じたのか、鈴さんはゆっくりと首を縦に振る。絶望がゆっくりと広範囲にオレの周りを包んだ。そんなオレを余所に、鈴さんが口を開く。オレの答えを合わせるかのように、事実をオレに突きつけるようにその言葉をこぼした。
「ついこの前ね……亡くなったの」
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