第5話『それはちょっとのすれ違い』
「おはようございます。和樹さん」
朝。真琴の声で目が覚めた。眼前に真琴の笑顔がぼんやりと映る。
「ああ……」
寝起きで本調子じゃない喉から、しゃがれた声が漏れた。緩慢な動きで起き上がり大きな欠伸をだらしなくこぼしていたら真琴からの視線を感じた。
「どうしたんだよ、オレの顔じっと見て」
「……和樹さん。なんだか元気ないですね」
起きてぼんやりしていたオレに真琴が心配そうな表情を向ける。まだ出会って日も浅いはずなのに、こいつは妙に鋭いところがあるらしい。起き抜けで元気がないなんて判断できないぞ、普通。
「あ〜。昨日ちょっと寝付きが悪くてさ。大丈夫」
当たり障りのない嘘をついて真琴の姿を見る。いつもの露出が多めの忍者衣装がコートから覗く体には昨日の傷なんてまったく見当たらなかった。ハリのある綺麗な肌に思わず見入ってしまいそうになるのを何とか抑える。危ない危ない。また真琴から怒られるところだった。あの恥ずかしそうにする仕草と表情をもう一度見てみたいと思ったけど、ここは我慢だ。
「傷、もう治ったのか?」
尋ねるオレに真琴は、はい。と頷く。いやいや。いくら何でもあのたくさんの擦り傷やらが1日で見えなくなるほどまで治るはずがないだろう。昨今の現代医学はそこまで飛躍的進歩を遂げてない。
「影崩師の中で支給される秘薬を使いましたから。あれくらいの怪我なら1日で治る優れものです」
ふふん。と得意気な表情をする真琴。一体どんな摩訶不思議な薬なのかと気にはなったが、寝起きということもあって詮索する気は起きなかったので、そっか。とオレは呟いて一階へと降りたのだった。
真琴の傷が治ったのは良かったけれど、それでオレの中の問題が解決したわけではない。また次の戦闘が起きれば真琴はオレを守るために怪我をするのだろう。オレが止めてくれといってもきっと真琴は止めないことだけはなんとなくだが分かる。あいつのためにも何か手助けできることがあれば良いのだが、オレにはあの影に対抗できる
だから、あいつ等に立ち向かおう。なんて勇気は残念ながら持ち合わせていない。中学生時代のオレならもしかするとあったかもしれないが……。
学校へ行く準備をしながら、昨日あの人型の影を見て身が竦んだことを思い出す。目が合った瞬間、身体の芯から震える感覚。本能が「あ、コイツはヤバイ」と伝えてくるほどだ。そんな影に戦おうなんて気持ちがやっぱりオレには湧かなかった。敵わない相手には戦いを挑まないというのは基本的な戦術だ。でも、オレのせいで人が傷つくのは見たくない。指をくわえて人が傷つくのを見るのが自分の中で許せないし、我慢できない。でもいざその現場に出くわした時、はたしてオレは傷ついた真琴の前に立って、物語の主人公よろしくヒロインを守る事ができるのだろうか。試しにそんな自分を想像しようとして、ため息がこぼれた。自分のことは自分でしか分からない。とはよく言ったもので、想像するまでもなく、そんな光景は想像できなかった。代わりに少し離れたところで足を震わせるオレの姿ならはっきりと想像できた。
物語の主役のような芸当ができない情けない自分にまたため息がこぼれ、オレは重い足取りで学校へと向かうのだった。
*****
なんだか朝から和樹さんの元気がなかった。これは由々しき事態じゃないだろうか。と和樹さんを起こしてそう思った。私としては元気のない和樹さんを見るのは辛い。だけど、元気がない理由をさすがに聞けなかった。だって、人には誰しも言いたくないことがあるはず。それを裏付けるようにさっき和樹さんに元気がない事を指摘した時、和樹さんは嘘を吐いてた気がする。あくまで気がするだから本当かどうかは分からないけれど……。
もしかして……。と私は一つの考えが頭をよぎったけれど、すぐに否定する。それは絶対ないはず。だって、まだ私と和樹さんが出会って数日だもん。それに授業中とお風呂、それから寝る時以外は和樹さんと一緒に行動していたし、和樹さんが気づいている様子もなかった。だから違う。うん、絶対に違うよ。言い聞かせるように頷いて自己解決する。
でも。それじゃあ元気がない原因は何だろう。思い当たる節を考えながら私は授業中の学校を歩いていた。授業中は影が現れてもすぐに和樹さんの元へ駆けつけられるから基本自由行動をしている。まあ教室にいても和樹さんの邪魔になりそうだったから離れてるだけなんだけど。
考え事しながらぼんやりと気の向くままに歩いていると、いつの間にか人気のない場所にまでやって来ていた。空き教室ばかりの廊下を歩いていたら、私は授業をサボっている三人の男子生徒が集まっているのを見つける。こんな所でサボっちゃって、いけないんだ。なんて、お姉さんぽいことを思いながら彼らを横目に通り過ぎようとして、
「どうしたんだよ。最近お前元気ねぇじゃん」
その言葉にピクンと耳が反応して思わず足が止まった。
「いや……ちょっとさ……」
「この前彼女作ったんだろ?」
「そのことでさあ。そいつが面倒くさい奴なんだよ。あいつ、オレが持ってたエロ本を全部捨てたんだぜ。「私がいるのにっ!」ってメチャクチャ怒ってさ」
「うわ……マジかよ」
「人のすることじゃねえな……」
「だろ? そのくせ、ヤらせてくれるかと思ったら恥ずかしくて出来ないとか言いやがってよ……」
「別れればよくね?」
「でもメチャクチャ可愛いからさ。せめて一度だけでもヤりたいから別れてくはないんだよな……」
「なんだよそれ」
「お前要らないもの捨てられない奴だろ」
「うるせぇな。別に良いだろ」
「ん? じゃあお前、もしかしてずっと溜めてんのか?」
「あー。だから元気ないのか。お前」
「仕方ないだろ。エロ本なんて持ってたら面倒くさいんだよ」
「お前真面目すぎ。適度に発散しないと体に悪いぞ。特に朝はさ」
「そうだけどさ……」
「だったらバレないように貸してやるよ。さすがに可哀想だわ」
「あ、じゃあオレも貸してやるか。親友の施しにむせび泣けよ」
「お前ら……」
「ならちょっと取りに行くか。行こうぜ」
そう言って三人組は私に気づくことなく立ち上がって去っていった。
「…………うぅ」
誰もいなくなった廊下にしゃがみこむ。顔が自分でも分かるくらい熱い。思わず触っていたほっぺたから熱さが伝わってくる。熱でもあるんじゃないかってくらい熱い。きっと鏡で自分の顔を見たら耳まで真っ赤になってるはず。
「男の子って大変なんだ……」
彼らの話を思い出す度に引いていた顔の赤みがぶり返したように濃くなっていく。私は一人っ子だったし、周りに近しい男の子もましてやお付き合いをしたことをないから詳しくは知らないんだけど、今の話ってそう言う意味……なんだよね。
「じゃ、じゃあ……もしかして、和樹さんの元気がなかったのって……」
はっ。と気づいて起き上がる。もしもあの言葉が正しいなら、今日の朝、和樹さんの元気がなかった理由って――。
*****
朝からずっとオレの悩みの種になっていた問題は、オレには無理。という答えが出ているのに、依然納得がいかないしこりを残したままオレの中で燻り続け放課後を迎えた。
「はあ……」
「あ、あの。和樹さん」
ため息をこぼしながら学校を出た所で、真琴から声をかけられる。
「何かあったんですか?」
「……何かって。なんだよ、藪から棒に」
「いえ、その。やっぱり朝から元気がないような気がして……」
少しもじもじとした様子でオレを見つめる真琴。もしかしてオレの悩み事に気づいたのか? まあ朝からあんなに露骨な態度していれば気がつくよな。隠すならもっと明るく振る舞うべきだったと反省する。
「やっぱり分かるか?」
真琴は小さく、こくん。と首を動かした。
「その……辛いんですか?」
「あぁ。辛いな……」
傷ついてる真琴を見るのもだし、今こうやって考えてることも辛い。
「でも、ガマンできないんだよ」
「ガ、ガマンできないんですかっ?」
驚いたように声を上げる真琴。別にそこまで驚くような事じゃないだろ。
「でも、まだこの場で出来るって言えるほどの勇気がオレにはないんだよな」
自虐的に言って苦笑いを浮かべる。傷ついてる真琴は見たくないけれど、影に立ち向かえる勇気はないなんて情けないな……オレ。ちょっとブルーになりそうだ。
「あ、当たり前ですよ!」
しかし真琴は笑うのでも、情けないと怒るのでもなく、同意するような言葉を返してきた。その優しさに甘えそうになるけれど、オレはぐっと拳を握り真琴を見つめる。
「だけどさ。遠くない内にでもそれを実行したいと思ってる。それだけは自信を持って言えるんだ」
「じ、じじ実行するんですか?」
なぜかオレの言葉で顔をリンゴのように真っ赤に染める真琴。なんだ? さっきから真琴の反応に違和感を覚えるぞ。
「なんでそこで赤くなるんだよ。別に変なこと言ってないだろ?」
「あ、赤くもなりますよ! そんな破廉恥な事を堂々と言われたら」
頭から湯気でも出るんじゃないかというくらい顔をさらに赤くした真琴がオレを睨みつける。いや、それよりも、なんて言った? 破廉恥?
「……は? オレ、いつそんなこと言った?」
「さ、さっきから言ってるじゃないですか。わ、私が来てからずっと監視してるから、その……発散できないんでしょう?」
「発散できないって、何をだよ」
その返答は予想外だったらしく、真琴の真っ赤な顔がさらに濃くなっていく。
「だ、だから…………ですよ」
明後日の方を向きながらごにょごにょと口ごもる。
「ごめん、聞こえないんだけど」
「だか、だからっ! 男の子は定期的にエッチな欲求を発散しないと辛いんですよねって言ってるんです!」
「は? はぁっ?!」
思ってもみない真琴の爆弾発言に、思わず大声が出て周りの生徒がオレを見てきた。叫んだ口を押さてて急ぎ足で人気のない場所まで向かう。
「な、何言ってんだよお前!」
「だって、男の子はそうなんですよね? で、でもだからってこの場で発散するのだけはやめてください!
和樹さんが捕まるのだけは私見たくないですから!」
「す、するかよ、バカっ!」
真琴が言っていたことを想像して思わず声を荒げる。いくら性欲が我慢できなくなったからって外で処理するほど飢えてないぞ。
「大体、どうしてそんな話に繋がるんだよ」
「他の男の子が言ってましたよ。元気がないのは、その、溜まってるからって。特に朝は発散しないと辛いんだって。今日の和樹さんも元気なかったし……。私が毎日一緒にいるから発散できないのかなって思って……」
そういうことかよ。と思わず手で顔を覆う。真琴を見ると恥ずかしさを振り切っているのか耳まで真っ赤になって茹でダコ状態になってる。どうやらこう言った話は免疫がないらしい。まぁオレも下ネタが好きってわけではないが。
「オレが元気なかったのはな、守ってばかりの自分が歯がゆかったことなんだよ」
周りくどく言っていたのが原因だったので、恥を呑み込んで素直に理由を口にする。
「初めて出会った時も、昨日もずっと真琴に頼りっぱなしでさ。オレもあの影に立ち向かいたいって。真琴の助けになりたいって思ったんだよ」
「そんな……。これは私の仕事だから気にしなくても……」
「そうなんだけどさ、やっぱり守られてるばっかりじゃ嫌だなって思ったんだよ。でも、いざ実際に向き合った時多分オレは昨日みたいに1歩も動けない気がするんだ。……情けないよな」
「……そんなことありませんよ」
自虐的に笑うオレに、真琴はオレと同じく笑うのではなく、優しい声を返してくれた。
「和樹さんは私のことを信じてくれている。それだけで私にとっては十分すぎるくらい助けになってるんですから」
「そんなことな――」
「ありますよ」
真琴の声がオレの言葉を止める。
「知ってますか? 昔から人って、守るものがあるほど強くなれるんです。和樹さんが私のことを信じてくれる限り私は誰にも負けない強さを貰えるんです」
「でも、それで怪我するお前を見てられないんだよ」
「え?」
真琴がキョトンとした顔で瞬きを二三回繰り返す。その反応と自分がこぼした言葉が恥ずかしくて明後日の方向に視線を逃がす。
「……優しいですね。和樹さんは」
まるで自分に言い聞かせるような柔らかい言葉を真琴はこぼし、
「心配しないでください。私にとって、あんな怪我は怪我の内に入りませんし、痛くありません」
だから。と真琴はにっこりと笑って、
「これからも私のことを信じてください」
ね。と首を傾ける真琴。怪我の内に入らないとは言っても怪我なのは変わりないだろ。とか結局根本の解決になってないだろ。と言いたいことは山ほどある。あるのだが、言ってもきっと彼女の考えは変わらないだろう。宇佐美真琴とは、そういう少女なのだ。ある意味で人の話を聞かない猪突猛進な性格。目的を果たせれば過程はきっと瑣末な問題と思ってる。まるで命の勘定に自分が入っていない女の子。出来ることなら無茶なことはして欲しくない。
「……あぁ。分かったよ」
けれどオレは彼女の言葉に頷きを返す。
ならばせめて、こいつが無茶なことをしないようオレが真琴をサポートしてあげられることくらいできるはずだ。そうだろう?
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