第2話 『泥舟』
夕方6時の時報が響く。音割れしている時報を聞いて公園にいた子ども達が急かされるように帰っていった。今の子供たちも外で遊ぶんだな。なんて思って見ていたけど、手に持ってるのは野球ボールでもサッカーボールでもなく、タブレットやら携帯ゲーム機だった。携帯ゲーム機は、まぁオレのガキの頃にも持って遊んでたけど、さすがにタブレットはなかったな。時代はここまで進歩したということか。……別にわざわざ外でタブレットはしなくてもいいんじゃないかとも思うけど。
彼等の姿をベンチから見送ったオレの元に残ったのは、しん。とした静寂だけ。一応座った状態で辺りを見ておく。誰もいないことを簡単に目視確認してから、コンコンと軽くベンチを叩いた。どこからか声がする。
「皆さん行かれましたか?」
「あぁ。誰もいない」
そういうと横から瞬間移動でもしてきたように宇佐美が姿を見せる。どこに潜んでいたのだろうか、あまりにも突然な登場の仕方に小さく声が漏れた。ふぅ。と息をつき、身だしなみを整えるように宇佐美はコートの乱れをなおす。
それにしても……。と思わず彼女の全身に目を向ける。
コートの内から見える黒よりも少し明るめの色をした
「あ、あの……和樹さん」
申し訳なさそうな声が聞こえて足に向けていた視線を上へと戻すと、宇佐美がほんのり顔を赤らめて困ったような表情でオレを見ていた。
「あんまりじっと見られるのは、その……恥ずかしいです」
「……え? あ! 悪い」
宇佐美がモジモジと長い裾をさらに伸ばしている動作に自分がしていたことを思い出し慌てて謝る。いくら女子の生足を見る機会がないからってガン見するのはさすがにダメだよな。これは反省。
まだ恥ずかしさの色を残す宇佐美が、こほん。と仕切り直すように小さく咳払いする。
「えっとそれじゃあ、和樹さんに色々と説明したいんですけど、まずは……」
「お前は一体何者なんだ? 『影崩師』とか言ってたけど、それってなんなんだ?」
挙手して質問をなげかけるオレに、宇佐美はまずはそれからですね。と手をぽんと叩く。
「『
「影って……あのライオンのことだよな。それってなんなんだ?」
「一種の幽霊。悪霊とでも思って貰って構いません。彼らは姿を
「象って……ということは、他にも形があるのか?」
「ええ。でも今のところ確認されてるのは、あのライオンのような獣型と人型の二種類ですけどね」
「で、そいつ等は無差別に人を襲ってるわけか?」
ふるふると宇佐美は首を横に振る。首を振る度にひょこひょことポニーテールの毛先が揺れてちょっと可愛かった。
「一概にそうとは言えません。でも霊感の強い人が彼等に狙われやすい傾向にありますね」
「霊感……。オレ、そう言うのないはずなんだけどな」
宇佐美の言葉に首を傾げる。実際襲われているのだからそうなんだろうけど、オレは生まれてこの方幽霊なんてものは一度も見たことがないのだ。金縛りにだって遭った事ないし、心霊スポットに行っても何も感じない。
「和樹さんの場合は、きっと別の理由です」
「別の理由?」
はい。と宇佐美は頷く。ポニーテールが動き合わせて揺れる。
「和樹さんがおそらく彼等に目をつけられたからだと思うんです」
「オレが、あいつ等に……?」
「なにか心当たりはありませんか? どこかで影を見たとか、出会ったとか」
「なにかって言われても…………あ」
見た。という言葉で、忘れていた。いや、忘れようとしていた出来事が真っ先に浮上してくる。
「あるんですか?」
「あ、あぁ。二週間前のことだけどさ――」
その日の夜。オレは無性に小腹が空いてこっそりとコンビニへ行ったのだ。あまり夜の外出を良しとしない親にバレないようにお菓子をいくつか買った帰り道、オレは近道を使うことにした。このショートカットコースはコンビニまで普通十分かかるところを半分にまで短縮できる道だが、その代わり車も自転車も入れない狭い道で、街灯も利用する人も少ないこともあってまるで心霊スポットのような不気味さを醸し出していた。
昔からそういったことにはなんの恐怖も覚えないオレだったが、とっぷりと夜も
だからオレはたまたま頭に浮かんだ、子ども向けアニメの主題歌を小声で口ずさみながら恐怖心をかき立ててくる雰囲気に小さな抵抗をしていたが、主題歌が二番に差し掛かった辺りで足と口がピタリと止まった。
「え……?」
ぽろりと口に残っていた言葉がこぼれて、視線が前方にいる人物達に固定される。そこに居たのは2つの人影。街灯は少し離れたところにあるから詳細な姿は分からなかったけれど、確かに人が2人立っているのいうのだけが辛うじて分かった。しかし、その2人の状況にオレは思わず目を疑った。
そこで起こっていたのは人がナイフで刺されている。というなんともショッキングな光景だったのだ。初めは何かの見間違いかと思って何度か目を擦ってみたけれど間違いではない。視力が落ちてなかったことを今日という日こそ恨んだことはなかった。
刺された人は苦しむ声をあげることなく、ゆっくりとその体が砂のように分解されていき、まるで掃除機に食べられるホコリのように刺した人物へと吸い込まれていった。
まるで特撮やアニメのような光景。人が塵のように細かくなり、吸収されていく様はさながらホラー映画のワンシーンみたいな場面で、くらりと目眩がした。怖いものは大丈夫だと思っていたオレだったが、あんな現場を目の当たりすれば怖いと思っても仕方ない。いや、思わない奴がいない。その証拠に逃げようと思っていた足がガクガクと震えていた。腰が抜けなかったところだけは褒めてあげたいと思う。
震える足でゆっくりと逃げようと後ずさる。まだあちらはオレの存在に気づいていない今がチャンスだった。このままゆっくりと距離をとって、空気に溶け込むように息を潜めて逃げるんだ。
そろり、そろり。と転ばないように注意しながら後ろ向きに来ていた道へ戻ろうとした直後、
「っ!?」
ぐるんっ。と勢いよく人影の顔がこちらを向いた。首の稼働速度を逸脱した早い動きに恐怖が息と悲鳴となって口からこぼれる。
見られた!
そう思った瞬間、本能に急かされるようにオレは脱兎のごとく元来た道を引き返した。まばらだけど車が通る道に出てからようやく振り返ったが先ほどの人影が追いかけてくることはなくオレは安堵と一抹の恐怖を残しながらその日は帰ったのだった。それからしばらくあの犯人みたいな奴が、なにかしてくるのでは。と警戒していたが、特に何もなかった。一体あれがなんなのか、何が起きていたのか調べる気にもならず、あの顛末はオレの中だけに秘めておこうと決めたのだ。
「――それが原因ですよ」
オレの回想を聞き終えた宇佐美が頷く。
「和樹さんはあの日、影が人を襲う現場を見てしまい、影もまた和樹さんを獲物として狙いをつけたんですよ」
「も、もしその影に襲われたら、オレはどうなるんだ?」
「あの夜、和樹さんも見たんでしょう。影に襲われた人の最後を」
ナイフを突き刺され、悲鳴をあげることなく霧のように消え、そして吸い込まれた光景を思い出し寒気がした。冗談だろ。と笑い飛ばしたくなるけれど、宇佐美の真剣な表情をみてそんな言葉が抜かせるほどオレの肝は据わってない。
「私が今朝、和樹さんを呼び止めたのはこれが理由だったんです」
「う……ごめん」
悲しそうに少しだけ眉を下げる宇佐美に罪悪感が沸き上がる。だが初対面であんなことを言われて信じろという方が難しいと思うのは言い訳だろうか? ……言い訳だな。
「でももう大丈夫です。今日から私が和樹さんをあの影から守ってあげますから。泥船に乗った気持ちで安心していてください」
それじゃ沈んでるだろ。
自信満々に胸を叩く宇佐美に一抹の不安を覚える。最終的に一緒に影にやられてしまう未来を想像してしまった。ただのジョークであってくれよ。
「そういえば。オレとお前がはとこって言ってたけど……」
「はい。私の母と、和樹さんのお母様が従姉妹同士なんです。……一度だけ会ったことがあるんですけど、和樹さんは覚えてませんよね」
言われて昔の記憶を引っ張り出してみるもその出来事は見つからなくて、オレはごめん……。と小さく頭を下げる。
「気にしないでください。ほんとに1回だけですし、覚えてないのも無理はありませんから」
「でも、お前は覚えていたんだろ。だったらやっぱり悪いじゃないか」
「私は……ほら。仕事上守る人の情報は事前に調べるのが普通ですから。その時に知った……というか」
しどろもどろに話す宇佐美。どうやらこいつもオレのことを覚えてなかったらしい。
「……ん?」
突然ポケットのスマホが震えてるのに気づいて確認してみると、母親からメッセージが届いていた。
「あ。やべぇ。もうこんな時間じゃねえか」
まだ帰ってこないのか。というメッセージと共に時間を確認するともう19時を回り始めていた。話している内に1時間近くも経っていたらしい。
「じゃあオレはもう帰るから」
「あ、待ってください。私も行きますから」
「……は?」
置いていた鞄を持って立ち上がったが、宇佐美の言葉でピタリと止まった。
「いや、なんで来るんだよ……」
「私には影崩師として和樹さんを守る仕事があるんです」
「だからって、別に四六時中いなくてもいいんだぞ?」
「でも、いつどこで和樹さんが影に襲われるか分かりませんから」
そう説明する宇佐美に思わず顔を覆う。宇佐美の言葉からは別行動する気は全くなくて、あくまでオレの家に行くのは必要であるという意志をひしひしと感じる。多分回りくどい言葉でかわそうとしても、意図を理解しないタイプだな、こいつ。
とはいえ、こいつの提案を飲んで家に連れて行くわけにはいかない。いくら身内とはいえ女の子をあげると両親から変な誤解をされるのは火を見るよりも明らかだしな。
「大丈夫ですよ、和樹さん」
そんなオレの表情から何かを感じ取ったのか、宇佐美がオレの顔を覗き込むように顔を傾けてきた。澄んだスカイブルーの瞳にオレの不安たっぷりの顔が映っている。
「私を信じてください。絶対和樹さんの心配してることは起きませんから」
どこからそんな自信が来るのだろうか。宇佐美は確信に充ち満ちた顔で胸を叩く。
「というわけで行きましょう」
「っておいちょっと!」
オレの返答を聞かずに歩き出す宇佐美。オレはそんな彼女の表情と言葉を
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