第1話 『謎の勧誘に命の危機』
物語の主人公に憧れていた。
突然異世界に呼ばれて、世界を支配する魔王を倒す勇者になってほしい。とか。
よく分からない部活に巻き込まれてバカ騒ぎをしたり。とか。
化け物が
男なら誰でも一度は思ったことあるんじゃないか? あるだろ? 自分もこんな人生を送ってみたいとかさ。夢見るだろ。オレもまたその一人なわけだ。
でもそれは思春期特有の病気、はしかみたいなもの。いくらそんな物語を夢見ても異世界に呼ばれることはなくて、実際の高校生活にそんな変な部活もなければ、化け物が跳梁跋扈してるわけもない。宇宙人も未来人も超能力者だっていないし、それを呼び寄せる荒唐無稽で奇天烈な奴もいない。
ありきたりな日常。変わらない毎日。朝起きて夜寝る。休みの日は惰性に時間を過ごして日曜の夜になって明日が来るのを忌まわしく思う。恐らく死ぬまで続けるようなルーチンワーク。
そしていつしかその夢は日を追うごとに色褪せ、霞んで、思い出したくもない恥ずかしい記憶へと変わっていくもんだ。それが思春期の健全な成長の歩みと言うものだ。進化の過程のその一端、ホモ・サピエンスが人間になるための道筋を歩んだようにオレ達もそれを経て大人へとなっていく。そんな日々を少なくともオレは、少し前まではそう信じて疑わなかった――。
*****
「
「……はい?」
朝の登校中。いつものように母親に叩き起され、ゆったりとしながら身支度を終え、二年目となる高校生活に面倒くささを覚えながら遅刻ギリギリの時間に出たオレを待っていたようにフードを被った謎の人物が声をかけてきていた。
ちなみにオレ以外にも同じようにチキチキ遅刻チキンレースに参加してる生徒はいるが、その声の主はどういうわけかオレの名前を呼んでいた。なんでオレの名前を知っているんだ?
「ですから、命の危険が及んでいるんです!」
聞こえてないと思ったのか、もう一度同じ事を言っているフードの人物。
目深に被ったフードのせいで顔は分からないけれど、声からして女性。身長は低くてオレの肩くらい。フードのついたコートの中には裾の長い黒い薄手の服が彼女の体を隠しており、そこから下は健康的な足がすらりと伸びていた。ちょっと刺激的な光景に思わず視線が釘付けになりそうだ。慌てて視線を泳がせるけれど、オレの目がさっきの魔の領域へとゆっくりと引きずり込まれる。こういう魔の領域ってたしかバミューダトライアングルって言うんだったか?
「このままでは和樹さんの命が危ないのです! どうか私と一緒に来てください!」
なんとも怪しさがプンプンの勧誘営業だな。昔、中学校の道徳の時間でこう言った悪徳販売方式があったのを思い出した。言葉通りに信じてついて行くと、よく分からない壺とか教材を強引に買わせるというヤツ。とっくの昔に滅んだと思っていたけれど、まだ生き残ってるとは。人間の金に対する欲望とはなんとしぶといものか。嘆かわしい……。
不思議なことに目の前で今まさに悪徳勧誘が行われているというのに、周りを行く生徒達、通行人は誰一人オレと彼女を見ていなかった。相手したくないから見て見ぬふりというわけか。一昔前の人情を重んじる精神はどこへ行ったのやら。
「お願いします! どうか私と一緒に!」
女性の声は真剣そのものだった。嘘、偽りなどないと宣言してるほどの強さがひしひしと伝わってくる。きっと彼女にも生活がかかっているのだろう。でも、でもだ。それで、はいそうですか。と頷くわけがない。
「ごめん、そういうの興味ないから……」
本当は無視して進むべきなのだろうが、彼女に抱いた勝手な身辺事情が自然と軽く頭を下げさせ、オレは走り出そうと前を向いたが、
「ま、待ってください!」
すぐに女性がオレの進行を妨げるように立ちふさがった。
「本当に危ないんです! このままじゃホントに貴方は……」
この先の事を言いたくないのか、それとも言ってはならないのか。顔を伏せるようにフードを一層深く被る。その声と雰囲気からまるで彼女はこれから起こる未来が分かっているような考えをオレは自然と抱いてしまう。
「あんたは……一体……」
オレの言葉に女性が反応し、ゆっくりとうつむけていた顔を起こす。
「私は……」
フードに手をかけ持ち上げる。ゆっくりとその内に隠れた女性の顔が顕わになっていく。
焦らすように進む彼女の手に視線が釘付けになり、ゴクリと生唾を呑み込みこんだ。
だが、そんな緊迫した時間をぶち壊すように遠くから聞き馴染んだチャイムの音が一気にオレを現実へと引き戻す。
「あ! やべえ! マジで遅刻だ!」
「待って! 待ってください!」
女性が両手を広げてオレの行く手を再び阻む。あげようとしていたフードは戻っており、彼女の顔は結局見えないまま。
「悪い! ホントに急いでるから!」
広げた彼女の腕をくぐるようにしゃがんでオレは走り出す。
「あ……」
くぐり終えた時、こぼれた彼女の声が耳に残ったままオレはそのまま学校への通学路を全力疾走する。
相手は勧誘販売だったんだし、別に罪悪感なんて覚えなくていいじゃないか。彼女の生活がかかっていたとしてオレは何も痛くない。そう痛くないのだ。
……痛くないはずなのに、別れ際のあの声が泥のようにべっとりと良心にくっついて離れなくてなんだかとても不快だった。
*****
おそるおそる曲がり角から通学路の様子を窺う。いたって普通の道路が広がっており、同じ制服に身を包んだ男女がその道を歩いている。それ以外に目立ったものはいない。もちろんあのフードを被った女もいない。
良かった……。と安堵の息をこぼしてオレは通学路を曲がる。
学校に行っても朝のフード女のことが頭から離れなかった。ただの勧誘販売なんだから気にするわけでもないはずなのに。なんでだろうな。
「……ん?」
一体あれはなんの勧誘販売だったんだろうと考えながら歩いていると、ふと違和感を覚えて足が止まる。
辺りに目を向ける。夕時を示すオレンジ色が一面に広がっており、そこに黒い電線がいくつもの線を引いていた。いつもの夕暮れの風景。けれど周りを歩いていたはずの生徒達の姿はいつの間にか消えて、なぜかオレだけがぽつん。と残されるように立っていた。
「……なんだよ、これ」
キーン。と耳鳴りだけが聞こえる。車の音も鳥の声も聞こえない。まるで世界から、時間からも切り離されたような不思議な感じだった。
おかしなことが起こっているのは分かる。突然周りの人間が忽然と消えるなんて、自然現象で起きるわけがない。もしも起きているのなら今ごろ世界は大パニックに陥ってるはずだし、世界史の教科書にも新たなページが加えられていることだろう。
だったらこれは手の込んだドッキリだとオレは気づいたね。何らかの手法でオレに悟られず人がいなくなった。一体どういった方法で人を消したのかは皆目見当がつかないが……。
それよりもいつの間にオレはドッキリの標的にされたのかね。一体誰がやったのかと思いながら、こちらの反応を伺っているであろうカメラを探そうとして、動きを止めた。
いや、違う。自然と体の動きが止まったんだ。それは一種の本能から来る警告だろうか。振り向いちゃいけない。と赤いランプが回っているイメージがふと浮かんだ。それを裏付けるように、ぞわりと鳥肌が立って、悪寒が全身を駆け巡る。
何かがオレを見ていた。確認したいという知的好奇心が体を動かそうとするけれど、先程から頭に浮かぶ警告ランプは未だ点滅を繰り返して、動かすことを躊躇っている。
逸らされることなくビシビシと感じる謎の視線。見たい気持ちとやめておけと抑止する気持ちが脳内で取っ組み合いを初めた。両者譲らぬ拮抗した試合の末、オレは勢いよく体を動かしその正体を確かめる。
そこにいたのは1匹の真っ黒なライオンだった。
「………………」
目をごしごしと
そこにいたのはやっぱり1匹の真っ黒なライオンだった。
いや、よく見るとライオンの顔は彫刻のような生気のない作りで、生物的な毛並みとかは感じられない。なんというか、スライムとか粘土でライオンの形を作ったような感じだろうか。昔小学校の授業でこんな風に動物を作ったことが頭のすみっこにぽこっと浮かんできた。
黒い作り物のライオンが一歩足を前に出す。瞬間体に緊張が走り、逃げろと脳が警鐘を鳴らす。
その啓示に従ってオレは体をすぐさま回れ右。そのまままっすぐ走り出した。
ヤバイヤバイヤバイ! なんだアレは! なんなんだアレは!
答えのない自問を繰り返しながら走り続ける。
しかし相手は作り物であってもどうやら本物のライオン。その速さにオレとライオンの距離はものの数秒で詰められ、殺気と圧が混ざり合ってオレの背中に突き刺さってきている。
死。という文字がF1カーようなの速さで頭を何度も通り過ぎていく。そんな考えを打ち払うように首を振って、ライオンとの追いかけっこに全力を出す。たまに正月に見る駅伝選手の走り方を思い出しながら、それに近いフォームをとってみるがさすがにインドアタイプでは付け焼き刃にもならない。速さが変わるわけでも息が苦しくなくなるわけでもなかった。
だが人間とは不思議な生き物で、切羽詰まった状況になると、火事場の馬鹿力というものが働いて自分でも信じられない力を発揮するらしい。
それを証明するかのようにろくに運動もしてないオレがあのライオンにも引けをとらない走りを見せている。普通ならもうとっくにライオンに美味しく食べられているはずなのに、未だお互いの距離を崩されてはいない。もしも生きて帰ってこれたら武勇伝にできるんじゃないだろうか。ライオンから逃げ切った男として話題には事欠かない気がするぞ。
しかし、そう上手い話はなく、そんなすごい力が永遠に続くわけではもちろんなかった。足と肺が悲鳴を上げて、自然とスピードが落ちていくのが分かる。もう休みたいよ。とオレに訴えるように頭がチカチカしてきた。
突き刺さるような圧が近づいている。彫ったような顔のどこに発する場所があるのか、獣特有のうなり声も聞こえた。
「……も、だめ……」
体力が底をつき、オレの足がゆっくりと止まる。あぁ。もうこれはダメだ。と思ったのと、ライオンが口を開きオレの体に食らいつこうと迫ってくる。
ぶわっ!
瞬間。下から上へと吹いた突風にオレの体が地面に落ちた枯れ葉のように空へと持ち上げられた。
「……え?」
ジェットコースターが落ちる直前に感じる浮遊感に驚くがすぐにオレは地面へと落下し、硬い地面に尻餅をつくように着地した。
「うっ! ……いつつ」
全身を縦に貫くような痛みに涙を浮かべながら打った尻を撫でて振り向くと、オレのすぐ後ろにいたライオンの尻尾がまず目に入り、そのライオンはなぜか咥えている丸太をぶんぶんと振り回していた。
遊んでいるのかと考えたが、すぐにその考えを捨てる。じゃれているのではなくて、丸太ががっちりライオンの口に嵌まってて抜けないことに苛立っているような感じだ。なんとも間抜けな光景だった。
「なんで……丸太?」
「忍法、変わり身の術です。大丈夫ですか?」
突然かけられて声に驚き、横を向く。
「あんた……」
オレの顔に影をかけるように現れた人物を見上げて自然と言葉がこぼれる。驚くのも無理はない。そこにいたのは、今朝オレの前に現れたあの怪しい勧誘販売のフード女だったのだ。
オレの呟きに女性は被っていたフードに手をかけ焦らすことなくそれをあげる。
フードが剥がれた瞬間、艶をまとった黒のポニーテールが主張するように跳ねた。垂れ目気味の目尻に大きな瞳がゆっくりと開いて透き通るような水色がオレを捉える。小顔の口元には長いマフラーが覆われていてその奥を見ることは出来ない。
予想外に幼い美少女に思わずオレは見とれてしまっていた。
「……誰だ?」
その顔をじっと見つめ、ようやく絞り出したオレの言葉に、少女はマフラーをぎゅっと握ってゆっくりと下げる。薄桃色の唇が笑みの形をとっていた。
「はじめまして。私、和樹さんのはとこの
どうぞよろしく。とにっこりと笑う少女、宇佐美真琴。対してオレはいきなりの出来事に頭がついていけず固まったままだった。
……整理しよう。目の前に現れた謎の勧誘販売だった少女は、オレのはとこで忍術を使ってオレを守りに来たと。うむ。なんという情報過多の暴力。さながら迫り来る雪崩をその身一つで受け止めるような感じだ。オレの頭のキャパシティーでは到底処理できない多さだぞ。
「ど、どういう……意味だ?」
だから必死に考えて出てきた言葉はそれだけだった。オレの言葉に少女、宇佐美は答えようと口を開くが、何かに気づいて後ろを向く。
「ちょっと待ってくださいね。まずは目の前のことを片付けますから」
その言葉に応えるように、獣の咆哮が聞こえた。さっきまで丸太を口にはめていたライオンは、その丸太を噛み砕いたのかもう何も咥えてはおらず、ガラス玉のような目をした顔はオレではなく宇佐美に狙いを定めていた。
「……来なさい。遊んであげます」
すらりと伸びた足に巻き付けているホルダーからクナイを取り出すと、さっきまでオレに向けていた笑顔が真剣な表情へと変わった。
気のせいか彼女の周りに漂っていた空気もどこか張り詰めるようにピリピリしていた。思わず生唾を飲み込む。ゴクリという音がよく聞こえた。
彼女の挑発に乗るようにライオンが雄叫びを上げてこちらへと向かってくる。しかし宇佐美はクナイを持ったまま動こうとしない。ただ棒立ちしてるだけ。
徐々に距離が詰まっていき、ライオンの口が開いて鋭い牙が見えても彼女は一歩も動かない。
「お、おい! 大丈夫か!」
もしかして迫ってくるライオンに怖くなって動けなくなったのか。思わず声を出したオレに、宇佐美はこちらをちらりと見てにっこりと笑う。思った以上に余裕のある表情だった。
「大丈夫ですよ。私、強いですから」
なんとも信用性が極端に低そうな言葉の後、
ぽい。と何かをライオンの前に投げつける。辛うじて黒いスーパーボール程度の大きさが見えたその玉は小さな放物線を描いたあと、ライオンの目の前で突然爆発し、大量の白煙を吐き出した。
「え? うわっ!」
噴出され、あっという間に辺りを白く包み込んだ煙。吸い込まないように慌てて口を覆う。薄目で周りを見渡すけれど、右も左も厚い白色に包まれていて何も見えない。当たり前か。
下手に動かないようじっとしていると、しばらくして煙が晴れてようやく世界が元に戻る。
「あの子は……」
すぐに宇佐美の姿を探すように見回すと、彼女は少し離れたところに立っていた。無事だったことにほっとするが、そこにいるのは宇佐美だけ。あのライオンの姿はどこにもなかった。
「ライオンは……?」
「倒しましたよ。つい先ほど」
こちらを見てにこりと笑う宇佐美。倒した? あのライオンを? 誰が……いや、あの子しかいないよな……。
「ほ、ほんとに勝てたのか……」
信じられなかった。だって、相手は本物ではないにしても百獣の王ライオンだ。大人ですら敵わないと思える相手のはず。
だが、オレの目の前に広がる光景が彼女の言葉が本当だということを示していた。
困惑しているオレに宇佐美は、えへへ。とはにかむように笑う。ちょっぴり驚かせちゃった。みたいな茶目っ気のある笑顔が不覚にも可愛いと思ってしまう。
「当然ですよ。だって私は、『
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