5-2

 古山に強引に連れてこられたのは、茅埜市内にある図書館だった。

 図書館の中でスマホを使うわけにもいかず、尋人はイコに謝ってスマホの電源を落として入館する。

「ちょっとそこに座ってろ」

 入館するやいなや、古山はそれだけ告げてカウンターへと向かった。

 突然の古山の行動に疑問を感じながらも言われたとおりに椅子に腰掛ける。

(……イコ)

 一人になるとどうしても考えてしまう。

 どうして、あの場所にイコの姿がなかったのだろう。

 お互いにスマホで撮影しあった場所は、ほとんど同じアングルの場所だった。それはつまり、尋人とイコは同じ場所にいたということなのに、視界に入る範囲にイコの姿は見えず、声も聞こえず、電話に至っては尋人からは繋がらず、しかしイコは尋人に繋がったという。しかしもちろん、尋人はイコからの着信を受けていない。

 異常なことばかりが起きていた。

考えても考えても、現状に納得のいく説明がつかない。しかし実際に二人は出会えず、電話の件に至っては話が食い違っている。

やはりイコが嘘をついているのだろうか。もしもイコが嘘をついているのなら、大方の問題に答えが出る。

 しかし尋人はイコが嘘をついているようには思えない。そう思いたくないという気持ちも確かにあるが、イコの態度や言葉、そして涙は決して嘘をついているようには見えなかったし、なにより尋人はイコのことを信じている。

(でもそうなると、結局は振り出しなんだよね)

 結局のところ、なにもわからなくて顔を伏せた。その直後、尋人の頭上に影か重なる。顔を上げると古山が新聞を持って立っていた。

 目が合った。古山はなにも言わずに向かい側に座る。

「それは?」

 まだ古山はなにも言わない。代わりに黙って新聞を尋人の前に広げた。

 新聞はよく見ると縮刷版と呼ばれる昔の新聞だ。日付を確認すると十年前のものだ。こんなものをいきなり見せてきて、古山はいったいどういうつもりなのだろう。

「境野。このページ、よく読んでみろ」

 ようやく喋った古山に促されるまま、尋人は古山の指し示したページを読む。

(……大雨による河川の増水。……水難事故?)

 記事のタイトルを読んで、ああ、そういえばそんなこともあったなと思い出す。確かこの事故は茅埜で起こり、上須でも隣町ということでニュースになっていたのだ。

 でも今頃なんでそんな記事を古山は読ませるのだろうか。わざわざ図書館まで引っ張ってきてまで見せたかったものがこれなのか。

 古山の行動の意味がわからなかった。しかしそれを訊く雰囲気でもなく、尋人はそのまま記事を読み進めていく。

 十年前。

 大雨。

 河川の増水と氾濫。

 二人の犠牲者。

「……犠牲者?」

 読み進めていくうちに十年前のことをより鮮明に思い出した。

 そうだった。確かこの水難事故には犠牲者がいたのだ。小学生の女の子が一人と、その子を助けようと飛び込んだ二十代の青年。

 その、犠牲者の名前は――。

「……高、倉?」

 記事に載っていた名前は、どこかで聞き覚えのある名前だった。

 そして、もう一人の、その高倉という男が助けようとした女の子の名前は――。

「…………え?」

 目を疑った。

 高倉という男の隣に一人の少女の顔写真が載っている。そしてその下には名前が書かれていた。

 その、名前は――。

「柏木、憩……」

 彼女の名前は響きも漢字も珍しく、同姓同名の人物はそうはいないだろう。だがそれでもきっと、唯一ではない。

 もしも名前だけだったら、限りなく確率は低くても同姓同名の別人物だと思ったに違いない。しかし名前の上に掲載されている顔写真には見覚えがあった。――というよりも、よく知っている人物をそのまま十年分幼くした容姿だった。

「これで、俺の言いたいことはわかったか?」

 古山の言葉がやけに遠くに聞こえた。

 尋人の目は記事に釘付けで、古山の言葉に返す余裕はない。尋人は無言のまま読み進めていく。そして決定的な一文を見つけてしまった。

「境野。前にお前、俺に仲の良い女子はいないのかって訊いたよな。そのとき、俺はこう答えたはずだ。『仲の良い女子はいたよ』って。その意味、わかるよな」

 古山とイコは幼なじみだ。古山の言っていた仲の良い女子というのは、イコのことだったのだ。

 そして。

「『いた』ってのは、その言葉通りだ。かつてはいた。でも今は――もういない」

「――っ」

 読み進めた新聞の、とある一文からずっと目が離せなかった。

 机の上に置いた手が震えていた。心臓の音が自分で聞こえるほどバクバクと鳴る。頭の中がぐるぐると掻き回されているようで、酷く気持ちが悪い。

「イコは……。柏木憩は――」

 やめてくれと、思った。

 その先の言葉は聞きたくなかった。でも顔を上げることも、口を開くこともできなかった。ただ聴覚だけが、聞きたくもない音を拾い続けた。


「――十年前に、死んでるんだ」


「――っ!」

「だから、いるわけないんだよ。イコは。俺はイコの葬式にも行ったし、イコが死んでからしばらくは毎日線香をあげに行ってた。だから、イコはもう……死んでる」

「……」

 ゆっくりと顔を上げた。古山の顔は今までにないくらい真剣で、鬼気迫っていて、尋人から決して目を逸らさなかった。

「なあ、境野。――あの女は、なんだ?」

「なに、って……彼女は、イコは……」

「イコは死んだ。十年前に」

「で、でも! イコと僕は何度も話した! そりゃ、一度も出会えていないし、アリスの中での話だけど、それでも!」

 目の前の事実を否定したくて、尋人は興奮気味に声を荒げる。それを聞いて図書館の職員や他の利用者の視線が尋人に向いた。それでもそんな視線に気づけないくらい、今の尋人は動揺している。

「それでも、イコは……っ」

 イコはいる。絶対にいるはずだ。

 たとえ、アリスの中でしか顔を合わせられないとしても。

 たとえ、現実で出会うことができないとしても。

 たとえ、こちらからの電話が通じないとしても。

「境野!」

 でも、イコからは尋人らしき人物に電話が通じるらしい。

 でも、尋人が見つけられなかったモールにイコは足を運んで尋人と会ったらしい。

 でも、イコからは尋人に電話が通じるらしい。

「……」

 出会えない二人。

 同じ景色を撮影した。

 こちらからは通じない電話。

 イコが出会った尋人ではない尋人。

 イコからは通じる尋人への電話。

 十年前の水難事故。

 そのときの二人の犠牲者。

 高倉グループ。

 存在しなかった大型ショッピングモール。

 イコが訪れたショッピングモール。

「は、はは……」

 いくつものピースが、なぜか組み上がった。そしてありえない考えが一瞬浮かび、そのあまりのばかばかしさに変な笑いが漏れた。

「境野……?」

 ありえない。そんなこと、現実的じゃない。

 でも、そのありえない、現実的じゃない考えに従うと、不思議と異常な現状の説明がついてしまった。

 出会えないわけも、同じ場所を撮影したわけも、通じなかった電話も、イコが出会った尋人も、尋人がモールを見つけられなかったわけも、イコがモールに行けたわけも。その全てが、そのありえない考えの下で収束した。

 でもそれは、尋人とイコにとってはとても最悪な可能性だった。

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