5-1

『尋人、これって、どういうこと?』

 わけがわからないままスマホに視線を落とすと、イコからそんなメッセージが届いていた。

 これはいったどういうことか。訊きたいのは尋人も同じだった。答えなんてまるでわからない。同じ場所にいるはずなのに、お互いにお互いの姿が見えていない。

 本当に、イコはいるのだろうか。柏木憩は、存在するのだろうか。

「ばかばかしいっ」

 イコがいないはずはない。だって今もこうしてやりとりをしている。今までだって何度も話をしてきた。イコが存在しないなんて、そんなことがあるわけがない。

『電話してみる。少し待って』

 そうメッセージを打ち込んで、返事を待たずにアリスからログアウトした。電話帳を開きイコの番号にかける。

 しかし数回のコールの後、返ってきたのはこの番号が現在は使われていないというアナウンス。昨日と同じ、冷たい声だった。

「しまった、そういえばそうだった……っ」

 異常なことが起って電話番号のことをすっかり失念していた。本当なら昨日、もしくは今日出会ってから番号とアドレスを再確認するつもりでいたのだ。

 尋人は電話を切り再びアリスにログインする。部屋に戻り、電話と電話番号の件を伝えた。

『そんな、そんなはずないよっ。イコの番号は――』

 イコがもう一度番号を教えてくれた。それをよく確認し、電話帳の番号と照らし合わせる。やはり、番号に間違いはない。

 そのことをイコに伝えると、

『今度はイコがかけるっ』

 そしてイコがログアウト。そのまましばらくイコからの電話を待った。

 じっと待っていることに耐えられなくて、尋人はもう一度イコのことを探した。だが何度探しても、どこを探してもイコらしき人物を見つけることはできない。

 本当にどうなっている。今まで培ってきた知識を総動員しても、現状を理解することは不可能だった。

「……境野?」

 声をかけられて反射的に振り向いた。そこには、古山が不思議そうな顔で立っていた。

「なにしてんだ、境野。そんなとこで」

「古山……」

「……どうした?」

 古山の表情が締まった。尋人の顔色と雰囲気から、今の尋人の状態をなんとなく察したのだ。おかしいことに気づいた古山が尋人に近寄る。

「いないんだ」

「いない?」

 尋人はさっきまでの出来事を古山に話した。

 イコと会う約束をしたこと、昨日、モールを探したがモールそのものがなかったこと、イコはモールに行ったこと、そこで尋人と会ったこと、自分はもちろんイコには会っていないこと、高倉グループのこと。

 そして今、この場所で待ち合わせをしたのに会えないこと、同じ場所でカメラ撮影をしていたこと、電話が繋がらないこと――。

「会えないんだ。同じ場所にいるはずなのに、ここにはいない。彼女のところにも僕はいない……」

「境野。それは……」

 古山は半信半疑のようだった。

 しかしそれは仕方がない。いきなりこんな話をされて、全面的に信じるほうがどうかしている。普通は尋人の頭がこの夏の熱気でどうにかなってしまったと思うだろう。

 でも尋人からすれば全てが事実で、現実だった。

 信じてもらえないことが辛かったわけじゃない。むしろ信じてもらえるなんて思ってはいなかった。だから古山から視線を外して俯いたのも、別に落胆の感情があったわけじゃない。

 自分以外の誰かから、イコなんて女の子は存在しないと言われるのが嫌だったのだ。それを聞きたくなくて、拒絶したくて、視線を逸らした。

「……あ」

 そして視線を逸らした先、スマホの画面にメッセージが届いているのが見えた。

『尋人、電話、来た?』

 と、それだけが書かれていた。

 古山の登場で気持ちが逸れていたが、イコからの電話はかかってきてはいない。それどころか、スマホには誰からの着信もなかった。

『かかってきてないよ』

 するとすぐに返事が来る。

『イコが電話をかけたら、尋人は出たよ』

「え?」

 思わず声が漏れた。

 電話に、尋人が出た? そんなはずはない。直前まで尋人は古山と話をしていたし、そもそも電話なんて鳴っていない。

『名前、ちゃんと確認した。境野尋人だって言ってた。声も、尋人だった。でも尋人じゃなかった。イコの知らない、別の尋人だった!』

 ワイプの中のイコの表情は、彼女が俯いてしまっているせいでよく目元が見えない。でもその文面から、今のイコの状態はなんとなく察しがついた。声を震わせている姿が脳裏に浮かんだ。

(本当に、どうなってるんだよ……っ)

 ここで待ち合わせれば、解決、もしくはなんらかのヒントが得られると期待した。しかし実際は謎が深まっただけだった。なにも解決などしなかった。

 もうどうしたらいいのかわからない。イコからのメッセージも途絶えていて、イコになんて声をかけていいのかもわからなかった。

 スマホを握る手に力がこもる。上下の歯が砕けそうなほどに歯を食いしばった。

「お、おい、境野」

 その様子を見て古山が心配そうに駆け寄る。肩に手を置かれ無理矢理顔を上げさせられた。

「離せよ、古山――」

 八つ当たりだった。それは自分でもわかっている。でもこの言いようのない気持ちを吐き出さないとどうにかなってしまいそうで、吐き出すためにちょうどいい相手は目の前にいて、だから古山が何一つ悪くないことはわかっているのに、恨みでもあるかのように睨んだ。

 しかし、その視線は古山には届かなかった。古山の視線は、尋人の握るスマホに注がれていたのだ。

「おい、境野。これ、なんの冗談だ?」

「は?」

 古山の雰囲気が一変した。声が若干震え、しかし視線だけはスマホの画面に固定されている。古山の視線の先には、ワイプに映るイコの姿。

「境野、この娘が、お前がアリスで出会った娘か?」

「そう、だけど。……なんだよ、突然」

「……顔が見たい。もっとしっかり。顔を上げるように言ってくれ」

「え?」

「いいからっ」

 古山の怒声なんて初めて聞いた。尋人は言われるがままにメッセージを打ち込む。そしてそれを確認したイコが少しだけ顔を上げると、彼女の表情がしっかりと見えるようになった。古山はスマホの画面を覗き込む。

 イコの表情は、溢れる感情を必死に押さえ込もうとしている顔だった。

 声をかけるべきだ。でも、なんと声をかけたらいいのかわからない。

 手を握ってあげるべきだろうか。頭を撫でてやるべきだろうか。涙を拭ってやるべきだろうか。

 しかしそのどれも、することができない――。

「――嘘、だろ?」

 が、そんな無力さの中に響いたのは、古山の言葉だった。

「なあ、おい、境野。この娘の名前はなんだよ」

「な、名前? なんで、そんなこと」

「いいからっ、答えろよ! この娘の名前はっ。出身地はっ」

 凄い剣幕で詰め寄られ、尋人は後ずさりしながら答える。

「か、柏木、憩。イコは『憩い』っていう字で。出身地は、ここだよ。茅埜」

「なっ――」

 それを告げると古山は尋人から手を離して一歩下がった。目を大きく見開き、信じられないものを見るように、尋人のことを見ている。

「古山?」

「ありえねぇ……。そんな、はずは……。でもあんな珍しい字の名前も、出身地も、なにより、あの顔は……」

「?」

 古山は一人でぶつぶつと呟いている。なんだか話しかけづらい雰囲気に尋人は立ち尽くした。

 なにがなんだかわからなくて、とりあえずイコに一言謝っておこうと画面を見ると、イコからのメッセージがあった。

 そこには、

『しーちゃん?』

 しーちゃん?

 聞き慣れない単語が打ち込まれていて、尋人は思わずそれを声に出して復唱した。

「――っ」

 すると古山がビクンと身体を震わせる。そして恐る恐るといった風に顔を上げた。

 そこで気づいた。古山の名前は、『慎』だ。いつも古山古山と呼んでいたから気づくのが遅れたが、彼の名前は慎。つまり、慎の頭文字をとって『しーちゃん』ということなのだろう。

 ということは、

「もしかして……二人は知り合い?」

 本当にしーちゃんなどと呼ばれているのだとしたら、二人はそれなりに親しい関係性にあることになる。出身地も同じだし、もしかしたら小学校、中学校が同じだったとか、そういうことなのだろうか。

 それはいわゆる――。

「…………幼なじみ、だよ。俺とイコは」

(やっぱり)

 驚きはした。しかしありえないことではなかった。

 同じ街に住んでいる同い年の人間だ。繋がりなんていくらでもある。だからそのことについて、少なくとも今は深く訊こうとは思わなかったし、思えなかった。

 だから二人の関係の話はそれで終わるはずだった。

 でも古山は違ったらしい。無言のまま歩み寄ると、力強く尋人の腕を掴んで引っ張って歩き出した。

 その力の加減に痛みを訴えるが、古山は関係なしに尋人を引きずっていく。

 その様子は、明らかに尋常ではなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る