4-6
約束した時間、約束した場所へ、尋人は電車に乗って向かっていた。
「……」
イコの言葉が昨日からずっと気になっていた。
尋人は確かにモールを見つけることができなかった。駅周辺で十人ほどの人間にモールのことを訊いて回ったが、誰一人としてモールのことは知らなかったし、昨日もあの後、高倉グループについてもう一度調べてみたが、やはりそんな企業は存在していなかった。
でもイコは違うことを言う。
高倉グループは存在し、ショッピングモールを建設した。そしてオープンは昨日で、そこでさらにイコは尋人と出会っているというのだ。
記憶があるとかないとかの問題ではなかった。
そもそも尋人はモールを見つけてすらいないのだから、モールに足を運ぶことはできないし、イコと会うことはできない。
それだけならまだしも。
(僕がイコに対して知らないフリをした? そんなこと)
絶対にあるわけがなかった。
自分の想いを自覚してから、いや、自覚する前からイコに会ってみたいと思っていた。その願いがようやく叶うというときに、イコを傷つけるような態度をとるわけなどない。ましてや、あんな泣かせるような態度を。
でもイコの言葉も態度も、嘘や冗談には見えなかった。じゃあイコの言っていたことは本当なのだろうか。
モールで尋人と出会い、知らないフリをされ、握った手まで振り解かれたという。
目を閉じて何度も何度も考えても、尋人にそんな記憶は一片たりともない。でもイコの言っていることがまるっきりでたらめとも思えなくて……。
(あ~、まったく意味がわかんないっ)
電車の窓から外を見る。もうすぐ、茅埜駅に到着する。そこでイコとちゃんと会う。そしてちゃんと話をする。
どちらの言葉が間違っているのか、それともどちらも正しいのか。それはわからないけれど、とにかく会って話せばなにかしらの解答かヒントは得られるはずだ。
電車の中に茅埜駅に到着するアナウンスが響く。電車が減速しホームに入り、停車してドアが開いた。
尋人は電車から降りると、他の乗客の邪魔にならないように隅っこへ移動し、そこでスマホからアリスにログインした。
部屋に入るとすでにそこにはイコがいた。スマホのカメラを使ってワイプを映すことはできるが、音声を届けるには通常の電話と同じ状態にならなければならない。それではせっかくのカメラ機能が死んでしまい役に立たないため、今回は文字を打ち込んで会話することになっていた。
『駅のホームについたよ。これから改札を出る』
そう打ち込むとすぐさま返信があった。
『うん、わかった。イコももうすぐ着くよ。――もう一度確認するね。場所は茅埜駅の北口。そこに、黒曜石の原石が名物として展示されてるの。そこが、待ち合わせ場所だよ』
『うん、大丈夫。わかってる』
イコと知り合ってからこんなに簡素なやりとりをしたのは初めてだった。それだけ二人とも現状に困惑し、どうしていいのかわからないのだ。
尋人は返信を終えると設定を変えてスマホのカメラを起動する。するとスマホの画面の下半分がワイプに変わり、そこにイコの顔が映った。イコはすでにカメラを起動していたらしく、ゆっくりと背後の風景とイコ自身が動いているのが見えた。
「……」
イコのほうでもワイプで尋人の顔を確認したのだろう。カメラを通して目が合い、お互いに同じタイミングで目を逸らした。
本当はそんなことはしたくないし、こんな状態でいたくない。だから少しでも早く現状を変えたかった。
すっかり人通りの落ち着いたホームを歩き、尋人は改札を出た。そして昨日とは反対方向へ歩き、北口から外へ出る。
いくら夏休みとはいえ、都会ではないので人通りはそこまで多くはなかった。
北口には何度か来たことがあるが、注意して周辺を見たことがない。だから黒曜石を目印にと言われたときはピンと来なかった。そんなものあったかな、くらいにしか思わず、今もそれの正確な位置はわからない。
しかし意識して辺りを見回すと、駅のすぐ側に目的のものは見つかった。
近づいて確認してみる。確かに大きな石の塊が展示され、『黒曜石』と彫られた石看板が設置されていた。
ここが、イコとの待ち合わせ場所。
緊張感が高まってきた。尋人は辺りを見回すが、イコらしき人物の姿はまだ見えない。
スマホはアリスに繋いだままになっているが、なんだか怖くて画面を見ることができない。もしも視線を移して、そこにイコがいなかったら。そんなことを思うと嫌な汗が背中を伝う。
それでも黙っているわけにもいかず、尋人は到着したことを告げるために文章を打ち込んだ。
『今、黒曜石の前にいるよ』
すぐに、返事は返ってきた。
『イコも、黒曜石の前にいる』
スマホから顔を上げて周囲を見渡す。前後左右に視線を向ける。
しかしまばらな人通りの中に、イコの姿を見つけることはできなかった。
もう一度スマホの画面に視線を落とすと、イコからメッセージが届いていた。
『尋人、どこにいるの?』
「――っ!」
全身の熱が一気に冷めた。手が震え、返事を打つのに時間がかかった。
『黒曜石の前にちゃんといるよ! イコは、どこにいるの!?』
『イコも黒曜石の前にちゃんといるよ!』
でも、どこにもいない。
互いが同じ場所にいるはずなのに、互いの姿が見えない。
『名前を呼ぶから。聞こえたら、返事をして』
それだけ打ち込んで、
「イコ!」
名前を呼んだ。彼女がどこにいても自分の声が聞こえるように、腹の底から強くイコの名前を呼んだ。叫んだ。
「イコ!」
通行人、誰かと待ち合わせをしている人、タクシーの運転手、そんな人たちがいきなり叫びだした尋人のことを不審そうな目で見ている。それでも構わず、尋人はイコの名前を叫び続けた。
でも、イコの返事は、聞こえない。イコの姿は、見えない。
「なん、で……」
スマホに視線を戻す。するとイコから返事が来ていた。
『イコも尋人の名前を呼ぶ!』
ワイプに視線を移すと、画面の向こうでイコがなにかを叫んでいる映像が映っていた。口の動きを注意深く確認すると、その言葉がなんなのかがわかった。
――ひ・ろ・と。
イコは、必死な形相で尋人の名前を叫んでいた。
「……聞こえない」
イコの声は、聞こえない。
「聞こえないよ、イコ……っ」
イコの姿は、見えない。
「イコォォォォォォッ!」
喉が潰れるのもお構いなしに、尋人は叫んだ。会いたい彼女の名前を呼んだ。
でも、それに応える誰かは、一人もいなかった。
膝から崩れ落ちた。やけに立派な黒曜石の石看板に背中を預ける。そのとき、ワイプの中のイコと目が合った。彼女は悲痛な表情を浮かべ、その瞳には薄らと涙が浮かんでいるのが見えた。
メッセージが、届く。
『自分と黒曜石が映るように映像を撮ろう』
もしかしたら、お互いに似通った別の場所にいるのかもしれない。そんな僅かな期待の込められた一文だった。しかし尋人ももうそれに縋るしかない。
尋人はその場でスマホのカメラを自分に向ける。それと同時にイコのほうでも映像が動いた。
「――っ!?」
そしてそれを見た瞬間、完全に言葉を失った。
背後を振り返って確認する。間違いは、なかった。
ワイプの中のイコの姿を映す映像には、視点の低い位置でのイコの姿と、黒曜石と、そして駅の外観、そこに掲げられている駅名がはっきりと映っていた。それは間違いなく、今尋人もいるはずの茅埜駅で、そこにある黒曜石の前で。
そしてその映像に映っている黒曜石と、駅の外観と、駅名と、そして自分たちの姿は、ほぼ同じアングルだった。
同じ場所から同じように撮影しなければ、こうは映らない。
つまり、二人は同じ場所に、同じように座り込んで、同じように撮影しているということだ。
「なん、なんだよ……」
でも、どこにもイコはいない。
同じ場所にいるはずなのに、イコの姿はどこにもなかった。
「どうなってるんだよっ!」
そしてやはり、尋人の叫びに応えてくる人は、誰もいなかった。
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