5-3

 幼なじみの突然の乱入によって、よくわからないうちに尋人はアリスをログアウトしてしまっていた。

 ここに尋人はいない。駅にいても仕方がないのでイコは家へと戻り、尋人が戻ってくるのを待った。

 今日は本当に驚くことばかりが起こる日だ。

 尋人と幼なじみの古山が友達だったことももちろん驚いたが、そんなことが些細なことに思えるくらい、駅では驚愕した。

 いくら探しても、いくら呼んでも、尋人を見つけることはできなかった。しかも同じ映像を撮影し、同じ場所にいるはずなのに尋人の姿は影も形も見えず、しまいには尋人の電話にかけたはずなのに、尋人だが尋人ではない誰かが電話に出た。

 たぶんではあるが、電話に出たのはモールで会った尋人なんだと思う。それがどういうことなのかはまるでわからない。しかしイコの知っている尋人と、電話に出た尋人はなにかが違うような気がするのだ。

 なにかがおかしい。それはイコにもわかっていた。しかしそれがなんなのか、なにがおかしいのかの見当はまるでつかない。

 そもそもイコは考えることが苦手だ。感情のままに、直感と運命を信じて行動する。だから難しいことをいくら考えても頭が痛くなるだけだ。投げ出すわけじゃないが、この事態への解答、もしくはヒントを求めてパソコンからアリスにログインする。

 尋人が部屋にいるかもしれない。そう思うと昨日までは楽しくて嬉しい気分になれた。これがきっと恋なんだとそんなことを思ったりもした。しかし今は少し違う。尋人を求めているはずなのに、顔を合わせることに僅かな躊躇いがあった。

 それでもイコは部屋へと向かう。パスを入力して部屋に入ると、しかしそこは無人だった。まだ尋人は戻ってきてはいない。

 それからしばらく、部屋の中でイコは一人で過ごした。

「……一人の部屋って、こんなにも退屈なんだなぁ」

 最初、この部屋がブッキングしたときはどうしようかと困った。いずれどちらか出て行かなくてはいけないと思って、それなら自分は残りたいと思った。なにせこの部屋の記事を見たときにも運命を感じたのだ。だから絶対にこの部屋がほしくて、頑張ってこの部屋を購入した。

 しかし今思えば、この部屋に運命を感じたのは、この部屋で尋人と出会うためだったんだと思う。運命の人と出会う場所。だから、この部屋に運命を感じたのだ。

 この部屋はもう、どちらかのものではない。

 イコと尋人。二人が出会い、二人が共に過ごす場所なのだ。

 だから、一人は寂しい。一人はつまらない。運命の相手を、求める。

 ――と、願いが通じたかのように部屋に誰かが入ってきた。もちろん誰かなんて確認するまでもない。アバターの視点を変えると、そこには尋人がいた。急いでワイプに切り替える。

「尋人!」

 尋人側もワイプに切り替わったことを確認して声をかける。しかし尋人はその声に応えず、なぜか沈んだ顔でカメラを覗いていた。

「尋人、しーちゃんとなにしてたの?」

「……っ。……」

 イコが尋ねると尋人は一瞬なにかを言いかけ、しかしすぐに唇を引き結んで黙り込んでしまった。

 それだけでわかる。なにか、尋人にとって、そして自分にとってもよくないことを尋人は知ってしまったのだ。

 尋人はそれでも黙っていた。イコも辛抱強く尋人が口を開くのを待つ。

 自分では考えてもきっと答えにはたどり着けない。でも目の前の彼は、きっとその答えか手がかりにたどり着いている。それはたぶん、二人にとってあまりよくない答えに違いない。

 でも、それでも。きっとイコは知らないといけないのだ。

「…………図書館に、行ってきたんだ」

 そしてついに、尋人は話し始めた。

「図書館?」

「古山に、図書館に連れて行かれた。最初は僕もどうしてなのかわからなくて、でも古山は図書館で十年前の新聞を借りてきて、僕に見せたんだ」

 古山が見せた、十年前の新聞。

 その二つのキーワードを聞けば、いくらイコでも自分との繋がりを見つけることができる。十年前の新聞に載るような出来事で、自分が関係していることと言えば、一つしかない。

 あの、水難事故だ。大雨による河川の氾濫。確かに自分はそれに呑み込まれて生死の境を彷徨ったことがある。でも今はこうして何事もなく生活している。なのになぜ、古山はその記事をわざわざ図書館に行ってまで尋人に見せたのだろうか。

 ワイプの中で尋人はその先を口にするのを躊躇っているように見えた。僅かな沈黙が訪れる。イコもその先が気になり、自分から訊きに行く。

「イコが、川で溺れたこと?」

 そう言うと、目に見えてわかるくらい尋人の身体が跳ねた。そして一瞬だけ目が合い、しかし尋人はすぐに逸らした。

 やはり古山が図書館に尋人を連れて行った目的はそれらしい。

「でも、それがどうしたの? 確かにイコは増水した川で溺れたけど、今はこうして元気だよ? あ、ほら。前に話したよねっ。高倉グループの社長さん。あの人が川に飛び込んでイコを助けてくれたんだっ」

 新聞を調べたのなら、わざわざそんなことを言わずとも尋人なら事実を知っているだろう。でも原因はわからないが尋人の顔は相変わらず沈んでいる。だから少しでも場の雰囲気を変えようと、イコは努めて明るく言った。

 だが、尋人の態度は変わらなかった。いや、むしろ顔色はさらに悪くなったようにも見える。

 そしてその尋人は、一度口を開き、なにかを逡巡するような顔をして口を閉じる。しかしすぐに覚悟を決めたような表情になってイコの名前を呼んだ。

「……僕が古山から見せられた新聞には、今イコが言ったこととは違うことが載ってたんだ」

「違うこと?」

 違うこととはなんなのだろうか。そもそも十年前の事故についてイコは当事者だ。なのにその当事者が知っている情報が間違っているわけがない。イコは事故当時、記憶が混乱したり失われたりしたことだってなかったはずだ。

 それにたとえイコの知っている情報が仮に間違っていたとしても、新聞に正しい情報が載っていればこの十年の間に必ず気づく。この話は特別秘密にしていたわけはないから、誰かにこの話をして食い違いがあれば違和感に少なからず気づけたはずだ。

 それが今までなにもなかったということは、イコの知っている情報は間違ってはいないということになるはずだ。

 それじゃあ、尋人の言う違うことは――。

「違うことって、なに?」

 恐る恐るそう訊いた。

 そしてそのときの尋人の表情を見て、イコは思った。

 きっと、尋人は嘘をつくのが下手な人なんだな、と。彼の表情は、これから話すことが悪いことであると如実に語っている。

「…………イコは」

 尋人の瞳が、揺らいだ気がした。

「イコは――もう、死んでいるんだ。十年前に」

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