3-1

 ウルズ――柏木憩のことを知った。

 素顔と本名、そして連絡先。知ったのはたったそれだけだったが、一晩明けても尋人はイコのことで頭がいっぱいだった。

 今までの人生は、決して友達が多かったとは言えない。小学生のころの友達なんて顔も名前も覚えていないし、中学からは勉強漬けで友達を作る余裕もなく、また、周りはみんな敵だった。

 ここ数年で友達と呼べるような関係になったのは古山が唯一で、イコはそれに次ぐ友達になった。

 だがイコと古山の決定的な違いは性別だ。古山は男、イコは女。男友達と女友達では、その関係性は大きく異なる。

 特に小学生時代の記憶が曖昧な尋人にとって、女子の友達というのは初めてと言ってもよく、またとても特別な存在だった。

 なんだかイコと話をしたくてアリスにログインする。しかし部屋の中にイコの姿はなかった。残念な気持ちを抱えつつも尋人はしばらくイコのことを待った。

 画面の中ではアバターのヨーエロが手持ちぶさたに腕をぶらぶらさせている。その様子をぼーっとしながら見ていると、今までのイコとの会話が思い出された。ウルズとしての会話も、昨日の夜にしたイコとの話も、少しずつ思い出してくる。

「……」

 思い出すとなんだかニヤけた。気持ち悪いと自分でも思って表情を引き締める。

 誰かと話をしたり、その内容を思い出してニヤニヤするなんて、こんな感情は初めてだった。古山といくら話をしてもニヤついたことなんてなかったはずだ。それとも、自分では気づいていなかったが、古山にこんなニヤけ面を見せていたのだろうか。

「……それは、なんかやだな」

 自分と古山を入れ替えて考えてみる。

 もしも古山が常にニヤニヤしながら話しかけてきたら、たぶん尋人は古山を遠ざけたかもしれない。常にニヤニヤして喋る男なんて気持ち悪い。そんな気持ちを古山にも味あわせていたのだろうか。もしもそうなら、なんだか申し訳ない。

 尋人はスマホを手にして古山に電話をかけた。数回のコールで古山が出る。

『もしもし?』

「古山、今時間ある?」

『あると思うか? 星稜の二年でこの時期に時間があるのはお前だけだぞ』

 その口ぶりからして、今も予備校にいるのかもしれない。いや、電話に出れたと言うことは家で勉強しているのかもしれない。どっちにしろ、あまり時間はなさそうだ。

「一つ訊きたいことがあるんだけど」

『あれ、俺の話聞いてた?』

 聞いていた。そのうえで訊いているのだ。

「僕さ、古山と話すときいつもニヤニヤしてた?」

『は?』

「いや、もしかしてそうかなって思って」

『よくわからんが、ニヤニヤどころか境野はいつもつまらなそうにしてるな』

「つまらなそう?」

 考えていたのとは真逆の答えが返ってきて尋人は少し面食らう。

『境野は勉強嫌いだろ? でもうちは進学校だからな。そういう空気とか、進学校のシステムとか、周りの評価とか、そういうのが嫌いなんだろ?』

「うん、まあ」

 だからこそドロップアウトしたのだ。

『たぶん境野は、学校の空気自体が嫌いなんだと俺は思う。だからあの空間にいても楽しいと思えない。いつもどこか気怠げで、遠くを見てる感じがしてた。自分じゃ気づいてないかもしれないけどさ、俺は境野が学校の中で笑ってるところをほとんど見たことがないな。学校を出てなら、何度かあるけど』

「……」

 なにも言えなかった。

 古山に言われて、確かにそうかもしれないと思った。古山の指摘は当たっていて、尋人は学校が好きじゃない。押しつけられる勉強が嫌いだ。強制される戦争が嫌いだ。だからそのことが当たり前になっている学校というものが嫌いだった。

 でも周りはそれを受け入れている。それが当たり前だと思っている。だから周りはそんな空気で、その空気の中にいることが尋人は苦痛だった。

 意識していたわけじゃない。でも無意識のうちに、その空間にいることを嫌がっている自分の気持ちが表情に表れていたのかもしれない。

『でもどうしたんだ、急に』

「え、ああ、うん。なんかさ、とある人のことを考えたり、会話を思い出したりするとなんか顔がニヤけてたから。もしかしたら僕はいつもそうやって会話していたんじゃないかって急に心配になったんだ。だってほら、ニヤニヤした顔のまま喋ってたら気持ち悪いだろ?」

『まあ、そうだな。でもま、そんなことはないから安心しろ』

 古山の言うとおり、その点については安心できた。でもこれからはもう少し気をつけなくてはいけないと思う。決して古山と話すのが辛いとか、つまらないわけじゃない。だからせめて彼の前では笑顔を向けて話そうと決めた。

『……ところで、それって例のアリスの女か?』

「え、そうだけど」

『もしかして、素顔を知ったとか?』

「……なんでわかるの。エスパーか」

『どうだった?』

「え、それは……可愛かった、けど……」

 なんだか妙に照れくさくなって語尾を濁す。しかし肝心なところはしっかり伝わっているので、電話の向こうで古山が「ほほぅ」と、なんだかいやらしい声をあげた。

『その可愛い娘のことを思い出すと顔がニヤける――ということだな?』

「まあ、そういうことなになるね」

 こちらから質問していたはずなのに、いつの間にか古山がぐいぐいと質問攻めにしてくる。なんだなんだ。

『――惚れた?』

「………………はい?」

 素っ頓狂な声が口から漏れた。

 古山の言葉をもう一度よく考える。

「いやいや、なんで?」

『だって、その娘のこと思い出したり、会話を思い出したりするとニヤけるんだろ? 会いたいと思うんだろ?』

 最後のは言っていない気がするが、まあその通りだから否定はしないで頷いておく。

『そもそも、なんでもないときにその娘のことを思い出したりしてるなら、それはもう間違いなく好意だぞ』

「そ、そうなの?」

『境野は嫌いなやつのことをなんでもないときに思い出したりするか?』

「それは、しないけど」

 嫌いな人、嫌いなこと、そんなものはできればずっと考えたくもないし、一秒だって思い出したくはない。きっとそれは尋人だけじゃなく、人間なら誰もがそうであるはずだ。

『思い出す。そしてニヤける。そんなの、好意がないとありえない。しかもそいつは女子で、境野は少なくとも可愛いと思えるほどの娘だ。しかも境野、友達いないしな。女子なんて一人もいないだろ?』

 大きなお世話だと言いたかったが、その通りすぎてなにも言えない。

『そんな中に現れた自分好みの美少女。話が弾んで、一時とはいえ別れるのが惜しくて、再会までの間に彼女のことを考えてニヤつく』

「古山どうしたの? なんか変だよ?」

 その呟きを古山は無視して、そして言った。

『お前それは――恋だろ』

 古山の言葉にドクンと心臓が鳴ったのがわかった。

 恋。それは、尋人がイコに恋心を抱いているということだ。尋人がイコのことを好きになったということだ。

「――え」

『おめでとう。初恋か?』

 そんな古山の言葉は耳に入ってこなかった。

(恋。僕が、イコに? イコのことを、好き――?)

 心臓の動きが速くなる。

 その後も、古山がなにか訊いてきていたが、ロクな返事をすることができなかった。

 尋人の頭を支配していたのは、昨日初めて見たイコの笑顔だけだった。

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