2-7
一度考えてしまったら、それはもう歯止めが効かなかった。
夜にマンションの部屋でウルズと会う。もうそれ自体は日課になっているが、尋人の気持ちは今までとはまるで違っていた。
目の前でウルズとしてのアバターがアクションを起こし、アバター越しに彼女の声が聞こえる。一つ一つのアクションの中に、一つ一つの言葉の中に、アバターを操作する彼女の幻影を見る。
いくつのも妄想が浮かんでは消える。現実の彼女はどういう人物だろう。ウルズと話していてもその話の内容はあまり頭に入ってこなかった。
それは初めての経験だった。今まで誰かの言葉が耳に残らないことなんてなかった。もちろん、自分でシャットアウトした言葉は別だ。今もずっと彼女のことを考えている。なのにその彼女の言葉が耳に残らないというのは、あまりにもおかしな感覚だった。
だから返事も気の抜けた相づちになる。
「もーっ、聞いてるっ!?」
それまでよりも大きな声がヘッドセットから聞こえ、尋人は思わず身体をビクつかせた。
「な、なに?」
鼓動の早くなった心臓を押さえつつ訊き返す。
「あー、やっぱ聞いてなかった。……だからね、行きたい場所は決まったのって訊いたの」
行きたい場所というのは確認するまでもなく、ウルズ曰くの埋め合わせのことだ。いくら夏休みとはいえ時間が無限にあるわけじゃない。なんだかんだで結局は行けなくなってしまったでは、尋人も後悔するだろうし、ウルズも約束を果たせなくなってしまう。
ウルズにそう訊かれて尋人の頭に浮かんだ景色は海だった。
古山にも勧められ、ネットで画像を検索してからそのことも頭から離れない。もちろんウルズの水着姿も込みである。
「えっと」
もう一度頭の中に彼女の水着姿が浮かぶ。繰り返せば繰り返すほどその水着は大胆に扇情的になっていった。とたんに顔が熱くなる。話し相手の水着姿を想像して顔を赤くしているなんてとてもじゃないが知られてはいけない。
恥ずかしさのあまり尋人は言葉を濁し、
「えっと、実はまだ」
と、返事をした。
「そっか。早めに決めないと、夏休み終わっちゃうからね? それにお互いの住んでいる場所によってはそう簡単には会えないし」
そんなウルズの言葉に衝撃を受けた。
(やっぱり、実際に会うつもりなんだ)
古山に言われるまで気にもしなかったその事実だが、ウルズの口から聞いたことでそれは明確な答えになった。
この前のライブとは違う。アバター越しではなく、実際に彼女に会える。
ウルズの言葉に尋人の期待はいやでも広がる。だが同時に、古山に投げかけられた一つの疑問も浮かんだ。
「ねぇ、ウルズ。キミは、抵抗ないの?」
「抵抗?」
「ほら、僕は実際には顔も知らないし、本名も知らない。ほとんどお互いのことを知らないんだ。そんな僕と、いきなり会ってどこかに遊びに行くなんて、キミは平気なの?」
もしかしてウルズも昼間までの尋人と同じで、『初めて顔を合わせる』という事実に気づいていないのではないだろうか。唐突にそんな疑問が浮かんだのだ。
しかしウルズは「あははっ」と盛大に笑うと、
「それ、この前、友達にも言われたっ」
気づいていたのだ、彼女も。それでいてなお、そう提案してきたということは――。
とある一つの考えが浮かんで、顔が熱くなる。
「じゃあ、なんで?」
その先の答えを期待して、訊いた。
「んー、ヨーエロならいいかなって思って。ここんとこ毎日話をして、悪い人じゃないのはわかった気がするし、別に会うくらいいいかなって。それに、わたしも会ってみたいって思ってたしね」
会ってみたいと思ってた――。
その言葉にまた顔が熱くなる。ウルズも尋人と同じことを思っていたのだ。気持ちが一つになった気がして、なんだか嬉しかった。
「それに、運命だと思うから。本当ならわたしたちはこの部屋で会うことはなかった。でもそのおかげで知り合えた。友達になれた。いい人に巡り会えた。だから、運命。わたしの直感が、そう言ってる」
ウルズの声の雰囲気がいつもと違っていた。それだけ彼女の想いが真剣だということだ。『運命』というものを信じているのだ。
「そうだっ、ねぇ、ヨーエロ」
「うん?」
彼女の雰囲気はすぐにいつものものに戻ってしまった。明るく屈託のない声が尋人のことを呼ぶ。
その声に訊き返す。
「わたしたち、これから会わない?」
「え?」
そしてウルズの口から出たのは、まるで予想もしていなかった言葉だった。
(これから、会う?)
いずれ、尋人が行きたい場所を決めて、二人で計画を立てて、然るべき準備をして、そしてようやく二人は顔を合わせることになると思っていた。そのときまではまだ時間があると思っていた。
だがウルズは今から会おうと言ってきた。心の準備もなにもしていない。
「え、でも、それは」
声が裏返った。尋人は一つ咳払いをして続ける。
「もう夜遅いよ? これからってのはさすがに」
二人が近所に住んでいるとは限らない。もしかしたら車や電車を使っても何時間もかかる場所に住んでいるかもしれない。終電ももう終わっている。だとしたら高速の移動手段を持っていない二人には今から会うなんて不可能だ。
だがウルズは「ちっちっち」とこれ見よがしにいう。それに合わせてアバターの人差し指が左右に揺れた。
「直接会うわけじゃないよ。顔を合わせるだけ」
(顔を合わせるだけ……? ……あ)
そのとき、尋人は自分のパソコンのディスプレイの上についているとある物に気づいた。
「もしかして、ウェブカメラ?」
「だいせいかーいっ」
つまり、カメラでお互いの顔を写し合って話をしようということなのだ。
パソコンを新調したときに確かにカメラの存在は知っていた。でもそのカメラを有効利用したことは一度もなかった。だからその存在すら尋人は忘れていたのだ。
盲点と言えば盲点だ。灯台もと暗しとはこのことだった。すぐ近くにお互いの顔を見れる装備があったのだ。
「ヨーエロのパソコン、カメラついてる? 確か、スマホのカメラからでもできた気がするけど」
「大丈夫、パソコンに内蔵されてるから」
「へー、良いパソコン使ってるなー。わたしは外付けのを持ってるっ」
珍しく高校の入学祝いを買ってくれると言い出した両親への、些細な当てつけとして一番高いやつを要求したらカメラがついていただけだ。まったくその機能を使っていないどころか、存在すらわすれていたので完全に宝の持ち腐れだったが、まさかここへ来てこんな活躍の場に恵まれるとは思ってもいなかった。
尋人は机の引き出しにしまってあるはずのパソコンの解説書を引っ張りだして内蔵カメラの使い方を確認する。
ウルズはウルズでパソコンにウェブカメラをセットしているようだ。
「ヨーエロ、準備できた?」
「もう少し」
解説書を読みながらカメラの設定をするが、あまり内容が頭に入ってこないのはこれから先に起ることへの同様からかもしれない。
それでも一秒でも早くと気が焦り、僅かにキーを叩く指が震えた。
「よし、これで大丈夫……な、はず」
なんとかセッティングを終える。ウルズはもう準備が終わっているらしく、尋人が声をかけると「それじゃあ」と返す。
いよいよだ。
まさか今日、このタイミングでウルズの素顔を見ることになるなんて思ってもいなかった。心の準備もなにもしていなかったが、チャンスであることに変わりはない。一度、深呼吸をして気持ちを落ち着けて、カメラを起動する。
「行くよっ。ご対面!」
ウルズの言葉を合図にカメラとアリスをリンクさせる。するとパソコン画面の右上に小さなワイプが表示された。
「……っ」
そしてそこには、一人の少女の顔が映っていた。
顎のラインで切り揃えられた黒い髪、その色とは正反対の透き通る白い肌、大きな瞳と整った鼻梁、桜色の唇、そして首筋を通ってチラリと鎖骨が見えている。
見える部分はそれだけだが、しかし尋人は息を呑んだ。
古山に、顔会わせたウルズが好みじゃなかったらどうするのかと訊かれたが、そんなことは完全に杞憂だった。今まで女子と接する機会がほとんどなかった尋人だが、ワイプに映る少女の素顔は尋人の目を釘付けにした。
「あ、あははっ。なんか照れるね」
ワイプの中で彼女が頬を僅かに染める。ちゃんと向こうにも自分の映像は届いているようだ。
「うぅ、えと、あの。……わたし――イコは、柏木憩。あなたは?」
柏木憩。それが彼女の名前だとわかって、そして初めて自己紹介をされたことに尋人は気づいた。
イコの名前を知って我に返る。尋人も慌てて名乗る。
「僕は、境野尋人。よ、よろしく」
「よろしくねっ、尋人!」
ヨーエロではない、自分自身の名前を呼ばれてドキッとした。そして名前を呼ばれたことで、今ならいけると、尋人もイコの名前を呼ぶ。
「よろしく。…………――イコ」
たったそれだけで背中に変な汗をかいた。ワイプには自分の顔は映らない。変な顔をしていなかっただろうか。引きつっていなかっただろうか。そんなことが心配になるが、どうやらそれはイコも同じらしかった。二人で照れくさそうに笑い合った。
「じゃあ、この際だ。電話番号とアドレスも交換しちゃおう!」
またしても唐突なイコの申し出。心の準備は一切できていないが、でも尋人にとっては願ったり叶ったりだった。
イコの言葉に便乗して、顔合わせ、自己紹介、それに続いて連絡先の交換までした。
その日、なんだか変に興奮してなかなか眠ることができなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます