2-5

 休みの日の食事と言えばもっぱらコンビニ弁当だった。

 母親は仕事で家にいないし、いたとしても普段家事をしないから料理が上手いわけでもない。というよりも、そもそも母親が料理をしているところなんてここ数年見た記憶がなかった。

 夏の暑さで目を覚まして時計を見ると、針はもうすぐ十二時を指すところで、時間を認識すると一気に空腹感が訪れた。

 尋人は着替えて顔を洗って外へ出る。夏の日差しを全身に受けながらコンビニを目指す。

 尋人の家は住宅地の真ん中にある一軒家だ。歩いてすぐのところにコンビニはあるが、考え事がしたくて少し遠くのコンビニまで足を伸ばした。

「行きたいところ、か」

 ウルズが昨晩に言っていたことを思い出す。

 尋人は中学まで夏休みは勉強をするためにあると思っていた。でも高校に入って受験戦争から離脱して、勉強なんてする気がなくなって、夏休みという空白の時間ができた。

 今まで勉強しかしてこなかった。だから連絡をとってまで遊ぶ昔の友達なんていないし、クラスメイトは以前の尋人と同じように勉強に精を出していた。唯一、古山だけが友達と呼べる存在だったが、古山はなにも尋人とまったくの同類というわけではない。古山は古山でこの夏休みを受験のための準備期間として当てているはずだ。

 遊ぶ相手なんていないし、どこでなにをして遊べばいいのかもよくわからない。だからウルズがどこかに連れて行ってくれると言っても、どこへ連れて行ってもらえばいいのかまるで検討がつかなかった。

「そもそも、女子だしなぁ」

 行きたいところがないわけじゃない。行ってみたい場所、憧れていた場所はいくつかあった。でもその場所にいきなり同年代の女子を誘ってもいいのだろうか。男子と女子では好みも考え方も違う。女子はおろか、同年代の男子とすらまともに話したことがない尋人にとって、ある意味でウルズは自分たちとは別の生き物のような存在だった。

 歩きながら周囲を見渡すと、普段の休日よりも明らかにカップル率が高いように思えた。みんな夏休みだからここぞとばかりに遊びにでかけているだろう。彼らはこれからどこへ向かうのだろうか。どういう所へ行ったことがあるのだろうか。

 いっそ訊いてしまったほうがラクな気がする。しかしいきなりそんなことを訊ねたら、それはもう完全に変な人だ。

 結局尋人は答えが出ぬまま目についたコンビニに入り、売れ残りの弁当を買って外に出た。

「あれ、境野?」

 声がして振り向くと、そこには額に薄ら汗を浮かべた古山がいた。周りには見慣れない顔の男子が二人立っている。

「なにしてんの、古山」

「昼飯買いに来たんだよ。俺、すぐ近くの予備校に通ってるから。言ったことなかったっけか?」

 予備校に通っているのは知っていたが、この近くなのは知らなかった。よく見れば家からそれなりの距離を歩いていたらしい。

「境野は?」

「僕も昼飯を買いに。ついでに考え事」

「それって勉強のこと、じゃないよな」

 言って、古山が笑う。もちろんそんなことではない。

「僕がそんなこと考えるわけないじゃん。……と、そうだ、ねぇ古山」

 古山は真面目なやつだ。でも明らかに尋人よりは俗世に詳しいだろう。たしか中学までは普通の一般校に通っていたと言っていたし、夏休みに遊んだ経験くらいあるだろう。

「古山はさ、夏休みに行くとしたらどこ行きたい?」

「なんだよ急に」

「なにってこともないけど、ほら、僕アリスのテスターやってるじゃん? そこで知り合った女の子がいて、その娘とアリス内のライブハウスに行く約束をしたんだよ」

「ほお。なんとも羨ましい話だな。俺がこんなに勉強で青春を潰しているというのに」

 なら古山もやめればいいのに、とは思ったが口にはしなかった。

「で、その娘が急用で来れなくなって、ライブは僕一人で行ったんだけど、その埋め合わせにどこかに連れて行ってくれるって話になったんだ」

「……それは、現実でってこと?」

 言われて、そういえばと思った。

 イコは特別なにも言っていない。現実で、とも、アリス内で、とも。てっきり現実で会ってどこかに行くと思い込んで考えていたが、ライブだってアリス内での話だったのだ。もしかしたら今回もそうなのかもしれない。

「ん、たぶん……?」

 でもそんな風に古山に答えたのは、きっと尋人の願望が表に出たからだろう。

 そうであってほしいと、ウルズに会ってみたいと、そう思っていたからそんな風に考えたのだ。そういえば、ライブの誘いのときもそんなことを思ったような気がする。

「リア充か、爆発して死ね」

 ひどい言われようだった。

「それで、どこに行けばいいのかと」

「そんなの、自分が行きたいところに行けばいいだろ。連れてってくれるってんだから」

「そりゃそうだけど、簡単にわかったら苦労はないよ」

 なにせ尋人は今まで夏休みに遊んだことなんて一度もないのだ。遊び方というものを、そもそも知らない。

「ていうか、凄いな、境野」

「なにが?」

「だってアリス内でってことは、顔を合わせたこともないんだろ? てことは、初顔合わせでどこかに行くってことじゃん。俺はそんな度胸ない」

「どういうこと?」

 古山の言っていることがいまいちわからない。初顔合わせだと、なにか問題があるのだろうか。

「よく考えろ? たぶん境野はその娘のことを妄想してるよな? アバターのことじゃない。中身の、人間のほうだ」

 尋人は頷く。

「妄想ってのは往々にして美化されるもんだ。あの娘はこんな性格で、こんな顔で、きっと僕好みだ、みたいな」

「それは、まあ」

 見透かされたようでとたんに恥ずかしくなる。夏の日差しとは関係なく体温が上昇する。

「でも実際に会ったらそんなことはなかった、なんてのは日常茶飯事だ。それがネットの怖さだ」

 そう言う古山の顔は、なんだか苦虫を噛みつぶしたように歪んでいた。

 尋人よりもそういうことに経験のありそうな古山のことだ。もしかしたら過去に同じような体験をしているのかもしれない。

「自分が思い描いていた女の子じゃなかったときのテンションの落差は凄まじいぞ」

 なにげに失礼なことを古山は言っていたが、言いたいことはわかった。

 つまり、会うのなら一度別の場所で顔合わせをしてじっくり考えろということなのだろう。

 よく見ると、古山の後ろにいた二人の男子も「うんうん」と頷いていた。みんなそれぞれ尋人が経験したことがない夏休みを過ごしてきたのだろう。羨ましいのか、そうでないのかは微妙なところだったが。

「でもまあ全てが境野の期待通りに運んだとして、女子と一緒に行くなら、海だな」

「海?」

 古山は一つ頷き、

「夏といえば海。海といえば夏。女子とどこかに行くといえば海。海といえば女子とどこかに行く場所の定番」

「そ、そうなの?」

「当たり前だろ。女子との海なんて、最高のシチュエーションじゃん。男が一度はやってみたい夏の定番の一位にランクインしてもおかしくないから」

「そ、そこまでか」

 急にテンションの上がった古山が少し怖かった。

 しかし海なんて考えもしなかった。尋人にとって海はテレビの中だけの存在で、生の海を見たことなんて一度もない。

 この時期は、確かに朝のワイドショーなどで海の特集をやっているのを何度も目にするし、そこに映る女性の水着を見て思うところはあったが、自分で行くなんて考えたこともなかった。

「高校生男子の夏の最大の目的は、女子と海に行って水着を見ることだと言っても過言じゃない」

 古山の言葉に再度、後ろの二人が「うんうん」と頷いていた。

 どうやら男子高校生にとって、女子と海と水着は求めてやまないものらしい。

「というか古山、そんなに力説するなら自分も行けばいいじゃないか。古山なら僕と違って女子の友達の一人や二人いるでしょ? 仲の良い娘がさ」

 中学までは一般校だったうえ、古山はこの性格だ。同性からみても顔の造りだって悪くはない。昔の女友達くらい声をかければ一緒に海に行けそうな気がする。

 しかし尋人が何気なく訊いたその言葉に、古山は黙り込んだ。

 顔を伏せて、表情を消し、

「仲の良い、女友達……か」

 そう呟く。

 その古山の声も表情も、尋人は初めて見るものだった。

「……いたよ、俺にも。そういう友達」

 顔を上げた古山の表情は笑っていた。でもそれは、わかりやすいくらいの作り笑顔で、夏の暑さとは正反対の冷たさを感じさせた。

「古山?」

 今まで見せたことがない古山の表情。それが気になって声をかけるが、次の瞬間には古山はもういつもの笑顔を向けて、

「ま、そういうわけだから、行くなら海な、海」

 尋人の肩をポンと叩く。

「じゃ、俺ら昼飯買って食べて戻らないといけないから。俺たちに夏の青春なんて訪れないんだよ」

 そう言って後ろの二人を伴ってコンビニの中に入っていった。

 友人のあの表情が最後まで気になったが、踏み込んではいけないような気がして古山のことを引き留めることはできなかった。

 夏の日差しが肌を焼く。尋人は古山が出てくるのを待たず、炎天下の中家へと戻った。

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