2-1

 夏休みになるとアリスにログインする時間が増えた。

 古山をはじめとしたクラスメイトたちは塾の夏期講習に精を出しているらしい。しかしもちろん尋人がそんなものに参加するわけもなく、部屋で静かにパソコンに向かっていた。あの部屋でウルズと話をしているほうが何倍も楽しかった。

 ウルズは今まで尋人の周りにいなかったタイプの女子だ。というよりも、尋人の環境が特殊だったのかもしれない。尋人にとって他人とは、ほぼ全てが争いの相手だ。ライバルだが、それを『好敵手』とは書かない。ただの敵だった。

 だからあんな風に話をしたり、感謝されたりすることなんてほとんどなかった。ましてや女子でなんて初めてだった。同世代の異性と話すのがこれほど楽しいなんて初めて知った。同年代の男子が彼女を求める気持ちをようやく尋人は理解した気がした。

 尋人は今日もアリスへログインし、あの部屋へ向かう。特別なにかを約束しているわではないので、部屋にウルズがいないこともたまにある。それでも毎日、尋人は部屋へ足を運んだ。

 パスを入力してドアを開け、中に入る。そしてそこにウルズがいるのを確認すると、無意識のうちに口元がニヤついた。

「おはよ、ヨーエロ」

「おはよう」

 とはいっても時間はもう昼過ぎだ。

「ヨーエロ、今日暇?」

 部屋に入るなりそんなことを訊かれる。クラスメイトたちと違って、尋人に予定などなにもない。頷き即答すると、ウルズが喜んでいるアクションを見せた。

「ならさ、ライブ行かない?」

「ライブ?」

 ライブとは、いわゆるあのライブだろうか。

「ほら、勉強のお礼するって言ったでしょ? 今日ね、わたしのお気に入りのバンドが出演するライブがあるんだ。それを一緒に見に行かない? 絶対に気に入ると思うよっ」

 ウルズはすでに興奮気味にそう語った。その声色から本当にお気に入りなのが伝わってくる。

(ライブか……)

 もちろんそれがなんなのかくらい知っている。でももちろん、ライブを見に行ったことなんてない。それどころか、まともに音楽すら聴いたことが尋人にはなかった。勉強には必要ないと、両親から規制されていたからだ。

 そうやって長年過ごしていたせいで音楽自体に興味を持つこともなくなっていた。それはドロップアウトした今でも同じで、特に音楽を聴きたいとは思わない。興味なんて湧かない。

 でも一緒に行く相手がウルズとなれば話は別だった。

「あ、それともこんなことじゃお礼にならない?」

 ライブに行くということは、もちろん会場に足を運ぶということだ。それはつまり、現実でウルズと顔を合わせるということだ。アバターのウルズではなく、それを操作している本物の彼女と会うということだ。

 顔を見たことはない。でも声の感じ、話し方、そこからウルズの顔を想像することはできる。そして人間は、好意的なものに対して大なり小なり美化する傾向にある。尋人の中のウルズの中の人も例外ではない。

(それはなんて言うか)

 はっきりいって、ご褒美なんじゃないかと思った。なにせ尋人の想像上のウルズは、自分好みに膨れあがった美少女になっているわけなのだから。

「ヨーエロ?」

「え、あ、いや! そんなことないよっ、とっても、いいお礼だと思う!」

「いいお礼? なにそれ」

 あはは、とウルズは笑った。テンパっておかしなことを口走ったことを後悔する。

「じゃあ行けるってことだね? 会場はアリス内にあるライブハウスだから」

「……え?」

 ウルズの言葉に耳を疑った。

 アリス内の、ライブハウス? それはつまり、現実で会わず、アバターのままライブを聴くということか。それはつまり、お互いに顔を合わせることはないということか。それはつまり、尋人の期待したようなことは起こらないということか。

「ん? どうかした?」

「え、ううん。なんでも」

 冷静に考えれば、そりゃそうかと思う。いくらなんでも今日開催されるライブにいきなり現実で会って一緒に行こうなんて言うわけがない。なにせ二人はお互いがどこに住んでいるのか知らないのだ。

 家が近いならまだ可能性はある。でも普通に考えればそんな可能性は低い。会いに行くだけで時間がかかって、ライブに間に合わなかったら意味がない。となれば当然、今日開催されるライブは二人がすぐに行ける場所で行われるのが当たり前だ。

「ライブは七時からだから、六時半にここに集合でいいかな?」

 幻想はすぐに打ち砕かれた。初めて女の子とデートできるかと思って思考が鈍った。舞い上がっていたのがとても恥ずかしい。

「うん、わかった。六時半に、ここで」

 なるべく平静を保って、尋人はそう答えた。

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