2-2
現在時刻、午後六時四十分。待ち合わせの時間から十分がオーバーしているが、イコは未だ姿を見せなかった。
尋人は振り返って部屋の時計を確認する。時間は間違っていない。
「……なにかあったのかな」
そう思うが確認する術がない。ウルズとはこのアリスを通じてしか繋がっていないのだ。現実での連絡先を尋人は知らない。だからウルズが現れなくてもただひたすらに待つことしかできなかった。
そしてそれからさらに五分が経過したとき、カチ、と部屋のロックが外れる音がした。この部屋のロックを外せるのは尋人の他には一人しかいない。
「ご、ごめんっ」
案の定、ウルズが慌てた声で入ってきた。
「あ、あのねっ」
ウルズは、尋人がなにかを口にする前に慌てたまま続けた。
「急に用事ができちゃったんだ。それであの、今日のライブ、行けなくなって。あの、ホントにごめんっ」
よほど慌てているのは、ウルズが連続で頭を下げるアクションをする。パソコンの前でアクションキーを連打している中の人のことを想像した。
「あ、そうなんだ。えっと、それは仕方ないよ」
正直に言えば残念だった。なにせ、ネットの中とはいえ、女の子と二人で出かけるなんて初めてのことだったのだ。勉強のお礼だとしても、誘われたときは嬉しかったし、一度ログアウトした後も楽しみにしていた。
でもだからって駄々をこねるほど子供でもない。用事ができてしまったのなら仕方がない。
「それでね、もし良ければ、ヨーエロ、ライブハウスに行って?」
「え、僕一人で?」
ライブハウスに一人で行くなんて、音楽初心者の尋人には正直いってハードルが高い。
「わたしのおすすめのバンドはね、インディーズですらない学生バンドで、A-liveって言うんだけど歌い方に特徴があって、決まったボーカルがいないの。ライブのたびに、ギター、ベース、ドラム、キーボードの担当の誰かがボーカルも兼任するっていう変わった演奏の仕方をしてるんだ。それはなんでも、幻の五人目がいてその人が本来のボーカルなんだけど、なんらかの事情で今は一緒に活動できてないらしいって噂があって」
と、ウルズはまくし立てるようにおすすめのバンドについて語っていく。その剣幕に尋人は口を挟むことができず、ただただ頷くだけだった。
「とにかく、そんなちょっとミステリーなバンドなんだけど、絶対に良いから! 曲もなんだけど、特に歌詞がいいんだ! あ、ちなみにわたしのおすすめはキーボードの女の子がボーカルをやってるときだからっ。ああ、もう時間がっ。とにかく、せっかくだから聴いてほしいんだ、ヨーエロにも。だからもし良かったら行ってみて」
「う、うん。わかった」
ウルズの勢いに押されて思わず頷いてしまった。
「うん。それじゃあわたしはもう行くから。今日はホントにごめんね、こっちから誘ったのに。この埋め合わせは必ずするから!」
「あ、うん。気にしないで……って、出てくのはやっ」
よほど時間に追われていたのか、それだけ言い残してウルズは部屋を出て行った。
尋人は一人取り残され、さてどうしたものかと思う。ライブの開始まではまだ十分以上ある。会場は現実ではなくアリス内のライブハウスなので十分もあれば会場まで行ける。でももともとはウルズと一緒に行くはずで、尋人にしてみればライブ自体よりも『ウルズと一緒にどこかに行く』というのが目的だった。
(でもウルズ、いないしな)
だから本来の目的は果たせない。
「でも、行くって言ったしなぁ」
勢いに負けたとはいえそう言ってしまった。ここで行かないのは嘘をついたことになる。
それにライブに行けば今後の話のネタにはなるだろう。もしかしたらこれがきっかけでもっと仲良くなれるかもしれない。繋がりができるかもしれない。
「よし、行ってみよう」
それに音楽にまったく興味がないわけではないのだ。求めていた、現実とは違う世界が見えるかもしれない。
尋人はアバターを操作して部屋から出た。
ライブハウスの場所はウルズから予め聞いていたため迷うことはなかった。開演の五分前に到着し、ライブハウスの前にいるアバターに話しかける。
「あの、ライブ聴きに来たんですけど」
「あ、はい。いらっしゃーい」
てっきり受付のアバターはNPCかと思ったが、どうやら外で誰かが操作しているらしい。少しチャラい男の声が返ってきた。
「見ない顔だね? 初めて?」
「え、はい。友達と来る予定だったんですけど、来れなくなって。僕一人で」
「そっかそっか。それは残念。でもま、一人でも楽しめると思うよ。今日のは実力派揃いのバンドばっかだから。そうだ、初めてならここのシステムを少し説明するよ」
「え、システム?」
アバターは慣れた様子で説明を始めた。
「ここはネットの中なんだけど、実は同じ時間に現実でもライブが行われるんだよね。現実とリンクしてんの。現実でのライブをアリスでも聴けるようにするんだってさ、将来的にもね。その実験段階ってわけ。ほら、そうすれば遠くからでもライブ聴けるでしょ? こっちとしても客が増えれば儲かるしね」
アリスは今ベータテスト中で、尋人はそのテスターの一人だ。現在のアリス内では正式サービスに向けてさまざまな試みが行われている。その試みは正式サービスの際には現実と深く関わってくる。
多くの企業が出店し、そこでの商売がリアルマネーとなって利益になる。このライブハウスも、そうした試みの一つらしかった。
「まだアリスはテスト中だからさ。キミみたいなお客って実はあんまいないんだ。だから観客のほとんどもNPCなんだけど、それでもちゃんと盛り上がるようにプログラムされてるから、安心していいよ」
「は、はぁ」
要するに生身の客は尋人くらいしかいないということだった。
しかしこのライブハウスの中に、実は人間の観客が自分だけというのはなんだか寂しい。いくら盛り上がっていても、周りはプログラムされたNPCだとわかるといまいち乗り切れない気がする。
(やっぱりウルズと一緒のほうが良かったかな)
そんなことを思って入店を躊躇っていると、ライブハウスの中から歓声が聞こえた。
「お、ほら始まるよ。行って行って」
どうやらライブが始まるらしい。尋人は受付のチャラいアバターにせかされるままにライブハウスに入った。
初めて入ったライブハウスは薄暗く、尋人の目の前にはいくつものアバターがいる。ステージ上だけが明るく照らされ、そのステージの上にはギター、ベース、ドラム、キーボードが置かれ、キーボードの前にはマイクスタンドも置かれていた。そしてそれぞれの楽器の前には観客とは違うアバターが立っている。
彼らがどうやら、オープニングを勤めるバンドのようだ。
そしてマイクスタンドの前に立つアバターが名乗りをあげた。声からして女性。その彼女が自分たちのバンド名を告げる。
それは、ウルズがおすすめだと語っていたバンドの名前だった。
軽い自己紹介のあと、ドラムがリズムを刻んで演奏が始まる。ウルズの言っていた通り、このバンドにはステージの中央で歌うボーカルがいなかった。そして今日は、ウルズが一番好きだと言っていたキーボードの女性がボーカルを担当するらしい。
自然と耳を傾けた。初めて聴くライブ。ウルズは、彼女らがインディーズですらないアマチュアだと言っていた。しかしその演奏を聴いて、尋人はすぐに夢中になった。
ウルズが勧めてくれたから? たぶんそれはあるし、それがもっとも大きいだろう。でも単純に彼女らの演奏が素晴らしかったからだと思う。
それは今まで経験したことのない世界だった。まったく知らない初めての世界だった。
その世界を、尋人は楽しいと感じていた。
初めてアリスのことを知ったときの文言を思い出す。違う可能性の世界とは、こういうことなのだろうか。机に齧り付いていたら一生知ることがなかった世界。勉強という争いからドロップアウトしたからこそ知ることができた世界。勉強を続けていたら、知ることはなかった世界だ。
そしてその世界は、こんなにも胸を高鳴らせた。
ウルズは自分の知らない世界を知っている。彼女と一緒なら、自分もそんな世界を見られるかもしれない。今見ているこの世界も、もしかしたらもっと素晴らしいものになるかもしれない。
また、来よう。今度は二人で、もう一度。
演奏を聴きながら、尋人はそう思った。
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