第2話:カスタードクルーラー
=・=・=・=
――――魔法のドーナツ屋。
それは魔界の森にひっそり建つヴィレッジショップ。
銀の時計が十時を指せば、その扉が開かれる。
お店には煌めくガラスのショー・ケース。
そこに悠々と並ぶのは甘い香りのドーナツたち。
店主は若き青年プレッツと、
カウンターには手のひらサイズの妖精少女フェリー。
笑顔の二人は元気いっぱいにお客様を出迎える。
表の看板に描かれた店名は幸運の名を持つグリュック商店。
さあ、開店の時間だ。
まずは一口だけでも彼らのドーナツをご賞味あれ。
美味しさの魔法と称される、そのドーナツたちを。
=・=・=・=
ここ最近、ゼーゲンヴォールの町長シヴァは深く老け込んだように見える。
獣人族の犬属としては、年老いるごとに耳や尻尾も垂れてきたし白髪も段々と増えてきた……などと個人的な悩みも増えているのは、月一に開催される定例議会の所為であった。
財政状況の悪化や近隣市町村との問題、町民同士の
特に今日は、秘書に聞かされた思いもよらない大問題が胃に孔を空けるくらい傷めつけていた。
「その話は本当か」
「はい。ラズ山で農業をしていた住民から、この町に向かっているとの報告が」
「この町を標的にされたと……いうことなのか」
シヴァは両手で頭を抱えてテーブルに項垂れ、目の前に置かれた写真を白目で見つめる。
写真の隙間には大きな赤字で
「この二人組が、本当に我が町に……」
「暴力的な二名で町を襲う厄介な輩です。早急な対策が必要かと」
「グランツ国境騎士団に依頼をかけるべきか。いや、間に合うわけがない」
苦痛の表情を浮かべ、人差し指の爪先で手配書をトントン叩く。
「ならず者たちめ。この町を火の海にするつもりか」
「地元ギルドのクローネ団長には、警戒を強めるよう伝えてはいますが」
「それで何とかなるようなら有難い話だが、厳しいだろうな」
どうしようもない事態だ。
町の平穏が脅かされた災厄とも云える危機。
自分が町長に就任してから……いや、この町生誕以来の大事件かもしれない。
どうして自分の任期でこんな事件が起こってしまうのか。
「……ッ」
悲壮感を飛び越えて逆に
気分が折れれば、今まで気にしなかった些細な出来事すら腹立たしく思うもの。
有耶無耶な怒りの矛先は、テーブルの端っこに置かれた"茶菓子の小皿"へと向けられた。
「……おい。この菓子は誰が買ってきたのだ」
「それは私です。とあるドーナツ屋の人気商品だったもので」
町長用に置かれたティー用の茶菓子。
いつもは変哲のないチョコレートやクッキーのはずが、今日ばかりは珍しく"ドーナツ"が置かれていた。
「穴の開いた……リングドーナツとやらか。森で店を構える人間の店のものだな」
「そうです。評判のドーナツを是非町長に食べて頂きたく思って」
小皿に乗った二つのドーナツは、ココアで彩られた褐色の焼きドーナツ。
ココアの芳醇な香りが甘く食欲をそそる一品だ。
ところが、シヴァはぶしつけに言った。
「安い菓子で十分だ。そうやって金を無駄に使うから町が貧困へと向かっていく! 」
たかがドーナツを買ったくらいで怒鳴り散らす。
今まで温厚で知られた町長が、どれだけ追い込まれている状況かはあまりに察する。
しかし、だからこそ秘書は「コホン」と咳払いして購入した理由を言った。
「それほど高くは無いですし、私のお金で購入しましたのでご安心下さい。最近町長はお疲れ気味なので、せめて美味しいものをと思いまして」
町長を想ってのことだったが、シヴァは小さく首を左右に振った。
「……すまないが、人間の作ったものを食べる気にはならない」
優しさと分かっていても、食しようとはしなかった。
「町では魔法のドーナツ屋と呼ばれて話題ですよ。一口でも如何でしょうか」
「いらんよ。魔法のドーナツとは大それた名前だな。自分で言っているのか」
「いえ。このドーナツを食べた皆さんが笑顔になるほどに美味しいという意味のようです」
「……だとしても食べる気にはなれん。そもそも私は純粋な人間というものが好かん」
「人間がお嫌いでしたか」
「平和協定を結んだとはいえ、私は人間が……嫌いだ」
少し前のことだ。
人間界から訪れた冒険者が、地元の酒場で暴れた事件があった。
たまたま同じ場で飲んでいた手前、仲裁に入らざるを得ず、その際に人間に殴りつけられて怪我を負った事件を未だに根に持っていた。
自分に限らず最近じゃ人間たちが魔界で問題を起こすことは多いと言うし、彼らを心底嫌悪していた。
「……そうでしたか。ドーナツは処分しておきます」
秘書は残念そうに言った。
正直悪い事をしてしまった気がするが、あくまでも人間の作った料理など言語道断、食したくは無い。
「すまない。廃棄してくれ。お前が食べてもいい。私は少し町に見回りに出て来る」
「承知しました。もし賞金首を見かけたら下手に接触せず、ギルドにご連絡をお願いします」
「分かっている」
そう言ってシヴァは部屋をあとにする。
そのまま役場を出てみれば、全ての悩みが払拭したのかと勘違いしてしまうほど雲一つない快晴がひろがっていた。
(ああ、良い天気だな。このような日にとんでもない問題が起こったものだ)
眉間にしわを寄せる。
両コブシを爪跡が残るくらい強く握り締めた。
(どうすればよいのだ。この町の住民の誰か一人にでも危害を及ぶことは避けたい。住民に避難勧告を出すのは簡単だが、パニックを起こして二次災害を起こす可能性すら……)
何か良い案がその辺に転がっていないものか。
唸りながら辺りを散策する。
だが、そんなことを考えているうちに、郊外に広がる
「……おっと、考えている間にこんなところまで」
深淵の森は大木がいくつも重なり形成される大森林である。
しかし物騒な名称や雰囲気とは裏腹に、数多くの友好的な獣人族の住居が構えている。
――――そういえば、この付近だった。
例の人間が作るお菓子屋があるという森の入り口は。
(おや、この甘い香りは……)
ふと辺りに甘い香りが漂っていた。
犬属らしく効いた鼻で匂いの元に目を向けると、やはり、噂の店屋がそこに構えていた。
(あれか、憎き人間のドーナツ屋というのは)
大木をくり貫いて棲家とする妖精族の自宅に、改築を施した
その小窓から漏れる白い湯気は風に乗って周辺に甘い香りが漂わせる。
あれほど毛嫌いする人間の店ではあるが、この香りは何とも食欲がそそられてしまうと、つい腹が鳴った。
(い、いかん。いかんいかん。人間の作ったものなど食べる気にならん! )
首を激しく左右に振り、絶対にダメだと自ら言い聞かせる。
いかん、気をしっかり保て。
この匂いに
もしかしたら、賞金首たちの情報も入ってきているかもしれぬ。
シヴァは、逃げるように店に背を向けた。
しかし、その瞬間。
ゾクッ……。
背筋に悪寒が走った。
反射的に振り返る。
すると、その目線の先で、遠くからでもハッキリと目視することが出来た。
魔法のドーナツ屋に、手配書の二人組が入店していく姿を。
「な、何だと!? 」
見間違いかと目を疑うが、遠目で小窓のガラス越しに見てしまう。
・獣人族の狼属『ギフト』
・昆虫族の蟻属『ニーダー』
その二人が間違いなくドーナツ屋カウンターに立っている姿を。
(しょ、賞金首の奴らが居るとは。もしかして香りに誘われたのか)
もう町の近くまで来ていた賞金首にも驚いたが、よもやドーナツ屋に入って行くとは。
はてさて、これはもしや……好都合なのではないだろうか、そんな考えが過る。
(そうだ、今のうちにギルドに伝えて店を包囲させよう。例え人間ひとりが犠牲になったくらいで誰も文句は言わんだろう。囮役になって貰うとしよう! )
ドーナツ屋には時間稼ぎをして貰うとする。
さあ、急いでクローネ団長の待つギルドへと向かおうと走り出したが、何故かその足は数歩進んだところでピタリと止まる。
(……待て)
本当にこの場から立ち去って構わないのだろうか。そんな自問が生まれた。
自分は心底人間が嫌いだ。
しかし、ここから都合つけて逃げることは、野蛮で卑怯な人間と何ら代わりないのではないか。
加えて秘書の言葉にあった通り、彼のドーナツが、ゼーゲンヴォールの住民たちを笑顔にしていることは熟知していた。
(ええい、相手は人間だぞ。見捨てれば良いというのに……っ)
不本意極まりない。
それでも悲しい事に、自分は町をより良いものにするために町長となった思いが僅かに勝る。
(駄目だ。私に誰かを見殺すことなど……出来ぬ)
震える手足は、いやがうえにも再びドーナツ屋に向けられた。
賞金首たちの恐怖に慄きながら、ゆっくりと、だが確実に、シヴァはドーナツ屋へと歩みを進める。
いよいよドーナツ屋に辿り着くと、ひと呼吸おいて『グリュッグ商店』のドアを押し込む。
チャリンチャリン♪
商店らしく響いた楽し気なベルの鐘。
これが戦闘の合図になるやもしれないと緊張したシヴァだったが、そこに拡がっていたのは思いもよらぬ光景であった。
「は、え……? 」
シヴァの前には当然賞金首の二人組、ギフトとニーダーが確かに居た。
だが、暴力を繰り返す
「な、なんだ……こりゃ」
想定外な事態にあっけらかんとなる。
そこに、カウンターの内側に立っていた青年"プレッツ"がシヴァにこれまた予想外な出迎えをする。
「いらっしゃいませ! 」
……と。
「何だこれは……いらっしゃいませだと。何なのだ、この状況は! 」
ドーナツ屋は襲われていたのではないのか。
どうして賞金首の二人が笑顔でドーナツを頬張っている。
わけが分からん。
恐らく、カウンターに立っている青年が例の人間なのだという事だけは理解できた。
「この状況は何なのだ。君たちはドーナツ屋を襲いに来たのではないのかね!? 」
シヴァは立てた指先でビシビシ賞金首たちを指差す。
対して狼属ギフトは、ドーナツから零れた口元のクリームを舐めながら答えた。
「おおよオッサン。俺らの事を知ってるンか」
「知ってるも何も私はゼーゲンヴォールの町長シヴァだ! 」
「ほー、そうかい。なら話は早いな……」
口角を上げて見せた笑み。赤い歯茎に鋭い八重歯が光った。
この言い草、もしやこの町を荒らす宣言でもする気なのか。
要件は……一体なんだ!
シヴァが訊く。
ギフトは笑みを浮かべたまま答えた。
「俺らがグランツェーレの騎士団から逃げてる身なのは知ってンだろ。こんな田舎町なら、しばらく身を隠せるかと思って遊びに来たんだけどよォ……」
やはり、か。
だが私は町長として、彼らに屈するわけにはいかない。
例え惨めな姿を晒したとしても。
「……頼む。この町で暴れるのは止めてくれ。差し出せるものなら大人しく従う! 」
暴漢相手に深々と頭を下げて懇願した。
恥を忍んでも町を守りたいと願っていたからだ。
「あァそうかい。そういう話かい。何でも差し出すってのかい……」
町長の言葉に、ギフトは偉そうな態度で鼻息を鳴らす。
「出来る限りなんでも差し出す。頼む。頼むから暴れないでくれ。町の誰も傷つけないでくれ」
きっと暴力を働くと信じ込むシヴァは「お願いだ」と頭を下げ続けた。
ところがギフトとニーダーは苦笑いして言った。
「落ち着けよオッサン。別に俺らは町を壊す気はねえよ」
「ほ、本当か!? 」
「本当だ。……いや。正直に言えば最初は暴れてやるつもりだった」
そう言いながら、ギフトは自らの後頭部に両手を回して瞳を細めた。
「ところがどっこい実はよォ。ちょいとあるきっかけがあって、考えを変えたんだワ」
きっかけだと……?
一体何が彼らを変えたというのだろう。
シヴァが首を傾げると、ギフトは「ココさ」と店の床を指差した。
「このドーナツ屋さ。……ああ、最初から話をしてやろう。俺らがこの町に向かってた道中のことだ。ある猫属のガキと出会ったんだ。俺らはそのガキの家に
一時間ほど前の話だ。
彼らは町に向かう道中の森で、猫属の"ルビィ"と出会っていたという。
当初、彼女の自宅を隠れ家にしようと目論んだらしいが、その紙袋に気付いたことで状況は一変する。
『なんだィ、その袋の中身は』
ギフトが鼻を鳴らしながら質問するとルビィは泣きながら答えた。
『ド、ドーナツです』
『その袋をこっちに寄越しナ』
ルビィから手渡された紙袋。
早速二人で覗いてみると、パンやもケーキとも違う異形の食べ物に目が奪われてしまう。
『こりゃ食い物なのかァ? 』
親指と人差し指で摘まんみた。
指先に感じたのはしっとりモチモチ不思議な感触。
疑問を抱きつつも、香りに誘われて、つい口へと運んでしまった。
パクッ、ゴクリ……。
すると今まで食べたことの無い美味しさに、頭の中が一気に意識が覚醒した。
「ククク、美味さに舌が取れたかと思ったぜ。ンでよ、ガキに訊いたらドーナツっていうじゃねえか。俺の知ってるドーナツはボールみたいな形だったもンでな、ビックリしたわけよ。折角だから店の場所を聞いて遊びに来たわけなんだがなァ」
ギフトはカウンターに立つプレッツの左肩をバンバン叩いた。
「これが大正解だったゼ。この店に並んでるドーナツは全部うめェ。こんな菓子は食ったことがねェ。こんな美味い店がある町を襲ったりしたら勿体ない話だろ。今回はこの町をスルーさせて貰うことにしたぜ。それと店主サンよ、残ってるドーナツを全部紙袋に詰めてくれや。貰っていくぜ。文句はねえな」
プレッツは「勿論です」と頷いた。
町長との会話で事情を察するのは容易だし、嫌だなんて言えるわけもない。
そそくさとドーナツを紙袋に詰めると、ギフトらに手渡した。
一方で町が救われたことで安堵したシヴァは、力が抜けてヘナヘナと崩れ落ちた。
「ほ、本当に暴れないんだな。約束してくれるか……」
「しつこいぞ。俺らにケンカ売ってンなら買うぞ、オイ」
「滅相も無い! 」
「クハハッ。なら、これでも食って大人しくしておけや。プレゼントだぜ」
ギフトは紙袋から、あるドーナツを取り出してシヴァの手元に置く。
渡されたのは妙に生地が
これを私に食べろというのか。
「なんだったかな、ソレ。確か"クルーラー"とかいうドーナツだ。旨いぜ。食えよ」
やはり私に食べさせる気だ。
しかし、人間のしかも秘書にあれだけキツくあたって拒否したドーナツだぞ。
それでもこれを食さねば奴らの機嫌を損ねる危険がある。
食べないという選択肢は無い。
「た、食べます。いただきますよ」
慎重にドーナツを口元に近づけていく。
本当はこんなもの今すぐ捨てたいと思うが、犬属の敏感な嗅覚で芳醇な香りは一層に強まるばかり。
グングン食欲が沸き上がっていった。
そして、ついに我慢は限界を越えて、ドーナツを口に放り込む。
瞬間、後悔よりも先に、脳天へ電撃が落ちたような衝撃に、思わずあの言葉を零した。
「うまい……ッ」
嗚呼、たった一口で理解できた。
彼のドーナツが魔法と呼ばれたその所以を。
今までこの町で、いや……魔界全土で食したことのない美味さをどう表現すればよいのか。
(美味い。美味い。なんて美味さだ。元々分かっていたさ。秘書が用意してくれたココアドーナツは、部屋中に美味な香りを感じさせていた。食う前からこのドーナツが美味いのは分かっていたんだ。だから……食うのは嫌だったんだ。もう駄目だ、手が止められんっ)
シヴァはドーナツにむしゃぶりつく。
口の周りに黄色く甘いクリーム・ソースを付けながら、美味い、美味いと食べ続けた。
「なんたる美味さだ。外はサクサクなのに中はしっとりとしておる。それにこのバニラ香る黄色いクリーム。とろとろの舌触りがとても良い。不可思議な味わいの数々、まさか禁忌たる魔法素材を使っているわけでは無かろうな!? 」
シヴァは全てを食べ尽くしてから、今更文句を言う。
プレッツは苦笑いしてそれに答えた。
「ハハ、別にヤバイ素材じゃないですよ。生地を
加えて焼き上げたクルーラーには隙間に切り込みを入れておき、シヴァが絶賛する"あるクリーム"をたっぷり挟む。
「その黄色いクリームはカスタードクリームといいます。材料は卵黄や砂糖など使用して作るんですけど、最近ウチの常連で魔獣ロック鳥を飼育してる方がおりまして、新鮮な卵を頂戴したんです。非常に濃厚な卵だったので、とても美味しくできたと思います」
カスタードクリームとは、卵黄・砂糖・小麦粉・牛乳といった材料をボウルで混ぜ合わせるだけの簡単な甘味ソースである。
人間界では特段珍しくは無いのだが、どうやらゼーゲンヴォールでは中々出回らないディップらしい。
ちなみにカスタード自体甘さの強い代物だが、プレッツの作ったクルーラーのドーナツ生地は敢えて甘みを抑えている分、悪目立ちすることなく卵の味わいが濃厚に際立たせているのは流石というところか。
「あと、ドーナツの名前はそのまま『カスタード・クルーラー』と名付けてみました」
相変わらず商品名には、クルーラー生地のような捻りが無い。
とはいえ、シンプルこそ料理の姿や味わいも想像できるというものだ。
「カスタード・クルーラーか。名前のセンスは無いようだが、味はとにかく美味かった。それは認めよう」
まさに魔法のドーナツだと
すると、その脇で大量のドーナツを携えたギフトが言った。
「そろそろ俺らは次の町に行くとするぜ。今日は大収穫だった」
「……町に居座らない事に感謝を言うべきなのだろうか」
「俺らに礼を言うより、この人間に礼を言っとけよ。そンじゃあな」
ギフトは「行くぞ」とニーダーの肩を叩く。
賞金首の二人は片手を上げて挨拶しながら穏やかに店から出て行った。
それからシヴァは彼らの姿が完全に消えた後で、プレッツに向かい、しどろもどろに口を開いた。
「……あの、プレッツ君。君のおかげで町は救われたらしい。どう礼をすればいいか」
「俺はドーナツを渡しただけです。何も気にしないでください」
「な、なんと。プレッツ君、キミは……」
なんて謙虚な人間なのだろう。
どうやら私は、この男を勘違いしていたようだ。
「キミは他の人間と違うように見える。私は純粋な人間を嫌っていたが、キミなら受け入れられそうだよ」
その誠実さに惚れ込みそうになる。
プレッツは「とんでもないです」と答えた。
自分もただの人間です。
ただの、何の変哲もない、ドーナツ屋の人間です、と。
「そう言うか。人間にはキミのような存在も居るのだな。キミには感謝しか無い。ありがとう」
心の底からお礼を申し伝える。
これがきっかけで、他の人間も好きになれるように努力しようと思えた。
ところが、そんな良い雰囲気に包まれた時。
キッチンの奥から妖精族フェリーが
「プレッツ~……」
と、顔を覗かせた。
「ああ、フェリー。もうあの二人なら居ないよ」
「本当の本当に? 」
「ドーナツ全部を奪っていったよ。次の町に行くってさ」
「よ、良かったぁ~」
胸を撫でおろしたフェリーは、ふわふわ飛んでプレッツの肩に腰掛ける。
「あの二人は有名な賞金首なんだよ。私みたいな妖精族を捕まえて売ったりしちゃうって聞いた事もあったし……なのにプレッツは逃げるどころか『いらっしゃいませ~! 』とか歓迎しちゃうし。私ばっかり反射的に隠れちゃった。一人で逃げて……ゴメンね」
申し訳なさそうに言う。
プレッツは彼女の頬を突いて笑った。
「良いんだよ。彼らが本当に君を誘拐しようとしてたらケンカしてと思うし」
「あうう、突かないでぇ。でも、そう言ってくれるなら嬉しい……」
「だけど困ったといえば困ったね。お金も払って貰えなかったもんなあ」
全てのドーナツを奪われ、ショーケースには何一つ残っていない。
何より痛手なのは今回の目玉商品として販売したカスタードクルーラーである。
「カスタードクルーラーは安くない食材を使っていたもんなあ」
「でも命あってのものだし。だからもう、あんな真似しないでね」
「ごめんごめん」
今回は助かった喜びだけあればいいか。
すると、その会話にシヴァが口を開いた。
「なあプレッツさん。今回は私がドーナツ分のお金を出させて欲しいんだ」
「え……いやいや、そんなわけにはいかないですよ」
「そのくらいはしないと罰が当たるというものだ」
シヴァはポケットから財布を取り出し、ボンとカウンターに置いた。
「損害分はしっかり取ってくれ。遠慮は要らない」
「今日に限っては決して安く無いですよ。気にしないで下さい」
「金をとってくれねば私の気が済まないのだ。しかし一つお願いがある」
「お願いですか? 」
「ああ。恥ずかしい話なのだがな……」
シヴァは言い辛そうに『とある依頼』を伝える。
それを聞いたプレッツは、嫌な顔一つせず、むしろ笑顔で「いいですよ」と頷いた。
―――そして、四時間後。
一人役場に戻ったシヴァのもとへ、慌てた様子の秘書が飛び込んできた。
「町長、何処に行かれていたのですか。賞金首たちの対処方法を早急に練りましょう! 」
何も知らない秘書は息と声を荒げる。
シヴァは落ち着くよう促し、危機は去った事を説明した。
「……ええっ、そのような事があったのですか」
「あのドーナツ屋とプレッツ君が町を救ってくれたのだ」
「どれだけ感謝しても感謝しきれないですね」
「私も人間に対する考え方を変えるいいきっかけになったよ」
「それは何よりだと思います」
「うむ。それと今朝は悪い事をしたと反省してな……」
シヴァは引き出しからガサガサと、ある紙袋を取り出す。
「実はプレッツ君にココア・ドーナツを作って貰ったんだ。奴らにドーナツを全て奪われてしまったもので、残った材料でも良いからと無理にお願いしてな。それでも味は保証するらしい。一緒に食べてくれないか」
開けた紙袋の中からは、美味しそうなドーナツが顔を見せる。
秘書は笑顔で「頂きます」と答えたのだった。
……そして、これは事件以降のお話になるのだが。
毎月の決まったある日だけ、町長室の茶菓子にはドーナツが並ぶようになったとか、ならないとか。
「ふふん、なるほど。私も彼の魔法にかかってしまったらしいな」
シヴァはニヤニヤしながら、今日もドーナツを頬張っている。
…………
…
【 カスタードクルーラー 終 】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます