【全五話】魔界の幸せドーナツ屋 ~Gluck Shop~

Naminagare

第1話:ダブルベリードーナツ


 魔法のドーナツ屋。

 そう呼ばれ始めたのは、いつ頃だっただろう。


 別に、この俺"プレッツ・サン"には特別な調理技術があったわけじゃない。


 でも確かに、お菓子作りは趣味の領域を越えていたと思う。


 未知のお菓子素材を求め、平和調停後の魔界に足を踏み入れるくらいだったし。


 だけど、それをきっかけに自分の運命という歯車は大きく動いた。


 それは魔界の田舎町ゼーゲンヴォールでのこと。

 たまたま俺が振舞ったお菓子に住民たちは「美味しい」と言ってくれた。

 

 ……ああ、間違いが無いようにもう一度言うけどさ。

 俺は特別な調理技術があったわけじゃない。

 唯一つお菓子作りが趣味を越えた趣味だっただけ。


 でも、俺は。


 俺の作ったお菓子で喜ぶ彼らの笑顔を見た途端、人生で一番の幸せを感じた。

 だからその町に根を下ろすことを決意したんだ。


 ちなみに数あるスイーツからドーナツ専門のお店を開いたきっかけは……。


 振舞った料理で一番ウケが良かったから!


 そんな単純な理由だ。


 そして今日も、森の入り口にひっそり構える小さなお店ヴィレッジショップで、妖精族の少女フェリーに手伝いをして貰いながら、ドーナツ屋『 グリュッグ商店 』は元気に営業中―――。


=・=・=・=・=・=・=


「……これ、欲しい」


 朝十時過ぎ、開店して早々の出来事だった。


 来店したのはネコ耳を生やした獣人族の一人の少女。


 肌寒い季節、少し大きめのフード付きパーカーを着用した可愛い少女は、ショーケースに並ぶ焼き立てのドーナツを深紅の瞳で見つめ、もう一度「これが欲しいの」と呟いた。


「これが欲しいのかい? 」


 プレッツが尋ねる。

 彼女は小さく頷いた。


 羨望の眼差しの先にあったのは、イースト・リング・ドーナツ。


 生クリームやチョコレートといった特別なコーティングも無いが、たっぷりのバターを使って焼き上げることで、芳醇な香りに小麦粉本来の味わいとモチモチした食感を楽しめる正に王道ドーナツだ。


 世間じゃ様々な呼び方で売られていたりするが、グリュッグ商店ではイースト・リングと調理名をそのままメニュー表に手抜き分かり易く明記している。


「よし、イーストリングを一個お買い上げだね」


 プレッツが言う。

 彼女は「うん」と答えた。


「じゃあ百ゴールドだよ。ありがとう! 」


 僅か一個の売上でも大歓迎。

 それでも自分のドーナツで彼女が笑顔になってくれればそれで充分なのだ。


 しかし―――。


 優しい想いとは裏腹に、包装したドーナツを手渡した直後、事件が起こる。

 それは、彼女がコイントレイに投げるように支払った小銭が三十ゴールドだった事だ。


「おや、少しお金が足りないよ…………って、あらっ!? 」


 小銭を数えている隙に、目の前から少女は忽然と姿を消していた。


「あらら……」


 油断した。

 そういえば、獣人族の猫種は機敏にも動ける事を忘れていた。

 恐らく少女は最初から支払いを誤魔化すつもりで小銭を投げてきたのだろう。


(あ、あんな幼い子が盗むなんて思いもしなかったよ)


 可憐な少女が罪を犯すなんて。

 何だかガッカリして、カウンターの椅子に腰掛ける。

 さて、どうしようかと考え込むも、一瞬のうちに答えは直ぐに決まった。


「ま、いっか! 」


 今更文句を言っても仕方ない。

 魔界では、こんな出来事が日常茶飯事だと自分に言い聞かせた。


 ところが自問自答したタイミングで、突然耳元に「こらぁーっ! 」と黄色い怒鳴り声が響いた。


「いっ、うるっさ!? 」

「一部始終を見てたんだから。早く追いかけて、お金を貰ってきてよ! 」

「フェ、フェリー……」


 文句をぶつけて来たのは、非常に小柄な妖精族の女の子『フェリー・シュタット』だった。


 プレッツの手のひらサイズ程しか無い彼女はグリュッグ商店のお手伝いさんである。


 サイドで結った黄金色の髪と、蒼色の澄んだ瞳はうるわしい。それに整った顔立ちだけでなく、大きく膨らんだ胸元や腰つきなどのプロポーションは目が奪われる。


 ちなみに、フェリーの背から咲いたクリスタルの四枚羽根を持つ妖精はまれらしく、光を散らして飛翔する姿から『幸せの妖精』なんて呼称されているらしい、が―――。


「早く追いかけてよ。残りのお金を貰ってきてってば。一ゴールドを馬鹿にすると一ゴールドに泣いちゃうんだから」

「よ、妖精とは思えない台詞だな~。現実的だねホントに……」


 容姿や呼び名は幻想的なのに、人間より人間らしいというか。


 とはいえ実のところこの商店自体が"彼女の自宅"ということや、恥ずかしながら居住させて頂いている手前、めっきり頭が上がらなかったりする。


「で、でもさ。相手は子供だし。別に少し足りないくらい構わんだろうさ」

「構わなくないってば。さっきの女の子、レキスさんの娘さんなんだよ? 」

「レキスさんて、いつも買いに来るネコ耳の美人妻さんか」

「そうそう。あの子はルビィって名前だったかな……」


 フェリーはルビィの家の方角を指差してさっさとお金を貰ってくるように促す。


「お家はあっち。ほら、早く貰ってきて! 」

「い、いやあ。ホントに子供のやったことだし……ね? 」


 苦笑いしながら、宙を舞うフェリーの白肌の頬を人差し指でフニフニ突く。

 彼女は顔を赤くして「つつくなっ! 」と再び耳元で怒鳴り声を上げた。


「ひえっ。だって、それほど俺のドーナツが食べたかったってことだろうし」

「それとこれは別っ」

「レキスさんが来た時にでも事情を話せば良いさ」

「あのね。もう……呆れた。はあ……」


 プイッ。

 彼女はそっぽを向いて、光の粉を撒きながら奥のキッチンへと引っ込んでいった。

 

 ……なんともバツが悪い。


 怒らせちゃったな、と苦い表情を浮かべた。


(あちゃあ。わかってるよ、フェリーの言うことが正しいってこと。でもなあ……)


 俺が店を開いた理由は、この町のみんなに俺の料理を美味しいと言って欲しいから。


 別に大儲けしようとか金に執着心があるわけじゃない。


 生活するのに困らないくらいの儲けは出ているし、それ以上の望みは無い。


 もしも彼女が俺のドーナツを食べたくて盗んだのなら、ちょっぴり嬉しいという気持ちもある。


「……とは言いつつも。子供のうちから盗みを容認しちゃうと、それはそれで問題なんだよね」


 やはり母親が来店したら事情を打ち明ける必要があるだろうか。

 そんな事を考えていると、ふいに玄関のベルがチャリン♪と鳴って来客を告げた。


「おっと、いらっしゃいませ」


 慌てて椅子から立ち上がる。

 すると、そこに居たのは逃げたはずのルビィであった。

 片手には先ほど渡したドーナツ入りの紙袋をしかと握っている。


「……えっ。あ、あれ、ルビィちゃん……だよね」


 まさか戻ってくるとは。

 声を掛けると、彼女はこちらを見上げ、途端に表情をクシャリとゆがませた。


 あっ不味い。


 と、思う間もなく―――彼女は青い瞳に大粒の涙が浮かべた。


「お、おっと、ちょっと待っ……! 」


 しかし、流れ出た気持ちを止める事は敵わずにルビィは泣き出してしまう。


 面食らったプレッツは「どうして泣いちゃったのかな」と尋ねる。


 彼女は泣きじゃくったまま途切れ途切れに答えた。


「ご、ごめんなさい。お兄ちゃん。ごめんなさい……ひぐっ……」


 もしかして自分の行動をかえりみて戻ってきてくれたのか。


 だけど、今はとにかく泣き止ませねばならない。


 プレッツはカウンターから飛び出して彼女の傍に近寄り、片膝をついて優しく声掛けした。


「別に怒ったりはしてないよ。それよりキミは、どうしてこんな事をしたんだい。それを教えてくれるかな」


 落ち着いた声色で訊く。

 彼女は涙声で答えてくれた。


「た、食べさせてあげたかったから。でも、お金がなくて……だから……」


 どうやら彼女自身がドーナツを欲したわけでは無いらしい。


 誰にプレゼントしてあげたかったんだい。


 それを問うと、彼女は小さく「お母さん」と答えた。 


「お母さんに食べさせたかったの? 」

「うん……風邪をひいて辛そうだったの……」

「あ~、そういうことかあ」

「だからね、お母さんが大好きなドーナツでね、元気になってほしかったの。で、でも……」


 彼女の目元には再び涙がじんわりと浮かび、すぐに。


「やっぱり、こんなことしちゃ駄目だって思って、戻ってきたがらあ……! 」

 

 感極まったのか、また大きく口を開いて泣き始める。

 いやはや、これは参った。どうしよう。

 正直ルビィを母親のもとに連れて行くことは簡単な話だけど。


(この子の気持ちは凄く理解できる。無下には扱えないよ)


 やったことは悪い事かもしれない。

 だけど彼女は母親のために行動して、自分の過ちに気づいて戻ることを選んでくれた。

 きっと、この場所に戻ってくるのは何より怖かったはずなのに。


「……ルビィちゃん。もう泣かないで欲しいな。やったことは悪いことかもしれないけど、こうやって謝ってくれただけで嬉しいから。もう、次からやらないってお兄ちゃんと約束出来るかい」


 彼女の頭を優しくでて言う。

 ルビィはコクリと小さく頷いた。


 ……ごめんなさい。


 もう一度謝ると、ドーナツの紙袋をこちらに手渡した。


「返してくれるんだね。分かった。じゃあ……この三十ゴールドも返すからね」


 渡された紙袋を素直に受け取り、受け取ったお金は彼女に返す。


 だが、その瞬間。


 いつの間にか背後で浮遊していたフェリーが耳元で話しかけてきた。


「ちょっとプレッツ。そこ、返すところ? 」

「おわあっ!? 」


 突然話しかけられて心臓が飛び出しそうになる。

 フェリーは両手を腰に充てて、ため息がてら口を開く。


「キッチンから話は聞こえてたけど。流れ的にドーナツを渡すんじゃないの? 」

「さっきは金を取ってこいって言ってたよね」

「そ、それは……レキスさんが体調不良だなんて知らなかったからだもん」

「あのね。俺もだけどキミも考えて行動しようよ」


 つんつん。

 人差し指で彼女の頬を突いた。


「つつくなぁ! てか事情を知ったならドーナツくらいあげようよ」

「あー。だからそれは」

「さっきは盗まれても無関心だったのに、今更なんでケチになっちゃうの」

「話を聞いて。俺は、このドーナツは返そうねって言っただけだよ」

「だから、結局ドーナツはあげないんでしょ」

「違うって。意味を汲み取ってくれえ! 」


 プレッツはルビィの傍を離れ、いそいそとショーケースの裏側カウンターに移動する。

 そのままカウンターに立ち、前のめりにルビィに申し伝える。


「さて、ルビィちゃん。好きなドーナツを選んでくれるかい」


 それを聞いたルビィは「ふえっ」と目を丸くした。


「で、でも、お金……」

「レキスさんのためのお見舞い品サービスさ。好きなの持っていきなよ」

「い、いいの? 」

「ほれ、欲しいドーナツを遠慮なく言いなされ! 」

「……っ! 」


 好きなドーナツを持って帰ることが出来ると分かった途端、うつむいていた彼女の表情が打って変わって明るくなる。


 大きな声で「ありがとう! 」と言った。


「だけどね。これからはあんな悪いことしちゃダメだぞ」

「ごめんなさい……」

「うん。お兄ちゃんと約束出来るかな」

「約束する。本当にごめんなさい。もう、絶対にしません……」

「そっか。それなら好きなドーナツを選んで早くお母さんに持って帰ってあげようね」

「う、うんっ。じゃあ私、これが欲しい! お母さんね、これが大好きなの! 」


 彼女が指差したのは、イーストリングの表面に甘いチョコレートをコーティングしたチョコレート・ドーナツだった。敢えてチョコレートを薄く塗ることでパリッとした食感を楽しめる人気の一品だ。


「これだけで良いのかい。キミの分や、家族の分も選ぶといいよ」

「い、一個だけじゃなくていーの? 」

「次はちゃんと謝ってくれたキミの分。あと、お父さんの分も持って帰ってあげなよ」

「やったあ! 」


 ルビィは嬉しそうに飛び跳ねる。

 すぐさまショーケースに顔を押し付け品定めして、残り二つドーナツも選ぶ。


「これと、これ……あ違う、こっちがいい! 」

「イーストリングとクリームクルーラーでいいかな」

「うんっ! 」

「そっか。じゃあ、これで……はい。ありがとうね」


 新しい紙袋にドーナツ三つを入れてルビィに渡す。


 彼女は心底嬉しそうに「ありがとう」と言うと、大きく手を振ってお店から出て行った。


 それを見送ったプレッツも何処か喜々としてカウンターの椅子に腰を下ろす。


 隣を飛んでいたフェリーもプレッツの片膝に座り、こちらを見上げる。


「プレッツ、ごめん。私ってば色々早とちりしちゃった」

「最初にお金を回収しろって鬼の形相だったのは誰だっけ」

「うう、悪かったってば」

「あはは、責めるつもりは無いよ。それより、これ……分けて食べようか」


 それは最初にルビィに渡したイーストリングドーナツだ。

 もう売り場には出せないし、捨てるのも勿体ない。


「これ、フェリーの分ね」


 紙袋から取り出したドーナツを切り分ける。


 フェリーはサイズ的にも一切れ分だけだが、それでも十分な大きさだ。


 カウンター裏に置いてある彼女専用の休憩スペース、その小さなテーブル席の小皿にドーナツを乗せてあげた。


「わあっ、ありがとう」


 お礼を言ったフェリーは飛翔してその椅子に腰を下ろす。

 早速、ドーナツを手に取って口に運んだ。


「んっ、美味しい~♪ 」


 ふわふわモチモチとした生地に、優しい甘みが舌いっぱいに広がっていく。

 蕩けるような幸せの時間にフェリーは溶けそうな笑みを零す。

 一方、プレッツはドーナツを舌で転がしながら難しい顔を浮かべた。


「美味いけど生地の"寝かせ"が足りなかったかな。気温を考慮し忘れたかも」

「え~、これでも凄く美味しいよ」

「俺はみんなに貴賤きせんなく美味しいドーナツを食べて貰いたいんだ」

「その心意気は格好いいと思うっ。ここのドーナツは美味しいって言ってるもん」


 フェリーの誉め言葉にプレッツは照れ臭そうに返事する。


「ウチは魔法のドーナツ屋って呼ばれてるんだってね。噂を聞いたよ」

「そのくらい美味しいって評判だってコト」

「そりゃそうなんだけど、恥ずかしいっていうか」


 分かってるけど、大それた名前で呼ばれると緊張してしまう。

 まあ、悪い気もしないけど。

 むしろ、これから先も頑張っていこうと思えるくらいだから。


「ま、そう呼ばれる事を維持できるように頑張るさ」

「当然でしょ。私と一緒にこれからも美味しいドーナツをつくるんだからね」

「ああ、俺はみんなに笑顔になって貰えるように頑張るさ」


 二人は声を揃えて、改めてドーナツ作りに決意表明したのだった。


 ―――やがて、時間はゆるりと過ぎて。

 その三日後のお話。


「プレッツさん。本当に申し訳ありませんでした」


 午前十時、開店直後のこと。

 ルビィの母親であるレキスが謝罪に現れたのである。


「おやっ、レキスさん。どうもどうも」


 カウンターに立つプレッツは会釈する。

 レキスはプレッツが"美人妻"と呼ぶだけあって凛とした美しい女性だった。

 ルビィと同様に獣人族の猫属で、茶色の猫耳はピンと立ち、お尻から伸びる長い尾に目が惹かれる。

 そんな美しい彼女は、申し訳なさそうな表情で、何度も頭を下げた。


「三日前にルビィこの子から聞きました。その節について本当にご迷惑をおかけしました。それにドーナツまで頂いて……なんとお礼を仰っていいやら」


 そんなレキスさんの隣でルビィも頭を下げていた。

 どうやら事の顛末を正直に話したらしい。その心は本当に評価したい。


「いえ、気にしないで下さい。本人も充分に反省したと思いますし、怒らないでやってください。ルビィちゃんも、これからも好きな時にウチに遊びに来てくれて良いんだからね。美味しいドーナツをまた食べさせてあげるよ」


 優しく伝えるとルビィは可愛らしく「ありがとう」と返事した。


「ねっ、ルビィちゃんが遊びに来てくれればそれで俺も嬉しいからね。それでレキスさん……ドーナツを買って行ったりしますか。折角来て頂いたのですが、開店直後だと、その……」


 開店直後はまだ焼きあがっていないドーナツもあって品揃えが少々寂しい。

 すると、レキスが言った。


「ドーナツはもちろん買わせて頂きます。ですけど、今日はお詫び代わりに受け取って欲しいものがあって」


 レキスは肩に掛けていた茶色のバッグを開いて、中から真っ赤な果実が詰まった袋を取り出した。


「これは旦那が経営している農園のチェッカーベリーなんです」

「もしかして譲っていただけるんですか? 」

「はい。お口に合えば良いんですが」

「……なるほどですねえ」


 "チェッカーベリー"

 それを聞いたプレッツは、彼女に悟られないよう僅かばかり渋い表情を浮かべてしまう。

 何を隠そうチェッカーベリーのことは良く熟知していたからだ。


(こ、これって食用じゃないんだけど。獣人の方は食べられるのだろうか……)


 チェッカーベリーは人間界にも存在し、植物としては珍しく冬に果実が生るという特徴があった。

 お菓子作りに使えないか試したことはあったが、そもそも青臭いため食用には向いておらず、観賞用として取引されていて驚いた事がある。


「チェッカーベリーは観賞用の植物として有名ですよね……? 」


 失礼を承知で訊いてみる。と、彼女は微笑んで答えた。


「あ、ご心配なさらないで下さい。観賞用とは違うんです。銀の土壌で品質改良したもので、甘くて美味しいんですよ」


 銀の土壌……?

 あまり聞き慣れない言葉だと首を傾げる。

 そこに、キッチンからフワフワ飛んできていたフェリーが得意げに説明してくれた。


「私が教えてあげる。銀の土壌は、魔法銀を織り交ぜて造る栄養たっぷりの土のことよ」

「ご、銀と練り込んだ土って……た、食べられるのかい。初めて聞いたよ」

「美味しいよ。疑うなら一個食べてみれば? 」

「……そうだね。一見にしかずだ」


 袋からベリーを摘まみ、口に放り込む。

 以前はそれだけで青臭さに吐き出してしまったが、今回は様子が違った。


(サクランボのような香り……? )


 そして、奥歯ですり潰した瞬間。

 ベリーから溢れ出した甘酸っぱい果汁の香りが鼻を通り抜ける。その味わいは甘美の一言だった。あまりの美味さに目を見開く。


「こ、こりゃ凄い! 最高級の果実を濃縮したような……なんて美味さだ」

「ほらね。銀の土で作られたベリーが観賞用なんてそんなわけ無いんだから」


 二人のあまりの誉めようにレキスは「光栄です」と言った。


「いやはや観賞用だなん大変失礼しました。ああでも、このまま食べるのもモチロン美味しいとは思うけど、やっぱり……」


 料理人として素材を活かした調理がしてみたい。

 その情熱たる思いが沸き立つやいなや、あることを閃いてパチンと指を鳴らす。


「レキスさん。少しだけお時間を頂戴してもよろしいでしょうか」

「それは大丈夫ですけど、どうかなさいましたか? 」

「ベリーを使って最高のドーナツを仕上げます。少しばかり、お待ちください」


 そう言って急いでキッチンに駆け込む。

 フェリーも慌ててそれを追うと、既にプレッツは調理を開始していた。


「プレッツてば、早いね。ど、どうするの。私は何か手伝うことある? 」


 フェリーが訊く。

 プレッツは真剣な表情でフェリーに指示をする。


「火魔石のオーブンを温めておいてくれるかな。それとクリームチーズを百五十グラムばかりボウルに入れて、適量の砂糖とかき混ぜておいて。気持ち多めでいいよ」


 指示しながらプレッツ自身も手際よくベリーを包丁で細かく切り刻む。辺りには甘酸っぱい香りが広がっていった。


「良い匂いがするね~」

「これほど凄い果物を料理出来るのは久しぶりだから腕が鳴るよ! 」

「美味しいドーナツつくろうね」


 フェリーも負けじと指示された工程を素早く且つ丁寧に進め、二人は息ピッタリに複雑な作業を熟していく。


「オーブンは温めたし、クリームチーズも混ぜ終えたよ。次は何すればいい? 」

「さすが早いね。潰したベリーを入れて更にかき混ぜてくれるかい」

「分かった。生地も準備しなきゃだし、生クリームも出しておいたほうがいいよね」

「さすが頼れる相棒だよ」


 プレッツはフェリーに信頼を置いて重要な作業を遠慮なく任せることが出来ていた。


 そして、調理を積み重ねて三十分後。


 待たせ過ぎていた気もするが、ようやく閃きドーナツは完成を迎える。

 プレッツは「出来ました」と言って、ドーナツを乗せたトレイを手に店舗側へと顔を出す。


「大変お待たせしました。申し訳ありません」

「いえ、とんでもないです……って、この香りはもしかして」


 プレッツが運んで来たドーナツの香りに、レキスはゴクリと喉を鳴らした。


「いい香りでしょう。名付けてダブルベリー・リングです」


 作ったドーナツは果実香るダブルベリー・ドーナツ。


 生地に練り込んだチェッカーベリーの生地は桃色に染まり、リング部分はストロベリーチョコレートをアイシングすることで薔薇色バラいろに彩られる。

 ドーナツから立ち上る香りは濃厚なベリーを感じさせ、食べずとも美味であることが分かってしまう。


「わ~、良い香りがする~! 」


 漂う甘い香りにルビィは一目散にトレイに駆け寄った。

 咄嗟にレキスは「待ちなさい」とルビィを叱ったが、プレッツは構わないと言ってドーナツを受け取るよう促す。


「お二人とも食べて下さい。ベリーのお礼ということでサービスです」

「いえ、そんな。貰うわけには」

「お気になさらず。美味しいですよ」


 最初は断ろうとしたレキスだったが、美味な料理を前に我慢という壁は脆く等しいもの。

 プレッツの猛烈な押しもあって、ルビィともどもドーナツに手を伸ばす。


「そ、そこまで仰られるなら。すみません、頂きます」

「私もいただきまーす! 」


 ルビィ親子はダブルベリー・ドーナツをぱくりと頬張る。

 その刹那、彼女たちの瞳がドーナツと同じ桃色のハートに染まってしまう。


「はあっ、なにこれすっごく美味しい……ッ! 」

「あまくて美味しい~! 」


 ドーナツ生地から濃縮されたベリーが溢れだし、アイシングされたストロベリーチョコレートはパリッとした楽しい食感を与える。


 ベリーとベリー、口の中で起こる両者の絶妙な味わいはさながら甘味と酸味のダンス・ステージ。


 どの角度からでも現れる果実の香りは、まさにダブルベリーという名前に相応しい。


 はあ~~~……っ!

 熱い吐息を漏らして二人の表情は蕩け落ちる。


「ダメ、止まらない。ごめんなさいっ……! 」

「こんなにおいし~ドーナツ食べたことないよお! 」


 結局ルビィ、レキスさえも、あっという間にダブルベリードーナツを食べてしまう。


 その余韻よいんに浸る二人の瞳は未だにハートに染まったまま。


 異性で胃袋を掴むとは良く言ったものだが。


「はあーっ……。プレッツさん。このドーナツ、本当に感動しました。本当に美味しくて、美味しくて、美味しくて……」


 よっぽど気に入ったレキスは、潤んだ瞳でモジモジと身体をよじらせる。

 官能的にも思える彼女の仕草をつい眺めてしまうが、その時。

 後頭部に"パンッ"と鈍い音と痛みが走った。


「あいでっ!? 」

「こら、旦那さんが居るんだから鼻の下を伸ばさないのっ! 」

「べ、別に俺はそんな目で見てないし」

「うそつき。見てたもん。レキスさんを変態の見てたのを、私が見てたもん」

「お客様の前でなんてこと言うの! 見てないよ! 」

「見てた! 」

「見てない! 」

「み~て~た~! 」


 プレッツとフェリーの押し問答。

 それをルビィは心配そうな表情でレキスに言う。


「ねえねえお母さん、プレッツさんたちケンカしてるよ。止めないの? 」

「う~ん……。えっとね、この二人はね、これで仲良しなの」

「ケンカしてるのに、仲良しなの? 」

「ルビィもね、もうちょっと大人になったら分かるかな~」

「そうなのかなあ」

「この二人だから、こんなに美味しいドーナツが出来上がるの」

「う~ん、よくわかんない。でも美味しいドーナツが食べられるなら、それでいいっ」


 ぴょんっ。ルビィは、いまだ言い争う二人を見て嬉しそうに飛び跳ねた。

 そしてプレッツとフェリーはルビィとレキスさんに見られる中、恥ずかし気もなく、痴話ケンカを続けるのであった。


「見てないからホントに」

「みてた。変態! 」

「俺の評判落とすような発言やめてえ」

「だ、だって。私だって本当はもうちょっと体が大きかったら……」

「……大きかったら、なに? 」

「なんでもないっ!! 」


…………



=・=・=・=

 ――――魔法のドーナツ屋。

 それは魔界の森にひっそり建つヴィレッジショップ。

 銀の時計が十時を指せば、その扉が開かれる。

 

 お店には煌めくガラスのショー・ケース。

 そこに悠々と並ぶのは甘い香りのドーナツたち。


 店主は若き青年プレッツと、

 カウンターには手のひらサイズの妖精少女フェリー。

 笑顔の二人は元気いっぱいにお客様を出迎える。


 表の看板に描かれた店名は幸運の名を持つグリュック商店。


 さあ、開店の時間だ。

 まずは一口だけでも彼らのドーナツをご賞味あれ。

 美味しさの魔法と称される、そのドーナツたちを。

=・=・=・=


【 ダブルベリードーナツ 終 】

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