怪物達の地球

「というのが、私と旦那の馴れ初めでね。いやぁ、あの時はほんと格好良かったわぁ。勿論今でも格好良いけどね! むしろ日々増してるぐらい?」


「なんで惚気てるのこの人……」


 真夜中の大森林にて。泥まみれの新人である青年に向けて、同じく泥だらけの格好であるレイナ・エインズワーズ大桐 玲奈は二年前にあった旦那との思い出(という名の南極任務)をつらつらと語っていた。新人から呆れた眼差しを向けられていたが、生憎新婚ほやほやの玲奈にその感情は届かない。

 無論いくら新婚でも玲奈達の頭上に陣取る巨大な山――――『封印の怪物』が動いていたら、こんな無駄話はしていないが。

 玲奈達は今『封印の怪物』の本体から伸びている、太さ五十メートルもの四角柱状をした脚部の一本に寄り掛かっている状態だ。もしもこの足が動けば、人間である彼女達は踏み潰されるか蹴り殺されるかなのだが、玲奈は気にせず背を預けている。もう動かないと確信している玲奈は、新人からのいちゃもんにぷくりと頬を膨らませた。


「だって暇なんだもん。『封印の怪物』はちゃんと止められたし、お陰で核ミサイルの発射も中止。あとはうちの組織の救援が来るのを待つだけよ。ならお喋りぐらいしても良いじゃない」


「……しかし、大桐博士、よく分かりましたね。足の裏にゴミが刺さっていたのが原因だったなんて」


 余程惚気話を聞きたくないのか、新人は視線と共に話を逸らす。

 彼が見た先には、巨大な金属の塊があった。塊と言っても、綺麗に溶かされて出来た金棒の類なんかではない。車やら自販機やら、金属製の『人工物』を無茶苦茶な力で丸め込んだ、直径四メートルにもなる汚い三角錐だ。

 この汚い金属塊は『封印の怪物』の足の裏に突き刺さっていたもの。

 そしてこのゴミこそが、『封印の怪物』を歩かせていた元凶である。


「大した推理じゃないわ。『封印の怪物』はキノコの集まり。全身の情報を処理する中枢神経なんてない筈だから、身体を動かす仕組みは局所的で機械的なものにならざるを得ない。だとしたら、足の裏に何かがあると思ったのよ。足が地面に付く度刺激を受けて、その刺激が次の歩みを促す……そんな感じにね」


「成程……しかしこんな金属ゴミが原因だったとは。人間の環境汚染も、来るとこまで来たって感じですね」


「……そうね。そうかもね」


 新人が漏らした感想に、玲奈は歯切れの悪い言葉で同意する。

 『封印の怪物』の足の裏に刺さっていた金属塊はどれも人工物だ。それも自動車や自販機などの、大きくて重量があるもの。風や雨で運ばれてきたのではなく、恐らく不法投棄されたゴミだろう。

 しかし『封印の怪物』の傍に一般人が立ち入る事はまず出来ない。『ミネルヴァのフクロウ』による生息区域への立ち入り禁止措置もあるし、周辺の森に暮らす獰猛かつタフな獣達の洗礼もあるからだ。生半可な気持ちでゴミを捨てられるような場所ではない。

 そもそも『封印の怪物』は普段全く動かず、じっとしている。その足の裏にゴミを刺すという事は、つまり怪物の足下までやってきて、なんらかの方法を使ってゴミを足の下に埋めた事に他ならない。怪物のお膝元までやってきて、やる事が不法投棄? あまりにも馬鹿げている。何かもっと、リスクに見合う理由があったと考えるべきだろう。


「(まさか『人類摂理』の連中がまた……)」


 脳裏を過ぎるのは、二年前に大事件を引き起こしたあの連中。今回もこの巨大な怪物を支配下に置き、世界中の怪物を襲わせようとしたのか?

 されど今回はゴミを足の裏に刺しただけで、コントロール出来ていたとは思えない。そもそも『封印の怪物』は確かに文明を滅ぼせる類のものだが……それは怪物の大量放出という、文明にとって致命的な性質があるから。個々の戦闘力が高いという訳ではないので、他の怪物と戦わせても普通に負けるだろう。

 更に付け加えると、人類摂理は『終末の怪物』を目覚めさせるために戦力の大半を投じた結果、道中の野生動物やコントロールしきれなかった怪物、そして『終末の怪物』に襲われて壊滅した。上層部などは流石に残っているだろうからいずれ再起するにしても、二年かそこらで回復出来るダメージではないと玲奈は知り合いから聞いている。奴等が此度の事件の元凶とも思えない。


「(不法投棄じゃない、人類摂理でもない。他の外部組織? ううん、だとしてもこの行動の意図が分からない)」


 果たして『原因』はなんなのか。それが分からねばまた同じ事が繰り返される可能性がある。

 考え込む玲奈。新人はもう疲れてしまったのか、話が止まると『封印の怪物』にもたれ掛かり居眠りを始めてしまった。研究者の新人なら、かつての自分がそうされたように優しく起こすところだが、彼はあくまで広報部。寝かしておこうと思い、玲奈はふと気が緩んだ。

 そうでなければ、きっと聞き逃したであろう。

 


「――――っ!」


「ぶっ!? んぐぅ!?」


「静かにっ! 何か来るわ」


 反射的に新人の口を押さえ、驚いた新人が暴れ始めてから指示を出す。新人は大きく目を見開くも、混乱よりも恐怖が勝ったのか素直に押し黙る。

 沈黙の中、玲奈は近付いてくる音の位置を把握し、『封印の怪物』の巨大な足から離れないようじりじりと動く。音はゆったりとした間隔の割にかなりの速さで接近してきたが、どうにか玲奈達は影に隠れた状態を維持出来た。


「グルルル、ガゥガガゥ」


「ゴォルルルル……」


「ゴガゥ、オオォーンッ」


 しばし耳を澄ませば、聞こえてくるのは獣の唸り声、のようなもの。

 ような、という微妙な表現なのは、その声がやたらと長く続き、パターンめいていたから。声の色合いから判断するに数は三体ほどいるようだ。そしてその声量から、少なくとも人間よりも大きな生物らしい。


「(『封印の怪物』に棲み着いている、別種の怪物かしら?)」


 しかしこのような奇妙な声の生物は、此処に来るまでに呼んだ資料にはなかったように思う。無論内部に大量の怪物が潜む『封印の怪物』の情報は、いくら玲奈が天才科学者とはいえちょっと時間を割いたぐらいで全て覚えられるようなものではない。それに未確認種だってまだまだいる筈なのだ。

 そう、理性的に考えれば分からなくても不思議はない。不思議はないのに……何か、違和感を覚える。

 これは理性による考えではない。数多の怪物と触れ合ってきた事により積み重ねた経験、そして脳の奥底に眠る本能が覚えている感覚。

 『彼等』は、他の怪物と何かが違う。


「(……気になる)」


 むくりと沸き立った好奇心。

 玲奈がその好奇心に逆らう訳もなく、身を隠している『封印の怪物』の足から僅かに顔を覗かせた。

 瞬間、思わず息を飲みそうになる。

 ――――玲奈が目にしたのは、三体の生物。個体差らしき小さな違いはあるものの、恐らくは同一種の集まり。

 その生き物は、二本の足で立っていた。しかし人型の生物ではない。背筋の曲がった五メートル近い身体は、上から下まで真っ白な毛に覆われていた。臀部からは三メートルはあろうかという尾が生え、ゆらゆらと揺れている。だらんと下げた腕の先には、魔女を彷彿とさせる細い指と、ナイフのように鋭い爪が生えていた。腕には、何かの動物の骨で作られたのか、ブレスレットらしきものが巻かれている。頭の上には大きな耳が二つ立ち、辺りを探るように忙しなく動く。

 そしてその頭の形は、オオカミそのもの。

 開いた口には鋭い牙がずらりと並んでいる。銀色の瞳の中心には小さくて黒い瞳孔があり、肉食動物らしい獰猛さ、加えて聡明な知性を感じさせた。凜とした顔付きは野性味溢れ、ペットとして人に飼われている末裔達とは明らかに違う。

 彼等の姿を一言で例えるならばファンタジー漫画に出てくる獣人だろうか。ただしキャラクターとしてデザインされた獣人と違い、あくまでも野生の獣。可愛らしさや愛嬌なんてものはなく、ただただ野性的で、動物的だ。

 だというのに。


「ガゥゥ……オォン。オウォゥ」


「グルガォオン。ガゥルルルォル」


「ガルルルル、ルル、グルルル」


 奴等は

 一頭が何かを話すと、もう一頭が長々と語り、更にもう一頭が短く喋る。両腕を振ったり、顔の向きを変えたり、わざとらしく口を開いて牙を見せたり……仕草も多様だ。

 言葉を操る生物というのは、実のところ存外多い。日本人に身近な例を挙げれば、シジュウカラという小鳥は単語のみならず文法も用いて会話をすると言われている。オオカミのような見た目をした彼等が会話をしていても、それ自体はおかしくない。

 しかし彼等は互いに顔を見合い、頻繁に言葉を交わしている。鳴き声のバリエーションは豊富で、同じパターンの声は中々ない。まるで習っていない外国語を聞いた時のような、ルールすら理解出来ない複雑さだ。身振り手振りまで付与するとなれば、いよいよ異文化である。

 彼等の言語能力は、もしかすると人間に値するものではないか。


「ガル……グルガルルガ」


「ガゥオン。ガオォオオオン」


 なんらかの会話を重ねたところ、彼等の一体が身体を左右に大きく揺すりながら歩き出す。向かう先にあるのは……巨大な、『封印の怪物』の足に刺さっていた金属の塊。

 車数台分はあるだろう物体を、彼等の一体は片手で軽々と持ち上げる。確かに奴等の体格は巨大だが、金属塊も同程度には大きいのだ。自分と同じぐらいの、それもかなり密になるまで潰された金属を持ち上げるには、相当力が強くなければならない。

 そして。


「ガルォン。グルァアオン、ガオオン、ルロロロロ」


「ガルガァ」


 なんらかの指示を出す一体に、金属塊を持った個体が肯定の返事を返す。その個体は金属を片手で持ち上げたまま、玲奈達が隠れている『封印の怪物』の足下へと運ぶ。

 次いでその足の周りを、鋭い爪で掘り始めたではないか。

 金属の塊を軽々と持ち上げる腕力は、硬い地面を簡単に掘り進めていく。あっという間に数メートルもの穴を空けると、手に持った金属の塊を穴の下に仕込み、

 ぐっと、その金属を

 直後に聞こえてくるのはぶちぶちと何かを千切るような音。

 その音がどのような原因で鳴ったものか、玲奈はすぐに気付いた。気付いたが故に玲奈が起こした行動は、新人の手を取り、自分達が身を隠していた『封印の怪物』の足から離れる事。戸惑う新人だったが玲奈は構わず走る。

 あたかもそんな人間達が離れるのを待っていたかのように、『封印の怪物』の足が再び動き出す!

 ゾウなど及びも付かない巨足がゆっくりと、しかし人間が走るよりも明らかに速いスピードで前へと進む。幸いにして玲奈達が進んだのとは別の方角だったが、移動時の風圧だけで身体が倒れそうになる。やがて降りた足は、たった一歩でどんな巨大地震も上回るような揺れを引き起こした。


「ひぃ!? な、なんで……」


「あっ」


 あまりの揺れに新人が悲鳴を上げてしまう。しまった、と思った時にはもう遅い。

 獣人染みたケダモノ三匹が一斉に、隠れる場所を失った玲奈達の方を振り向く。

 不味い、と思う玲奈だったが……獣人もどき達は襲い掛かってこない。驚いたように目を見開きこそしたが、その顔はすぐ笑みのようなものに変わる。

 彼等は『封印の怪物』の足に跳び付くや、その爪を怪物の脚の表面に突き立てた。更に何か紋様を描くように、爪で傷を付けていく。

 するとどうした事か。『封印の怪物』の足がぞわぞわと波打つ。

 そしてまるで玲奈達に迫るかのように、こちら目掛けて動き出した!


「ひぃいいいっ!?」


「走って! 死ぬ気で!」


 叫ぶ助手の背中を突き飛ばさんばかりの勢いで玲奈は押し、全速力で離れる!

 ゆっくり、だけど高速で落ちてきた足は、玲奈達の後ろ三メートルほどの位置に着地。すぐに走り出した甲斐もあって、足の可動範囲外に出ていたのだろう。しかし生じた揺れはあまりに大きく、新人が転んでしまった。すぐに彼の肩を抱えるようにして起こし、また走る。今は兎に角走るしかない。

 逃げる中で、玲奈は思う。

 奴等は一体何をした?

 『封印の怪物』の足にゴミである金属の塊を刺した――――もしもそれが単なる遊びなら、深く考える必要はない。動物達のする遊びに、生態的理由は兎も角、理性的な意味合いはないのだから。

 しかしあの獣人もどき達の動きに遊びらしさはなかった。さながら仕事のようにスムーズかつ効率的な動きで、なんの躊躇いもなく突き刺している。その後足が動き出した際も、悲鳴一つ上げずに冷静なまま。その行動により何が起きるのか、分かっていたとしか思えない。

 加えて怪物の足に跳び付いた時に引っ掻くや、その足を

 論理的に考えれば何をしたかは明白。後は認められるかどうかであり、玲奈にとってそれは左程苦ではない。


「(コイツら、……!)」


 その事実を、玲奈は頭の中で言葉にした。

 本能により他の怪物を操るというのなら、興味深くはあるが、さして驚く事ではない。寄生虫など一部の生物にとって、宿主の行動を制御する事は生態として組み込まれたものであり、珍しい能力ではないからである。

 しかしあの獣人もどき達は、明らかに技術を用いて『封印の怪物』の動きを変えている。それは本能ではなく、知性による技だ。

 彼等の知能はどの程度のレベルだろうか? 一般的な万物の霊長人間ならば人間程じゃないと言いたいところだろうが、玲奈にその辺りの抵抗は殆どない。道具を用いて他種の行動を変えられる……それを理解する知性は、人類に匹敵すると考える方が自然だ。

 挙句仲間と会話をし、行動を決めているようにも見えた。リカオンなどは『投票』により群れの行動指針を決めると言うが、彼等の会話はもっと複雑だろう。指示を出す個体、受ける個体が決まっていて、それでいて話し合いをする程度には対等という緩い階級制がある。社会性も人間並に高いと考えて良い。

 これだけ知能面に優れていながら、自販機や車の集まりである、重量数十トンの金属塊を軽々と持ち上げる怪力まで誇る。怪物の足に跳び付くなど、俊敏性も怪物と呼べる速さだ。当然自分が出した力に耐えられなければ動く度に身体が酷く傷付いてしまうので、肉体の頑強さもパワー相応にあるのだろう。

 高度な知能。

 優秀なコミュニケーション能力。

 圧倒的な身体機能。

 そして他の怪物さえも自在に操る技術。

 ありとあらゆる点が人間を凌駕している。ハッキリと述べるならばか。

 生物進化は競争の歴史だ。生き方が重なるもの同士は戦いを避けられず、弱いモノは生き方を変えるか、さもなくば滅びるしかない。即ち人類がこの獣人もどきと争えば、待っているのは過酷な地への追放か、或いは滅び。

 しかも戦いだけでなく、共存や服従さえも許されない。彼等や人間が話し合いに乗らないという意味ではない。生物間の競争とは単純な殴り合いではなく、資源と空間の奪い合いである。直接殺されなくても、使える資源が減れば個体数は維持出来ない。共存共栄の名の下に、相手側が繁栄するほどに人類は数を減らし……緩やかに滅びる。

 直接的捕食者や絶対的強者とは違う、人類種にとって最低最悪の天敵。名付けるならば、『天敵の怪物』だ。

 一目で分かる人類種の敵を目にして、玲奈は――――その胸がどくんと鳴ったのを実感する。


「……グルガォン!」


「オォォーンッ!」


 『天敵の怪物』達は玲奈達が遠く離れたのを見るや声を上げ、三頭一斉に『封印の怪物』の足から飛び降り、自動車よりも速く奥地へと駆けていく。どうやら今し方怪物を動かしたのは、ただの威嚇行動だったらしい。突き刺した金属も、無理矢理足を動かした影響からか、ぽろりと落ちてしまった。『封印の怪物』の再進撃が始まる心配はいらないだろう。

 故に玲奈が考えるのは、『天敵の怪物』についてのみ。

 人間を警戒しているのか、はたまた深追いしたくない事情があるのか、或いは危害を加えるつもりなどないのか。どうして『封印の怪物』を動かしたのか、もしも人間について知っているのならこの行動の意図は――――

 何を考えても分からない。

 分からないから知りたい。

 知りたいのだったら、動くしかない!


「新人くん! 先に帰ってて良いわよ! あと『封印の怪物』だけじゃなくて、さっきの怪物についてもちゃんと報告してね!」


「へぁ? え、大桐博士!? いやいや僕一人じゃあの化け物だらけの森は突破出来ませんから!? というか博士は何処に行くつもりなのですかぁ!?」


「ちょっとあのお犬様達を追い駆けるわ!」


 助手からの返事を待たず、玲奈は『天敵の怪物』が去っていった方へと進んでしまう。

 もしかしたらあの獣達に殺されるかも知れない。

 生きたまま腹を裂かれるかも知れないし、頭からバリバリと噛み砕かれるかも知れない。奇妙な儀式の生け贄にされるかも知れないし、妙な病気を移されるかも知れない。怪物達との接触は命を削る行いだ。何時かは命を落とす。そしてそれは今日かも知れない。

 だけど、それがなんだ。

 この星には、まだまだ知らない命が潜んでいる。数えきれないほどの不思議に溢れ、全てがこちらの想像を易々と飛び越えていく。

 そんな面白いものを前にして、我慢なんて出来る訳がない!


「ふふっ……ワクワクしてきたわ!」


 玲奈は躊躇いなく駆けていく。

 己が胸を満たす子供の時から変わらぬ衝動が、彼女を大自然の奥へと向かわせるのだから。

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怪物達の地球 彼岸花 @Star_SIX_778

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