傲慢な人類
「誰――――」
声がした方に、真っ先に振り向いたのは道子だった。
彼女は比較的臆病な性格だ。突然声を掛けられた事に驚き、無意識に振り向いてしまうのも仕方あるまい。
そう、そのぐらいは仕方ないのに。
パンッ、という破裂音が、容赦なく辺りに鳴り響いた。
「うっ……」
次いで道子の呻く声と、倒れる音が聞こえてくる。
「! 木村さ……」
今度はレイナが反射的に動き、そして再び破裂音が響いた。
するとレイナの腹に鋭い衝撃が走る。
痛い、と思うよりも前に腰が抜けたように倒れてしまうレイナ。次いでころころと、何かが床を転がった。目を向ければ、そこには潰れた金属の塊……銃弾が落ちている。
撃たれたのだ。声を掛けてきた何者かに。
……着込んだ防寒着に『防弾性』の評価はなかったが、小さな弾丸ぐらいは防げる頑強さがあったようだ。流石は怪物由来の技術。弾丸には血が付いていないので、身体に致死的な傷はない筈だ。ジョセフや先輩が落ち着いているのは、防寒着が弾丸程度なら防ぐ事を知っているからだろう。
「ほら、言う事を聞かない二人が早速撃たれてしまいました……まぁ、死ななかったようですが」
尤も、撃ち手は防寒着の性能を分かっていて発砲した、という訳ではなさそうだが。
「い、痛い……痛い……やだ、こんな……」
「木村さん、落ち着いてください。弾は服を貫通してませんから、大丈夫です」
そこには一人の、若い男が立っていた。
身長百八十センチほど。引き締まった身体付きをしているが、それでいてしなやかさもある、豹のような男だ。東南アジア風の顔立ちは端正で、浮かべる笑みは爽やかとしか表現出来ない。その身を包むのは競泳水着のようなタイツだというのに、変質者というより、潜入工作員や特殊部隊の人員に見えてしまう。
そして右手には、煙を立ち昇らせる拳銃が握られている。
コイツが自分達を撃った犯人だと、レイナはすぐに確信した。
「さて、自己紹介をしておきましょう。私の事は、ひとまず『指揮者』とお呼びください。この作戦の指揮を執っていたので。あと、我々の組織について説明は必要ですか?」
「いいや、必要ないね。こんなアホらしい事をする組織なんて、一つしか知らないからさ」
犯人こと指揮者が尋ねると、先輩が棘のある言葉で答える。倒れた姿勢でいるレイナには先輩の顔が見えず、その表情は窺い知れないが……間違いなくブチ切れていると分かるほど、声は怒りに染まっていた。
「お前、人類摂理のメンバーだろ?」
それだけ、名指しした組織の事が嫌いなのだろう。だからこそレイナは驚き、思わず指揮者を凝視してしまう。
人類摂理。
それは『魔境の怪物』を調査した際、多数の軍艦を派遣してくれた組織の名前だ。確かに完全に思想を共有している組織ではなく、あくまであの調査時は利害が一致していたから協力してくれたという話だったが……
「ほう、よく分かりましたね……というのは少々馬鹿にし過ぎですか」
指揮者はあっさりと、先輩の指摘を認める。
ショックを受けるほど親しい存在だった訳ではない。されど名前ぐらいは聞いた事がある相手の『襲撃』に、レイナは少なくない動揺を覚えた。
何故彼等はこんな事をしたのか。
「折角来てくれたのですから、手ぶらで帰すのも失礼というもの。良いものをお見せしましょう。さぁ、そのままあの道を真っ直ぐ進みなさい。お二人も立ち上がるのですよ」
どうやらその説明もしてくれるらしい。なんとも親切な奴だと、指揮者に悪態の一つも付きたくなる。
しかしその前に、今は同じく倒れた道子の方が心配だ。
「木村さん、大丈夫ですか?」
「は、はい。博士が言った通り、弾は通らなかったみたいで……」
「大丈夫か!? 怪我は……」
レイナが立ち上がり道子に駆け寄り、次いで平治もやってくる。彼の気遣いのお陰で、レイナも道子も笑みを浮かべる程度の余裕は取り戻せた。
無論、だから反撃に転じよう、とは思わない。今回は腹に撃ち込んでくれたから助かったものの、露出している頭部に撃ち込まれればやっぱりあの世行きだ。数少ない銃持ち作業員が皆食べられてしまった今、小さな拳銃相手でも勝てるものではない。
ジョセフも先輩も、指揮者に言われるがまま歩き出す。レイナ達もその後を追い、指揮者は拳銃を構えたまま最後尾に付く。向かう先は、人が二人ギリギリ並んで通れる程度の細い横穴。氷で出来た通路を、レイナ達は二列に並んで歩かされた。
「まず、我々人類摂理の使命はご存知ですか?」
指揮者は後ろから、問いを投げ掛けてくる。
それに答えたのはジョセフだ。
「今更だな。地球を人間のものにする、だろう?」
忌々しげに返された答え。
あまりにも不遜な答えに、レイナは思わず目を見開く。指揮者は楽しそうに笑い声を出し、機嫌を悪くした様子もない。
「少し誤解されているようですね。我々は、人間がより繁栄出来るようお手伝いしているだけです。そのために地球を人類の手中に収める必要がある、というだけの事」
「そして怪物は邪魔だから絶滅させると?」
「勿論。あの化け物達さえいなければ、人類は地球上の資源を全て活用出来ますから」
それはジョセフからの問いに答える時でも変わらない。さらりと、臆面もなく彼は語った。
怪物を絶滅させる。
レイナからすれば、到底受け入れられない発想だった。呆けていると、今度は先輩が語り出す。
「君達は相変わらず自然の秩序というものが分かっていないね。怪物がどれだけ世界に貢献しているのか、知らないのかい?」
「勿論、有益な面はあるでしょう。それを含めて、絶滅させた方が人間にとって得だと考えます。そもそも看過出来ないほど危険な存在じゃないですか。気紛れ一つで文明を滅ぼすような生き物を保護するなど、我々からすれば正気の沙汰とは思えない」
「怪物に守られてきた世界を壊す方が、正気の沙汰とは思えないけどね」
「問題ありません。人間には知恵があるのですから。最初は被害を受ける事もあるでしょうが、いずれ技術により全てを克服出来ます」
先輩と指揮者は互いの意見をぶつけ合う。双方分かり合うつもりのない言い合いは、それぞれの立場を明白にしてくれた。
人類摂理の者達は、人類の力があれば自然を制御出来ると考えているらしい。怪物達が守ってきた自然の摂理さえも。故に危険な怪物は排除して問題ない……という理屈だ。
それはある意味、人類をここまで発展させた原動力の意思。西洋で科学技術が著しく発達したのも、自然を屈服させる事がある種の目的だ。屈服させても問題は起こらず、むしろ一層の繁栄を手に入れられると信じられていた。現在ではその考えを修正せねばならない問題が多々起きているものの、人間は未だ自然のコントロールを諦めていない。気候の制御、生物数の管理、人命の保護……そしてそのためならば、自然破壊が許されるとまだ妄信している。
人類摂理は、そうした考えを強く信奉している者達の集まりという事か。
なんと傲慢な。結局は世界を自分の思うがままにしたいだけ。自分の欲望のために世界を壊せば、取り返しの付かない災厄が引き起こされるだろう。それこそ、人類を滅ぼすような事態だってあり得るのだ。
とはいえ、これはレイナの考えだ。
自然破壊が何をもたらすかは、ある程度は予測可能だが、実際には起こってみなければ分からないところが大きい。レイナは大災厄が起きると考え、指揮者は人間の知能なら問題解決を可能にするという評価を出している……これは価値観の問題だ。歩み寄る意思がなければ、排除し合う他ない。人間の力を信じている指揮者を、自然の力を信じるレイナ達が説得する事は、どうやっても出来ないだろう。
ただ、ケチは付けられる。
「よくもまぁ、そんな大言を吐けるもんだよ。『魔境の怪物』にボロ負けしてる癖に」
先輩が言い返したように、現時点での
されど指揮者は笑う。不敵に、一切自信を崩さずに。
「そのための『終末の怪物』ですよ」
悪寒のする言葉を、告げながら。
歩き続けていたレイナ達は、やがて開けた広間に辿り着いた。広間と言ってもあくまで洞窟内。天井まで二十メートルほどの高さがあり、横幅が軽く五十メートルはあるというだけの事である。しかしながら凡そ人間の手では作れそうにない空間に、レイナは一瞬己の状況を忘れて見惚れてしまう。
広間の左手側には大きな壁があったが、右手側はどうやら断崖絶壁らしい。絶壁の下にも広大な空間があるらしく、この場所の途方もない広さを物語る。よく見れば壁や地面には無数の傷があり、それは獣達の足跡や闘争の痕跡だと窺い知れた。此処もまた野生の王国なのだ。
だからこそ、広間を行き交う『タイツ姿』の男達が酷く不自然に見えるのだろう。
「立ち止まってください。不審な動きを見せたら、今度は頭を狙いますよ?」
広間に入ったレイナ達を止め、指揮者はレイナ達の前まで歩いてくる。見せ付けるように正面に陣取った彼は、なんとも上機嫌な、腹立たしい笑みを浮かべた。
「隊長。準備が出来ました……その者達は?」
「『ミネルヴァのフクロウ』の援軍のようです。尤も武装も何もないようですが。恐らく武装メンバーは外に出た恐竜達に食べられたのでしょう。結果的に無力化出来たので、良い機会ですし、人間の力を過小評価している彼等に正確な現実を教えようと思いまして」
部下だろうか、青年らしき輩が報告しながら指揮者に近付く。指揮者が笑いながら答えると、青年もまたにやにやと笑った。まるでレイナ達が何も知らない事を嘲るかの如く。
自分達は怪物の専門家だ。自慢する訳ではないが、それなりのプライドがあるというもの。怪物関連で何度も笑われるのは、如何に温和なレイナでも少々腹に据えかねる。しかしながら人類摂理の者達も、怪物がどれほど強大なのかは知っている筈だ。こちらを侮辱する、その自信に得体の知れない不安が過ぎる。
まさか、本当に……
「さぁ、あちら側に移動し、下を覗き見てください」
『あり得ない』可能性が脳裏を過ぎった時、指揮者はレイナ達に新たな指示を出す。あちら、と言って指し示したのは、右手側……断崖絶壁の方。
言われるがまま、レイナ達は断崖絶壁へと押しやられた。怪しい行動を起こせば頭を撃つと言われた以上、その通りにするしかない。ジョセフも先輩も、平治も道子も崖下を覗き、レイナも身を乗り出して見る。
正直なところ、そこに何がいるのかは分かりきっていた。分かっていたが、それでもレイナは息を飲んでしまう。
眼下に横たわる世界の終わり――――『終末の怪物』を見てしまったがために。
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