過ち
その生物の両腕は『翼』に変化しており、巨大な羽毛が隙間なく覆っていた。
広げられた翼の末端には小さな……それでも長さ二十メートルはありそうだが……爪が生えている。羽毛に覆われていても分かるぐらい翼を形成している骨は太く、横たわる巨体――――四百メートル以上あるだろう身体でありながら、間違いなく空を飛んでいたと確信させた。
倒れている身体も羽毛に覆われていたが、筋肉質な肉付きは隠しきれていない。発達した胸筋、分厚い筋肉の付着した足、それ単体で生物として振る舞いそうなほど逞しい尾。全てが攻撃的であり、両腕を広げた仰向けの姿勢という情けない寝姿だというのに、背筋が凍るほどの獰猛さを窺い知れた。
そして長く伸びた先にある頭は、ワニのような肉食性爬虫類の特徴を色濃く残している。ただし恐竜達と違い、顔まで羽毛に覆い尽くされていた。一部の羽毛は赤黒い線を描き、凶悪な紋様を顔面に刻んでいた。半開きの口には家屋の一つ二つを簡単に貫きそうなほど巨大な歯が生え、獲物を待ち構えているかのよう。
その姿を一言で例えるならば、羽毛を生やしたワイバーンか……或いは恐竜と鳥の合いの子か。既知のどんな生物とも異なる、異様な外観の生命体。
かの存在については、レイナも資料で把握している。自分がこれまで見てきたどんな怪物達よりも大きなその『数字』を読んだ時、具体的にどの程度のものなのかを想像しようとした。幼い頃に見た東京タワーが高さ三百三十三メートルなので、それよりずっと大きいもの。実物を見たらきっとたまげると、それなりには覚悟していたつもりだ。
なんとも嘗めた考えである。
命あるものの存在感が、それよりも小さな無機物と比較になる筈がないというのに。
「……………」
口をポカンと開き、レイナは固まってしまう。いや、レイナだけではない。平治も、道子も、目を丸くして動かなくなった。先輩は舌打ちし、ジョセフが西洋人らしい悪態を吐いていたが、二人もまたそれを見つめるのみ。
『終末の怪物』と呼ばれる生命体の持つ存在感は、人間達の心を一瞬にして捕らえてしまったのだ。
「(これが……世界を終わらせる、生き物……)」
圧倒的な巨躯もさる事ながら、全身のあらゆる特徴が奇怪。
大きな翼や屈強な身体付き、ワニのような頭部に全身を覆う羽毛など、全て資料に添付されていた写真で見ているが……そんな事前知識などなかったかのように、心が打ちのめされている。崖下に広がる野球場よりも広大な空洞さえ、かの巨体には狭苦しそうだ。周りには虫のような黒い粒が動き回っていて、あまりの小ささに、なんらかの作業をしている人の姿だと気付くのが遅れた。
そしてひしひしと感じる。この氷の世界にいながら、奴の生命力はまるで衰えていないと。
写真では分からなかったが、直に見てレイナは確信した。コイツはヤバい。これまで見てきた怪物とは明らかに毛色が違う。世界を滅ぼすという肩書きが全く過大に聞こえない、恐ろしい存在だ。
「なんという事だ……『終末の怪物』が氷の外に出されている……!」
「復活させるのだから当然です。今は熱エネルギーを与えている真っ只中。間もなく活動を再開するでしょう」
ジョセフの漏らした独り言に、指揮者は淡々と答えた。ジョセフは顔を上げ、指揮者を睨む。
レイナもひっそりと指揮者を睨み付けたが、同時に違和感を覚えた。
人類摂理の目的は怪物の絶滅。なのに今の話を聞く限り、『終末の怪物』を目覚めさせようとしているらしい。これだけ巨大な怪物なのだから、まともな手で殺すのは不可能な筈。せめて眠っている間に対処した方が楽ではないか。
同じ疑問を先輩も抱いたらしい。彼は指揮者に、敵意を露わにしながら尋ねる。
「どうして復活させる? 自称賢い人間様なら、寝込みを襲う方が確実に倒せると思わないのかい? ま、やったところで傷一つ付けられるとは思わないけど」
「簡単な話です。この怪物は殺しません」
「……どういう意味だ?」
要領を得ない回答。問い詰める先輩、そして疑問に思うレイナ達に、指揮者は不敵に笑ってみせる。
「この怪物を操り、我々の武器とします」
そしてその口から平然と、恐ろしい……或いは身の程知らずな言葉が出た。
「『終末の怪物』を操る……だって?」
「あなた方も知っての通り、怪物の力は強大です。核兵器さえも通用しない事は珍しくもない。現状人類には核を超える兵器はなく、故に怪物を武力で滅ぼす事は叶いませんでした……ですが発想を逆転させてはどうでしょうか?」
「ぎゃ、逆転?」
思わず声を漏らした道子に、指揮者は満足げに頷く。
「つまり、核兵器が通じない怪物同士を戦わせてはどうなるか、という事です」
「……成程。確かに怪物同士なら、少なくともどちらか一方は殺せるだろう。そして最強の怪物を使えば、理屈の上では全ての怪物を殺せる」
「その通り」
パチパチと拍手をする指揮者。ジョセフは「くそったれ」と悪態を吐くが、まるで堪えない。
「『ミネルヴァのフクロウ』に送り込んだ、我々のスパイが持ってきてくれた『終末の怪物』の情報……既存の生態系から逸脱した滅びの使者は、我々にとって打ってつけの存在でした。全ての、あらゆる怪物の天敵となり得る存在なのですから」
「だから操ろうと? 馬鹿げてる! 大体怪物の制御なんてどうやってやるつもりだ!」
「既に実験はしています。それこそ念入りに、何十ケースも。あなた方もよく知っているでしょう?」
「……!」
指揮者から訊き返され、ジョセフは言葉を失った。先輩も声を詰まらせ、レイナも息を飲む。キョトンとしているのは、平治と道子だけ。
そう。レイナ達は知っている。
鳥の怪物達に取り付けられていた機械……怪物の行動に異変を起こしたあれが、人類摂理達の語る『実験』だったのだ。
「あの機械は、あなた達が……!」
「我々とて怪物の危険性は承知しています。鞭と飴で躾けられるほど甘くはない。あなた方が終末の名を与えた怪物ならば尚更でしょう。ですから実験したのです。恐竜と近縁な、鳥の怪物を用いる事で」
鳥が恐竜から進化した動物だというのは、少し生物学を齧ったものなら誰でも知っているだろう。
そしてもっと詳しく言うなら、鳥は恐竜の一種だ。少なくとも骨格レベルの話であれば、差は殆どない。無論進化は骨格だけでなく内臓や血管、消化器官など全身に起こるものであり、恐竜=鳥とするのは生理学的に些か早計である。されど現生生物で最も近縁、直系の子孫なのは間違いない。
理屈の上では、鳥に通用する技術は恐竜にも通用すると考えるのが自然だ。
「この巨大な恐竜モドキを操るため、鳥の怪物に特別な機械……我々はこれを『笛吹き男』と呼んでいますが……これの試験を行いました」
指揮者が懐から取り出したのは、小さな機械。レイナが二度も見付けた、あの忌まわしき四角い塊だった。
「『笛吹き男』は怪物の脳波に干渉し、行動を制御します。また制御時の脳波を集積し、どのパターンによる制御が効果的かも算出可能です。この怪物が鳥か恐竜かは議論が分かれるところでしょうが、莫大なデータがあれば問題ありません」
世界中の怪物を暴れさせたのは、陽動だけではなくシミュレーションも兼ねていたのだろう。無事怪物が暴れ回ったがために、彼等は南極基地を襲撃したのだ。
多数のデータから最適解を導き出すという仕組みは、正に叡智を持つ人類らしい手口である。そして現実に怪物達を暴れ回らせた事から、人類摂理の思惑はそれなりには成功裏に進んでいるのだろう。
「既に『笛吹き男』はあの怪物の頭に設置済みです。そして間もなく怪物は復活し……人間はついに自然を克服するのです!」
指揮者は誇らしげに両腕を広げ、大いに笑った。周りに居る人類摂理のメンバー達も同じく笑う。
彼等の笑いに虚勢はなく、本心からのものだとレイナは感じた。ブラフでもなんでもない。本当に彼等の計画は順調に進み、間もなく『終末の怪物』が蘇る。
レイナ達は指揮者の妄言に、何も言い返せない。先輩もジョセフも押し黙ったまま、指揮者を丸くした目で見つめる事しか出来なかった。
何故なら――――途中から話の意味が分からなくなったが故に。
「……あの、すみません」
レイナ達と違って呆けていなかった道子が、おどおどと手を上げる。
指揮者は笑うのを止め、にこやかに微笑みながら道子を見る。紳士的な、ムカつく笑顔。とても上機嫌な彼は、道子の質問を許す。
「はい、なんでしょうか?」
「えっと、その、私は生物学とか詳しくなくて、この作戦前にエインズワーズ博士から話を聞いただけなのですけど……」
「ええ、勿論構いません。分からない事は分からないと、正直に認める事が進歩するためには肝心ですから」
あくまでも礼儀正しく、それでいて明らかにレイナ達を見下すように、指揮官は語る。
とはいえおっとりした性格の道子にそんな嫌味は通じなかったようで。質問の許可が出たと純粋に思ったであろう彼女は、素直に疑問を言葉にした。
「『終末の怪物』は鳥でも恐竜でもなくて、翼竜だと聞いたのですけど……違うのですか?」
ここまでの話が全てひっくり返る、致命的な『食い違い』を――――
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