Species5

緊急任務

 レイナが『天空の怪物』の調査から帰還してから、早五日が過ぎた。

 有無を言わさず飲まされた怪しげな薬の効力のお陰か、怪我はもうすっかり良くなっている。歩き回る事に支障はないし、食事も難なく行える状態だ。寝込んでいたのは実質丸二日間ぐらいなもので、気分的にはもう何時でも仕事に戻れる。全治二~三ヶ月は掛かるであろう骨折が数日で治るというのは、最早魔法染みた効力と言えよう。

 とはいえ劇的な回復には副作用が付きもの。感じていないだけで、身体はかなり疲弊しているとレイナは医師から説明を受けていた。身体が鈍らない程度の、具体的には部屋の中を歩き回る程度の運動は推奨されたが、猛獣ひしめく森の中を探索するような激しい動きはNG。要するに基本安静にしていろという話だ。

 気持ちは元気なのに休まされるというのは、それはそれでしんどい。


「……暇だなぁー」


 故にレイナは療養生活に飽きてしまっていた。医務室のベッドの上で寝転がり、すっかり治った足をぱたぱたと動かしながら不満をぽつりと呟く。

 その声に、医務室に居た白衣姿の男が反応した。無精髭を生やした強面の、恐らく四十半ばの彼は、レイナの声を聞いて顔を顰める。レイナの愚痴を快く思っていない事を隠しもしない。

 当然であろう。彼こそが、レイナを診察した『医者』なのだから。


「……死にたいなら止めはしないぞ。自覚は出来ないだろうが、未だにお前の身体はボロボロだからな」


「別にまだ現場に出たい訳じゃないですよ。弱った身体じゃ足引っ張っちゃいますし。でも暇なんですー」


「だったら寝ていろ。全く、なんで此処の研究者はどいつもこいつも狂人ばかりなんだ」


「人の事狂ってる呼ばわりは酷くないですか?」


「化け物に食べられたのに、また化け物に会おうとする奴が狂ってる以外の何かだとは到底思えねぇよ」


 レイナとしては軽口を、医者としては恐らく真剣な、そんな言葉を交わし合う。確かに彼の言う事は至極尤もで、それなりにレイナも自覚してるが、他人に言われるのと自覚するのはまた違うものなのだ。ぷっくり頬を膨らませ、不満をアピールしてみる。

 なんとも子供染みたレイナの反応に、医者は大きなため息を吐く。

 しかし彼はそれを窘めたりはしない。代わりに見せた行動は、部屋の隅にある自身のデスクに歩み寄る事。おもむろに引き出しを開けた医者は、その中から一冊の本を取り出した。非常に分厚く大きな本で、大人の男でも持ち運ぶのが辛そうな代物である。

 最早筋トレに使えそうな代物であるそれを、医者はレイナの方へと投げてきた。ぼすん、と落ちたそれをレイナの胸を圧迫。元気な身体に小さなダメージを与える。「安静にしろって言ってた癖に……」と愚痴りつつ、レイナは投げ付けられた本の表紙を見た。

 『200X年X月 組織内研究新論文』

 この言葉を見た瞬間、不機嫌な気持ちは跡形もなくレイナの胸から消し飛んだ。


「ぴゃああぁっ!? こ、これもしかして先月発表された怪物研究の纏め!?」


「ああ。正確には怪物だけじゃなくて、怪物の生息域に棲む生物全てだがな。お前ら狂人科学者を黙らせる、一番良いアイテムだ。それでも読んであと二日間大人しくしていろ」


 まるで子供をあやすような言い方をしてくる医者だったが、今のレイナにそんな事はどうでも良い。研究者であるレイナは怪物研究の論文を自由に読める立場であるが、わざわざ最新の研究を探して読むのは一苦労だ。それに未知の塊である怪物は毎月、いや、毎日大量の論文が発表されている。こうした目録がなければ、全てを網羅するというのは難しい。

 等々読みたい理由はあるのだが、レイナ個人としては大好きな怪物について新しい事を早く知りたいという純粋な好奇心が最優先。一瞬で本の虜となったレイナはいそいそと表紙を捲り、まずはどんな論文が出たのかを把握すべく目録に目を通す。

 次の驚きは、読んで数秒と経たずにやってきた。


「……凄い。ここ半年に新発見された怪物の報告だけで、三つも論文がある」


「半年で三種は多いな。年に二~三種ぐらいが普通なんだが」


「普段でも、二ヶ月に一度は新種が見付かってるんですね……あ、どれもカテゴリーAだ」


「流石に人が入りやすい環境の怪物は、もう粗方見付かってるからな。発見される新種は深海だとか密林だとか地下だとか、どれも前人未踏の地の奴等ばかり。過酷な場所に棲むからか、とんでもない化け物だらけだ」


 恐ろしいもんだよ、と言う医者。レイナとしては新発見の怪物というのは実にワクワクするが、どうにもこの医者は科学者ではなく一般人寄りの考えらしい。

 毎年毎年新種が見付かるからには、まだまだこの星には数えきれないほどの怪物が棲んでいるのだろう。人間の繁栄が如何にちっぽけで、砂上の楼閣でしかないと思い知らされる。

 この星は人のものではない。

 レイナが心からわくわくする言葉は、人によっては絶望なのだ。なら、怪物と人間の共存というのは……


「(まぁ、いっか。それを考えるのはお偉いさんとか広報や工作班の仕事だし)」


 頭の中を過ぎる『もしも』。されどレイナは大して気に留めない。

 怪物が人間に滅ぼされるかもという状況なら、レイナは真剣に考えただろう。しかし現状は逆だ。人類がすべきは怪物達のご機嫌を損ねず、見逃してもらう事しかない。勿論環境破壊を繰り返せば生態系が崩壊し、人間でも数多の怪物を絶滅させられるだろうが……その場合人類は、致命的なしっぺ返しを喰らう事になるだろう。

 怪物との共生など、にも程がある。自分達は生かされている側なのだ。

 しかし誰に、どんな風に生かされているかは、やはり知っておくべきだろう……建前を考えつつ、本音を言えば怪物についてもっと知りたいだけのレイナは再び本の世界へ。『終末の怪物』の新分類体系、『祝福の怪物』を活用した食糧増産計画、『疫病の怪物』から得られた新たな抗生物質、『』――――どれもこれも目を惹くタイトルだ。どれから読もうかと悩み、全て気になるなら最初から読もうとページを捲った


「レイナ・エインズワーズ!」


 刹那、医務室に大きな声が響き渡る。本に夢中で油断していたレイナは、跳ねるように声の方へと振り返った。

 向けた視線の先に居たのは、所長。

 余程急いでいたのか、所長は息を切らしていた。服も乱れていて余裕が感じられない。何か、重大な話をするために訪れたというのはすぐに察せられる。


「療養中に申し訳ありませんが、次の任務です。一時間以内に支度を終え、現場に向かいなさい」


 故にレイナは所長の命令に左程驚かない。

 あくまでレイナは、であるが。


「ま、待て! コイツは一週間は安静なんだぞ! あと二日は最低でも休ませろと言った筈だ!」


 所長の突然の命令に、医者は怒鳴るように反論した。人の命を預かる者として、怪我した当人が愚痴って言うならいざ知らず、上司が部下に命じるのは許せないのだろう。

 しかし科学者という合理的思考の持ち主である所長が、なんの理由もなく職員の命を危険に晒す筈もない。医者が文句を言っただけで翻るほど、軽い気持ちで語られた訳がなかった。


「無茶と非常識は承知しています。ですが、その上で仕事を頼まねばならない状況なのです」


「コイツ一人寝ていたから何がどうなる!? 世界が終わるとでも!?」


「世界の定義にもよりますが、その認識で凡そ問題ありません」


「……っ!?」


 恐らくは勢いで言ったであろう医者の言葉を、所長は真剣な顔で肯定。まさかそんな返事が来るとは思わなかったのか、医者は声を詰まらせた。

 怯んだ彼の脇を通り、所長はレイナが寝るベッドの傍までやってくる。

 次いで所長はレイナに、分厚い書類の束を手渡そうとしてきた。息を飲んだレイナは、読んでいた本を脇に置き、書類を受け取る。ぺらぺらと神を捲り、中身を読んだ。

 それだけで、所長が此処に来た理由は分かった。


「現在、世界各地で怪物の急激な活性化が確認されています」


 紙に書かれていた内容は――――世界各地で起きたについての報告だったのだから。


「世界、各地……具体的には何処が……」


「恥ずかしながら把握出来ていません。今も救援要請がひっきりなしに私の下に飛んできて、件数は増え続けています。ほぼ全ての職員が封じ込め作業に入っていますが、人手がまるで足りていないのです。このままでは怪物の存在を秘匿しきれないどころか、文明崩壊も視野に入れねばなりません」


「なんてこった……マジかよ……」


 唖然とする医者は、もう所長を止めようとはしない。顔はすっかり引き攣り、瞳が小刻みに震えていた。

 研究者ではないからこそ、彼は怪物が恐ろしい存在だと理解している。それでいて怪物と深く関わる立場故に、彼等が自然界の奥底で穏やかに暮らしていたからこそ人間は『支配者ごっこ』が出来たのだと分かっているのだ。

 本当の支配者が暴れ回れば、それだけで人類文明など一夜と掛からずに滅び去る。

 終わりの予感。死の恐怖……感覚としては医者が抱いている想いが人間として一番『普遍的』なものだろう。恐怖で部屋の隅に縮こまるか、絶望で膝を屈するか、使命感に燃えて立ち向かうか。どうなるかは人それぞれでも、そうした心と行動になるのが普通だ。

 だが、レイナは違う。


「(凄い……凄い! 何が起きているんだろう!)」


 レイナの心に真っ先に噴き出したのは、好奇心。

 無論人類文明が滅びるかも知れないという恐怖や、大勢の人を助けなければならないという責任感もある。科学者とは、自然界のルールを解き明かし、人類の発展に寄与するのが責務。一科学者としてレイナもその想いは常に胸に秘めているのだ。

 されどそれを差し置いて、子供の心が彼女を突き動かす。

 どうして世界中で一斉に怪物が活性化したのか? それは自然な事なのか、不自然な事なのか。不自然ならば何が起因か、自然ならばその意義は――――考えても考えても答えは出ず、考察にすら至れない妄想が頭を埋め尽くしていく。

 もう、我慢など出来ない。


「行きます! いえ、行かせてください!」


 レイナが満面の笑顔と共にその答えを返すのに、迷いなどなかった。


「おま……だから一週間は安静だと言って……!」


「無駄ですよ。彼女、私に似てますから」


「……マジかよ」


 足掻きとばかりにレイナを引き留めようとする医者だが、所長の一声で彼はすっかり言葉を失った。どうやら所長のというのは、『ミネルヴァのフクロウ』では有名らしい。

 恐らく組織内でもとびっきりの狂人と同類扱いされてしまったが、元より人からの評価など大して興味がないレイナ。そもそも対人関係など気にしている時間はない筈だ。

 所長もそれを分かっているようで、医者を黙らせた後は即座に説明を再開する。


「あなたには日本の北海道に向かってもらいます。日本は母国でしたよね?」


「ええ、まぁ……生まれも育ちも関東ですから、そこまで詳しくはないですが」


「通訳が必要ないなら問題ありません。通訳を付ける人手すら惜しいのですから」


 所長はそう言いながら、次の資料――――写真を数枚取り出し、レイナに渡してきた。

 レイナはすぐに写真を見つめる。

 そこに映るのは『異形』の生命体。これまで様々な生物を見てきたレイナであるが、写真のような姿の生物は初めて目にした。成程、これが次の仕事相手かと理解し、口許が僅かに弛む。


「これが次の相手……この子はどんな生き物なのですか?」


 まずは相手の情報把握。どうせ謎ばかりだと思うが、大きさや分類、食性などを少しでも把握しておきたい。そうした知識が身を守り、そして怪物の生態を解き明かすヒントとなるのだから。

 ところが。


「データはありません」


 所長から返ってきたのは、そんな一言のみ。

 ……未知の方が多いのなら兎も角、ないとはどういう事か? 全く予想していなかった返答に、レイナは固まる。医者も固まる。沈黙が医務室内を満たした。

 その沈黙を破るのは、唯一固まらなかった所長のみ。


「臨時識別名『異形の怪物』……あなたに任せるのは、今し方発見されたばかりの新種の怪物なのですから」


 憮然とした顔で告げてきた『情報』に、流石のレイナも頬を引き攣らせてしまうのだった。























 Species5 異形の怪物



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