小さな一歩

 新種の怪物の存在が確認されたのは、今から十二時間前の事。

 日本の北海道に広がる大森林……怪物はそこに突如として現れた。その森はこれまで怪物どころか猛獣も確認された事がない、ごくあり触れた人工林である。維持管理や研究は民間が行っており、『ミネルヴァのフクロウ』による専門的データや調査記録は一切ない。噂話などの曖昧な目撃例もないらしい。

 インターネットや行政文書、一般的な学術論文で確認出来る事――――それが新種の怪物及びその生息地について『人類』か把握している全てだ。

 要するに。


「なーんにも分からないって事よねぇ……こりゃ調べ甲斐がありそうだわ」


 自分の置かれた現状を正確に把握したレイナは、口では悪態を吐きつつも、好奇心でキラキラと輝く笑みを浮かべていた。

 小高い丘の上に立つレイナの目の前には、大きな森が広がっていた。背負うリュックサックの位置を直すために軽く跳び、次いでレイナは麓に広がる森をじっくりと眺める。

 森と言っても此処にあるのは人工林で、生えているのは材木用の杉ばかり。今の季節は秋の終わり頃だが積雪はまだなく、濃い緑が地平線の彼方まで続いていた。空には雲一つなく、朝日に照らされた森全体がキラキラと輝き、細かなところまでよく見える。どの木もかなり高く伸びているのは、林業の人手不足により適切な時期に伐採出来ていないからか。等間隔に同じ背丈の木々が並ぶ姿は美しいものだが、あまりにも秩序立った姿は『不自然』の極み。

 あたかも、その不自然を蹂躙でもしているのか。

 地平線の近く……レイナ達から数十キロほど離れた場所に、『そいつ』の姿はあった。手に持つ双眼鏡を覗き込み、レイナは『そいつ』をじっくりと観察する。

 周りに立つ木々の大きさから推定して、全長は五十~六十メートル程度。形は球体。全身が雪のように白く、他の色合いは染み一つ見られなかった。目や口どころか手足も確認出来ず、触角や尾羽も見られない。見方によっては可愛らしいとも思える球体だ。あの玉がどんな感触なのか……是非とも確かめたい。

 尤も、周りの木々を吹っ飛ばすほどの勢いで回転していなければ、の話だが。

 巨大球体はごろごろと転がっていた。人工林を忌むかのように吹き飛ばし、次々と杉の木が空を飛ぶ。大きく育った杉ならば一本当たり凡そ一~二トンの重さがある筈だ。それが空を飛ぶのだから、回転による破壊力が如何ほどかは語るまでもない。

 人智を超える圧倒的なその力は、怪物と呼ぶしかあるまい。そして白くて丸い姿は、一体なんの生物と分類的に近しいのか全く分からない。考えれば考えるほど感じる奇妙さは、これまで出会ったどんな怪物にもなかったもの。

 『異形の怪物』……正にこの名が相応しい生命体だ。

 そんな奇妙で奇怪な生物を、文字通り世界で始めて調査する。生き物大好きなレイナにとって、これ以上ないほどワクワクさせてくれるシチュエーションだ。正直、今すぐ全力ダッシュで駆け寄り、その圧倒的なパワーを間近で見たい。

 とはいえこれでも二十を過ぎた大人の身。ちょっと深呼吸して気持ちを落ち着かせれば、迂闊に近付けば一瞬で粉々に吹き飛ばされると分かる。

 突撃する前に確認すべきは、自分の『手札』がどんなものであるかだろう。突撃は他に方法がないと分かってからで遅くない。

 レイナはくるりと後ろを振り返る。


「な、なん、なん……」


「ひぃぃぃぃ……」


 そこにはガタガタと全身を震わせている、作業着姿の若い男女が二人居た。どちらもアジア系、いや、日本人なのは、漏れ出ている声のニュアンスから分かる。男の方はアスリートのように引き締まった身体を持つ好青年、女は黒髪で大人しげな雰囲気の美人であり……二人とも顔色を真っ青にしていた。

 この二名がレイナの『異形の怪物』研究をサポートする作業員である。此処に来るまでに読んだ資料によると、彼等は今回が初任務らしい。研修なども途中で切り上げられ、実戦投入されたとかなんとか。怪物の資料もろくに読ませてもらえていないとなれば、本物を前にして恐れ慄くのも無理ない。

 二人は死刑囚どころか犯罪歴もない人物で、能力的にはかなり優秀だと渡された資料には書かれていた。本来なら十分な教育を受けさせ、簡単で安全な任務で経験を積ませ、保安部などの実働部隊に昇格させる予定だったとも。そんな人材を未熟なまま、下手すれば使い捨てにする現場に投入するというのは、余程事態が逼迫しているのが窺い知れた。

 ……そして作業員は


「(そりゃまぁ、人手が足りないのは分かってますけどー)」


 割り振られた戦力の乏しさと不確実さに、レイナは肩を落とす。

 仕方がないとは思う。世界中で同時多発的に怪物が暴れ始めたのだ。封じ込めるにしても、研究者と作業員が大量に必要である。加えてカテゴリーAやBのような怪物は一体で文明を破壊しかねない存在であるし、カテゴリーCやDでも伝染病などで同等の被害を出しかねない種もいる。そうした文明そのものを脅かす存在の封じ込めを優先するのは当然であるし、絶対失敗出来ないのだから戦力は多めに配分せざるを得ない。

 未知の存在である『異形の怪物』は詳細なカテゴリーや能力は不明だが、大きさや動きの激しさからカテゴリーCと推定されている。伝染病や毒素などは不明だが、回転する動きの中で何かを撒き散らす様子はなく、仮に体内に猛毒があっても周辺は汚染されていないだろう。少なくとも接近しただけで死ぬという事態はない筈だ。

 推定だのだろうだの筈だの、不確定要素ばかりだが、兎にも角にも現時点ではコイツが一番『マシ』なのだ。あーだこーだと文句を言ったところで、もっと過酷な現場に送り込まれるだけである。

 文句を言う暇があったら、さくっとあの怪物が現れた謎を解くべきだ。


「……良し。えっと、すみません!」


 まずは大切な仲間と意思疎通を図ろう。そう考えたレイナは、未だ震えている作業員二人に声を掛けた。呼ばれた瞬間二人は跳ねるように驚き、その声がレイナのものだと分かると引き攣った表情でレイナを見る。

 端的に言って、二人の作業員が浮かべているのは助けを求めるような表情だった。


「な、なんですかぁ……わ、私達、なんでこんなところにぃ……」


「えー、その、単刀直入に言いますとあの怪物の研究を行います。そのためのお手伝いをしてほしくて」


「あ、あんな怪物の研究なんて無理だ! 近付いたら、つ、潰される!」


「うぅ……実家の借金を返すために命懸けの仕事をするとは聞いていたけど、こんなところで死ぬなんてぇ……」


 レイナの説明に、いきなり拒否感と絶望を露わにする二人。どうやら女の方は借金返済を出しに、『ミネルヴァのフクロウ』にスカウトされたらしい。男の方も恐らく似たようなものだろう。

 ご愁傷様、と言うのは色々洒落にならないので止めておく。それに彼女達の命を無下に扱うつもりはないのだ。諦めムードの二人に、それだけは分かってもらう必要がある。


「可能な限り安全には配慮しますし、人体実験のような真似もしません。あなた達にお願いする作業は、基本的には安全なものです」


「そ、そうは言うが……でも……」


「確かにあのような怪物の活動圏内での作業ですし、怪物がどのような行動を起こすかは未知数のため、必ずしも命の保証は出来ませんが……それでも、やらなければならない理由があります」


「……理由?」


「私達がここであの怪物の謎――――どうして突然この場所に現れたのか、何処に向かおうとしているのか、どうすれば止められるのか。それを突き止めなければ、人類文明そのものが危うくなります。私達が、やらねばならないのです」


 真っ直ぐに見つめながら、レイナは躊躇いなく答えた。

 本心からの言葉。作業員二人はそれをどう思ったのか、互いに顔を見合わせ、しばし黙りこくる。

 やがて一人が頭を掻き毟り、もう一人がレイナにいくらか引き締まった顔を見せた。


「……分かった。逃げたってろくな事にないんだから、腹を据えてやってやる」


「わ、私も、頑張りますぅ……」


 二人の返事は、レイナにとって最高のものだった。


「ありがとうございます!」


「とりあえず自己紹介だ……ぼくは伊吹いぶき平治へいじ。よろしく」


「私は木村きむら道子みちこです。その、よろしくお願いします……」


「私はレイナ・エインズワーズです。名前は洋風ですけど、産まれも育ちも日本なので同郷ですね。よろしくお願いします」


 平治と道子の名前をしかと記憶し、レイナは名乗りながら自らの手を前に出す。

 先に平治がその手を掴んで握手し、道子が続いて握手。強張り、震えていた二人の顔に、僅かだが笑みが戻った。相変わらず諦めは感じさせるが、しかしその諦めに身を委ねているようには感じられない。いざとなれば足掻いてやるという、生き物としての信念が確かにある。

 今の二人になら、大事な仕事も任せられるだろう。『頼もしい作業員』を得られたレイナも力強い笑みを浮かべた。


「じゃあ、早速お仕事をしましょう。はいこれ」


 なので早速、レイナはその手に持っていた双眼鏡を道子に渡す。


「……えっと……これは?」


「うちの組織で開発した双眼鏡です。時間と観測対象の速度が分かります。これであの怪物を観察して、時間毎の速度変化を記録してください。あ、用紙はこちらにお願いします。説明書はこれです」


「あ、はい……うわ、分厚い……」


「伊吹さんは空気のサンプルを採取してください。恐らくなんの変化もないと思いますが、それを確定させるために必要です。という訳でこれが空気のサンプルを採取するための容器です。蓋を押せば穴が開いて、中に空気が入り込む仕掛けです。とりあえず一度に五ヶ所ずつ、五分置きに三回お願いします」


「お、おう……」


 一通り説明された道子と平治は、目を丸くしてキョトンとなる。

 そんな二人の視線の前で、レイナは背負っていたリュックを下ろし、カメラと画材を取り出す。


「私は怪物のスケッチ及び撮影を行います! 何か奇妙な事があったら声を掛けてくださいね!」


 そして胡座を掻いて座り込むと、宣言通りスケッチと撮影を始めた。

 何枚か写真を撮った後、レイナはカメラの望遠機能を用いて怪物の姿を詳細に確認。見えたものを記憶し、鉛筆を紙の上に走らせる。スケッチは写真のように正確ではないが、写真と違って観察時に見せた一瞬の出来事を記憶から書き込めるもの。そうした一瞬の動きが生物の謎を解き明かすヒントにもなるのだ。

 カリカリ、カリカリ。時折背筋を伸ばし、パシャパシャと撮影。それからまたスケッチを始める。

 レイナが黙々と作業しているのを見て、道子と平治も作業を始める。道子は双眼鏡を覗き込み、一定間隔で紙に速度を書き記す。平治も丘のあちこちで大気を採取し、ラベルに日付を書き込んでから箱にしまい、また五分後に大気を採取。

 特に会話もなく、黙々とこれを続ける。ひたすら続ける。大きな動きもハプニングもなく、粛々と。

 ……地味だな、これ。

 ……なんか測量っぽい。

 何処からともなくそんな声が聞こえてきた気がするレイナだったが、研究とは関係ないので無視した。

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