お見舞い

「怪物に食べられたにも拘わらず生還した人は、私が知る限りこれで二人目です」


 怒っているのか呆れているのか、何時も以上に眉間に皺を寄せながら『所長』が話し掛けてくる。

 レイナはその言葉を、『ミネルヴァのフクロウ』本部に置かれたベッドで寝ながら聞いていた。どう反応したら良いのか分からず、とりあえず笑って誤魔化そうとするが……表情を変える程度の僅かな動きでもギブスで固定された右足と右手、そして肋骨が激しく痛むので、すぐに顰め面に変わってしまう。

 痛みに悶えても所長は気遣いの言葉を掛けてはくれず、ふん、と小さな鼻息を吐くだけ。けれども所長の視線は右足と右腕に向けられていて、全くの無関心ではないらしい。それにこうしてお見舞いにも来てくれたのだから、感謝こそすれ悪態を吐く理由もない。


「(心配、してくれたのかな?)」


 上司の好意を、レイナは素直に受け取った。

 ……『天空の怪物』に食べられたレイナは、奇跡的な生還を果たした。ただしそれはレイナの努力の甲斐というより、数多の幸運に恵まれた結果と言えよう。

 あの『天空の怪物』はジョセフと付き合いが長く ― そう、ジョセフ曰く十五年だ ― 、彼にとても懐いていた。暴れ回っていた『天空の怪物』はジョセフの姿に気付くや、助けを求めるように気球へと急接近。ジョセフが優しく宥めると安心したのか、『天空の怪物』はジョセフの立つゴンドラの傍でしばし滞空していた。

 丁度そのタイミングで『天空の怪物』は、胃の中身レイナを気球の中へとぶちまけたのである。

 こうしてレイナは大空に放り出される事もなく、ゴンドラ内で迅速に救助された訳だが……吐き出された際の衝撃が凄まじく、失神してしまった。ついでに言うとゴンドラの床に叩き付けられた衝撃で肋骨を骨折し、食道を通った時変な方向に曲がったのか右足と右腕を複雑骨折。突貫工事で建てた基地に医務室がなければ、やはりあの世行きだったらしい。クリスなんかは寝ずの看病していたとかなんとか。

 ちなみに当の『天空の怪物』は、一晩経って落ち着いたのか、その後悠々と海へ帰ったそうだ。進路上の町では『暴風雨』からの避難が行われ、帰路では死傷者なしとの事。

 事態は解決し、レイナも生還。仕事は完璧に成し遂げられたのだ。


「いやぁ、組織のお陰様で助かりました……えと、なんか凄い骨折しちゃったんですけど、私、何ヶ月か休職とかになるんですかね……?」


「問題ありません。人体の回復速度を著しく向上させる薬が、我々の組織にはあります。それを飲めば一週間後には現場復帰出来るでしょう」


 ちなみにそんな功績を上げても、一週間で現場に戻されるようで。

 ブラック研究所だなぁ、と思うレイナ。しかし死にかけても一週間で戻れるならもうちょっと無茶出来るかな? とも頭の片隅で考えていたのだが。すぐ仕事に戻れるならば、それはレイナにとって望むところ。彼女は怪物が大好きなのであり、死をも恐れぬ狂科学者なのだから。

 『懸念』の一つは解決した。されどもっと大きな『懸念』は、まだ解決しないだろうという確信がある。


「あと、私が回収したあの機械……アレについて何か判明した事とかあるのでしょうか?」


 それでも駄目元で尋ねてみると、所長は一瞬だけ痙攣するように口許を震わせた。次いで小さくないため息を吐き、真剣な眼差しでレイナを見る。

 これだけ見れば答えは分かったようなものだが、所長は言葉でもちゃんと説明してくれた。


「……現在技術班が解析を進めています。現時点で判明した事は電気信号の受信・発信機能がある事、そして発信機能に関しては、最大出力を出せば人間一人感電死させられるかも知れないという事です」


「かも知れない、ですか……なんというか、凄い機械なのは分かりますけど、怪物相手じゃ全然効かなそうな感じですね」


「その通り。仮にあの機械が脆弱な体内に仕込まれたとしても、『天空の怪物』は気付きもしないでしょう。昔何処かの国の軍隊が爆弾で内側から吹っ飛ばそうとして、見事失敗した事からも明らかです」


「あ、やっぱ効かないんだ……えと、つまり殺傷目的ではないという事ですね?」


「恐らくは。無論、怪物の事をろくに知らない愚か者共の行いという可能性もゼロではありませんが」


 忌々しげに眉を顰め、口を閉ざす所長。挟まれた沈黙を活用し、レイナは頭の中で様々な情報を飛び交わせ、混ぜ込み、しばし思考に没頭する。

 人一人殺せるかどうかという電気では、どうやっても『天空の怪物』は殺せない。しかしただの発信器にそこまで強い電流は必要ない筈だ。それに『天空の怪物』は比較的大人しい種だが、好奇心旺盛なため積極的に近付いてくる。ちっぽけな人間達からすれば接触は命懸けであり、これだけの危険を冒してまで設置した物体に大した効果がないとは考え難い。

 何か意味があった筈なのだ。例えば電流を神経に流す事で、気分や精神を変えるような……


「(いずれにせよ、電流は怪物の行動に何か影響を与えるためのものと考えられる。問題は、心当たりが多過ぎる事ね)」


 生息地からの不可解な移動、同じ場所をぐるぐると旋回し続ける行動、外した後のパニック状態……異常行動を挙げれば切りがなかった。共通点があるかもと考えたが、どうにもそれを見付ける事も出来ない。

 そもそもこれらの行動は、全て機械を取り付けた者達の思惑通りなのだろうか?

 どんなに理論的な式を組み立てようと、さらりと予想を超えてくるのが生物というものだ。ましてや相手が人智を超える怪物となれば尚更である。機械は完璧に働いたかも知れないし、まるで仕事をしていなかったかも知れない。『天空の怪物』の異常行動はヒントになる筈だが、どれが『正しい』のか、或いはどれが『間違い』なのか分からなくては使い物にならないだろう。

 やはり機械の役割を知りたいなら、機械自体を調べるのが一番だ。『ミネルヴァのフクロウ』にはそれが出来る技術者がおり、解析自体は難しくない筈である。

 ……現物がちゃんとあれば、の話だが。


「あなたの持ち帰った機械の状態がもう少し良ければ、電流の波形や出力パターンを調べられたようなのですが」


「うぐ。で、ですよね……すみません……」


 食べられた際の、そして吐き出された時の衝撃により、レイナが確保していた小さな機械はボロボロに壊れてしまった。おまけに脱出時の衝撃で飛び散ったのか、はたまた怪物の胃袋に残っているのか、パーツが幾つか欠損しているらしい。

 壊れているだけならまだしも、パーツそのものが足りないというのは致命的だ。そのため解析は難航、機能の完全な解明は恐らく出来ないとの事だった。

 無論残骸だろうがなんだろうが、持ち帰らなければあの謎機械がどんなものだったのかすら知り得なかったのだ。手掛かりを持ち帰った時点で大手柄である。


「……これは小言ではなく事実を述べただけです。あなたが気にする必要はありません」


 だからこそ、所長もバツが悪そうに訂正したのだろう。


「なんにせよ、これ以上はあなたが関わる案件ではありません。解析を進めるのは技術部、なんらかの組織の関与が疑われた場合は政務部と保安部が担当します。あなたに今後何かをお願いするとすれば、第一発見者として当時の状況を尋ねる程度でしょう」


「……了解しました。忘れないようにしつつ、職務に戻ります」


「結構。他に何か質問はありますか? なければ、私もそろそろ仕事に戻りますが」


 所長に尋ねられ、レイナは僅かに考える。少なくとも今この瞬間、『天空の怪物』に付けられていた機械について確認したい点はない。

 強いて言うなら、個人的な疑問が一つだけある。

 だから訊かなくても何も問題はないのだが、些末な話でも分からない事を分からないままにしておくのはあまり好まない。レイナに限らず、科学者とはそのような人種である。

 本当に些末な疑問なので、どうせなら訊いてしまおう。


「じゃあ、一つだけ……怪物に食べられて助かったのは二人目との事ですけど、一人目はどんな人だったのですか?」


 そう思ったレイナは、世間話のように話を振った。

 所長はレイナの質問に一瞬キョトンとした表情を浮かべ、次いで呆れるように顔を顰める。それから唇を僅かではあるが尖らせ、不機嫌さを露わにした――――割には、あっさりと話し始めたが。


「……そうですね。まず、彼女はとても偏屈で」


「へぇ。女性なんですか」


「意地が悪く、人使いも悪く、口も悪い」


「はぁ……ん?」


「かなり歳は取っているけど未だ元気で、当分くたばりそうにない」


「……へ、へぇ……」


「そしてこの前一生懸命書いた『魔境の怪物』の論文をこっぴどくこき下ろされたのが悔しいから、何時かぐうの音も出ないような凄いやつを書いてやる。というかコイツ絶対友達とかいないでしょ、付き合い悪そうだし」


「……………」


「と、あなたが思っているであろう人物です」


 ぺらぺらとかつてないほど饒舌に、所長は一気に語りきる。

 気付けば、所長は今まで見せた事もないようなにやついた笑みを浮かべていた。対するレイナは顔を引き攣らせ、苦笑いしか出来ない。

 所長が言うような人物に、心当たりはある。あるが、まさか目の前に居るというのは想定外。なんと答えるべきか、人類の中でもそれなりに優秀な頭脳でも答えが導き出せず、歪んだ口から出るのは乾いた笑いだけ。


「私も昔はやんちゃをしたものです。そうそう、言い忘れていましたが此度の始末書は明日までに書いてください。私自らが確認します……これから、しっかり可愛がらせていただきますからね」


 所長はご機嫌な口調でそれだけ言うと、すたすたと病室を後にする。

 所長が部屋から出て、残されたレイナはぐたりと項垂れた。顔は未だ引き攣ったまま、笑みも乾いたまま。


「……気に入られた、という事なのかなぁ」


 上司に好かれる。どちらかといえば良い事なのに、レイナは喜べない。

 どう考えてもあの所長の言う『可愛がる』は、女子のそれではなく、体育会系のノリとしか思えないのだから――――

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