大脱出

「(いやぁ、まさかこうもあっさり食べられちゃうとは……)」


 真っ暗な『食道』を下りながら、レイナはなんとも暢気に考えていた。

 自分が今どうなっているか、自覚はちゃんとある。作業員を助けようとした結果、『天空の怪物』に食べられてしまったのだ。何も見えないのであくまでも感覚的な話だが、怪物の巨体故か食道は存外広く、全身をもみくちゃにはされていない。それでも背中側の肉がぐにぐにと動き、レイナを体内の奥へと導いていた。身体の前面ではびゅうびゅうと風が流れ、粘液で湿った顔を冷やしていく。

 食道の次にあるのは、余程変な生き物でない限り『胃』だろう。胃というのは食べ物を消化する場所。消化液の成分は生物種により様々だが、いずれも強力な分解能力を持ち、食べた物を溶かしていく。酸が来るのかアルカリが来るのかは分からないが、生身の人間であるレイナに耐えられるものではあるまい。残念ながらここまでの人生のようだ。

 ……何時かはこうなると、レイナ自身思っていた。怪物という危険生物と触れ合う仕事をしているのだから、食べられるなんてのはよくある死因の一つだろう。全身を噛み砕かれながら食べられなくてラッキーと言うべきか、生きたまま胃液で溶かされてアンラッキーと言うべきか……楽な死に方は出来ないと『星屑の怪物』の調査をしていた時に言われていたので、あまり後悔や恐怖も何もないのだが。

 むしろ生きたまま怪物の腹の中を探検出来るのは、それはそれで興味深い。どんな研究資料でも、自らが消化されていく行程を記したものはないのだから。そういう意味では、噛み砕かれなくて良かったと言えるだろう。


「(我ながら頭のネジ外れてるなぁ……ま、今更世間体を気にしても仕方ないか)」


 これが人生最後なら、好きなようにやらせてもらおう。そう考えたレイナは食道の動きに身を任せる。吹き流れる風の感覚と蠢く肉の動きを記憶に刻み込みながら、どんどん奥へと進み――――

 しばらくして身体が放り出されるような感覚に見舞われた。一秒か二秒浮遊感を味わうと、今度はぼふんという座布団のような感覚を落ちた身体で感じる。相変わらずの真っ暗闇で周りは見えないが、手足をばたつかせても何にもぶつからないぐらい開けた空間のようだ。

 そしてそれより先に身体が進む事はなく、何も起こらない時間が続く。

 ……本当に何も起こらない。何十秒か待ってみたが、全く動きがなかった。


「(……なんで何も起きないの? 此処、胃じゃないの?)」


 あまりにもイベントがないので、レイナは思考を巡らせる。己が末路を受け入れた頭は冷静そのもので、普段通りの聡明さで事態を分析する。

 まず、胃袋はしっとりと湿っている。直に触れている手はその湿り気によりべたべたしていた、が、痛みや熱さは特に感じられない。手探りで作業着の状態も調べてみたが、これといって状態が悪くなっているようにも思えなかった。強いて問題点を挙げるなら、サウナのような暑さと湿り気があって、そう遠からぬうちに熱中症になりそうな事ぐらい。

 消化というのは単純に食べ物を溶かすだけではない。生理的に考えた場合、食べるという行いは外界のものをダイレクトに体内に取り込む行程なのだ。入り込むのは栄養だけでなく、毒素や雑菌など、生体にとって有害なものも少なくない。そのため食事の際には強力な消化液を用い、こうした有害物質を滅却するという作業が行われる。消化器官の『本業』はあくまで食べ物の分解であるが、化学的な力押しにより、この段階で大半の有害物質は無力化されるものだ。

 仮に分泌されているものが人間の皮膚さえ焼けない酸だとしたら、精々お酢程度の代物だろうか? 効果がないとは言わないが、命を預けるにはあまりにも心許ない。というかそもそも食べ物の分解が出来ないのではないか? びゅうびゅうと風に吹かれる中、レイナは更に考え込む。

 そして、ふと一つの仮説を閃く。

 ひょっとすると『天空の怪物』の消化器官は退、と。


「(そっか。空気食なら、強力な酸なんていらない筈)」


 『天空の怪物』の食糧は空気。しかも空気を栄養素に変えるのは、体内で共生している細菌の役割だ。最終的には繁殖した細菌を頂くにしても、それは消化器官の奥深くなど、ごく狭い領域でやれば良い事。つまり『天空の怪物』自身には、強力な酸や酵素を胃袋全体にぶちまける必要がない。やるべきなのは精々、細菌が生きやすいよう体内を高温に保つ事だけ。

 生物の進化は、不必要なものは次々と切り捨てていく。何故なら余計なものを持っているより、そのエネルギーを別のものに費やした方が競争で有利になるからだ。例えば消化液や酵素を生産するための大きな臓器を持つ個体と、その臓器を退化させて筋肉に置き換えた個体、どちらが恐ろしい天敵から逃げられるだろうか? 恐らくより逃げ足が速い、或いは捕まった時手痛い反撃が出来る、筋肉隆々の後者だろう。また食糧不足などの危機に見舞われたなら、無駄なエネルギー消費をカットした個体の方が生き長らえやすい。

 必要がないなら、消化能力など捨ててしまえば良い。人間ならば躊躇し、あり得ないと感情的に否定する方向性も、生物は適応的であれば採用するのだ。


「(そうだとしたら……まだ、諦めるには早そうね)」


 あくまでも可能性の話。されどチャンスがあるというのなら、掴まねば勿体ない。諦めていた気持ちは、ぐんぐんと盛り上がってきた。

 それに、レイナのポケットには怪しげな機械がある。

 この怪物の頭から取り外した、あの謎の機械だ。寸でのところでジョセフに渡しそびれてしまったこれを持ったまま死ぬのは、なんというか、非常に格好が付かない。それにこの機械が『天空の怪物』を狂わせた元凶ならば、調査と解明が必要だ。せめて機械だけでも、外に送り出さねばならない。

 

「……良し。ちょっと脱出、頑張ってみようかしらね!」


 怪物の腹の中で、レイナは力強く立ち上がった。

 さて、行動を起こす前に一呼吸。まずは考えてみようとレイナは頭を働かせる。大きな動物に食べられてしまった時の脱出方法には、どんなものがあるだろうか?

 一番簡単に思い付くのは、腹をナイフか何かで掻っ捌く事だろう。

 しかし生憎レイナの装備に、人が通れるほどの大穴を切り開けるような刃物はない。仮にあったところで……果たしてこの『天空の怪物』に通じるだろうか? モンスター映画では爆弾を食わせてドカンっというのは一つのお約束だが、どうにもレイナには達にそれが通じるとは思えない。なんというか、ダイナマイトを食べてもゲップ一つで済まされそうな気がした。

 別の方法を探る方が良いだろう。


「(もっとシンプルに、正規の方法……肛門からの脱出は?)」


 最も自然に体外へと排泄される案を考えてみる。が、すぐにこれは却下にした。

 レイナが今居る場所はまだ安全だが、奥がどうなっているかは分からない。想像通りなら、胃袋の奥は増殖した細菌を消化するため、此処よりも危険な状態の筈。それに生物の腸内というのは大概無酸素状態であり、酸素が嫌いな細菌にとっては楽園でも、人間などの『高等生物』が生きていける環境ではない。生きては通れない環境だ。機械だけならなんとか送り出せるかも知れないので、最後の手段には出来るだろうが。

 腸をひとまず候補から外すなら、食道を登るのは? これも無理だろう。下ってきた時の力強さ、吹き付ける暴風があるからだ。ピッケルなどの道具があれば可能かも知れないが、ないもの強請りをしても仕方ない。

 考えてみても手詰まりばかり。なら、情報を探るためにしばし胃袋内の調査を進めるべきか?


「(……そうする余裕もなさそうね)」


 じわりと汗を流れた汗の所為で、この案も否定せざるを得なくなる。

 ジョセフの話曰く、『天空の怪物』と共生している細菌は七十五度の温度が最も好む。ならば『天空の怪物』の消化器官内は、恐らくこの温度で安定している筈だ。それが最も効率的に細菌を繁殖させられるのだから。

 一般的なサウナの温度が八十~百度らしいので、七十五度というのはややぬるめのサウナといったところか。裸一貫で過ごす分には物足りないかも知れないが、生憎分厚い作業着を着込んでいる今は地獄でしかない。だからといって、何が起こるか分からない生物の体内で裸になるなど自殺行為も良いところだ。万が一にも傷口などから雑菌が入れば、それこそ命に関わる。

 発汗の勢いとこれまでこなしてきたフィールドワークの経験から概算し、活動可能なのは精々十数分と判断。のんびりしてもいられない。

 策はないか。案はないか。出来れば生還したいという程度なので焦るつもりもないが、しかし考えが纏まらないとそれはそれで苛立つ。とんとんと、靴を慣らすように足が動き――――

 カチャリ、という音が鳴った。


「……あん?」


 ぴたりと、レイナは足を止める。

 足下を見ても、何も見えない。しかし足を動かしてみればカチャカチャと音が鳴り、靴越しに硬い感触を覚える。

 なんだと思い、レイナはしゃがみ込んで足下を触った。手が触れたのはスポンジのような柔らかい感触の組織……そして硬い物体が複数あった。掴んでみれば、それは厚さ数ミリの板状のものだと分かる。暗さの所為でよく見えない、この物体の正体はなんなのか。触りながら思案したレイナはふと閃いた。

 プラスチックだ。

 恐らくレイナ達が使っていた、あの即席橋の欠片だろう。レイナと共に食べられたものらしい。大きく手を振るように広範囲を探れば、かなり大量の破片が飲み込まれていると分かった。

 足下に広がるスポンジ状の組織は、こうしたゴミが奥へと行かないようにするためのフィルターか……足場のような組織の役割について考察した時、別の疑問がレイナの脳裏を過ぎる。


「(この子達、ゴミを飲み込んだ時ってどうするの?)」


 その小さな違和感が、レイナの頭脳を活性化させた。

 そう、空気食ならば雑菌やウイルスのみならず、大気中を漂う埃などの『巨大』なゴミも大量に取り込む筈。そうしたものも細菌と一緒に消化するのか? いや、レイナが『足止め』された、最も多くのゴミが集まる此処さえ消化液がないのだからそれは違う。大体ゴミと一言でいっても、その種類は千差万別。まとめて消化というのは、ちょっとばかり乱暴過ぎるし、エネルギーもたくさん必要だろう。

 面倒に考える事はない。胃袋に異物がやってきたなら、もっとシンプルな方法で良い。

 吐くのだ。例えるならば猫が、毛繕いなどでたくさん入ってきた毛玉を吐き出すように。


「(吐く条件は? 胃に溜まった重量? ゴミによって重さなんて全然違うじゃない! もっとシンプルな条件、空気の通り道であるフィルターが、胃の機能を阻害する要素は――――)」


 面積。

 ゴミがこの『足場フィルター』を一定面積覆った時、嘔吐が起きる筈。

 ならば、取るべき策は一つ。


「っ!」


 レイナは素早く、その場に寝転んだ。座った体勢よりも、四肢を広げた方がより広く足下の組織を刺激出来る筈だから。

 されど一分ぐらい寝転んでも、変化は起きない。これではまだ足りないのか? 巨大な怪物の胃袋からすればレイナもプラスチック片も僅かなもので、まだまだ気にする必要なんてないのかも知れない。

 もっと刺激する面積を広げなくては。

 次にレイナが起こした行動は、服を脱ぎ捨てる事。裸になったら命に関わる? それは考えなしの時の話だ。これがチャンスに繋がるなら、レイナは躊躇わない!

 靴を脱ぎ、上着を脱ぎ、ズボンも下着も全部投げ捨てる。全裸になったレイナは、これでどうだとばかりに大の字で横になった。地肌で接した胃の組織は、焼けるように熱い。しかしレイナは歯を食い縛り、これに耐える。火傷も雑菌も、今は知った事ではない。

 投げた靴が壁にぶつかったような音を出していないので、『天空の怪物』の胃袋はレイナの想像よりも更に巨大な様子。服を投げ捨てたところで、怪物からしたらまだまだ微々たるものかも知れない。

 これでも足りないか。なら今度は髪の毛を千切って撒くとか――――

 実物の命を投げ打つ事すら厭わぬレイナは、今度は女の命を撒き散らそうとする。されどその行いは寸前で必要なくなった。

 胃袋全体が、小刻みに震え始めたからだ。


「……ようやくかぁ」


 自分の目論見が成功したと知り、レイナは無意識に強張らせていた身体から力を抜いた。

 これで『脱出』は出来るだろう。されど命が助かる可能性は、やはり皆無。

 『天空の怪物』は高高度を飛行しているのだ。世の中には高度一万メートルから落ちても生還した人がいるらしいが、それは落下地点が針葉樹という、天然のクッションがあったから成し遂げられた事。レイナが調査していた場所に、そうしたものは期待出来ない。

 無論もしかするともしかするかも知れないが、具体的な奇跡が思い付かない現状、何も起きないとするのが現実的。吐き出されたレイナは地面に叩き付けられ、ジ・エンドだ。

 

「……まぁ、死体があるだけマシな死に方かなぁ」


 されどレイナの心に恐怖は左程ない。むしろ謎機械を事に満足。

 やがてトランポリンのように波打つ網目状組織と、足下なら流れ込む台風すらも目じゃない爆風により、レイナの身体は空へと舞い上がる。あまりの衝撃に一瞬意識が飛んだレイナは、その後パチリと目を開き――――



























 何故か、目の前に見知らぬ天井があるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る