初体験

 謎の機械を取り除いた結果、『天空の怪物』は本調子を取り戻した。大きく広げた翼で空高く舞い上がり、真っ直ぐ、本来の住処である海へと向かう……


「(なんて、都合の良い展開は起きないわよねぇ)」


 出来ればそうなる事を祈っていたが、叶いそうにない願望をレイナはさっさと捨てる事にした。

 『天空の怪物』は未だ雄叫びを上げ、激しく翼を羽ばたかせている。大きな翼が生み出す浮力は怪物の巨体を空高く昇らせ、身体が激しく上下させていた。身体を仰け反らせる動きも相まって、強烈な慣性がレイナの身体を突き飛ばそうとする。両手で足下の羽根を握り締めていなければ、今頃レイナは空中に放り出されているだろう。

 今まで殆ど翼を動かしていなかったのだから、飛ぶために羽ばたいているのではない筈だ。苦しんでいるのか、はたまたパニックに陥っているのか。

 一番の問題は、この動きが何時終わるのかだ。

 先程うっかり取り外してしまった機械が全ての元凶で、今の『天空の怪物』はちょっとしたパニック状態というのなら、それはとても良い事だ。時間が経てば落ち着きを取り戻し、ついさっき祈っていた展開が訪れるに違いない。しかしその落ち着きを取り戻すのが何時なのかは分からないし、そもそも本当にこの機械が諸悪の根源かは不明である。

 果たしてそろそろ止まってくれるのか、それとも体力が尽きるまで暴れるのか。この場に留まってくれるとは限らず、もしかすると山を下って市街地まで降りてしまうかも知れない。超大型サイクロンという嘘が信じられてしまうほどのパワーが、都市を襲えば……

 なんとしても止めなければならない。しかしどうやって――――


「エインズワーズ博士! は、早く避難しましょう!」


 考えるレイナだったが、その思考を妨げる声が聞こえてきた。

 声が聞こえてきたのはすぐ隣。視線を向ければ、這いつくばりながら泣き顔を見せるクリスの姿が。

 一瞬どうしようかと考えて、確かに彼の言うように避難を優先した方が良いとレイナも納得する。考えるにしても対処するにしても、こんな荒れ狂う足場の上では何一つ出来っこないのだから。


「エインズワーズくん! 無事か!」


「! ホランド博士!」


 怪物の胴体の方を調べていたジョセフとマイケルも、レイナ達の下へとやってきた。屈んだ姿勢での移動は決して速くないが、全力で動いているのは苦悶に歪んだ顔で分かる。


「あ、あの、これ――――」


「話は後だ! 今は逃げるぞ!」


「は、はいっ!」


 反射的にレイナは機械について告げようとするも、近付いてきたジョセフは逃げる事を優先。彼の強い言葉に押されたレイナは大人しく返事をし、機械を服のポケットに突っ込んでから地上へ戻る手段である気球への退避を始めた。

 一応、レイナ達は全員命綱を付けている。故に大空へ放り出されたとしても、地面と激突してあの世へ直行、という展開だけは避けられるだろう。しかしその後は? 空中で宙ぶらりんになりながら、命綱を手繰り寄せて登る……これが如何に大変であるかは、語るまでもない。その上万が一にも『天空の怪物』の翼や足に命綱が絡み付こうものなら、強靭な力で引き千切られたり、或いは途轍もない怪力をダイレクトに身体で受ける可能性もある。

 出来れば落ちたくない。故にレイナは必死に怪物の羽毛を掴み、這いずるような体勢で前へと進んだ。クリスも同じように這いつくばり、のろのろと歩む。

 対するジョセフとマイケルは、こうした修羅場に慣れているのか。レイナ達と似たような体勢でありながら、二人の進みはレイナ達より格段に速い。

 ついにジョセフが橋に辿り着き、続いてマイケルも到着。


「命綱は持ったぞ! 二人とも走れ!」


「速くしろ!」


 ジョセフとマイケルがレイナ達の命綱を掴んで『安全』を確保。急いで来るよう怒鳴るように促した。

 彼等が命綱を掴んだところで、絶対に安全となった訳ではない。もしも『天空の怪物』が突然バレルロールでも始めたなら、しっかり羽根にしがみついていた方がまだ生還出来るだろう。しかしリスクを恐れて背中に乗り続ける事とどちらが危険かと言えば、間違いなく走り出した方が幾分マシだ。


「はい! クリスさん、行きましょう!」


「へぁ? え、あ、あの」


「ほら早く立つ!」


 どもり、狼狽えるクリスの肩を支えて、レイナは駆け出す。クリスの重たい身体は思うように進まず、『足場』が揺れ動くため何度も転びそうになった。しかしそれでも腰を上げた事で、這いずるよりも速く進んでいる。

 ジョセフ達から遅れる事数十秒。ようやくレイナ達も気球へと続く橋に辿り着いた。


【キョォオオ……アアアアア!】


 瞬間、『天空の怪物』がこれまでとは気迫の違う雄叫びを上げる。


「む、いかん! 気球の固定を外す!」


 その声を聞いたジョセフは、誰からの反応も待たずに気球内の装置を操作。気球と『天空の怪物』を繋いでいたロープが外れ、大空へと飛んでいく。

 まるでそれが合図であるかのように、『天空の怪物』は猛烈な速さで飛び出した!

 旋回中でも時速三百キロもの速さだったが、今はもうそんなした動きではない。全身から白い靄のようなものが噴き出している事から、音速を遥かに凌駕していると分かる。挙句その靄を出していた速さから一瞬で何倍も加速したため、今ではもうどれだけ速いのか想像も付かない。

 これが、『天空の怪物』の力だと言うのか。


「(十メガトンの水爆を十六発ぶつければ倒せる? 机上の空論も良いところじゃない……あれじゃあミサイルすら追い付けないわよ!)」


 驚異的なパワーに本能的な恐怖と、それ以上の感動を覚えるレイナ。しかし感動が焦りへと変わるのに、大した時間は必要なかった。

 『天空の怪物』は急旋回をし、レイナ達目掛け突撃してきたのだから。

 何故か? 考えるまでもない。パニック状態の中、変な生物が背中を駆け回っていて腹が立っているのだ。曰く『天空の怪物』は人間に好意的な種のようだが、しかし混乱している今、友愛を思い出してくれると期待するのは少々能天気というものだろう。

 こちらを見ている頭が大きな口を開けた――――レイナがそう認識したのと同時に、『天空の怪物』がこちら目掛け力強く飛来してくる。猛烈な速さで突撃してくる様は正しくミサイルのよう。数秒と経たずにレイナ達の下へと辿り着く筈だ。

 気球のゴンドラで待つジョセフとマイケルが何かを叫んでいたが、レイナには聞こえなかった。そこに思考のリソースを割くのは無駄だと、脳が本能的に察した……のではない。叫びが言葉と認識出来るほどの『時間』がなかっただけ。

 橋の上に居るのは、レイナとクリスの二人。ゴンドラまでの距離は約十メートルあり、このまま走って逃げようとしても、どちらも間に合わない。突撃してくる『天空の怪物』は、それほどの速さだった。

 しかし片方だけが助かる方法はある。

 レイナは無意識に、その方法を実践した。具体的には橋の上で駆け出し……自分の前を進んでいるクリスに体当たりをお見舞いする事。

 レイナ渾身の一撃は、自分より遥かに大柄な男も突き飛ばす! クリスはほんの一瞬、歩くよりも速く前へと進んでこけた。レイナとの距離が数メートルと開く。


「だっ!? え、エイ……」


 振り返ったクリスに、レイナはにこりと微笑みを

 返す前に、『天空の怪物』がレイナに突っ込んだ。

 一瞬だった。一瞬で何もかもが終わる。大きな口を開いていた『天空の怪物』は、レイナと橋の一部をそのまま口の中に突っ込んで……『天空の怪物』は通り過ぎた。

 衝撃でがたんっと気球が傾く。クリス達の身体が僅かに浮いたが、幸い振り落とされずに済んだ。気球の姿勢は設置されている機械によって自動的に修正され、十数秒もすれば安定した状態に戻る。されどそれを喜ぶ者は誰一人としていない。


「なんて、事だ……!」


「マジかよ……クソが!」


「え、エインズワーズ博士……」


 残された男達が悪態を吐けども、レイナが顔を見せる事も、返事をする事もない。

 大空を飛ぶ怪物の腹の中に、彼等の叫びなど届かないのだから……

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