好奇心は猫を殺す

 気球に乗るマイケルがその手に持つ、ショットガンのように大きな銃の引き金を引いた。

 銃から放たれたのは弾、ではなく錨。人の手ほどの大きさがあるそれは、目にも留まらぬ速さで飛んでいき……掠めるように横切った『天空の怪物』の片翼に引っ掛かった。

 錨は翼に触れた瞬間、さながらアニメのロボットが如く動きで変形。ガッチリと羽根に食い込み、ちょっとやそっとでは外れなくなった。錨から伸びるロープはぴんっと張り詰め、そのロープと繋がっている銃には怪物のパワーが伝わる。

 もしもその銃を手だけで持っていれば、力で怪物に敵う筈もなく、銃とマイケルはそのまま大空へと攫われただろう。が、銃はマイケルだけでなく、気球内に置かれた大きな台座状の装置と一体化していた。マイケルが銃から手を離しても、装置が人間では到底出せない力で銃を固定。怪物のパワーを受け止めてみせた。

 結果、気球は『天空の怪物』に引っ張られる形で動き出す。

 『天空の怪物』の飛行速度は時速三百キロ。この大きさからすればゆったりとしたものかも知れないが、生身の人間からすれば驚異的な速さだ。気球に加わった慣性は乗組員であるレイナ達にも襲い掛かる。ジョセフやクリスは大きな体躯のお陰か平然と立っていたが、軟弱そうなマイケルは蹌踉めき、華奢なレイナは思いっきり転んだ。

 一人倒れたレイナは、しかし痛みや恥ずかしさに悶える事もなく立ち上がる。急ぎ足でゴンドラの端まで移動し、身を乗り出さんばかりの勢いで気球の進行方向を見つめる。

 大空を飛ぶ『天空の怪物』は、こちらの事など気付いてもいないかのように飛び続けていた。


「凄い力……この大きさの気球を引っ張って飛ぶなんて」


「その通り、と言いたいが……それはそれで妙だな。確かに彼等の力は、俺達人間がどう足掻いても敵わないぐらい強い。だが、錨を打ち込まれて無視するほど落ち着きのある種ではないんだが」


 レイナが感嘆していると、ジョセフは疑問を言葉にした。言われてみればこの行為、ほんの僅かではあっても『天空の怪物』の飛行を邪魔している。攻撃的な反応を見せる、とまではいかなくても、鬱陶しそうなアクションを見せるのが自然ではないのか。

 しかし現に『天空の怪物』はこちらなど見向きもせず、延々と飛び続けるだけ。

 本来の生息地と異なる場所に居着いた時点でおかしいのは確かだが、こうした諸々の行動からも、あの巨大な怪鳥が何かしらの異常をきたしていると窺い知れた。


「(まぁ、最初から異常なんだけどね。この怪物の行動)」


 レイナは地上で聞いた話を思い返す。

 具体的には、一ヶ月間同じ場所を旋回し続けている事だ。空を飛び続けている事自体は、『天空の怪物』にはそれを可能とする生理機能があるので問題ない。しかし同じ場所をぐるぐると周り続けるというのは、明らかな異常行動だろう。嫌なものから逃げた、気になるものがあったので近付いた……いずれにしても、数時間もすれば飽きて何処かに行きそうなものである。

 説明会では縄張りの概念がないと話していたので、移動そのものへの躊躇などない筈。それに餌が大気なら、新鮮な空気を求めて移動を続ける方が合理的だ。いくら吸った分だけ新しい空気が流れ込むとしても、『排ガス』が漂う領域に滞在する事は健康上好ましくはあるまい。

 何が原因でこの場所に留まっているのか。その原因を取り除けば、怪物は海へと帰るのだろうか?

 無論、それを探るのが自分達の仕事だというのは忘れていない。


「よっ」


 マイケルは二発目の錨を撃ち、もう一方の『天空の怪物』の翼に引っ掛ける。二本の錨により固定され、気球は安定的に牽引される状態となった。

 次いでマイケルは銃を固定している気球内の機器の傍へと寄り、カチカチとボタンを押して操作。すると猛烈な力で銃はロープを巻き取り始めた。気球は僅かに加速し、『天空の怪物』との距離を詰めていく。

 やがてゴンドラから十メートルほどの距離まで『天空の怪物』と肉薄すると、マイケルとクリスは気球内に置かれていた板を手に持ち、ゴンドラ内の特殊な装置を使って横向きに固定。ボタン操作で板は伸び、ゴンドラの一部が開閉し……長さ十メートルにもなる橋を作り出した。板をもう二枚、今度は縦に固定して展開すれば、その板は手摺りへと早変わり。ものの数分で、気球から『天空の怪物』まで続く橋が出来上がった。


「良し、橋は出来たな。マイケル、付いてきてくれ。レイナもクリスと共に来るんだ」


「はい! 私、怪物の背中って始めて乗ります!」


「なんでこの人こんなに楽しそうなの……?」


「考えるだけ無駄だ。ここの科学者は変態か気違いしかいねぇみたいだからな」


 元気よくレイナは返事をし、クリスが疑問を言葉にし、マイケルが諦めたようにぼやく。変質者扱いされたレイナだが、自分の思想が真っ当だとはこれっぽっちも思わないのであまり気にしない。

 、今は怪物の背中に乗る方が大事だ。

 先行して橋を渡るジョセフの後を、レイナは駆け足で追う。気球と橋は『天空の怪物』に牽引されている状態なので、かなり強めの暴風が身体に吹き付けた。レイナ達が履いている靴はこうした状況を想定し、地面と強く吸着してくれるものであるが、それでも油断をすれば呆気なく飛ばされそうだ。油断しなくとも、怪物が暴れたなら気球と共に橋は大きく傾き、レイナは大空に放り出されるだろう。一応気球と繋がる命綱をしているとはいえ、なんらかの拍子に外れたり切れたりするかも知れない。

 しかしレイナは手摺りをしっかりと掴みながら臆さず進み……ついに、『天空の怪物』の背中に跳び乗った。

 靴の裏からも感じ取れる、ごわごわとした質感。羽根の一枚一枚が分厚く、弾力があるようだ。無意識にレイナはその場にしゃがみ込み、手袋を外して直に触ってみる。第一印象はゴムのような、しかし触れば触るほど生物間がある……これまで色々な鳥の羽根を触ってきたが、このようなものは初めてだ。


「はははっ! いきなり素手で触るとは、中々勇気があるな。もしもその羽根が強酸性の成分を含んでいたら、今頃お前さんの手は焼け爛れているぞ?」


 そんな無意識の行動を、ジョセフが笑いながら窘める。我に返ったレイナは慌てて両手を挙げ、勢い余ってすっ転んでしまった。恐る恐る両手を付いて、レイナは身を起こす。


「……無意識でした。すみません」


「うむ、今後は気を付けた方が良い。まぁ、『ミネルヴァのフクロウ』の科学者はどいつもこいつも似たようなものだがな。俺もコイツらの背中に初めて乗った時、思わずその羽根に顔から跳び込んでしまったものさ」


「うわぁ。私よりやらかしてますねー」


 似たもの同士だった先輩に、レイナは思わず呆れ顔。それでもジョセフは楽しそうに笑うだけだったが。


「さぁ、遊んでばかりいないで、そろそろ働いてもらうぞ。俺は胴体の方を調べよう。お前さんは頭の方を調べてくれ。そっちの方が調査範囲は狭いから、慣れてなくてもこなせる筈だ」


「分かりました。今回はサンプル採取だけで良かったですよね」


「そうだ。大人しい怪物だから基本的には問題ない筈だが、異常行動を取っている個体だから何が起きるか分からん。気になるものを見付けたら、触らず、俺に知らせるんだぞ」


 任務の内容を確認するレイナに、ジョセフは笑いながら、しかし凜とした声で答える。それだけ危険な仕事だという事だと、改めて思い起こす。

 レイナは気を引き締め、意識を切り替えた。

 調査の前にすべき事は命綱の確認。気球側で固定されているそれは、引っ張っても外れそうにない。橋の方はマイケルとクリスが色々な機材を出し、怪物の身体に固定していた。これでいざという時でも素早く逃げられる……と思いたい。

 身を守るための準備を終えたレイナは、早速数十メートル先にある頭部まで移動する。辿り着いた頭は、幅十メートルはあるだろうか。やや丸みを帯びているが、大きさのお陰でそこまで不安定でもない。

 レイナは早速その場に座り込んでサンプル採取を始める。橋の固定を終えたクリスも共に来ていて、同じくしゃがみ込んだ。マイケルはジョセフの下に居り、ジョセフは宣言通り『天空の怪物』の胴体で調査を始めている様子。

 レイナも黙々とサンプル集めに勤しむ。ピンセットとハサミで羽毛の破片を採取したり、抜けかけている羽毛があればそれを一枚丸ごと確保。分厚くて弾力のある羽毛を掻き分け、『フケ』などの皮膚片も集める。


「あ、こんなところにダニが寄生してる! こっちは線虫っぽい! どっちも三センチ以上もある大きな奴だぁ、可愛いなぁうへへへへ」


 ……ついでに時折寄生虫も見付けて、ハイになっていたが。それらも貴重なサンプルなので、全力で採取していく。決して私情は挟んでいない、つもりである。


「あの、一つ質問をしても、良いでしょうか」


 実際には夢中でサンプル集めをしていたので、レイナは助手であるクリスの問いに気付くのが少し遅れた。

 ワンテンポ遅れて振り返ったレイナに、クリスは少し驚いたように身動ぎ。身体はがっちりと大きいのに、どうにもこのクリスという男は胆が小さいらしい。とはいえ人智を超える怪物の相手をするのなら、少しぐらい臆病で慎重な方が良いだろうが。

 レイナは穏やかな笑みを向けながら、クリスの会話に乗る。


「ええ、良いですよ。私に答えられる事ならなんでも訊いてください」


「えっと、じゃあ……羽根とか虫とか集めてますけど、それで何が分かるのでしょうか?」


 クリスが尋ねてきたのは、今のレイナが行っている作業そのものへの疑問。

 確かに『一般人』からすれば、羽根やら皮膚やらを集めてどうするのか、とは思うかも知れない。この怪物を元の住処に帰すのが任務なのだから尚更だ。レイナはサンプル採取を続けながら、クリスの質問に答える。


「そうですねぇ。例えばこの羽根の成分と、昔採取された羽根の成分を比較した時、なんらかの物質がたくさん検出されたとかの結果が出るかも知れません。もしもその物質が細菌由来なら、抗生物質を飲ませる事でこの異常行動を治療出来るかも知れません。或いはなんらかの汚染物質なら、その汚染物質に引き寄せられているとか逃げているとか、ここにやってきた原因が分かるかも知れません。原因を取り除けば、自然と帰る……かと知れません」


「……かも知れない、ばかりですね」


「まぁ、生き物相手ですから。原因を取り除いたところで、帰り道が分からないとか、気に入ったとかの理由で此処に居座る可能性もありますし。最悪、此処にやってきたのはただの気紛れ、なんて事もあるかも」


「もし帰す方法が分からなかったら、その場合はどうするのですか?」


「さぁ? 水爆を十数発直撃させれば倒せるかもという話ですけど、個人的には無理じゃないかなーと思ってますし、やってしまえばそれなりの環境破壊を引き起こすでしょうからね。この地域への立ち入り禁止を強化して放置、が妥当な対策じゃないでしょうか」


「放置、ですか……確かにホランド博士の話だと、殺しても問題が生じる可能性があるみたいですし、それしかないというのも分かりますが……」


 真剣な顔付きで、『もしも』の心配をするクリス。

 ジョセフの話もちゃんと聞いていたようなので、根は真面目なのだろう。そして一般人らしく、人の社会が壊れるのは望んでいないようだ。

 不安にさせてしまったかも知れない。世間話程度のつもりで語っていたレイナは、少し居心地が悪くなった。


「……此処のサンプルは十分かな。えっと、何処か気になるところとかあります?」


「え? いや、いきなり言われても……」


 話題を変えてレイナが尋ねると、クリスは困惑しながら辺りを見回す。死刑囚なのにほんと真面目だなぁ、と感じたレイナはくすりと笑った。案外彼は人など殺しておらず、どこぞの国家で同性愛をしてしまった、独裁者を批難してしまった……それだけの罪状なのかも知れない。

 お喋りはそろそろ止めようと、レイナは気持ちを切り替える。今優先すべきは怪物の調査。抜けた羽根や寄生虫は採取したが、これらは健康な時にも存在するものだろう。もっと普通じゃなさそうなものはないだろうか? キョロキョロとレイナは目をあちらこちらに向ける。


「……ん?」


 そうしていると、ふと、真面目に周囲を見回していたクリスの呟きが聞こえた。


「どうしました?」


「……あっちで、何か光ったような……」


「光った? え、何処ですか?」


「あそこです。丁度頭の真ん中、いや、少し前の方に」


 レイナが尋ねると、クリスが指差しながらその場所を教えてくれる。

 目を懲らしてよく見てみれば……確かに、何かが光っていた。とはいえ随分と弱い光であり、羽毛が風で靡いているため隠れている時間の方が長い。十秒以上待って、ようやく一瞬光っているような気がするだけ。


「本当ですね……よく見付けられましたね。凄いです」


「え? あ、えと……恐縮で」


「じゃあ早速調べてみましょう」


 照れているのかどもるクリスだったが、レイナはそのクリスを他所に早速光の方へと歩き出す。

 如何にも怪しげな物体を見付けたのだ。それを調べずにいるなど出来っこない。一体どんなものが出てくるのか、不思議生物か、特異な体組織か。わくわくが顔に出ている自覚もないまま突き進み――――


「……何コレ?」


 正体が見えた瞬間、わくわくは違和感と疑念にすり替わった。

 辿り着いた場所にあったのは、金属の塊。

 しかも鉱石の類ではない。縦横五センチほどの正方形をした箱形で、小さなライトのようなものが付いた、明らかな機械だ。箱の四隅からは突起が伸びていて、ハサミのようになっている先端が羽根を掴んでいる。中心からは一本のアンテナが立ち、吹き付ける風で揺れていた。


「……これはうちの組織が付けた機械、なのですか?」


 レイナが観察していると、遅れてやってきたクリスが尋ねてきた。しかしレイナは答えない。答える事に頭を使いたくなかったから。

 一体これはなんなのか。

 怪物の生態調査をするため、『ミネルヴァのフクロウ』が取り付けた発信器? 恐らくそれが一番現実的な考えだろう。生態調査のため発信器を取り付けるというのは、野生動物の生態を研究する方法としてはポピュラーなものの一つだ。

 だがどうにも腑に落ちない。発信器は基本的に生物の行動を妨げないものが好ましく、その意味では小型化はすべきだ。しかし『天空の怪物』の大きさを考えれば、こんな五センチ程度まで小さくしなくても良いだろう。もっと大きくして、安定的にする方が合理的な筈。

 違和感を抱けば、途端にこれが怪しく思えてくる。具体的にどうとは答えられないが、これは、おかしい。


「……ホランド博士に報告しないと」


「……分かりました」


 方針を言葉にすると、クリスがこくりと頷く。レイナが抱いた違和感を察し、この機械が『異常』なものと思ったのだろう。真面目な顔が、一層真剣なものとなる。

 そんな彼の見ている前でレイナは早速発信器に手を伸ばし、

 ブチッと発信器をもぎ取った。


「えっ」


「え?」


 クリスが驚いたように声を出し、レイナはキョトンとする。しばし沈黙が流れ、クリスは段々顔を青くしていった。


「……あの、なんでその機械取っちゃったんですか?」


「え。だってこれなんか怪しいし、もしも元凶なら怪物が可哀想だからさっさと取っちゃえって思いまして。それに博士に直接機械を見てもらった方が早そうですし」


「いや、怪しいものあったら呼んでくれってホランド博士に言われてましたよね?」


「……あー」


 指摘され、レイナは目を逸らす。口から漏れ出た言葉が全てを物語っていたが、クリスは口許をひくつかせるばかり。

 再び流れる沈黙。


「……てへ♪」


「いや、何誤魔化してるんですか!?」


 可愛く舌を出してみたが、クリスは誤魔化されてはくれなかった。


「いやー、うっかりしてました。何時も割と本能で生きてますからね、私」


「ええぇぇぇえええ……この人科学者なのになんで本能剥き出しなのぉ……」


 あまりにも能天気なレイナに、クリスは顔面蒼白になりながら後退り。自分のした事分かってんの? と言われている気がして、流石にレイナも申し訳なく思う。

 とはいえこんな小さな機械だ。怪しいだのなんだの考えたが、あくまでただの推測。恐らく本当に『ミネルヴァのフクロウ』が取り付けた、生態調査用の発信器だろう。そうじゃないとしても、水爆でも一発二発じゃ倒せない怪物がこんなもので調子を狂わせる筈もない。

 そう考えていたレイナは、自分のやった事をあまり深く考えず。


【キョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!】


 能天気な状態だった脳みそには、突然聞こえてきた『雄叫び』を即座に理解するような俊敏さはなかった。


「……………えっと――――」


 今のは何? そうクリスに尋ねようとして、けれどもレイナは続きを言う事が出来なかった。

 今度は、『地面』が大きく傾いたのだから。

 反射的にレイナはしゃがみ込み、そこにあった羽根を掴んだ。クリスも羽根を掴み、振り落とされないようにしている。

 ……そう、羽根だ。レイナ達の足下にあるのは地面などではない。そこにいるのは大きな生命体。


【キョオオオオオオオオオオオオッ!】


 そしてそいつは、まるで自らの存在を誇示するように仰け反り、翼を羽ばたかせ、全身がビリビリと響くような叫びを上げる。

 流石にここまで見せられては、現実逃避しようという考えも浮かばず。


「……やっちゃった。てへっ」


 おどけてみせても、クリスはぴくりとも笑ってくれなかった。

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