空へ

 轟々と暴風が吹き荒れる荒野に、レイナとジョセフ、そして十四人の作業員達が居た。時刻は十九時を過ぎ、辺りはすっかり暗くなっている。この地に棲まう他の怪物……例えば『刀神の怪物』など……の活性が下がるため比較的安全との話だが、仕事を行う上であまり適した環境とは言えない。作業員達が突貫で点けた照明、それから頭に乗せたヘルメットのライトがなければ、今頃足下すら見えない状態だっただろう。更に全員が分厚い防護服を着て、ヘルメットまで被っているので、個人の識別も難しい有り様。

 そんな夜遅くになっても、『天空の怪物』は未だレイナ達の頭上を飛んでいた。目視なので正確とは言い難いが、昼間始めて目の当たりにした時と比べ、高度が下がっているようにも、旋回速度が落ちているようにも見えない。

 どうやら『天空の怪物』は、鳥目ではないらしい。尤も鳥目ではない鳥というのは左程珍しくもないが。それよりも、昼間からずっと飛び続けている事の方が興味深いだろう。


「飛び続けてますねぇ……どれぐらいの間、飛んでいるのですか?」


「一月前にこの地に辿り着いてからずっとだ。正確に言うなら、コイツに関しては生まれてからの十五年間絶え間なく飛び続けている」


「……年齢が分かっているのですか?」


「ああ。俺はコイツが卵から生まれた時からの親友さ。ペテロと呼んでいる。それでコイツに限った話じゃないが、『天空の怪物』は生涯空を飛び、地上や海面には降りてこないのさ」


 レイナが尋ねると、ジョセフはそのように答えた。マグロのようなものなのかな? と思うレイナだったが、しかし魚類であるマグロと違って、『天空の怪物』は鳥類。生涯空中生活を行う上で、一つ決定的に向いていない特性がある。


「……産卵時はどうするのですか? その時ばかりは流石に地面に降り立つと思うのですが」


「いいや、産卵も子育ても飛びながらする。彼等の繁殖方法は独特で、雌が雄の背中に産卵するんだ」


「えっ。でも卵を産み付けても、飛びながらだとかなりの数が落ちてしまうのでは?」


「卵管から分泌される粘液のお陰で、卵は雄の身体に張り付くから大丈夫さ。生まれた子供は人間の指のように動く足で親の羽根にしがみつくから、そう簡単には落ちない。ちなみに子育ては雄の仕事で、雌は産卵後は関与しない。まぁ、子育てといっても空気食である彼等に給餌は必要なく、精々天敵を追い払う程度だがね。子供は平均して五年間雄の背中で育ち、その後独り立ちする事が分かっている」


「へぇー……」


 感嘆の声を漏らすレイナ。背中で子育てをする生物というのは、両生類のピパピパやコモリガエル、昆虫のコオイムシなどでも見られるが、いずれも子供を天敵から保護するのが目的だ。『天空の怪物』のように、空中生活に特化した結果というのは珍しい。或いは元々背中で子供で育てる種だったから、生涯空を飛び続ける生態へと進化出来たのか。進化の軌跡を想像するだけで胸が躍る。

 そんな生き物にこれからのだから、わくわくが顔に出てしまうのは仕方ない。


「ジョセフ博士。気球の用意が出来ました」


 故にジョセフに話し掛けてきた作業員の方へ、レイナはジョセフよりも早く振り向いた。作業員の男とレイナの目が合うと、作業員は顔を顰める。レイナの笑顔に、思うところがあるらしい。

 尤も、作業員の言いたい事もレイナには分からなくもない。怪物との接近を楽しみにするなんて、頭のネジが外れてなければ無理だろう。普通の感性の持ち主であれば、嫌がるのが当然だ。


「分かった――――マイケル! クリス! 仕事の時間だ!」


「……了解」


「り、了解、です……」


 それはジョセフに呼ばれた、マイケルとクリスという名前の作業員も変わらない。痩せ形で頬のこけたマイケルだけでなく、筋肉隆々の禿げ頭の男であるクリスもどもりながら少し怯えを見せていた。

 本来、作業員達の仕事は機械の設置や物資の搬入などの雑務であり、あまり怪物と接する事はない。専門知識のない『ど素人』がやらかした結果、怪物が暴れ出したり、貴重なサンプルが破損されては困るのだ。言い方は悪いが、死刑囚やそれに類する人間を何処まで信用出来るのか、という話である。

 とはいえ万年人手不足なのが『ミネルヴァのフクロウ』。一体の怪物に派遣する研究員の数は出来るだけ減らしたい。そのため知能指数や技術力など複数の観点から『有能』かつ『安全』と認められた作業員を、助手として認定して研究者に付き添わせる事はよくあるという。尤も選ばれた側としては、選ばれたところで凄い褒美がある訳でもなく、作業員的にはより危険な仕事をやらされている認識のようだが。


「クリスはレイナと組んでくれ。レイナ、彼は今集まっている面子の中では、最も性格的に優秀な人物だ。安心して頼って良い」


「はい。えっと、よろしくお願いします」


「よ、よろしくお願い、します」


 レイナが挨拶すると、クリスは屈強な身体を丸めるようにして会釈。あまり死刑囚らしくない様子に、レイナは少しだけ彼個人に興味を抱く。


「良し、じゃあすぐに気球へと乗り込もう。時間がないからな」


 勿論それを尋ねるような暇はない。

 先導するように歩くジョセフの後を、レイナが真っ先に追い駆ける。

 マイケルとクリスは、レイナの後を追うように駆け出すのだった。

 ……………

 ………

 …

 轟々と、炎の音を響かせながら気球が飛ぶ。

 噴き出す炎はかなりの大きさで、よく見れば頭上に広がる気球の生地と少し接しているようだ。しかし布は燃える気配もなく、与えられる熱エネルギーを余さず受け止めている。きっと怪物由来のテクノロジーで作られた、強力な耐熱性を有す生地なのだろう。

 強力な熱により、気球は猛烈な速さで上昇していく。まるでエレベーターのようなスピードで、乗組員達に強力なGを加える。ぐっと身体が押し潰されるような感覚。内臓にも負荷が掛かり、三半規管も狂わせた。

 そうした感覚は決して気持ちの良いものではない。が、自分が今中々面白いものに乗っているのだという実感に変えてしまえば、不愉快な気持ちはぐるりと反転する。人間とは、それが出来る生き物なのだ。


「ふぉぉぉぉ!? 凄いこの気球ぅぅ!」


 故にこの気球に乗っているレイナは、喜びの気持ちが声となって飛び出した。


「『ミネルヴァのフクロウ』が誇る最新鋭の気球だからな。布の繊維はとある昆虫が吐く糸を使っていて、ナパーム弾の直撃にも耐える代物さ。まぁ、『天空の怪物』が本気でじゃれついたら為す術もなく破壊されてしまうがね」


「安心すれば良いのか、不安になれば良いのか……」


 ジョセフが気球の性能について説明し、それを横で聞いていた痩せ形の男マイケルがぼそりと独りごちる。クリスは何も言わなかったが、ぶるりと身震いしていた。

 二人が恐怖するのも仕方ない。今からレイナ達は、この気球で怪物に接近しようというのだから。

 レイナ達が乗る気球は非常に大きなもので、球皮エンベロープの横幅は十五メートル、高さは五十メートルもある。バーナーも相応に大きく、噴き出す炎は浴びれば人間など一瞬で墨に変えてしまいそうだ。そしてレイナ達が乗るゴンドラ部分も、縦横十メートル程度の広さを誇る。尤もゴンドラには研究で使う機材も積まれているので、数値ほどゆったりとした空間ではないが。

 ジョセフが語った布の強度も考慮すれば、下手な兵器より遥かに強大な浮遊要塞と言えよう。しかしこれでも『天空の怪物』と比べれば、翼長部分ではたったの約三分の一しかない。じゃれつかれたら、確かにジョセフの言う通りになりそうだ。そして『天空の怪物』の飛行高度は海から見て高度五千メートル、レイナ達が登った山から見ても五百メートルもの高さがある。落ちればどうなるかは、言うまでもない。

 されどそんな事を悩んだところで、どうなるものではない。危険だろうがなんだろうがレイナ達は怪物の下に行かねばならないのだ。なら、楽しんだ方が『得』だろう。


「怖がるよりも楽しみましょうよ。これからでっかい鳥と出会うんですよ? ワクワクするじゃないですか!」


「なんでワクワク出来るんだコイツ……」


「死ぬかも知れないのに……」


 レイナなりのアドバイスをしてみたが、作業員二人は呆れるような表情を浮かべるだけ。生まれついての生き物好きであるレイナには、これ以上彼等をどう説得すれば良いのか分からず、口を噤むしかなかった。


「……そろそろ仕事の時間だ! 気を引き締めていけ!」


 そうして抱いた憂鬱な気持ちも、ジョセフの掛け声で胸の奥底に押し込む。

 レイナは笑っていた口を強く閉じ、着込んでいる作業着の腰部分に付けられたポーチを触った。試験管やナイフ、ピンセットに注射器など、様々な調査機器の入ったそれが、ちょっとやそっとの刺激で落ちない事を確かめる。もう一つチェックするのは腰に付けられた紐。人間の体重ぐらいは支えてくれるそれも、腰から外れない事を確認した。

 レイナがチェックを終えると、ジョセフが隣にやってきた。マイケルとクリスはレイナ達から離れて気球の操作を続け、レイナとジョセフはゴンドラから身を乗り出すほど前のめりになる。

 気球が高度を増すと、最初にレイナ達を出迎えたのは稲妻だった。

 『天空の怪物』に発電能力はない。しかし彼等が食事として大量の空気を吸い込む過程で大気分子が激しく擦れ合い、結果雷が発生しているのだ。生じた電撃は天然の雷と同等の出力があり、その電圧は数億ボルトに達するという。

 しかし恐れる必要はない。この雷は想定済み。気球は雷程度では燃えず、レイナ達が着る服にも耐電性がある。時折当たる雷などお構いなしに気球は空へ昇り続け……

 そして、ついにレイナ達は『彼』と同じ目線に立つ。


「――――大きい……!」


 レイナの口から最初に出たのは、弾んだ言葉。

 資料に書かれたデータ曰く、翼長は百六十二メートル。しかしレイナはその数字を誤りだと感じた。視覚から入ってくる情報は、この生物が何百メートルもあると訴えている。あまりの大きさに遠近感が掴めず、どれだけ離れているのか全く分からない。

 『彼』は羽ばたきを殆どしていない。まるで滑空するように緩やかな……けれども大きさを考えれば自動車よりもずっと速く……飛行をしていた。羽毛も一枚一枚がハッキリと確認出来るほど大きく、もしも一枚でも貰えれば、きっと人間一人が眠れるベッドを作れるだろう。背中には百人以上の人間が簡単に乗れそうで、それだけの大人数を乗せても微動だにしない力強さが感じられた。

 怪物に肉薄したのは、これが初めてではない。しかしこれほどの巨体に迫ったのは生まれて初めて。

 これが『天空の怪物』――――壮大なる空の王者を前に、レイナは見惚れてしまった。

 見惚れるとはつまり、頭が真っ白になって何も考えられないという事であり。


「ちょ……来てる来てる来てる!?」


 マイケルが叫ばなければ、『天空の怪物』が自分達の気球目掛け猛然と飛んでいる事にも気付けなかっただろう。


「うむ。全速力で後退だ」


「「了解!」」


「ふぇ?」


 ジョセフは即座に指示を出し、マイケルとクリスは待ってましたとばかりに返事をする。最後に間抜けな声を漏らしたのはレイナ。

 レイナだけが何も考えておらず、急速に後退を始めた気球の動きに反応出来ない。


「え、わ、わぎゃば!?」


 ゴンドラと共に身体が思いっきり傾き、レイナはごろんと転がってしまう。ジョセフはゴンドラをしっかり掴んで体勢を保ち、マイケルとクリスは姿勢制御とバーナーの火力調整を行う機器に捕まって堪えていた。レイナだけが、傾くゴンドラの中で仰向けに倒れてしまう。

 そしてそのゴンドラの横を、猛然とした速さで横切る巨影が目に映った。

 それが『天空の怪物』だという事を、怪物大好きなレイナは即座に察知。背中を打った痛みで閉じかけていた瞼をばちりと開き、その姿を目に焼き付けようとする。試みは成功し、レイナは至近距離までやってきた『天空の怪物』をしかと記憶に刻み込んだ。

 故にレイナは違和感を覚える。

 何がおかしかったのか? 考え込めば答えはすぐに出た。

 目だ。

 今し方やってきた『天空の怪物』の目が、生気が抜けたように虚ろだったのである。勿論目の印象というのは、生物によって異なるもの。人間から見て虚ろな眼差しの生物というのは珍しくない……が、レイナは作戦前の説明にて配られた資料で、『天空の怪物』の写真を見ていた。記憶の中の画像と比べてだが、現実の方がずっと虚ろだと感じる。

 何かがおかしい。

 されど現時点で異常な行動を取っているのだから、何かがおかしいのは当たり前。レイナ達はそれを調べに来たのだ。胸の中でふつふつと熱い衝動が込み上がる。


「何時までも寝ている暇はないぞ! 作戦を始める!」


「はいっ!」


 ジョセフの呼び掛けに、レイナは衝動のまま元気よく返事。誰の手も借りずに立ち上がる。

 無意識に握り締めていた拳を開き、レイナはジョセフ達と共に『仕事』を始めるのだった。

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