ヒント

「……爆発?」


 先程聞こえてきた単語を、ぽつりと呟くレイナ。未だ頭も背中も痛いままだが、最早悶える事もなく、ぼんやり天井を見つめてしまう。


【繰り返す。船内にて爆発事故発生。指示があるまでその場で待機せよ】


 それだけ茫然としていても、もう一度放送を耳にすれば嫌でも理解する。尤も、納得したかどうかは別問題。

 確かに殺される危険があっても嬉々として研究に参加する程度にはアレな頭だが、決して死にたがりではないのだ。食い殺されるのはOKでも、爆発事故なんかで海の藻屑と化すなど断じてお断りである。

 ……お断りしたいが、したいというだけで助かるなら海難事故の犠牲者はゼロになる訳で。


「ば、爆発!? どど、どどどどうしたららららら!?」


 一介の生物学者に過ぎないレイナには、床に寝転んだまま狼狽える事しか出来ない。とはいえ一応は人類の中でも、割とトップクラスに優秀な脳細胞の持ち主。時間が経てば少しずつ落ち着きを取り戻す。

 まずは深呼吸。頭を冷やして、冷静に考えよう。

 放送では「指示があるまでその場で待機」と言っていた。避難ではない。恐らく状況が把握出来ておらず、下手に動き回ると危険な状態なのだろう。思い返せば何処で爆発事故が起きたかも分からないのだから、どのルートで逃げるのが正解なのかも分からない。今は行動を起こすタイミングではなく、情報を集めて解析する時だ。

 案ずる事はない。この船は『ミネルヴァのフクロウ』が誇る先進技術の結晶体である。ダメージコントロール能力や装甲技術は、一般的な軍艦よりも遥かに優れているであろう。ましてや怪物という圧倒的戦闘力の存在と対峙する事を想定しているのだから、装甲についてはかなり頑強に違いない。人間の機械が起こした爆発事故程度、平然と耐え抜く筈だ。

 ……どうせ怪物相手にどんな装甲で固めても無駄だからと、色々ケチってる可能性も否めないが。


「だ、だだ、だだ、だ、い、だい、だ、だ、だだ」


 悪い予感に、やっぱり怖くなってきた。

 そうして情けないぐらい震えていると、五分ほどでまたしても放送が入る。いよいよ避難の勧告かと、レイナは耳を傾け


【修復完了。通常体制に戻れ】


 あっさりと船は直り、拍子抜けしたレイナは床の上でぐったり脱力してしまうのだった。


「ただいまー、レイナ。ガタガタ震えてたりするー? ……居眠りするならベッドの上にした方が良いわよ?」


「……居眠りじゃありませんので」


 なんともタイミング良く部屋に入ってきたシャロンに見られながら、レイナはのそのそと起き上がる。

 それからシャロンの事を、ジトッとした眼差しで見つめた。


「それより、なんで今この部屋に来たんですか? ついさっき爆発事故があって、待機命令が出ていたのに」


「ん? そりゃ待機してないから」


「待機してないって……」


「爆発事故ぐらい気にしなくて良いわよ。どーせダンガンダツが突っ込んできただけなんだから」


「ダンガンダツ、ですか? 聞いた事のない生き物ですが……」


「この辺りの海に棲むダツの一種よ。体長五メートルの魚で、普段は深海に棲んでる種なんだけど……この時期は『魔境の怪物』の幼生を狙う小魚を食べるため、浮上してくるのよね。で、何故か時折猛烈な勢いで船に突っ込んできて、装甲をぶち破るのよ」


「……念のため聞きますけど、この船の装甲ってダツに負けるぐらい弱いのですか?」


「そんな訳ないでしょ。対艦ミサイルぐらいなら弾き返すぐらい強いわよ。ただダンガンダツの貫通力が対艦ミサイルを超えるってだけ。一応ダンガンダツは怪物とは認定されていないけど、人間が突撃を受けたら例えプロテクターを装備してもバラバラに吹き飛ぶから、要注意生物ではあるわね」


 それは普通にモンスター怪物ではなかろうか? レイナは訝しんで眉を顰める。確かに戦闘艦を一瞬で何隻も沈めた『魔境の怪物』と比べれば、普通の生き物と言えなくもないが……

 自分が言えた事ではないと思うが、どうにも『ミネルヴァのフクロウ』の科学者は危険な生き物を相手にし過ぎて、色々麻痺してるらしい。


「なんでそんなトンデモ生物が棲んでるんですか此処……というか、そのダツはなんで船を襲うんですか? 餌は小魚なんですよね?」


「さぁ? 『魔境の怪物』に限った話じゃないけど、この辺りの深海に棲む生物はやたら船を襲う連中ばかりなのよねぇ。普段は海深くに棲んでる種だから深海にある何かと誤認したのだと思うけど、大型種に襲われた船は大抵沈むからデータが集まらなくて」


「深海ですか……」


 船と深海。そこに何か、共通点があるのだろうか?

 考えてみるが、さっぱり分からない。そもそも船は道具であり、深海は環境だ。比較出来るようなものではない。しかし『魔境の怪物』達を興奮させる何かがあるのは、間違いないだろう。

 情報の少なさを嘆くぐらいなら、頭を働かせる方が建設的だ。考えて、考えて、考え込んで……何かヒントがないかと思って、レイナは『魔境の怪物』がいる水槽をちらりと見遣る。

 次いでレイナは、その目を大きく見開いた。

 『魔境の怪物』の幼生達が、。元が貧弱なのでエアポンプによる水流には負けているものの、流れの弱い隅ではゆっくりと浮上していた。もう、隅っこでダマになっている個体はいない。

 これまで幼生達はろくに動かず、自重により沈み続けるだけだったというのに。まるで、海面を目指すかのようではないか。


「……っ!? しゃ、シャロンさん!? 怪物の幼生が……」


「ん? あー、よくある事よ。船で事故が起きると時々一斉に動き出すの。でも毎回じゃないし、事故から少し時間が経ってから起こす行動だから、これも何が原因なのか分からないのよねぇ。事故がなくても行動を起こす時があるし、陸上でも見られる時があるしで……」


 シャロンは、本当に見飽きているのだろう。肩を竦めるだけで大して反応しない。それは彼女が鈍感なのではなく、たくさん『魔境の怪物』を研究し、慣れてしまったからだろう。

 しかしレイナは慣れていない。だからふと思うのだ。

 本当に、原因は不明なのか?

 事故があっても、必ず行動を起こすとは限らない。海どころか陸でも見られる時がある。なんとも適当な反応だ。科学というのは再現性を求めるものであるため、こうした『ランダム』な現象は扱いが難しい。調べれば調べるほど、訳が分からなくなるだろう。

 しかし発想を逆転させれば、どうだろうか?

 


「しゃ、シャロンさん! 今回の事故は何処で起きたのですか!?」


「え? さぁ、よく知らないけど……機関室じゃない? ダンガンダツによる事故は、何故か大半が機関室狙いだから」


「分かりました!」


「え? あの、レイナ?」


 自分の中の衝動に従い、レイナは駆け出す。シャロンはキョトンとしていたが、レイナを止める事もなく、部屋から出ていく背中を見送るだけ。

 部屋から出たレイナの鼻を、独特な臭いが刺激する。視界も、ほんの少しだけ霞が掛かったように見えた。

 爆発事故による煙が、この辺りまで漂っていたのだろう。研究室の中は特に臭いなんて感じなかったが、扉の隙間などから多少なりと事故起因の『成分』が入り込んだ筈だ。それが水槽の水に溶け、幼生が反応したのだとすれば、事故からタイムラグがあるのは当然であろう。

 しかしこれだけでは情報がまだ足りない。

 レイナはほんの少し煙たい廊下を駆け足で進む。目指す場所は、事故現場の可能性が高い機関室。それはレイナが研究室から、の位置にあった。

 『関係者技術者以外立ち入り禁止』と書かれている扉が、レイナの行く手を遮る。とはいえ扉は半開きで、朦々と濃い煙が漏れ出ていた。相当大きな事故だったに違いない。修復は完了したと艦内放送で流れていたが、あくまでも応急処置であり、まだまだ作業中という可能性もある。

 しかし部外者研究者であるレイナは躊躇なく扉を開け、中へと突入した。

 機関室内では、轟音を鳴らしながら回る巨大な機械が室内の大部分を満たしていた。船の構造にはさして詳しくないレイナだが、一目でその巨大機械が船の動力部であると理解する。一つ当たりの大きさは十数メートルはあり、それが四つも並んでいた。あまりの大きさに、意思など持たない無機物相手にちょっと怯んでしまう。


「おい、嬢ちゃんどうした?」


 そんなエンジンを見つめていたところ、レイナは横から声を掛けられる。振り向けば、強面の禿げた男性と目が合った。五十代ぐらいの顔立ちだが、身体はとても屈強。目付きは鋭いが、浮かべている笑みはどことなく無邪気……ハリウッドスター顔負けの程良いワイルドさは、とても男性らしくてカッコいい。女性だけでなく、男性からもモテそうな人だった。

 とはいえ見惚れてばかりもいられない。彼は作業着姿で、手にはスパナが握られている。間違いなく技術者だ。事故の詳細を知っているかも知れない。


「あ、えと、すみません……爆発事故があったと聞きまして。もう、修理は終わったのですか?」


「おう、あのぐらいの爆発なら、この海じゃしょっちゅうだからな。俺達からすりゃあ、朝飯前の仕事さ……まぁ、俺の忠告を無視して船内の壁にもたれ掛かっていた怠け野郎が、ダツの穴開けに巻き込まれて病室送りだが」


「あ、あはは……それは、なんとまぁ……」


 冗談なのか、悪態なのか。ニヒルな笑みを浮かべる顔からは判断出来ない。

 しかしながら、ダンガンダツによる事故現場が此処だと確定したのは収穫だ。もっと詳しい話を聞きたい。


「えと、事故について訊きたいのですが……」


「嬢ちゃん、研究者か?」


「え。あ、はい。その、新人ですけど」


「そうか。じゃあ、こっちに来てくれ」


 技術者はそう言うと、機関室の奥へと歩き出す。何が何だか分からないまま、レイナはその後を追った。

 広い機関室だが、その場所に辿り着くまで一分と掛からない。

 案内された場所には、体長五メートルほどの巨大な魚が横たわっていた。

 魚はとても細長い体躯をしており、口先が槍のように尖っていた。胸ビレや背ビレは身体に比べると小さく、非常にスマートな輪郭をしている。体表面は焼き焦げていたり傷付いていたりしていたが、雰囲気から元は濃い青色だったのだと窺い知れた。目は白く濁り、ぴくりとも動かないところから、死んでいるらしい。

 大きさこそ規格外だが、間違いなく『ダツ』の姿をしている。ならばこれが、機関室に突撃してきたダンガンダツなる生物なのだろう。


「凄い……倒したのは、あなた達ですか?」


「ああ、そうだ。頭を一発殴ってな……とはいえ爆発に巻き込まれた死にかけに、止めを刺しただけだが」


「……犠牲者が出なくて良かったです」


 技術者の身が無事だと分かり、安堵するレイナ。しかし心の中では、犠牲者ゼロだとは思っていない。

 このダンガンダツも、犠牲者だ。

 確かにこの生物により事故は起きた。されどダンガンダツは人間を殺して自分も死のうなどという、人間味のある事は考えていなかっただろう。餌と思ったのか、異性と思ったのか、外敵と思ったのか……兎に角何か『勘違い』をして、突っ込んできてしまったに違いない。

 レイナは生き物が好きだ。殺し殺されの生存競争を否定しないが、こんな誰も幸せにならない事故はなくなった方が良いに決まっている。

 全ての原因を解き明かし、

 我ながら傲慢だとはレイナも思うが、それが自分のやりたい事なら躊躇いはしない。レイナはそういう性格だった。


「……すみません。事故が起きる前には、どのような作業をしていましたか?」


 技術者の男に、レイナは早速質問をぶつける。

 ダンガンダツがどの程度珍しい生物かは分からないが、大きさからして『魔境の怪物』の成体より個体数が少ないという事はあるまい。ならば遭遇頻度はとても多い筈だ。

 しかし爆発事故は、少なくともレイナがこの海に来てからは、ようやく一回起きただけ。ならばその一回に、偶々何かがあったと考えるのが自然だ。


「いや、特に普段と変わりないぞ」


 尤も、技術者からの答えはこんなもので。

 されどレイナはまだ諦めない。『普段』や『普通』という言葉を使ったとしても、他人と認識が一致している保障などないのだから。正確に、具体的に聞かねばならない。


「具体的には?」


「……動力部の点検が主だ。燃料の供給に異常がないかも確認している」


「その際に事故とかは起きてないですよね?」


「当たり前だ。起きていたらしっかり報告している……精々お前さんと同じ新人が、廃棄する予定だった燃料を服に浴びた程度だ。ありゃあ三日は臭いが落ちねぇな」


 詳しく尋ねると、技術者はちょっぴり意地悪な笑みを浮かべながらそう答えた。

 それは、技術チームの隠蔽や腕前を僅かでも疑った事への意趣返しなのかも知れない。或いは単純に、おっちょこちょいな下っ端が居たと話したかっただけか。

 いずれにせよ大した意味などないのだろう。実際事故かといえば、そこまでのものではあるまい。状況にもよるがヒヤリハット事故未遂事案ですらないのなら、正規の報告には上がらないだろう。もしもシャロンのような立場ある者が尋ねたなら……恐らく答えない事。下っ端のレイナだから話した内容だ。

 それがレイナの脳裏に、一つの閃きをもたらす。

 あくまで閃きだ。確信も根拠もない、ふっと湧いてきただけの思い付きであり、軽い質問にすら答えられないほど薄っぺらなもの。

 だけど間違いなく、一歩踏み出せた瞬間だった。


「あ、ありがとうございます!」


「ん? ああ、うん?」


 突然のレイナの礼に、技術者は目を丸くして呆けてしまう。されどレイナは説明もせず、この場を駆け足で後にした。

 その足で向かうは、先程まで自分が居た研究室。


「おかえり。大発見はあったかしら?」


 未だ部屋に居たシャロンは、微笑ましいものを見るような表情でレイナを出迎える。レイナはその『大発見』を言おうと口を開けた。

 だが、声を出すのは躊躇う。

 確かに『答え』だと思うものは見付けた。しかし今はまだ確証がない。あくまでこれは自分の想像であり、語ったところで妄想となんら変わりないのだ。科学の世界で説を唱えるならば、まずは証明しなければならない。

 証明のために必要な事は? 勿論実験である。されどこの実験を幼体相手にしても不十分な結果しか得られまい。水面に向かった事から『誘引物質』ではあるだろうが、単に深海への目印として使っているだけかも知れないからだ。根拠としてはちょっと弱い。

 確かめるべき相手は成体。

 例え殺されるかも知れなくても、それで答えが得られるのなら――――科学者は恐れない。


「実験させてください。幼体ではなく、成体相手に。多分、それで彼等が船を襲う理由が分かります」


 故に臆さず、シャロンにそう頼み込むのであった。

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