生命の星空
レイナは衝撃を受けた。
本来なら、先輩がどのような計測を行っているのか、しっかりメモするべきだ。新人であるレイナは、怪物については勿論、組織が開発した機器の操作方法さえも何一つ知らないのだから。
けれども、そんなものは最早どうでも良くなった。
目の前に広がる光景に、全ての意識を持ち去られてしまったのだから。
「――――ふわぁぁぁ……!」
思わず、レイナの口から感動の声が漏れ出る。じっと正面を見つめる目には、星の煌めきが映り込む。
いや、それは本物の星ではない。
レイナの瞳に映り込んだのは、『星屑の怪物』が放出する輝きだったのだから。
広間に集結した『星屑の怪物』達は、一斉にその身から大量の光を吐き出した。噴水のように出てきた光は小さな粒のようなもので、淡い黄緑色の煌めきを放ちながらふわふわと漂う。中々地上に降りてくる事はなく、何時までも浮いたまま。『星屑の怪物』達は光の放出を止めないので、空気中を満たす光の密度はどんどん増していく。月明かりさえも塗り潰し、周囲は昼間のように眩く染まる。
ついに光は『星屑の怪物』達の周りでは留まりきれず、どっと、レイナ達の方にも流れ込んできた。もう、目の前だけではない。右も左も、上も下も、全てが光に満たされる。まるで天の川の中に跳び込んだかのような、そんな感覚を覚えた。
光の濁流は見惚れていたレイナ達を飲み込み、ぱちぱちとした軽い刺激を顔や手などの肌に与える。何か、小さなものが当たっている? 光に『質量』があると気付いたレイナは、思いきってやってきた光の一つを捕まえてみる事にした。そっと両手で包み込むようにしてみれば、光は逃げもせず、あっさりと捕獲成功。柔らかな感触の何かが、掌の中でうねうねと動いた。
開いた両手の中には、黄緑色の光がある。光をじっと凝視してみれば……その光の中に、三センチほどの大きさの『何か』のシルエットが見えた。
中心部にある胴体らしきものは、ラグビーボールのような形をしていた。その周りには四本の触手が手足のように生えていて、活発に動いている。虫のようにも思えるが、光の所為で輪郭がよく見えない。
もっとまじまじと、顔を近付けてみる。
するとその『何か』が虫とは程遠い、アーモンドのような物体だと分かった。そして胴体の一ヶ所には口らしき開閉部分がある。何かを食べる能力はあるようだが、あまりにも小さくて弱々しい。少なくとも人間に危害を加えられるような、獰猛な捕食者の姿ではない。そして全身が産毛のようなもので覆われている。
レイナは察した。『星屑の怪物』達が吐き出しているのはただの光ではなく……光り輝く小さな生き物達なのだと。そして恐らくこの生き物は、幼体。
今正に、『星屑の怪物』達は子孫を産み出しているのだ。
「おーい、ちょっとは調査を手伝って……って、聞こえてないか。ま、予想通りだから良いけどね」
先輩がレイナに呼び掛けてきたが、彼が一人で納得したように、レイナの耳に先輩の言葉は全く届いていなかった。正確には届いていたが、脳がその情報を素通りさせ、廃棄している。
今はただ、全ての脳のリソースを『星屑の怪物』を理解するために使いたかった。
だから怪物に関係するものであれば、レイナは自分から話を振るし、返ってきた言葉に耳を貸す。
「……凄い数の、子供ですね」
「うん、そうだね。彼等は典型的な多産多死型の繁殖戦略を取っている。大量の子供……正確には半発芽状態の種子だけど、これを一斉に放出するんだ。幼体は力がないから簡単に食べられてしまうけど、数が多いからどれかは生き残る」
「集まって一斉に繁殖するのは、生存率を少しでも上げるため、ですか?」
「そう考えられている。ちなみに幼体が発光するのは、個々の輪郭を曖昧にして天敵から逃れるためというのが定説かな。この発光は周囲から仲間がいなくなると消えて、二度と起こさないからね」
レイナの推測に先輩は返事をしつつ、発光についての説明もする。
普段単独生活をしている種が、繁殖期になると集まって一斉に子を産むというのは珍しい生態ではない。どんなに恐ろしい捕食者といえども、無限に食べ続けられる訳ではないのだ。食べきれない数の子を産めば、どれかは確実に生き残る。
輪郭を誤魔化すための発光というのも、理に適っている。実際レイナは光の濁流に目を眩まされ、この手で捕まえるまで幼体の実体が全く見えなかった。天敵達も、襲ってみたものの実体が見えなかった所為で空振り、という事は少なくないであろう。逆に一匹だけで光っても目立つだけなので、普段は光らない方が適応的だろう。
二つの生存戦略を組み合わせ、少しでも犠牲になる子供の数を減らそうとしている……『星屑の怪物』も、捕食者だらけの森で次世代を残すのに必死なのだ。
「この幼体達は、森の中の生き物達にとっては大切な栄養源だ。何しろ数が多いし、栄養価も非常に優れているからね。森の生物の年間摂取カロリーの一割を占める、なんて説もあるぐらいさ」
「一割……そんなにたくさん……」
「そう、たくさんだ。そして大量の子を産むには、多くの栄養が必要になる。そのため成体となった彼等はこの森の植物、特に巨大な食植植物や成熟した樹木を大量に食べるんだ」
「……そして産まれた幼体は捕食者を通じて森に広がり、やがて捕食者の死骸や排泄物が樹木の栄養となる。つまり彼等の幼体を介して、森の栄養が循環しているのですか?」
「その通り。加えて彼等が十分に成長した樹木を食べる事で、森に大きな更新作用が働くんだけど……」
これがどういう意味か分かるかい?
先輩からの問い掛けに、レイナは何も答えない。けれどもそれは無視した訳でもなければ、分からなかった訳でもない。分かったがために感嘆し、心を奪われたのだ。
成熟しきった森は単調だ。大木が立ち並ぶ風景は一見して豊かな自然を思わせるが、実態は成木が光を遮り、若木の成長どころか生存すらも脅かす環境である。若木は成木が倒れ、強い光が差し込む環境下でしか育たない。資源量が少ないので若木を餌として好む生物は棲めず、環境も単一なため多様性が乏しい。そして多様性がないと環境が変化した時に対応出来る生物がおらず、生態系が崩れてしまう……大木が並ぶ森林というのは、とても脆弱で不安定な環境なのである。
しかし『星屑の怪物』が入れば、この問題は解決する。
『星屑の怪物』は成木を食べ、森を切り開いていた。開けた場所には陽の光が入るので若木がたくさん生えるし、森の中と比べて乾燥した土地でもあるだろう。直射日光が降り注ぐので昼は気温が高く、夜は放射冷却により冷える筈。つまり成熟した森と比べ、多種多様な環境が存在する事になるのだ。
そして多様化した環境には、多様な生物が棲み着き、それぞれが関係し合って複雑な生態系を作るだろう。複雑な生態系は安定的だ。人をも喰らう触手球根は大発生前になんらかの捕食者が食べ、恐ろしい植物巨人は豊富な餌により飢える事を知らない。気候変動などで森の生態系が多少崩れても、なんらかの種がその穴を補ってくれる。
『星屑の怪物』によりこの森は保たれ、守られ、維持されている。それは最早怪物ではなく……守り神と呼ぶべきだろう。
レイナはじっと、光と、光を吐き出す『星屑の怪物』達を見続けた。森の全てを照らすかのような光は、時間と共に落ち着きを取り戻し、段々と色合いを薄れさせ……何時の間にか消えていた。
レイナは、その場にへたり込むように座ってしまう。立とうとしても、上手く立ち上がれない。美しさに見惚れて腰が抜けてしまうなど、生まれて初めての経験だった。
そんなレイナの傍にやってきた先輩も、レイナの隣に座った。レイナは先輩の方をちらりと見て、彼の笑顔を見る。
「凄かったろう?」
「はい……」
「新人にはね、初任務でこれを見せるのがうちの組織の伝統なんだ。この星に生きる生き物がどんな存在なのかを教えるために」
「……この星の、生き物……」
先輩の言葉を噛み締め、飲み込む。
そう、『星屑の怪物』は特別な存在じゃない。
この星にはまだまだ色んな怪物が潜んでいる。人の知らない世界で、ただただ己の命と役目を果たし続けている。
彼等は途方もなく強大で恐ろしい存在だ。脆弱な部類だという『星屑の怪物』すら、核の力に頼らねば倒せないぐらい。彼等を知り、理解する事で人が生き延びる術を探ろうという『ミネルヴァのフクロウ』の理念は正しいだろう。
だけど、レイナにはそんな理念などどうでも良い。
知りたい。彼等がどんな存在であるのかを。
理解したい。地球という星がどれほど生命の魅力に溢れているのかを。
そして自分は、そんな神秘と不思議に出会える立場にある。
なんて、素晴らしいのだろう!
「その様子なら、訊くまでもないみたいだ」
ときめきで胸を躍らせていると、先輩がくすりと笑いながら独りごちた。レイナは先輩の顔を見ながら、首を傾げる。
「訊く? 何か、訊きたい事があったのですか?」
「簡単な話だよ。君は此処に来るまでの間に、生命の危機を経験した。怪物の調査は何時だって危険と隣り合わせ。何時、その命を失うか分からない。死に方だって、ベッドの上で眠るように安らかなものとは程遠い。頭から生きたまま喰われる、丸呑みされてじわじわ消化される、寄生されて何日も生かされたまま
「それはまぁ、恐ろしい事で」
「ああ、とても恐ろしい。だけど」
「死への恐怖を塗り潰すほど、魅力的な生命がいる」
レイナが先輩の言葉の続きを語れば、彼は「合格だ」と言いながらレイナの手を掴む。先輩は立ち上がり、引っ張られる形でレイナも立ち上がった。抜けていた腰は治ったようで、ちょっとよろけつつも、レイナは自分の足で大地を踏み締める。
「おめでとう、これで君は本当に『ミネルヴァのフクロウ』の一員だ。これからどんどん過酷な任務が言い渡されるから、覚悟するように」
「そりゃ怖いですね……でも、どれもそれ以上に楽しそうです」
「ああ、それは約束するよ。そうだね、出来る事なら……」
話していると、不意に先輩は言葉を途切れさせる。何かを溜め込むような沈黙に、レイナは先輩の言葉への集中が無意識に高まる。
「来年も、君と一緒にこの景色を見たいね。出来れば仕事とは無関係に」
故にこの言葉をレイナはしかと聞き届けた。
「あー、そうですね。死亡率高そうだから、来年まで頑張って生き延びないと。先輩も死なないでくださいよ」
聞き届けたが、レイナはさらっと流した。
わざとではない。レイナは確かに自分が平均よりモテる事を知っているが、自分が思っている以上にモテる事は知らないのだ。
要するに、色恋沙汰には鈍感なのである。
「え、あ、うん。そだね。はい」
あまりにも素っ気なく返され、先輩はやや戸惑い気味。レイナには何故彼が戸惑っているのか分からないが……咳払いをした後の先輩からは戸惑いが消えていたので、大した事ではないのだろうと思った。
「ま、まぁ、いいや。うん。ようこそ、我が組織へ。そして……」
気を取り直した先輩は、大きく両腕を広げる。
あたかもこの世界を誇るように。
或いはこの星を讃えるように。
もしくは此処に立つ事を喜ぶように。
「ようこそ、怪物達の地球へ」
そして、真実を突き付けるかのように。
それは聞く人によっては、恐ろしい言葉かも知れない。この星は、世界には、人間の思い通りになるものなんて何もないのだと言ってるかのようだから。人が知る世界が如何にちっぽけで、霞のように消えてしまう儚いものだと告げるかのようだから。
けれども、レイナは恐れない。
この星にはまだまだ知らない、考えも付かない生命がたくさんいると教えられたのに、怖がっているなんて勿体ない!
自分はあの時の気持ちをまた感じたくて、此処に来たのだから!
「ふふ……ワクワクしてきた!」
思い出した己の気持ちを言葉にし、レイナは『星屑の怪物』達を見つめる。
生命が如何に面白いか、改めて教えてくれた彼等に感謝しながら――――
「良し、観察も終えたしさっさと帰ろう」
尤も、感傷に浸る暇を先輩は与えてくれなかったが。
「えぇー……もうちょっと余韻に浸らせてくださいよ。女の子の気持ちが分からないとモテませんよ?」
「君がそれを言うのか……それは置いといて。確かに余韻に浸りたい気持ちは分かるけど、そうもいかないんだよ。急いで此処を出ないと」
「……?」
何やら焦っている様子の先輩に、レイナは首を傾げる。どうしてそんなに早く立ち去りたいのだろうか、飛行機の時間がヤバかったりしたっけ……?
考え込んでいると、答えを教えてくれた。
――――ざわめきだした、森が。
「……『星屑の怪物』の幼体が、この森の生物の命を支えているという話はしたよね?」
「……しましたね」
「『星屑の怪物』の繁殖は年に一度、この時期の満月の日に行われる。つまり幼体は一年間森を支える栄養として利用されるほど、大量に放出される訳だけど……基本的には繁殖直後の時期が一番たくさん食べられる」
「まぁ、そりゃそうですよね。今なら躍り食い状態ですし」
「だからこの時期、森の植物達は凄く興奮する。それこそ一年間食いっぱぐれても大丈夫なぐらいの食欲を滾らせて」
「はぁ、成程。合理的な生態ですね」
先輩の解説に相槌を打ち、納得するレイナ。納得するほどに、どんどん顔を青くしていく。
回りを見れば、世界はとても賑やかになっていた。
茂る木々の葉からハシリネアシランが顔を出す。
巨木の間からティタラシルがこちらを覗き見る。
茂みには猫のようにしなやかな体躯の蔦の塊が潜み、地中からはミミズのようにうねる根が這い出した。木を倒して現れたのは、樹木で編まれた象のような存在。空には月明かりを浴びて光り輝く、葉で出来た鳥が飛んでいる。
いっぱい、いっぱい出てきた。だけど森のざわめきはこんなものではない。もっとたくさん、もっと不思議な何かが、もっともっとたくさん潜んでいる
みんな興奮していた。年に一度の晩餐会を楽しみにして。
その晩餐会の席に現れた人間を、彼等は客人と認めるだろうか? レイナは、そうは思わない。というかデザートの一つぐらいにしか認識してくれないだろう。
「あ、えと、い、今のうちにこっそりと逃げ」
「残念、もう遅い」
レイナの希望は、先輩の言葉により打ち砕かれて。
余韻に浸る間もなく、レイナは『怪物達の地球』という言葉の重みを思い知る事になるのだった。
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