Species3
真の三角海域
「レイナ、あなた海洋生物に興味はあるかしら?」
『ミネルヴァのフクロウ』本部のとある研究室にて、レイナはそのような話を振られた。
レイナに話し掛けてきたのは、二十代の女性研究者。金色の髪を携え、すらりと伸びた四肢と身体はモデルとしても通用しそうなほど美しい。目立ちがハッキリとした顔付きをしており、浮かべている笑みは少年のように眩かった。
シャロン・マグダヴェル。
『ミネルヴァのフクロウ』で主に海洋生物の研究を担当している科学者だ。これまで特に交流はなく初対面なのだが、『星屑の怪物』調査に同行してくれた先輩から、彼女についての話をレイナは聞いた事がある。見た目通り歳はレイナに近いものの、レイナよりも三年長く勤めているとも。
自己紹介もなくいきなり問われて少なからず困惑するレイナだったが、職場の先輩からの問い掛けだ。無視は出来ない。
「えっと、興味自体はありますけど」
「なら決まりね。明日とある怪物の調査があるんだけど、欠員が出たから補充が必要なの。あなた、手伝いに来てくれない?」
生物全般が好きなので質問にそう答えると、シャロンはどんどん話を進めてしまう。あまりにも素早く進めてしまうので、ますますレイナは戸惑った。
勿論、怪物の調査が嫌だという訳ではない。むしろ何もなければ、二つ返事でその調査に同行しただろう。『星屑の怪物』との出会いもあって、レイナの怪物への好奇心は日に日に大きくなっているのだ。今度はどんな怪物と会えるのか、ワクワクして堪らない。
が、その『星屑の怪物』との出会いが、シャロンの誘いを阻む。
現在レイナは、デスクトップパソコンを用いて仕事中だ。先日……というか昨日撮影した『星屑の怪物』の映像を解析し、彼等の繁殖行動が例年と比べどうであるのかを調べている。やっている事は映像から必要なデータを選択し、不要なノイズを省いていくだけ。地味なデスクワークであり、レイナ好みの仕事ではないが、集めたデータは解析しなければ数字の羅列に過ぎない。研究というのはこうした地道な事務作業を経て、始めて意味を持つ。
そしてレイナは『ミネルヴァのフクロウ』の職員としては新人の身である。怪物研究の手法を学ぶ機会であり、これをこなさねば怪物の研究者として一人前にはなれない。そもそもいくら研究者とはいえ、レイナの組織内での立ち位置は
この仕事が終わるまで、他の事をする余裕なんてない。好奇心の強いレイナではあるが、無責任な人間でもないのだ。惜しい事だがまたチャンスがあると信じ、この誘いは断るしかない。
「えっと、すみません。私、今別の研究の解析をしていまして」
「知ってる。『星屑の怪物』でしょ? この時期の恒例行事よね。それはあと五時間で終わらせて」
「は?」
ところがどっこい要望は却下され、容赦なく命令が告げられる。あまりの事に思わず無礼な声が漏れ出たが、謝ろうという考えすら浮かばない。むしろ、何言ってんのこの人? とまで思い始める。
慣れない仕事で要領が悪い、というのはあるだろう。故にこの仕事を与えてきた先輩は「とりあえず明後日の朝一までに纏めて」と今日の朝言ってきた。解析を進める中で、確かに明後日の朝一までには纏められそうだと思えるぐらいの仕事量だった。
それをシャロンはあと五時間でやれと言ってきたのだ。ちなみに今の時刻は十三時。実質、二日掛かる仕事を一日で終わらせろと言う無茶ぶりだった。
「いやいやいや!? 無理ですって! どう頑張っても明日いっぱい掛かりますから! 先輩からもそこまでにやれって言われてますし!」
「先輩? ああ、眼鏡君ね。彼がそう言うって事は、確かにそのぐらい掛かるのかも」
レイナが状況を説明すると、シャロンは一応納得した様子。まさか状況を知らずに言ってきたの? ツッコミを入れたくなる衝動を、レイナはぐっと堪える。
「じゃ、仕事の続きは飛行機と船の上でやりましょ」
堪えたのに、新たなツッコミどころが増えたので、ぶふっと口から変なものが吹き出した。
「げほっ! げほっ、ごほ……な、え? ひ、飛行機と船……え?」
「大丈夫大丈夫。並行して幾つも調査を受け持つなんて、ここの職場じゃ日常茶飯事よ。何しろ万年人手不足な上に、ベテラン職員ほど危険な任務に行かされてバタバタ死ぬからノウハウなんてみんな吹っ飛んじゃうんだもの」
「なんかさらっと恐ろしい事言ってませんかそれぇ!?」
「命すら惜しくないほど魅力的な仕事って事よ。ちなみに所長から指示書は出してもらったから、ご了承くださいな」
そういってシャロンは懐から、くしゃっと丸まった紙を出してくる。なんでポケットに丸めて入れたの? 所長室からこの部屋まで移動に三分も掛からないじゃん……喉まで昇ってきた言葉を飲み込み、紙を広げた。
……皺だらけで大変読み難かったが、所長の押印と『明日から調査に行け』的な意味合いの文章が書かれていた。言うまでもなくレイナ宛に。
てっぺんからの命令となれば、行かない訳にもいくまい。レイナは大きなため息を吐く。不幸中の幸いなのは、今回のような『滅茶苦茶』はこの組織では有り触れているようなので、先輩への報告が揉める事なく済ませられそうなところだろうか。
それに、『怪物』そのものへの興味はやはりある訳で。
「……分かりました。上からの指示が出てるなら、従います」
気持ちを切り替えたレイナは、興奮を抑えきれない笑みを浮かべていた。
「ありがとう! 助かるわー。これで断られたらどうしようかと思ってたのよー」
「指示書までもらっといて何言ってるんですか。ところでどんな怪物を調べるのです?」
「うん。うちの組織で三十五年前に確認した怪物よ。生息地域はフロリダ半島のちょっと先ぐらい」
「フロリダ半島のちょっと先……」
レベッカは頭の中で地図を開き、自分が向かう場所をイメージする。
その中でふと気付いた。
フロリダ半島のちょっと先……そこには超常現象でお馴染みの『バミューダトライアングル』があるではないか、と。
バミューダトライアングルでは船の難破や、航空機の遭難が相次いでいる――――オカルト好きなら一度は聞いた事があるだろう。実際のところ難破云々は誇張や曲解、完全な虚偽に基づくものであり、全くのインチキなのだが。しかしそうした曰くのある場所に棲み着く怪物というのは、ちょっとしたロマンがある。胸の中のワクワクが、一層強まるのをレイナは感じた。
「実は最近怪物の活動が活発化していて、船舶の沈没が相次いでるのよねぇ。まぁ、毎年恒例なんだけど」
尤も、事故が現実となれば、わくわくは一気に萎んでしまうのだが。
「……はい?」
「あら、知らない? フロリダ半島の先ってバミューダトライアングルって言われてて、昔から船舶が忽然と姿を消すって語られているのよ」
「え、いえ、それは知って……でも、それはオカルト話……」
「本当です、なんて言える訳ないでしょ。人の手に負えない怪物が潜んでる事が世間にバレちゃうから」
困惑するレイナに、シャロンはあっけらかんとした様子で答える。
つまり、バミューダトライアングルが嘘だというのが嘘。あの海域では、本当に船舶の事故が相次いでいるらしい。
そして自分達は、その海域に『船』で調査に向かおうとしている訳で。
「……危険、ですよね?」
「危険ね。ちなみに私の前任者と前々任者は、そいつに船を沈められて海の藻屑となりました。いずれも今回のように活動が活性化している時期の調査での事。私はなんとか今まで生きてきたけど、今度こそ年貢の納め時かもね」
「……あの、欠員が出たって言いましたけど、その理由って……」
「怖くて逃げたのよ。何しろ今の時期に調査に行くと九割方死ぬから。だからこの生物の研究については、指示書を貰っても懲罰なしで断れるのよー」
ほら、紙の端っこに書いてるでしょー。
そんな事を言いながらくしゃくしゃの紙の端を指差し、けらけら笑うシャロン。笑ってはいるのだが、その目は大変真面目なもの。むしろ「逃げたいならどうぞ」と言わんばかり。
どうやらこれまでの話、全て
真面目な顔をしているシャロンは、しかしそこに恐怖は見られない。死ぬつもりがないという訳でも、死ぬ事を受け入れている訳でもなく、生死などどうでも良いと感じている顔だ。自らの命に頓着しないというのは、自殺衝動などとは違い、狂人の精神状態だろう。
つまり、それだけ此度の怪物が魅力的という事であり。
断ろうという気持ちがまるで湧いてこないあたり、自分も似たようなものだなとレイナは思うのだった。
Species3 魔境の怪物
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