熱烈大歓迎
「ぎゃーっ!? ふぎゃーっ!? おぎゃあぁぁぁーっ!?」
色取り取りな悲鳴を上げながら、レイナは全力で駆けた。
行く先には草葉や蔓が生い茂っていたが、これを躱さず真っ直ぐ突入。薄く平べったいが故にナイフが如く鋭い葉を衣服で受ける。万一柔肌がこれらの葉を掠めれば間違いなく乙女の柔肌に切り傷が刻まれるだろうが、今のレイナはそんな事などお構いなし。一心不乱に走った。
レイナの隣には先輩が居て、時折彼は背後に向けて銃を撃っている。彼もまたレイナと同じ速さで走っていて、迫り来る植物に意識すら向けていない。
そして彼女達の背後に迫るのは、数えきれないほどの大群を成す触手付き球根達だった。
「いやはや、思ったより大群だなぁ」
「な、な、何を暢気な事言ってるんですかぁ!? 食べられちゃいますよこのままじゃ!」
「そうは言ってもねぇ。走る速さは互角、むしろ森に慣れてる分あっちの方が有利だから引き離すのは不可能。だからといって銃を撃っても群れは止まらない。こんな状況じゃ振りきるなんて無理な話だよ」
悲鳴混じりにレイナが訴えても、先輩は変わらず暢気な様子。それでいて語る言葉は諦めムード。頼りないのか頼れるのか、さっぱり分からない。
かれこれもう数百メートルは逃げていると思うのだが、触手付き球根 ― 正式名称は『ハシリネアシラン』というラン科植物。流石は被子植物界最多の種数を誇る分類群、走る奴がいても不思議ではない……とレイナは無理矢理思うことにした ― 達は諦める気配がない。彼等は長く伸びた触手で枝を掴み、あたかも類人猿が如く枝から枝へと跳び移る。目など付いていないのにどうやってか障害物をきっちりと避け、個体ごとに様々なコースを取りながら的確にレイナ達を追ってきていた。
先輩はハシリネアシランを正確に撃ち抜いていくものの、数が多過ぎて焼け石に水状態。おまけに動物と違い、触手が千切れても怯まないどころか、球根をど真ん中から撃ち抜いてバラバラにしても死なない存在だ。彼等は仲間の死も厭わず……そもそも仲間や生死を認識する知性があるかも怪しいが……追跡を続ける。
既に戦いは持久戦の様相を呈してきた。こうなると人間側に起きるのは、物資の不足である。
「あー、エインズワーズさん。ちょっとは後ろの奴等を攻撃してくれないかな? 僕の銃、もう弾切れ寸前なんだけど」
「こ、ここ、こっちは、走るのだけで、精いっぱいなんです! 銃が欲しいなら、あ、あげるから!」
「いやー、このぐらいの奴等で練習しておいた方が後々役立つと思うよ? バラバラにしても死なないから、攻撃制限のない種だからね。中には希少だから例え自分が死んでも撃つなって言われてる種もいるし、こういうので実戦経験積まないといざといえ時に詰むよ」
「うちの組織、人命第一って概念ないのぉ!?」
「ある訳ないでしょ。ヒトのレッドリスト評価は軽度懸念なんだからさ」
上手いジョークを言ったとばかりに、先輩は「はっはっはっ」と快活に笑う。全く以て面白くない。むしろムカついた、が、それを言葉には出来ない。声を発すると息が乱れ、酸欠の苦しみを味わわされる。これ以上の会話は足を止めかねない。
必死に、全力で、レイナは森の中を駆ける。
「あ、エインズワーズさん。次は右に曲がって」
その逃走劇の中で、先輩はこうしてちょくちょく指示を出してきた。
どうやら先輩の頭にはこの森の地図がインプットされていて、『何処か』を目指しているらしい。何処を、何故目指すかはレイナには分からない。それを問い詰める余裕などなかったからだ。だが、今は先輩の考えを信じて進むしかない。
「よっと……弾切れになっちゃったなぁ」
発砲音と共に、絶望的な言葉を平然と告げてくるこの先輩を。
「せせせせせ先輩! 銃! 銃あげます! だから早く!」
「はいはい、ありがたくいただきますよっと……でももう大丈夫かな。そろそろエリアに入った筈だし。あ、居た居た」
慌てふためきながらレイナから銃を受け取り、同時にぽつりと先輩は独りごちる。その口調は今まで通り飄々としていたが、何処か安堵しているようにも感じられた。
もしかして安全地帯に到着したのだろうか? 一瞬希望を抱くも、ハシリネアシランを引き連れた状態で入っては安全も何もない。大体この大群をどうにかする術があるとは到底思えな
「はい、伏せてね」
「ばぶっ!?」
等と考えていた最中に、先輩はレイナの頭を力強く手で押してきた。いきなりの事に対応出来ず、レイナは地面に顔面からダイブ。湿度の高い泥っぽい土に顔を埋める羽目になる。
無論身を低くした程度でハシリネアシラン達をやり過ごせるなら苦労はない。レイナは反射的に顔を上げ、後ろを振り返る。言うまでもなくそこには無数のハシリネアシランが居て、地面に伏したレイナと先輩目掛け降下していた。
あ、こりゃ駄目だ――――本能的に避けられぬ危機を察知したレイナの頭は、一瞬にして達観。恐怖も絶望もなく、ぼんやりと迫り来る『猛獣』達を眺め、
彼等の一部が、忽然と姿を消した。
本当に、一瞬の出来事だった。間近まで来ていた筈のハシリネアシランの何体かが、瞬きする間もなく消えたのだ。
あまりの事にレイナは呆けてしまうが……それ以上に、残ったハシリネアシラン達が動揺していた。彼等は慌ただしく止まり、すぐにその身を反転。触手を激しくうねらせながら、来た道を帰ろうとする。
されどそんな彼等の一部がまた消失し、再び群れに動揺らしきものが走った。元々群れを作る種ではないのか、はたまた混乱から統率が乱れたのか。ハシリネアシランの群れは四方八方へと散っていく。
何が起きたのか、レイナには分からない。けれども自分が助かった事だけは、ハッキリと理解出来た。
そしてこの場に自分を誘導してきた先輩なら、何があったのか知っているという確信もある。
「い、今のは、何が……」
「しっ。静かに。気付かれる。この森の食虫植物達は音に敏感なんだ。光を当てるのは問題ないから、見たければ見ても良いけどね」
詳細を尋ねようとしたが、先輩は身を伏せたままレイナに口を閉じるよう小声で促す。訳が分からないが、有無を言わさぬ強い言葉に気圧され、思わずレイナは口を閉じてしまった。
すると森の奥から、ずしん、ずしんと、足音が聞こえてくる。
足音からして、かなり巨大な生物が接近していると分かった。少なくとも一般的なクマやトラ程度のサイズではない。大体ゾウぐらいだろうか? 昆虫すら殆ど見られない森に大型動物がいるというのが不思議に感じ、レイナは足音が聞こえてきた方を凝視。ヘルメットに付いたライトも、その方角を照らす。
やがて森の木々を掻き分けて姿を現したのは、身の丈五メートルはある巨人だった。
レイナは声を上げなかった。驚かなかったのではない。驚くほど感動し、言葉を失ったのだ。
最初は巨人だと思った。だが、それは勘違いだったとすぐに理解する。巨人の表皮は薄い緑色をしており、剥き出しの筋肉のように見える肉体は、何本もの蔓の集まりだったからだ。丸太のように立派な二本の足と二本の腕を持ち、引き締まった腹と、腹の何倍も太い胸部というスタイルは鍛え抜かれたボディービルダーのよう。身体と比べてかなり小ぶりではあるが顔のない頭のようなパーツもあり、一言でいえば間違いなく人型なのだが、断じて人間ではない。いや、そもそも動物ですらないだろう。
コイツは自ら歩く力を持つ、巨大蔓植物だ。
頭上をライトで照らすと、コイツ……仮に植物巨人と呼ぼう……の胸元にはハシリネアシランが大量に抱えられていた。消えたハシリネアシランは、この植物巨人が捕らえていたらしい。植物巨人の頭部 ― 正確にはてっぺんと言うべきか? ― から伸びた細長い蔓がハシリネアシランに突き刺さり、じゅるじゅると汁のようなものを吸っている。干からびたハシリネアシランは適当に捨てられ、次から次へと植物巨人は獲物を食べていく。
レイナは理解した。この森の
この森の生態系は、植物だけで完結しているのだ。栄養の生産者が植物であり、その栄養の捕食者もまた植物。植物が植物を食べる事で、成長と繁殖のためのエネルギーを得ているのだ。
ここから、この森に昆虫類が見られない理由も考えられる。昆虫だけでなく植物も食べられる植物……『雑食植物』にとって、昆虫は数ある獲物の一つでしかない。昆虫の減少によるボトムアップ効果を、雑食植物は食虫植物以上に受け難い筈だ。対して昆虫側は、捕食によるトップダウン効果はしっかりと受けるだろう。フェアな関係ではなく、昆虫の数は減少する一方となる。
そして昆虫の総数が減れば、純粋な食虫植物に対する淘汰圧となる。昆虫だけを栄養にするのは難しくなり、植物も食べる雑食性が適応的になるだろう。結果、捕食者である雑食植物は更に増え、昆虫類はますます減っていく。こうして雑食植物が繁栄すれば、今度はより植物食に特化した『草食植物』が現れるだろう。昆虫にとっては餌が競合するライバルであり、更に苛烈な淘汰圧に晒される事となる。
かくして森から昆虫の姿は消え、蠢く植物達に支配されたという訳だ。
レイナがこの森の成り立ちを考察しているうちに、植物巨人は何処かに立ち去った。ヘルメットのライトを思いっきり当てていたが、こちらには気付いてすらいない様子だ。如何に捕食者でも植物には違いない。光はエネルギー源ではあっても、獲物を示すシグナルではないのだろう。脳も持っていない筈なので、単細胞生物的な、刺激に対し一定の行動を返すパターンの生物だと思われる。
ともあれこれで難は逃れた筈。レイナは大きな息を吐き、先輩の方を見る。先輩は「もう話して平気だよ」と普通の声で伝えると、自ら率先して立ち上がった。安全を確信し、レイナも立ち上がる。
「いやー、危ないところだったね。ティタラシルの縄張りに入らなかったら、喰われるところだったよ」
「ティタラシル? ああ、さっきの巨人の事ですか……凄いです。植物を食べる植物なんて、初めて見ました。本当に、此処は……普通の人は知らない世界なんだなって感じです」
「はは、そうだろう? でもまだまだ驚きは終わらないよ。この先に、もっと凄いものがあるんだからね」
レイナが正直な感想を伝えると、先輩は森の奥を指差し、歩き出す。レイナも急いで彼の後を追う。
ハシリネアシランから逃げるのに必死で失念していたが、自分達の目的は『星屑の怪物』の調査だ。長時間
ハシリネアシランにティタラシル。どれも興味深いのと同時に、とても恐ろしい生命体だった。『星屑の怪物』がどんな存在かは分からないが、これまでに出会ったあの二種よりも遙かに凄まじい生命体に違いない。いや、自分は『怪物』がどれほどの存在であるか、よく知っているではないか。
あの時の怪物達には感動を覚えた。その戦いに見惚れもした。けれどもその存在は、ただ一歩踏み出すだけで人の命を奪える破滅的なもの。無邪気な子供ではなく大人となった今、その危険への理解が恐怖の源泉となる。
前に進むほどに、警戒心を強める。何が出てきても良いように、気持ちを強く持つ。先輩から付かず離れずの距離を保ち、更に森の奥へと分け入り……
ふと、進行方向の先にある木々の隙間から、光が漏れ出ている事に気付いた。
この森を満たす夜のような暗さは、鬱蒼と茂る木々達が作り上げたもの。ならばあの先には木々がない? 森の出口という事か? 否、自分達は森の奥へと進んでいた筈……様々な疑問が一気に頭を過ぎるが、前を進む先輩の歩みは速い。後を追っていたら、考えが纏まる前に光の側まで来ていた。
先輩は草むらを掻き分け、木々の間を通って光の中へと入る。レイナも同じく草むらを越え、木と木の間を通って光の中へと突入。
そこでレイナは目の当たりにした。
下草に覆われた大地。頭上には空が広がり、燦々と輝く陽光が地上にまで降り注ぐ。まるで住宅地にぽつんとある空き地のような、ちょっと寂しげで、のどかな風景が広がっている。
そしてその中心に、『それ』は鎮座していた。
あたかも自らがこの森の王であると主張するかのような、緑色の巨躯の持ち主が……
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