Species2
初仕事
母なる星・地球には、人智を超越した生命体……通称『怪物』が存在する。
現在までに知られている『怪物』の種数は五千以上。危険過ぎるなどの理由から未探査の領域も多く、正確な種数は今なお不明。怪物達はこの星の至る所に棲み、自然界の一員として生態系のバランスを保っている。
万一彼等が人間社会に現れれば、その圧倒的な力により文明は終焉へと転がり落ちるだろう。されど彼等を奇跡的にでも討ち滅ぼそうものなら、強大な力により保たれていた摂理が崩壊する事になり、環境の激変によりやはり文明は終末へと向かう。
必要なのは知識。彼等が何をしていて、どんな役割を担っているのか、どうすれば彼等をコントロール出来るのか……或いは何をしなければ見逃してもらえるのか。
『ミネルヴァのフクロウ』はそれを探求し、人類文明の存続のため尽力する組織だ。
「レイナ・エインズワーズ。あなたに最初の任務を与えましょう」
そんな組織の一員に昨日ついになったレイナは、一人の老女からそう言い渡された。
老女は眼鏡を掛けた、強面の人物だった。髪はすっかり白くなっていて、しわくちゃな顔が積み重ねた年月を物語る。歳はざっと七~八十歳ぐらいだろうか。しかし背筋はピンと伸びていて、体格も歳の割には……いや、女性としてはかなり良い。鋭い目付きとギラギラと輝く瞳は生命力の強さを感じさせ、開いた口からは肉食獣をも彷彿とする立派な白い歯が生えている。あと三十年は平気で生きそうだなと、レイナはぼんやり思った。
同時に、こんなにも厳つい『所長』と三十年も一緒に働くのは中々大変そうだ、とも。
『ミネルヴァのフクロウ』所長――――マリア・クロイツェンは、厳つい顔を更に堅苦しいものへと変えた。
「話を聞いていますか?」
「え、あ、はい。勿論。任務ですね」
「聞いているのなら返事をしなさい。良いですね?」
「はい、申し訳ありません」
レイナが謝罪すると、所長は小さな鼻息を鳴らしつつ、それ以上追求や嫌味を言ってはこなかった。性格はキツいが、ねちねちしたタイプではないらしい。そういう人物なら、レイナとしては嫌いじゃない。好感度を上方修正しておく。
「では任務について説明します。マダガスカル島のとある原生林に生息する怪物の生態調査です。この怪物は例年この時期に繁殖期を迎えます。あなたにはその状況を調べてきてもらいたい」
「繁殖状況の調査……かなり生態が解明された種なのですか?」
「ええ。発見されてから六十年は経ってますし、生息地が比較的安全なため調査をスムーズに行えましたからね。生活環や食性、個体数もほぼ把握済みです」
「成程……」
所長の話を聞きながら、レイナは自分がする事になる調査に思考を巡らせる。
生活環が判明しているという事は、つまり産まれてから死ぬまでの流れが既に解明されているという事だ。そして繁殖時期や個体数についても分かってる。これだけ分かっているのなら、天敵の有無や年齢別死亡率なども解明されているだろう。
ここまで調べ尽くした生物の繁殖を、改めて調べる必要などあるのか?
答えは勿論Yesだ。生物を取り巻く環境は年々変化している。人為的な原因もあるし、自然現象が原因な時もあるだろう。そのためとある種の繁殖行動が、毎年同じ規模とは限らない。
もしかすると今年は条件が良くて例年の数倍以上の子供を産むかも知れない。或いは悪条件の積み重ねで、百分の一以下しか誕生しないという事もあり得る。例年と異なる繁殖状況が将来どのような影響をもたらすのか、何が異常の原因なのか、そもそも『例年通り』というのは正常な値だったのか……解明したと思っているような事でも、調べれば調べるほど疑問が山のように出てくるのが生物学だ。例え例年通りの繁殖数だったとしても、保護の観点ではそれもまた大切な情報だ。「これまで通りの保護活動で良い」という、確かな証なのだから。
それでも、なんやかんや『解明済み』の事柄ではある。何をどうすれば調査出来るのか、数十年分のノウハウが蓄積されている訳だ。繁殖地や時期が分からない = 調査が出来ないという事は勿論ない。どんな危険があるのかについても、十分把握している筈。
新人教育に打ってつけの対象という訳だ。そしてレイナにとっては、『十年前』に出会った巨大昆虫やカタツムリ以来の怪物調査。物足りなさなんて感じない。
「了解しました。全力で任務に当たります」
「よい返事です。勿論初任務をいきなり一人で行えとは言いません。あなたの先輩に当たる人物とチームを組んでもらいます」
「先輩……」
レイナの脳裏を過ぎるのは、ヘンリーの姿。彼も『ミネルヴァのフクロウ』の一員であり、レイナよりもずっと前から所属している研究者だ。彼も先輩といえば先輩だろう。彼とは気心が知れた……というほどではないが、それなりに顔見知りの間柄。ヘンリーと一緒の研究なら、初仕事も安心というのだ。
とはいえヘンリーが選ばれる可能性は低いとも考えた。所属が決まった後に説明された事だが、『ミネルヴァのフクロウ』に所属する研究者は五百人を超えるらしい。その全員がレイナにとって先輩である。ヘンリーはこの五百人の中の一人。単純計算で、ヘンリーが選ばれる確率は〇・二パーセントだ。勿論いくら研究職でも上層部が新人の教育をするとは思えないが、上層部の人数などたかが知れている。確率に大きな差はあるまい。
ほぼ確実に、初対面の人と仕事をする事になる。人見知りという訳ではないが、それでもやはり緊張はした。もしかしたらやたら嫌味で、新人いびりの酷い輩かも知れない。
……そんな奴だったら、反撃として『いたずら』を仕掛けるかも知れないが。
「あなた、何か企んでませんか?」
「まさか。初仕事で緊張してるだけですよ」
所長はレイナのそんな考えをズバリ見抜いてきたが、レイナはいけしゃあしゃあと誤魔化す。所長の眉間に皺が寄っていたが、特段追求してくる事もない。
「まぁ、良いでしょう。出発は明日、必要な装備は現地にて支給します。チームについても、現地にて自己紹介を受けてください」
「え? 此処ではやらないのですか? 私、その人の顔すら知らないと思うのですが……」
「彼はあなたの顔を知っているので問題ありませんよ、あなたが待ち合わせ場所と時間を間違えない限り。それに我が組織の研究者は多忙です。年の七割は施設外、もっと言えば野外研究が主となります。怪物達の生態とはそれほどまでに謎に満ちていて、研究すればするだけ新たな謎が出てくるものですから」
「なんともわくわくする話ですね。燃えてきます」
「誰もが最初にそう答えます」
レイナの意気込みを、所長は一蹴する。確かに新人の意気込みなんて現実を知らない以上妄想と変わりないが、そうハッキリ言わなくても良いじゃないかとレイナは眉を顰めそうになる。なるだけで、大人なのでそこは我慢したが。
尤も、レイナより遙かに歳を重ねた大人である所長にはお見通しかも知れない。
そしてお見通しなら、その方が余程おっかないとレイナは思う。
「ではレイナ・エインズワーズ、あなたかの好奇心が尽きぬ事を心から望んでいます」
見抜いた上でこう言うという事は、多くの人々の心が折れてきたという事なのだから。
「……はい。期待に応えられるよう、頑張ります。あ、そうです。一つ質問してもよろしいですか?」
「ええ、構いませんよ。なんでしょう?」
「今回の怪物の名前って、なんというのですか?」
既に生態が解明されている種であれば、当然名前は付けられているだろう。そう思い尋ねたレイナに、所長はにっこりと笑みを返した。
まるでそれは、夫との素敵な日々を思い出す未亡人のように。
或いはイタズラを企む憎たらしい小僧のように。
なんの共通点もない二つの印象を同居させた微笑みにレイナが戸惑う中、所長はとてもハッキリとした言葉で告げるのだ。
「『星屑の怪物』。我々は彼等の事をそう呼んでいます」
夢に溢れた、素敵な名前を――――
Species2 星屑の怪物
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