第4話
「待てって!」
彼はすぐに追いつき、山下美雪の腕を掴んだ。
「ごめんね、こうちゃん。私、戻らないと」
「バイトなんかサボれよ。今日は俺と一緒にいろよ」
「また明日会うんだから、今日はいいじゃない」
「明日?」
山下美雪は頰を膨らませ、忘れたの? と可愛らしく怒った。
「明日、仕事が終わったら映画観に行く約束してたでしょ? 六時に待ち合わせだよ」
「……六時だって?」
青柳康介は思い出したのか、私を振り返った。
「明日の午後六時十四分ですよ」私は彼に告げた。
「それなんだけどさ、別の日に……」
「予定を変更したら、運命が変わります。その場合、あなたが死にますよ」
青柳康介の言葉の途中で、私は一息に言った。彼はポケットから煙草を取り出し、火を点ける。怒りなのか怯えなのか判然としないが、煙草を掴んだ手が震えていた。
「こうちゃん、別の日がいいの?」
山下美雪は首を傾げる。彼は首を横にぶんぶん振った。
「いや、明日でいい。六時だな、わかった」
煙草の煙を吐き出し、青柳康介は彼女に背を向け歩き出した。
「それでいいと思いますよ」
私は彼の背中に声をかけた。彼の背中が、ひと回り小さくなったような気がした。
青柳康介は喫茶店に入り、まだ昼間だというのにカウンターに腰掛けるとビールを注文した。一杯目を一気に飲み干し、すぐに二杯目を注文する。
店内には他に二組の客がいたが、いずれも青柳康介を冷ややかな目で見ていた。
「やけ酒、ってやつですか」
「うるせえな。お前に俺の気持ちがわかるかよ」
「お察しします」
二杯目のビールが来ると、半分ほど飲んでグラスを乱暴に置いた。
「くそっ。なんで美雪なんだよ」
人目を
結局その場に三時間居座り、計十杯のビールを飲み干して彼は店を出た。
おぼつかない足取りで古ぼけたアパートまで戻ると、彼は冷蔵庫から缶チューハイを取り出し、飲み始めた。
「また飲むんですか? 過度の飲酒は、身体に毒ですよ」
「うっせーよ。死神が人の身体の心配なんかすんじゃねーよ。そもそもお前が来なきゃ、俺たちは幸せだったんだよ」
青柳康介はテーブルの上に転がっていた空き缶を、私に投げつけた。空き缶は壁に跳ね返り、カラカラ音を立てて彼の足元に転がった。
「なんで美雪なんだよ! 他のやつのところへ行けよ!」
「それはできません。あなたの大事な人が、抽選に当たったのです」
「抽選?」
「はい。死神は何も、全ての人間に死の宣告をするわけではありません。なにせ、死神界も人手不足ですから。失礼、死神不足ですから」
「なんだよそれ。こっちはクジなんて引いた覚えはねーぞ」
「あるはずがありません。この死神手帳に、名前が記された人にだけ告知していますから」
私はコートの内ポケットから手帳を取り出した。
「だいたい、何のために死の宣告をするんだよ」
「残された時間を、有意義に使ってもらうためです。以前は本人に伝えていましたが、今は制度が変わり、対象者の大事な人に告知することになったんです」
「聞いたよ、その話」
青柳康介は缶チューハイをぐびっと飲み干し、私に投げつけた。
「なあ、頼むよ。美雪は助けてやってくれよ。あいつ、すげえいいやつなんだよ。なんで美雪が死ななくちゃならねえんだよ。他に死んだほうがいいやつなんて、その辺にいっぱいいるだろうが」
彼は額を床につけ、懇願した。私は無感情で、体育座りをしたまま彼の後頭部を見つめていた。
かつて、何度も目にした光景だった。
どうか、命を取らないでください。
なんでもしますから。お金も払います。
私から死の宣告を受けた人間の中には、そう言って土下座をする者が何人もいたのだ。私に懇願したところで、運命は変えられない。なぜそこまでして、人間は生にすがりつくのか、私には理解できなかった。ましてや今回は、自分の大事な人が死ぬ、と私は告げた。自分の命ならともかく、他人の命にまですがりつくとは、滑稽な話に思えた。
「ちょっと前まで、俺、刑務所にいたんだ。それでも美雪は、俺のことを待っててくれたんだ」
声を震わせながら、青柳康介は言った。彼は半年前まで、刑務所にいたことは手帳にも記されていた。
「そんなに山下美雪に生きてほしいなら、彼女を助けたらどうですか」
「俺が死んだら、あいつはひとりぼっちになっちまうんだ。だから、俺は死ぬわけにはいかないんだ」
「彼女は死なないでほしい。自分も死にたくない。まるで子どものわがままですね」
青柳康介は顔を上げ、私を睨みつけた。今にも飛びかかってきそうな、鋭い眼光だ。私は怯むことなく、彼の目を見つめた。
「もういいよ。お前には頼まねえ」
青柳康介は立ち上がると、冷蔵庫からロング缶のチューハイを取り出し飲み始めた。
さすがに飲み過ぎたのか、ふた口飲むと彼はベッドに倒れ込んだ。
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