第2話

 翌日の昼過ぎに、青柳康介は家を出た。


「どこへ行くんですか?」

「今日は美雪と物件を見に行く約束してんだよ。俺たち、同棲する予定だったんだ」


 彼は煙草に火を点け、ため息と一緒に煙を吐き出した。


「もうすぐ死ぬのに、物件を探すんですか」

「昨日の夜、いろいろ考えたんだよ。そんで決めたよ。特別なことはしないで、いつも通りに過ごすよ。結局それが一番なんだよ。お前の話は、聞かなかったことにする」

「なるほど。つまり、彼女を見殺しにするつもりですね」


 青柳康介は足を止め、指に挟んだ煙草を私に向ける。


「おいちょっと待て。その言い方はねえだろ。死ぬ運命なのは美雪なんだろ。運命には逆らわないのが道理だろ。見殺しなんかじゃねえよ。俺は見届けるだけだ」


 彼は舌打ちして歩き出した。


「言い忘れましたが、私の姿はあなたにしか見えないので、さっきから独り言をあなたは言ってるんですよ」


 もう一度舌打ちが聞こえた。彼は早歩きで私の先を進み、バス停の列に並んだ。



「あ、こうちゃん!」


 バスを降りると、小柄な女性が手を振りながら小走りで駆け寄ってきた。栗色の長い髪の毛が風に揺れる。可愛らしい女の子だった。

 私はコートの内ポケットから手帳を取り出した。

 山下美雪やましたみゆき、二十歳。独身。職業はフリーター。趣味は彼氏。母子家庭で、一人っ子。唯一の肉親である母親は、三年前に病気で他界している。

 恵まれた人生ではないな、と憐憫れんびんの目を彼女に向け、手帳を閉じた。


「わりいわりい、待った?」

「全然! 早く行こう!」


 山下美雪は彼の手を取り、目の前にあった不動産屋へ入っていった。規則なので、私も当然同行した。

 どんな部屋がいいか、山下美雪が事細かに説明し、二人は不動産屋が運転するワゴンに乗って物件を案内された。

 私は三列目のシートに体育座りをして、楽しそうな山下美雪と、浮かない表情の青柳康介を交互に観察する。

 いつの間にか私は眠っていて、気づいた時には車の中に取り残されていた。



「ねえ、この部屋にしようよ! 日当たりも良いし、キッチンも綺麗!」


 本日三軒目の物件で、山下美雪はこの日一番の笑顔を見せた。一方の青柳康介は、彼女とは対照的だった。彼女が話しかけても空返事をするだけで、明らかにテンションが低い。さすがに悟ったようで、山下美雪は心配そうに彼を見つめる。


「こうちゃん? この部屋は嫌なの?」

「いや、そんなことねえけど、今日はもう帰ろうぜ。また今度……一緒に探そう」


 声が小さく、後半は何を言っているのか聞き取れない。

 わかったぁ、と山下美雪は俯いて言った。



 彼女は物件を案内してくれたおじさんに礼儀正しくお礼を言い、不機嫌な青柳康介の手を取り不動産屋を出た。

 

 そこから二人は歩いてファミレスに入っていった。私は青柳康介の隣で体育座りをして、小さく欠伸をした。


「ねえ、こうちゃん。今日なんか変だよ? 悩み事でもあるの?」


 二人とも同じハンバーグセットを注文した後、山下美雪は彼にたずねた。


「いや、別になんもねえよ。腹減ったな。何食おうか」

「今注文したばっかじゃん」

「ああ、そうだったな。冗談だよ冗談」


 青柳康介は笑ってごまかした。彼は明らかに動揺している。笑顔が引きつっていた。


「やっぱり変だよ、こうちゃん。何かあったの?」


 青柳康介は隣に座った私を一瞥いちべつする。言ってもいいのか、と言いたいのだろう。


「言い忘れましたが、他言は許されません。仮に言ったとしても、きっと信じてもらえないと思いますよ」


 私は突き放すように言った。青柳康介は乱暴に頭を掻き毟った。


「こうちゃん、大丈夫?」

「ああ、大丈夫。オムライス、遅いな」

「注文したの、ハンバーグだよ」


 冗談だよ、冗談。青柳康介は笑ってごまかす。テーブルの下では、彼の右足が激しく貧乏ゆすりをしていた。




「おい、どうにかなんねえのかよ!」


 山下美雪を見送った後、彼は私を怒鳴りつけた。


「どうにもなりません。運命ですから」

「んだよ、使えねー死神だな」

「すみません」

「そもそも、死神ならもっと死神らしくしろよ。どこからどう見ても女子中学生にしか見えねーぞお前!」

「すみません」


 どうにもならない事態に腹を立て、彼は私の容姿にまで怒りの矛先を向ける。

 けれど、確かに彼の言う通りだった。先輩の死神にも、もう少し死神らしくしたらどうだ? とよく言われたものだ。

 青柳康介は早歩きで私の先を歩いていく。私は小走りで彼を追いかけた。



 家に帰ると、彼は部屋の壁を殴った。壁にはぽっかりと穴が開いた。


「賃貸、ですよね」

「うるせえな。関係ねえだろ」


 それから寝るまでの三時間で、青柳康介は煙草を二箱消費した。

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