聖剣乙女 ~聖剣? いいえ、呪いの剣です~

ジータ

聖剣乙女

 つぶらな黒い瞳がジッとオレのことを見つめている。長く伸びた黒髪はサラサラとして輝いている。すらっとした鼻梁にぷっくりとした唇。十人が見れば十人美少女と断ずるであろうその容姿。もしこんな子に見つめられたなら一発で恋に落ちるだろう。もし恋に落ちない奴がいたならそれは趣味が変わった奴か、同性愛者かのどちらかだとオレは思う。しかし、オレはこの子に見つめられても恋に落ちるということはなかった。別に趣味が変わっているわけじゃない。同性愛者でもないはずだ。だというのに恋に落ちない理由、それは至極単純だ。

 目の前の美少女……目の前の大剣に映っている美少女が、紛れもなくオレ自身だからである。


「なんで……なんでこうなっちゃうんだよぉおおおおおお!!」


 オレがこうなってしまった原因は、少し前まで遡ることになる。






□■□■□■□■□■□■□■□■□


 オレの名前は風見零慈かざみれいじ。いたって普通の男子高校生だ。他のやつよりもちょっと身長が低かったり、女顔過ぎて女に間違われたりすることはあるけどさ。

 ま、それはどうでもいいんだ。そんなことよりも今日はとてもいい日なのだ。ずっとずっと待ちわびていた漫画の新刊の発売日。そんなわけでオレは学校帰りに本屋によってさっそく買ってきたのだ。


「いやぁ、やっと続き出たんだもんなー。こういう時単行本派ってつらいよな。最低でも二ヶ月は待たないといけないんだから。ま、それも楽しみなんだけどさ」


 スキップしたい気持ちを抑えながらオレは歩く。さすがにこんなに人通りの多い場所でスキップしたら変人だしな。早く家に帰って読んで、明日は友達と語り合わないと。

 小走りで家に帰ってきたオレは勢いよく玄関のドアを開ける。


「ただいまー! ……って、へ?」


 いつも通りに家の玄関を開けたはずだった。なのに、目の前に広がる光景はオレの想像をはるかに超えるものだった。

 家の目の前に広がっていたのは森。どこまでも広がる鬱蒼とした森だった。


「なんだこれ」


 後ろを見ればいつもの街並み。しかし前を見れば鬱蒼とした森。


「なんだオレ……疲れてんのかな」


 目をごしごしとこすってみても目の前の光景は何も変わらない。

 そっとドアを閉じる。再び開ける。鬱蒼とした森。

 再び閉じる。そして明ける。鬱蒼とした森。

 何度繰り返しても結果は変わらない。


「んー? 一回行って見るか。なんかわかるかもしれないし」


 そこで引き返していれば運命は違っていたのかもしれない。しかし、オレはそこで一歩踏み出してしまったのだ。それが、オレの運命を決定づけることになるとも知らずに。

 森の中へと一歩踏み出すオレ。その直後のことだった。誰かにドン、と背中を押される。


「え、うわ、ちょっ!」


 不意のことに驚いたオレは踏ん張ることもできずにこけてしまう。ハッと後ろを振り返ると、ゆっくりとドアが閉まるところだった。慌ててドアに飛びついてももう遅い。閉じられてしまった扉は押せども引けども空く気配がない。


「どうなってんだよ!」


 苛立ちが頂点に達し、思い切りドアを蹴る。それでも開かないどころか、蹴ったこちらの足が痛くなる始末だ。


「ついてねぇ。マジでついてねぇ。っていうか、家に帰ろうとして森で遭難とかどういうことだよ」


 ちょっと周囲を見渡しただけでもわかる。この森が決して浅くはないということが。そしてオレ自身には森の中を歩く知恵などあるはずもない。仕方なくその場に座り込む。


「漫画でも読むかぁ」


 それしかすることないしな。しばらく待ったらドアもまた開くかもしれないし。

 鞄を開いて買ったばかりの漫画を取りだす。はっきり言えば現実逃避だけど、それぐらいしかできないのだからしょうがない。

 しかし結局買ってきた漫画を読み終わってもドアが開くことは無かった。


「このままじゃマジで遭難だぞ。そんなのしゃれにならねぇし」


 遭難した時は無闇に歩き回っちゃだめだってのは知ってるけど、この状況でできることなんて他にねぇし。


「あ、そうだスマホ!」


 こんな時に一番に確認するべきもののことを忘れてた。しかし結果は半ば予想通りというか、圏外だった。


「圏外かよぉ。マジでここどこなんだよ……」


 がっくりと肩を落とした直後のことだった。目の前の茂みがざわざわと揺れ出す。


「な、なんだ……」


 思わず身構える。もし熊とか出てきたら死んだふりをするしかない。あれ意味ないらしいけど。しかし、そこから出てきたのはオレの予想をはるかに超えるものだった。


「ゲギ……ゲギギ」

「ゲギャギャ」


 緑色の肌をした、人型の何か。身長はそれほど大きくない。120cmほどだろうか。見たこともない生き物だ。それがオレのことを見て、その表情を醜くゆがめる。嫌な予感が全身を貫く。


「ハ、ハロー……」

「ゲギャギャッ!」

「ギャッ!」


 今日の夕飯見つけたぜヒャッハー! と言わんばかりの勢いで叫ぶ謎の生物。その手に持った切れ味の悪そうな錆びた剣を振り上げて走って来る。


「ですよねー!」


 くるりと身を翻して逃げるオレ。ドアの前から離れたくないとかそんなことを言ってる場合じゃない。このままじゃ確実にデス&イートだ。あんなわけのわからない生き物に食べられるために生きてきたわけじゃない。

 火事場の馬鹿力か、足場の悪い森の中だというのにいつも以上の速さで走れてる気がする。でもあの謎生物もずっと追って来る。


「ひ、ひぃ!」


 血走った目で追って来る謎生物。見つけた夕飯逃がしてなるものかという気迫が目に見えそうだ。

 このままじゃ振り切れない。その前に体力がなくなる。


「どうしろってんだよ!」


 涙目になりながら必死に走る。あぁ、今頃ホントなら部屋で漫画について考察してるはずだったのに! なんでこんな森の中でわけのわかんない生き物に追われないといけないんだよ!


「こうなったら……」


 断腸の思いで鞄を捨てる。少しでも身軽にしたかったし、あわよくば後ろから追って来る奴らに当たればいいと思ったからだ。

 もちろんあっさり避けられたけどさ! でも少しは体が軽くなった。さよなら教科書、さよなら漫画。君達のことは忘れない。そしてごめんね鞄、全然使ってあげられなくて! 結局三か月くらしか使ってない気がする!

 鞄を捨てて身軽になった体で必死に走るオレ。しかし疲れは隠せない。走るスピードが落ちてるのがわかる。追って来る奴らとの距離がドンドン縮まっている。


「こんな所で死んでたまるかー!」


 オレが死ぬのは奥さんと子供と孫に囲まれて布団の上でって決めてるんだ! こんな所で死んでたまるか!

 そんなオレの思いが天に届いたのかもしれない。きらりと光るものが目の端に映る。オレはもう藁にもすがる思いでその方向へとひた走る。もしかしたら人がいるかもしれないという可能性にかけて。

 しかしその場所に着いた時、そこにあったのはまったく予想外のものだった。

 少し開けたその場所にあったのは、身の丈ほどもある大剣だった。


「たい……けん……?」


 森の中に在ってなお輝きを失わないその大剣に、自分の命の危機であるということすら忘れて思わず見入ってしまう。

 でもいつまでもそのままではいられなかった。後ろから追ってきたからだ。


「ちくしょう!」


 一度走るのを止めてしまったせいか、もう一度走り出すような元気はもうない。

 やるしかねぇ!

 そう思って目の前の大剣を掴む。


「おっっも!!!」


 抜けねぇ。抜ける気配すらねぇ。なんだこれ、大剣ってこんなに重いのかよ!

 でも抜かねぇとやられちまう。そんなの絶対に嫌だ!


『……っと』

「んー!! ぬーけーろーー!」

『ちょっと』

「頼むから抜けてくれー!」

『ちょっと!! 聞こえてるでしょ!』

「うわっ、だ、誰だ!」


 突然聞こえた女の人の声に驚いて大剣を握る手を離してしまう。でも周りを見渡しても誰もいない。


「ま、まさかあいつらに殺された人の幽霊が……」

『違うわよ! 目の前にいるでしょ!』

「うっひゃぁ! め、目の前?」


 そんなこと言われても、目の前にあるのは大剣だけだ。人の姿など全く見えない。どういうことだ?


『だーかーら! あんたに話しかけてるのはその剣だっての!』

「はぁ!? け、剣が喋ってる?!」

『全く……久しぶりに見る人がまさか男だなんて……ついてないわぁ』


 あからさまに落胆したような声が聞こえる。

 いや、勝手に落ち込まれてもオレだって困るんだけど……ってそうじゃねぇ!


「お、おい頼む助けてくれ! なんか変なのに追われてんだよ」

『え? どういうこと』

「ゲゲギャッ!」

「ギャ!」

「うわ、もうきやがった!」

『追われてるって……あのゴブリン? あほくさ。あんなの普通の冒険者なら倒せるわよ』

「オレは冒険者なんかじゃねーよ!」

『そうなの?』

「だから助け求めてんだよ!」

『うーん……確かに私ならなんとかできるけど……』

「ほ、ホントか!?」

『でもなー、あんた男だしなー』

「頼む、頼むよ! なんでもするから!」


 ようやく獲物を追い詰めたといわんばかりに謎生物、ゴブリンはじりじりとにじり寄って来る。余裕も何もあったもんじゃないオレは必死に目の前の大剣に助けを求める。


『……今、なんでもするって言ったわね』

「言った! 言ったから!」

『その言葉に嘘はないわね』

「ない!」

『なら契約成立よ。私の事握りなさい』


 大剣に言われるがままに持ち手を握る。

 その瞬間、激しい光が周囲を包み込む。眩しさのあまりオレは思わず目を閉じてしまった。


「な、なんだこれ、眩し!」

「ゲギャッ?!」

「ギャス!?」


 光が収まるのを感じて目を開くと、オレの手の中にはさっきまでそこに突き刺さっていた大剣があった。

 あれ、でも大剣なのにオレ片手で持ててるんだけど。っていうか、めっちゃ軽いんだけど。


『うーん、まさか久しぶりの相手がゴブリンになるなんてね。まぁいいわ。あんたの体、借りるわよ』

「へ?」


 借りるってどういうことだ、なんて言う前に勝手に体が動き出す。そこにオレの意思など全く反映されてない。しかも体はゴブリン達の方に向かって勝手に走って行くのだ。


「ひぃやぁあああ!」

『黙ってなさい、舌噛むわよ!』


 あっという間にゴブリンとの距離を詰めたオレは身の丈ほどもある大剣を軽々と構える。


『塵になりなさい』

「ゲ——」

「ギ——」


 ブン、と剣を一閃する。突如目の前に現れたオレに対応できなかったゴブリンはその一撃で二匹まとめて体を両断される。

 決着は一瞬だった。


『まぁ、ゴブリンならこんなものね』

「……すげぇ」


 あ、ダメだ。立ってらんない。

 命の危機が去ったことによる安心感か、それとも走り続けた疲れか。急に足の力が抜けて立っていられなくなる。


「ホント……マジで助かったよ」

『それほどでもないわ』


 ……あれ? なんか今オレの声なんかいつもより高くなかったか? 気のせい?


「あ、あーー……って、気のせいじゃない!?」


 試しに声を出して確信した。確実に声が高くなっている。

 そしてそこでさらに気付く。


「なんだこれ、髪長っ! 足細っ! な、なんだよこれ!」


 ふと見下げればそこにはなかったはずの立派な双丘が。試しに触ってみればふにょりとした柔らかい感触。そして確かな反発。

 まさかと思いつつ、さらに下へと手を伸ばす。息子の存在を確認するために。

 しかし、現実は非情だった。


「……ない……無くなってるーーーー!!!」


 さっきまでゴブリンに命を狙われていた時と同等。いや、それ以上の衝撃がオレの体を貫く。ないないないない息子が無い! 無くなってる! まだ一回も実戦使用してないのに!

 オレの相棒がーーー!!!


『うんうん、なかなかいい感じになってるじゃない。かなり私好みよ』

「ど、どういうことだよ! お前の仕業かこれ!」

『そうよ』

「じゃあ今すぐ元に戻せよ!」

『いやよ』

「なんで!」

『あんたなんでもするって言ったじゃない』

「確かに言ったけど……それでなんでこんなことになってんだよ!」

『私ね……美少女が好きなの』

「……は?」

『男なんてむさくるしいし、扱いは雑だし。だからね、決めたの。私はもう絶対に女の子にしか使われないんだって。その点女の子はいいわよ。扱いは丁寧だし、いい匂いがするし、汗まで綺麗で……フヘ、フヘへ……だから、あんたが私を使うっていうなら女の子にするしかないじゃない』

「変態じゃねぇか!」

『失礼ね。変態じゃないわよ。とにかくそういうわけだから。それよりも今の自分の姿見て見なさいよ。なかなかの美少女になってるわよ』


 大剣に映る自分の姿を見せられる。確かにそこに映る少女は美少女だ。それもかなりの美少女だ。もしオレの学校にこんな子がいたら男子は全員惚れてただろう。どこかオレの元の面影を残しているのが憎い。完全に違う姿なら良かったのに。


「なんで……なんでこうなっちゃうんだよぉおおおおおお!!」


 オレの魂からの叫びが森の中にこだまする。


『むさくるしい男のままいるよりいいでしょ。まぁあんたの場合は元から女っぽい顔してたけど。一瞬女の子かと思ったし』

「すぐに戻してくれ!」

『いやよ、言ったでしょ。私も使うなら女じゃないと認めないって』

「もう使わないから。すぐに帰るから」

『帰るって……どこに?』

「え?」

『詳しい事情は知らないけど、あんた迷ってるんでしょ?』

「……そうだけど」

『この森、めちゃくちゃ広いわよ』

「え」

『それに魔物だってあのゴブリンより強いのがうじゃうじゃいるわよ』

「……え」

『あんたみたいなのが何も持たずに歩いてたら五分と持たずに食べられるでしょうね』


 あのゴブリンがいっぱいいる? そんなのムリゲーじゃねーか。っていうかめちゃくちゃに走り過ぎて元の場所もどこかわからないし……つまり……つまり……。


「オレがこの森を生きて脱出するには、お前を使うしかないってことか?」

『そういうこと。私なら絶対にあんたのことを守れるわ。これでも私昔は聖剣って呼ばれてたんだから』

「そんな……そんなことって……」

『ふふん、諦めなさい。それに、私も外の世界見てみたいしね』


 男の姿に戻ることは死を意味する。というかこの様子だとこの剣は戻してくれないだろう。というか何が聖剣だ。呪いの剣じゃねーか。


『あんた、名前は?』

「名前?」

『そ、これから一緒に旅するわけだし。知っとかないと面倒でしょ』

「……零慈。風見零慈だ」

『レイジね。アタシはミーファよ。これからよろしくね!』


 楽しそうな剣……ミーファの声を聞きながらオレは深くため息を吐くのだった。






□■□■□■□■□■□■□■□■□



 森を抜けるまでの間、暇だから何か話せとミーファに言われ、ここに来ることになった経緯を話していた。まぁ経緯とか言ってもオレも何がなんだかよくわかってないんだけどな。わけわかんないうちにここにいたし。


『へぇ、それじゃあレイジは違う世界から来たんだ』

「たぶん……な。少なくともオレの知る限りオレの世界には喋る剣も、ゴブリンもいなかったし」

『そんな世界があるのねー』

「あんまり驚かないんだな」

『まぁたまにあんたみたいなのはたまーにいるのよ。迷い人って言ってね。私も何回か会ったことあるわ』

「そうなのか? そういつらがどうなったとか知ってるか?」

『知らないわよ。ちょっと会ったことあるくらだし』

「そうか……それがわかったらオレも帰れるかもって思ったんだけどなぁ」

『私が会ったのも百年以上前の話だしね。今どうなってるかまではわからないわよ』

「百年って……お前何年生きてんだよ」

『レディに歳を聞くもんじゃないわよ』

「レディって……お前女なのか。女好きとかいうから男かと思ってた」

『しっつれいね! どこからどう見ても女でしょ!』

「どっからどう見てもただの剣なんだよ!」


 っていうか剣に性別とかあるのかよ。まぁ聞こえてくる声は確かに女っぽかったけどさ。あぁっていうかオレの声の違和感がすごい。マジで女になっちゃったんだなぁ、オレ。


「っていうかよ。もうずいぶん歩いてるけどまだ外につかないのか?」

『うーん。あともう少しだと思うんだけど……私の記憶が正しければここを抜けた先に村があったはずよ』

「村かぁ。大丈夫かな」

『大丈夫よ。あんた可愛いから。もし何かあったら色仕掛けで一発解決よ』

「嫌だよ! それと可愛い言うな!」

『なんでよー。褒め言葉でしょ。それにあんた可愛いのは事実だし』

「それが嫌なんだよ」


 美少女は見て愛でるものだ。自分が美少女になっても全然嬉しくない。


『きっと大丈夫よ。なんとかなるわ。もし何かあったら私が全部ぶっ飛ばせばいいだけだし』

「物騒なのは止めてくれよ……そういえば、もっと魔物と会ったりするのかと思ったけど、全然そんなことないんだな」

『それは私のおかげね。私ってばすごい力のある剣だから。生半可な魔物じゃビビッて近づけないのよ』

「へぇ……すごいんだな。全然わかんないけど」

『そうよ。すごいんだから! もっと褒めてくれてもいいのよ』


 どこか得意げな声にイラっとする。確かに助かってるのかもしれないけど、こうなってるのはこいつが原因でもあるんだから。この変態剣め。


『ん? 今なんか私の事バカにしなかった?』

「いや、そんなことないぞ」

『そっか。じゃあ気のせいね!』


その時だった、


「だ、誰かぁ! 助けてくれぇ!」


 それまで静かだった森に誰かの悲鳴が響く。しかもその声はだんだんとオレの方へと近づいて来る。


「な、なんだ?」

『誰か近づいて来るわね。それにこれは……魔物も一緒ね』

「えぇ!」

『まぁ来ちゃったものはしょうがないわね。やるわよ』


 言うやいなやミーファがオレの体の支配権を奪う。正直怖くてしょうがないが、体は自分の意思では動かせない。こうなってしまったらミーファのことを信用するしかないのだ。

 徐々に音が近づいて来る。人の足音と、ドスンドスンと草木をなぎ倒すような音。やがてその音が間近まで近づいてきた時、ミーファが大剣をスッと構える。

 目の前の茂みから少年が飛び出してくる。そして、その後ろからついてきたのは見上げるほどに大きな巨体の化け物だった。

 でも、俺の体を操っているミーファはその化け物を見ても全く動揺していない。


「き、君達危ないよ! 早く逃げて!」

「そんなことどうでもいいから思いっきり横に飛びなさい!」


 逃げてきた少年はオレの姿を見てそう言うが、ミーファは相手にもせずオレの口を使って叫ぶ。男は一瞬顔に疑問を浮かべながらも、ミーファに言われるがままに横に飛ぶ。

 それとすれ違うように化け物の前に躍り出る。化け物はそんなオレの姿を見てこちらにターゲットを移したのか、手に持った巨大な棍棒を振り上げる。当たればオレの体は見るも無残な姿になることは明白だ。しかしミーファは止まることなく、むしろそのまま突っ込んでいく。


「オーガごときが私に勝とうなんて一億年早いのよ! 喰らいなさい——『鉄砕衝』!」


 振るった大剣と棍棒がぶつかる。しかし拮抗するようなこともなく、一瞬で棍棒が砕け散る。そこでミーファは止まることなく、砕け散った棍棒の破片を蹴って化け物の頭上へと飛び上がる。


「終わりよ」


 縦に一閃。それで終わりだった。

 真っ二つに斬られた化け物の体がゆっくりと崩れ落ちる。


「ま、こんなものね」


 そこで体の感覚が戻って来る。オレは思わずその場にへたり込んだ。当たり前だ。怖かったんだから。ミーファは戦い慣れてるかもしれないけど、オレは今日まで一度も戦ったことなんてないんだ。目の前に倒れる巨体を見て、心底ゾッとする。もしあの棍棒が当たってなら命はなかっただろうし。


「こ、怖かったぁ」

『なによ。もっと私のこと信用しなさい。私がついてれば絶対大丈夫なんだから』

「そういう問題じゃないんだよ!」


 あぁもう、絶対に村に行けたらこいつのことは手放してやる。絶対だ! こいつ持ってたら命がいくつあっても足りねぇ!

 そんなオレの内心など気にしていないのか、はたまた戦えたことが満足だったのか、ミーファは満足気に話し続けている。


「あ、あの……」

「ひゃ、はい!」


 急に話しかけられたせいで変な声出た。

 オレに声を掛けてきたのは先ほどオーガに追いかけられていた男……少年だった。年齢的にはオレと同じくらいかなぁ、たぶん。

 その少年はよくみてみれば全身傷だらけだった。それも無理ないか。あんな化け物に追いかけられてたんだし。むしろ良く逃げれてたな。


「あ、あの。助けてくれてありがとうございました!」

「お、おう?」


 急に頭を下げられて困惑するオレ。ってかそうか。一応助けたことになるのか。ミーファが勝手にやったことだけど。その少年はキラキラと尊敬の瞳でオレのことを見る。


「すごいですね! オーガを一撃で仕留めるなんて!」

「い、いやぁ……それほどでも……」

『ふふん、オーガくらいこの私にかかれば雑魚よ雑魚。でももっと褒めなさい』


 オレがやったわけじゃないし。ミーファはなんか喜んでるけど。オレ的には褒められてもなぁ……って気がする。


「あんな大きな剣を軽々と振り回すなんて……名のある冒険者様だったりしますか?」

「あー……えーと……」


 薄々感じてたけど冒険者とかいる感じの世界なんだここ。でもオレ冒険者ってわけじゃないしな。

 しかし少年はオレの沈黙をどう受け取ったのか、慌てて言葉を付け足してくる。


「す、すいません! 俺、冒険者になったばっかりで全然他の冒険者のこととか知らなくて……怒らせちゃいましたか?」

「あ、ごめんごめん。そういうわけじゃないよ。っていうかオレ冒険者じゃないし」

「えぇ!? 冒険者じゃないんですか?」

「人生という名の大海を冒険する人ではあるけど……ってまぁそれはどうでもよくて。むしろ今道に迷っててさ。そういえば君の名前は?」

「あ、すいません。ボク、クロノって言います。でも道に迷ったってどういうことですか?」

「えーとさ、オレ、迷い人ってやつらしいんだよ」

「迷い人?」

「知らない? 迷い人って。他の世界から来た人の事……らしいんだけど」


 あれ、クロノ君の反応が芳しくない。迷い人ってそれなりに有名なんじゃなかったのかよミーファ。それともクロノ君が知らないだけか?


『まぁ私の時代にはそれなりに有名だったってだけで。今はどうかは知らないわよ』


 てめぇこの野郎!

 クロノ君がオレのことを変な人を見る目で見てんじゃねーか! せっかくやっと会えた話の通じる人なのに!


「すいません。ボク迷い人ってよくわからなくて。それに他の世界から来たってどういうことですか?」

「いや、知らないならいいんだ。それよりも、この森から出て村に行きたいんだけど……どっちに行ったらいいかな」

「村……ですか? この近くに村はないですよ」

「え?」

「ここから出てすぐの場所に大きな街はありますけど。もしよかったら案内しましょうか?」


 お、それは願ってもない提案だ。これでやっと森から抜けられる。


『えぇ、私嫌なんだけど。なんで男と一緒に行かないといけないのよ』

「ぜひお願いしたいな」


 文句を言って来るミーファはガン無視して。オレはクロノ君の手を握って言う。

 するとクロノ君が顔を赤くして俯いてしまった。どうしたんだろ。強く手を握り過ぎたかな。


「わ、わかりました。それじゃあついてきてください」


 そう言ってクロノ君はパッと手を離して歩き出してしまう。


『あーあ、レイジも罪作りねぇ』

「どういうことだよ」

『わかんないならそのままでいいわ。その方がいいかもしれないし』

「?」


 何言ってんだミーファは。まぁいいか。

 わけのわからないことをいうミーファのことはとりあえず無視して、オレはクロノ君の後を追いかけるのだった。





□■□■□■□■□■□■□■□■□



「え、それじゃあクロノ君ってまだ冒険者になってから一週間くらいしか経ってないの?」

「はい。そういうことになります。それで、今日はホーンラビットっていう低級の魔物の討伐以来を受けてこの森に来たんですけど……」

「そこであのオーガに会ったわけだ」

「はい……普通オーガは森の奥の方にいるんで、あんな浅い所にいるはずなかったんですけど」

「へぇ……そういうこともあるんだな」

『あ、それもしかしたら私のせいかも』

「はぁ!?」

「ど、どうしたんですか!」


 オレが急に声を上げたことに驚いたのか、慌てて周囲を確認し始めるクロノ君。でもごめん。そういうわけじゃないんだ。

 あ、クロノ君と話してる間に気付いたんだけど。ミーファの声はクロノ君には聞こえていないらしい。

 まぁ今はそれはどうでもよくて、それよりもクロノ君が襲われたのがミーファせいってどういうことだよ!


『いやほら、私って力ある剣なのよ。それで、もしそんな力ある存在が近づいてきたら魔物でも逃げるわよって話。きっとそのオーガも私の気配から逃げてる最中にそこのクロノとかいう奴を見つけたんでしょうね。それで逃走本能が食欲に負けて、追いかけてるところに私に出会ってしまったと。本末転倒な話よねー』


 ミーファはケラケラと笑いながら軽く言うが、つまりクロノ君が襲われたのはオレのせいでもあるってことじゃねーか。なんか急に申し訳なくなってきた。いやでも、そんなの予想しろなんてできるわけもないしなー。


「あの、レイジさん?」

「あぁごめん。ちょっとそこにいた虫にびっくりしただけ。驚かせてごめんな」

「いえ、それならいいんですけど。あともう少し歩いたら街に着きますよ」


 やっとこの森から出られるのか。長かった……だんだん辺りも暗くなってきてるしな。夜になる前に森を抜けれそうで良かった。もし森で野宿なんてことになったら……いや、想像もしたくないな。

 ま、ここまで来たらもう何もないだろうし。大丈夫だろ。

 そう思ったのが良くなかったのかもしれない。突如、ズシンという激しい音と共に地面が揺れる。


「うわっ!」

「え、な、なんだ!」


 急なことに驚いたオレは思わず尻もちをついてしまう。その揺れは先ほどのオーガの時よりも大きかった。


『これは……面白いのが近づいてるわね』

「ち、近づいてるって何がだよ!」

『地竜。まぁ、どうやら地中に隠れてたのが私の気配に触発されて出てきたみたいね』

「お前もう聖剣とかじゃなくて呪いの剣じゃねーか!」


 そうしている間にもドンドン地面の揺れが大きくなってくる。ズシンズシンと突き上げるような揺れが近づいて来る。


「どどど、どうすんだよ!」

『決まってるでしょ。狩るのよ!』

「ぜったいむーりー!!」


 しかし、オレの抵抗も空しく再びミーファに体の支配権を奪われてしまう。凄まじい揺れの中、立ち上がったミーファは走り出してクロノ君の服の襟をつかむ。


「死にたくなかったら下がってなさい!」

「え、うわぁあああああっ!!」


 そのまま投げ飛ばされたクロノ君は後方の茂みへと消えていく。あれ大丈夫だよね。大丈夫だと信じとこう。今はそれどころじゃないし。

 その直後のことだ。地面を突き破って巨大な体が姿を現す。周囲の木々をなぎ倒しながら出てきた地竜は、ギョロリとした大きな目玉でオレのことを睥睨する。


「GYAOOOOOOOOOOOOO!!!」


 竜の咆哮が体を打つ。相対するだけでわかる。これはとんでもない奴だと。さっきであったオーガなど比較にもならない。その巨体は見るだけで硬いということがわかる鱗に包まれていた。あれじゃ剣なんて通らないだろう。

 なのに、ミーファはニヤリと笑う。


「いいわね。ゴブリンもオーガも相手不足だと思ってたのよ」


 戦う気だ……こいつ戦う気だ。無理だって! こんなの勝てるわけないだろ! 見ろよあの鱗、絶対剣じゃ切れないって!


「うるさいわね。大丈夫よ。この世に、私に斬ることができないものなんてないんだから」


 大剣を握ったミーファは一気に走り出す。それを見た地竜は、うるさい羽虫を追い払うように長い尻尾を振るう。


「甘いわよ!」

「GYAOOOOOO!」


 空中にジャンプすることで尻尾を避けたミーファは、そのままの勢いで尻尾の根本に大剣を突き刺す。しかし、それまでとは違い一刀両断とはいかず、途中で止まってしまう。それでも地竜は苦し気な声を上げたが。そして、体の上に乗ったミーファのことを振り落とそうと体を激しく揺らす。それに逆らうことなく、地面に降りたミーファは思いのほか硬かった地竜の体に目を丸くしていた。

 

「はー、硬いわね。生意気な」


 今の一撃で本気になったのか、地竜が真っすぐ突っ込んでくる。それままるでダンプカーが迫ってきているようだった。

 しかし、ミーファは避けようとしない。

 おい、何してんだよ! 死ぬ気……ってか殺す気か!


「別に避けてもいいけど。避けたらあの子、たぶん死ぬわよ」


 ちらりと後ろを見るミーファ。オレ達の後ろにいたのはクロノ君だった。地竜の咆哮に当てられたのか、金縛りにあったように動かない。

 無理もない。オレだってミーファがいなかったら同じように固まっていることしかできなかっただろうから。

 このままじゃ間違いなく死ぬ。オレも、クロノ君も。地竜の巨体に押しつぶされるだろう。半ば諦めに近い感情が心に満ちる。


「何諦めてんのよ。言ったでしょ。私に斬れないものはないって」


 しかしミーファは違った。絶対絶命の状況の中、心底楽しそうに笑う。


「レイジの魔力、借りるわよ」


 瞬間、ごそっと体の中の何かが削り取られるような感覚。それと同時に大剣が最初の時と同じようにまばゆい光を放ち始める。


「示せ、破壊の刃! ——『天翔破斬』!」


 次の瞬間、轟音と共に光が周囲に満ちる。

 やがて光が収まったあと、残っていたのは吹き飛ばされ、抉られた地面だけだった。地竜の姿なんてもうどこにもなかった。

 どんな威力の技だよ……っていうかこれ大丈夫だよな。自然破壊とか大丈夫だよな。


「んー、本気で技使うと気持ちいいわね!」

 

 心配するオレをよそに、大破壊を成した張本人は気持ちよさげに背伸びをしている。いやまぁ、オレの体なんだけどさ。

 ふっと体の感覚が戻る。ミーファが大剣に戻ったらしい。


『言ったでしょ。私に斬れないものはないって』

「だからってやり過ぎだろ!」

『助かったんだからいいじゃない。細かいことは気にしないの』

「そういう問題じゃないって!」

『でもこの程度でビビッてちゃダメよ。これからもっともっと強い魔物と戦うんだから!』

「嫌だよっ!」

『あともう一つ良い報告があるわ』

「なんだよ」

『私の力を使えば使うほど、あなたは心も女に近づいていくわ。それと、もし私のことを手放そうとしたら一生男に戻れなくしてやるから』

「は、はぁ?!」


 聞き捨てならぬことをあっさりと言い放つミーファ。手放したら男に戻れない。でも使い続けたら思考まで女にされる。それもう詰みじゃねーか!


「おま、ふざけんなよ!」

『ふざけてないわよ。あなた思ったより私と相性が良いみたいだし。諦めて受け入れなさい』


 ピクピクと頬が引きつるのを感じる。大剣を地面に叩きつけたい衝動に襲われるが、きっと無意味なんだろう。


「なんで……なんでこうなるんだよぉおおおおお!!」


 心配そうに駆け寄って来るクロノ君を尻目に、オレは天に向かって叫ぶのだった。






 これがオレとミーファの出会い。

 やがて【聖剣乙女】なんて不名誉な名で呼ばれることになるオレとミーファの出会いの日だった。

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