第12話 相合い傘(後編)


 昼休みになっても空には雲一つなく、朝からずっと晴天が続いていた。


「気持ちいいぐらい晴れまくってますねー」


 翔太の膝の上に、当たり前のように腰掛けている陽菜子が言う。


「……この態勢に疑問を覚えるのは俺だけか? 俺だけなのか?」


「そうですよ?」


「肯定された!?」


「むしろ翔太先輩には、昼休みの間、こうやってわたしを独り占めしつつ、堪能できる喜びを噛みしめてもらいたいんですけど」


「………………ありがとうございます」


 翔太が陽菜子から顔を背けて、もごもごと口の中だけでそう言えば、


「すみません、翔太先輩。今、なんて言いました? 声が小さすぎてよく聞こえなかったんで、もう一度言って欲しいんですけど」


「な、何も言ってないから!」


「照れなくてもいいんですよ? 密着することでわたしのぬくもりを感じ、さらには匂いをくんかくんか堪能させていただいてありがとうございますとか、翔太先輩はとんでもない変態ですね!」


「そんなこと一言も言ってないんだが!?」


「あ、そうですね。これは翔太先輩の心の声でしたね」


 否定できない翔太だった。


「て、てか、あれだよ!」


「ふふ、強引に誤魔化そうとする翔太先輩、かわいいですねー」


 陽菜子がうれしそうに翔太にもたれかかってくる。


「ご、誤魔化してるわけじゃなくて。雨、全然振りそうにないんだけど……本当に降るんだよな?」


「翔太先輩、そんなにわたしと相合い傘したいとか、ちょっと必死すぎませんかねー」


「そ、そそそそんなんじゃねえし……!?」


「『そ』が多いんですよねー」


 気のせいです。


「大丈夫ですよ。ちゃんと降りますから。わたしを――いいえ、気象予報士のお姉さんを信じてください! ものすごい巨乳でしたから!」


「胸の大きさと天気は関係ないと思うんだが」


「そこに気づくとは……!」


「棒読みで言うな」


 えへへと笑う陽菜子がかわいかった。




「……本当に降った」


 最後の授業が終わりに近づく頃、空はやにわに暗くなり、授業が終わった途端、雨がものすごい勢いで降り出した。


「巨乳の勝利です!」


「いやだから胸の大きさは――いや、もしかしたら関係しているのかも!? ――ってそんなわけあるか!」


「おお、一人ボケツッコミですか。翔太先輩、よくがんばりましたね」


「陽菜子のおかげでだいぶ鍛えられたおかげかな」


「なら、わたしに感謝してもいいですよー?」


「ありがとう、陽菜子。いつも一緒にいてくれて」


 陽菜子には好きな人がいる。


 翔太のクラスに。


 そいつと両想いになったら、こうやって陽菜子と一緒に過ごすことはできなくなる。


 それまでの間、それがどれだけの時間かわからないが、大事に過ごしたいと思う。


 だから、翔太は素直に感謝を告げた。


「な、ちょ、い、いきなり、そうやって素直に言うのは反則ですよ……」


 陽菜子が俯き、何事かをもにょもにょ呟く。


 よく聞こえなくて聞き返すものの、


「翔太先輩がいけないんですっ!」


 と怒られた。解せぬ。


「ほ、ほら! 早く帰りますよ! 翔太先輩があれだけしたがっていた相合い傘をして!」




 一つの傘を陽菜子と共有しながら、翔太は歩く。


 大きい傘を選んでもってきたとはいえ、やはり二人で一つの傘に入るのはきつい。


 雨も強く降っている。


「陽菜子、濡れるからもっと近づかないと」


「そうやって合法的にわたしと密着しようとするとか、翔太先輩ってば策士ですねー」


「何言ってるんだよ。濡れたら風邪引くだろ」


「そうしたら翔太先輩に看病してもらいますから大丈夫ですよ」


「決定事項なのか?」


「決定事項なのです」


「そういうことなら仕方ないな」


「熱が出て、汗をたくさんかいちゃってると思うので、わたしの体、拭いてくださいね?」


「……は? ……え!?」


「もちろん、本気です」


「そこは冗談だって言うところだろ!?」


「逆に翔太先輩が風邪を引いたら、わたしが看病してあげますから」


「謹んで辞退させていただきます」


「翔太先輩に拒否権はありませーん♪」


「何でだよ!? 陽菜子にうつすわけにはいかないだろ……!」


「何言ってるんですか。風邪は誰かにうつせば早く治るって、これ常識ですよ? だからわたしが看病に行ったら、真っ先にわたしに風邪をうつしてくださいね? あ、風邪のうつし方、知ってますか? 唇と唇をくっつけるんですよ?」


「な、何を言って……!?」


 それってキスじゃないか。


「ふふふ」


 テンパっている翔太は気づかない。


 陽菜子が顔どころか、耳まで真っ赤にしていることを。


「雨、強いですね」


「ああ」


「……相合い傘、しちゃってます」


「……お、おう」


「翔太先輩」


「ん?」


「うれしい、ですか?」


 雨粒が傘に当たって、ばばばば……という音を立てている中。


 陽菜子の声は、その声だけは、不思議と翔太の耳にはっきりと届いた。


「……そんなの、決まってるだろ」


「答えになってませんよね、それ」


「わ、わかるだろ」


「わかりません。言葉にしてもらわないと、何も伝わらないんです」


 思いのほか真剣な声音に、思わず陽菜子を見る。


「だから、ほら。早く言ってください。『俺は陽菜子のことを、世界中の誰よりも愛しているんだぜ!』って」


「俺は陽菜子のことを、世界中の誰よりも――って何を言わせるんだよ!?」


「ちっ、惜しい」


「惜しくない!」


 ああ、やっぱり――と翔太は心の中で呟く。


 陽菜子が好きだ。


 陽菜子と他愛ないやりとりをするのが好きだ。


 ずっと、こんな時間が続いて欲しいと思う。


 けど――いつか。


 いつかその終わりはくる。


 きてしまう。


 今、いつも陽菜子と別れている場所にたどり着いたみたいに。


「傘、陽菜子が使ってくれ」


「え?」


 となっている陽菜子の手に傘を強引にねじ込むと、翔太は勢いよく駆け出した。


「あっ、ちょ、翔太先輩……!?」


 待って、待ってください――という声を背中で聞きながら、翔太は決して足を止めなかった。


 土砂降りの雨が降り注ぐ中、翔太は走り続けた。

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