第6話 チョコ菓子

 休み時間、翔太の姿は教室ではなく、廊下にあった。


 喉が渇いたので、水を飲みに行こうと思ったのだ。


 だが、翔太が水を飲むことはできなかった。


 なぜなら――。


「あ~、翔太先輩ってば、こんなところにいたんですねー!」


 という声に呼び止められたからだ。


「えへへ、だ~れだ!」


 後ろから忍び寄った声の持ち主が、その両手で翔太の視界をふさぐ。


 翔太の方が身長が高く、声の持ち主がちょっとだけ背伸びして、こんなことをやっているのかと、その姿を想像すると、何だか微笑ましい気持ちになってくる。


 もうすっかり耳に馴染んだかわいらしい声の持ち主は、その姿を見なくても、翔太には誰だかわかった。


「陽菜子だろ?」


「ぶっぶー!」


 何だと。


「正解です!」


 ぱっと両手を解放して、陽菜子が翔太の視界に回り込んでくる。


 後ろで手を組み、上目遣い。


 自分がかわいいことをしっかりと自覚した上で、なおかつ最大級にかわいらしく見える角度というか、姿をわかっている感じ。


「ブッブーって、不正解の時の音だろ?」


「普通に正解って言うだけじゃ面白くないかなーって思いまして」


 にこっと笑う姿が、もう本当にあざとい。


 あざといけど、かわいいと思ってしまう翔太である。


「教室に行ったら翔太先輩がいないから、すっごく探しちゃったんですよ?」


「そっか。それは悪いことしたな」


「具体的には32秒ぐらいですかね?」


「それって、全然すっごく探してないよな?」


「何言ってるんですか、32秒もあったら!」


「あったら?」


「何かができますよ!」


 おい、と突っ込む翔太に、陽菜子は笑う。


「まあ、教室にいなかったこと、今回は特別に許してあげます」


「ありがとう?」


「いえいえ、どういたしまして」


 何だこりゃと思いつつも、陽菜子がうれしそうだったので、翔太も何だかうれしくなった。


「で、探すほどの用事って何だ?」


「何か用がないと、翔太先輩に会いに来ちゃいけませんか……?」


 陽菜子が潤んで瞳で見上げてくる。


 翔太はドキッとした。


「え、あ、いや、そ、そんなことは……」


 思わずしどろもどろになっていれば、「くふふ」という笑い声が。


 見れば陽菜子が笑っているではないか。


「翔太先輩ってば、慌てふためいちゃって。とってもかわいいですよ?」


「う、うるさい!」


「というか、わたしの言葉に、ドキッとしましたよね?」


 くっ、鋭い。


 だが、翔太は毅然とした態度で、きっぱり言い放った。


「し、してねえし!」


 若干、言葉に詰まったことには目を瞑って欲しい翔太であった。


「仕方ありません。そういうことにしておいてあげます」


 陽菜子には当然、すっかり見抜かれていたが。


「それで、本当の用事は?」


「翔太先輩と一緒にお菓子を食べようと思いまして」


 そう言って陽菜子が制服のポケットから取り出したのは、スティック型のチョコ菓子だった。




 お菓子を食べたいと言った陽菜子は、近くにあった空き教室の中へと翔太を誘い込んだ。


「別に廊下で食べたっていいんじゃないのか?」


「まあ、翔太先輩がいいなら、わたしはかまいませんけど」


 何だか意味深な物言いである。


 それが少し気になった翔太だったが、今はチョコ菓子だ。


「ありがとう、陽菜子。俺、チョコ好きなんだよ」


「いえいえ、どういたしまして」


 翔太がチョコ菓子をもらうために手を差し出せば、陽菜子は引っ込めてしまった。


「……くれるんじゃないのか?」


「もちろん、あげますよ。けど、ちょっと準備が必要で」


「準備?」


 翔太の目の前で、陽菜子がチョコ菓子を咥えた。


「はい、どうぞ。思う存分、食べちゃってくださいね♪」


 チョコ菓子を咥えながら、器用に喋るものである――ではない。


 確かにこうやって食べるなら、人目のある廊下では絶対に無理だ――でもない。


「ちょっと待てえええええええ! おかしいだろおおおおおおお!」


「いやいやいや、全然おかしくないですから。このチョコはこうやって食べるのが正式な食べ方ですから。むしろそれを知らない翔太先輩にわたしがどん引きです」


「え、マジで!?」


「はい、マジです」


「それは知らなかった――とはならないからな?」


「ええい、つべこべうるさいですね! チョコが好きなら、翔太先輩はとっとと食べればいいんです!」


 咥えたチョコ菓子を、んー、と陽菜子が差し出してくる。


「ほら、早くしないと授業が始まっちゃうじゃないですか! 遅刻したら翔太先輩のせいですからね!」


 そんなふうに言われたら、食べないわけにはいかない――のか? 本当に?


 すぐ目の前には好物のチョコ。


 それを咥え、ほらほら早くと急かす陽菜子。


 顔がにやけているのは、果たして翔太が食べられないと思っているからなのか。


「後で文句言うなよ!」


 翔太はチョコ菓子を食べた。


「ほら、どうだ!」


「……先っぽをちょっと食べただけで、そのドヤ顔はどうなんですかねー?」


「あ、呆れたような眼差しで見ないでくれ!」


 熱くなった顔を両手で覆い隠す翔太だった。


「もう、しょうがないですねー」


 咥えていたチョコ菓子を、カリカリカリッ、と食べきると、陽菜子は袋から新しいのを取り出して翔太の口に突っ込んだ。


 最初からこうして欲しかったと思っていたら、あーんと陽菜子がかじってきた。


「な、な、なぁぁぁぁ!?」


 翔太がカチンコチンに固まっている間に、陽菜子はどんどんチョコ菓子をかじり続ける。


 このままだとしてしまうのではないか?


 何をって――キスをだ。


 しちゃうのか? このまま? 本当に!?


 あともう少しで唇がくっつく、本当にキスをしてしまう――そんなところで。


 チャイムが鳴った。


 同時に、ポキンッ、という音がして、チョコ菓子が折れてしまった。


「残念でしたね? あともう少しでキスしちゃうところだったのに」


 まるで翔太の内心を見透かしたように、陽菜子が色っぽく微笑む。


「それじゃあ翔太先輩、またお昼休みに来ますねー」


 あんなことがあったのに陽菜子は平然とした様子で、教室から出ていった。


 呆然とした翔太を残して。


 陽菜子を見送った翔太は胸を押さえた。


 心臓が痛いくらいドキドキしている。


 あんなにかわいい陽菜子と、あともう少しでキスするところだった。


 残念と陽菜子は口にしていたが、本当にそうだと思ってしまった。


「ああ、もう――陽菜子を好きになっちゃダメなのに」


 こんなふうに迫られたら、絶対に好きになってしまう。


「本当にダメなのに」


 頭の中が陽菜子のことでいっぱいだった。




 一方、平然とした様子で教室を出た陽菜子は廊下をしばらく歩き、角に来たところで、まるで力尽きたかのように、その場にくずおれた。


 その顔を見れば、リンゴかイチゴかというくらい、真っ赤になっていた。


 抱え込んだ膝に顔を押しつける陽菜子。


 翔太に自分のことを意識させるためとはいえ、さすがに今回のはちょっとやり過ぎた。


 だが――。


「もう少し、だったのになぁ……」


 残念というのは翔太に向けた言葉ではあったが、同時に陽菜子の偽らざる本心でもあったのだ。


 あと少し、ほんの少し、チャイムが鳴るのが遅かったら?


 陽菜子は自分の唇に触れる。


「翔太先輩とキス、できたのに」


 切なげな吐息を漏らす――そんな自分に気づいて、陽菜子はハッとなる。


「違うでしょ、わたし! 翔太先輩にわたしのことを好き好き大好き状態になってもらって、それで告白してもらうんだから! わたしの方がどんどん好きになっちゃダメ、絶対!」


 今回のことで、翔太もさすがに、少なからず陽菜子のことを意識したはずだ。


「翔太先輩にがんばってもらわなくちゃ!」


 おー! と片手を突き上げた陽菜子の顔は、まだまだ赤いままだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る