第3話 手料理

 その日の昼休み、翔太は昼食を求めて売店に向かうところだった。


「翔太先輩」


 翔太を呼ぶ、かわいらしい声が教室に響く。


 陽菜子だ。


 教室の空気は、


『誰、あのかわいい子!?』


 というものと、


『誰、翔太って!?』


 というものとで二分された。


 ちなみに前者は男子に圧倒的に多く、後者はほぼクラス全員である。


 ほぼというのは、そこに翔太が含まれていないからだ。


 つまり、翔太以外の人物が、


『誰、翔太って!?』


 と思ったということである。


 そのことを敏感に察して泣きたくなった翔太だったが、そこはグッと我慢した。


 そんなことより、今は陽菜子だ。


 陽菜子は自分に視線が集まっていることに気づいていないのか、


「翔太先輩、聞こえないんですかー? 翔太せんぱーい」


 などと翔太のことを呼び続けている。


 翔太は慌てて陽菜子に駆け寄ると、その手を取って急いで教室から離れた。


 廊下を走り抜け、ようやく人気のないところまでやってきて、ふぅーと長い息を吐き出す。


「翔太先輩って、意外と大胆なんですね?」


「は? 大胆? いったい何を言ってるんだ?」


「だっていきなり手を掴んで」


 陽菜子が、翔太がまだ握ったままだった手を見つめるので、慌てて離した。


「こんな人気のないところにわたしを連れ込んで。……そういうことをするつもりなんですよね? でも、わたしたちってまだ・・そういう関係じゃないっていうか」


「まだって何だよ!? ていうか違うからな!? そういうんじゃないからな!?」


「えー?」


「えー、じゃない!」


「でも、こんなにかわいいわたしを、わざわざ人気のないところに連れ込むなんて……それ以外にどんな理由があるんですか!?」


「凛藤が――」


「陽菜子ですよ? 翔太先輩」


「ぐっ」


 そうだった。


「ひ、陽菜子が――」


「惜しいっ。言い切りましょう!」


「陽菜子が!」


 これでいいだろ!? と陽菜子を見れば、にっこり微笑んでいた。


 どうやらOKが出たようで、翔太はほっとする。


「陽菜子が言ったとおり、陽菜子がかわいいからだ。……いや、めちゃくちゃかわいいから、だな」


「め――」


「め?」


「……なんでもないですよー?」


 言いながら顔を盛大に背ける陽菜子である。


「向こうに何か見えるのか?」


「特には何も。――というか、わたしがかわいいからこんなところに連れ込んだって。やっぱりどう考えても……」


「違うって言ったよな!? いいからそこから離れろ! ……あのな、陽菜子はめちゃくちゃかわいいんだ」


 翔太はまだ若干、陽菜子を名前で呼ぶことに照れくささを感じながらも、つとめて表情に出さないように気をつける。


「だから、教室でもみんなが陽菜子に注目してた」


「ですね」


 どうやら自覚はあったらしい。


 まあ、これだけかわいいのだから、注目されるのはそれほど珍しくないということなのだろう。


 羨ましくなんてない、と独りごちる翔太である。


「で、俺の教室には陽菜子の好きな奴がいるんだよな?」


「ですです」


「そいつに俺との関係を疑われたら、陽菜子的にはマズいだろ?」


 だから翔太は、急いで陽菜子を教室から連れ出したのだ。


「翔太先輩はどう思います?」


「どうして俺に聞く?」


「さあ、どうしてでしょうね?」


 そう言って陽菜子は小首を傾げてみせるのだった。


 わけがわからない。


「で、どうして俺の教室に?」


「翔太先輩と一緒にお昼を食べようと思いまして」


 じゃーん、と手に持っていた包みを見せてくる。


 どうやらお昼も恋愛を成就するための実験をするつもりらしい。


 座れそうな場所を見つけて、翔太と陽菜子は腰を落ち着けた。


「朝からがんばって作ってきたんですよー」


 包みを広げれば、おいしそうなおかずの詰まった弁当だった。


「これが手作り……?」


「どうです? おいしそうでしょう?」


「ああ、めちゃくちゃうまそうだ。これ、俺も食べてもいいのか?」


「もちろんです」


「じゃあ、さっそく――」


 弁当を受け取ろうとしたら、手を叩かれた。


「……え、何で? 俺も食べていいって」


「わたしが食べさせてあげるんです」


「は!?」


「文句は聞きません。だって翔太先輩は実験台なんですから」


「い、いやいやいやいや!?」


「最初は何から食べたいですか? わたし的にはこの卵焼きがオススメなんですけどー」


「俺的にはそっちの肉じゃがが気になる――って違う! 自分で食べられるから!」


「肉じゃがですね? わかりました」


 あーんで食べさせられたのは、卵焼きだった。


 肉じゃがじゃないのかよ! とか思いながらも、口の中の卵焼きを咀嚼する翔太。


 もぐもぐ、ごくん。


「………………………………………………………………………………うまっ」


 翔太の口からぽろりとこぼれ出た呟きに、陽菜子が「よしっ」と小さくガッツポーズを決めるが、翔太は卵焼きのうまさに感動していて気づかない。


 その後、食べさせてもらった料理はどれも本当においしくて、


「どうでしたか、翔太先輩。わたしの料理は」


 と聞いてくる陽菜子に、思ったことを素直に伝えた。


「そうですか。喜んでいただけたようで何よりです」


「……ただ」


「ただ?」


「あ、いや、何でもない」


「気になるじゃないですか。教えてくださいよ」


「あー……どれもうまかったのは本当だけど、個人的にはもう少ししょっぱい味付けがいいかなって思ったんだ。けど、それは俺の好みだから、陽菜子の好きな相手はこのままでもいいかもしれないだろ」


 なんてことを言ったのに。


 次の日もまた、弁当を作ってきてくれた陽菜子は、翔太好みのしょっぱい味付けをしてきたのだった。


 どうして――と呟けば、


「偶然に決まってるじゃないですか」


 と澄ました顔で返された。


 その耳が若干赤くなっていることに、翔太は気づかない。


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